じゅん文学32号(2002年6月)in press

 

 

続・四行半診療録余滴シリーズ(10)

 

ヒトを診るということ

                  

 

「ヒェ〜、痛っ!」

 手術室の手洗い場からまたまた犬養センセの泣きが聞こえてきた。

 手術着を着る前の手洗いは消毒薬を付けながら肘の上までブラシでゴシゴシしなければならない。ぼくが研修医だった頃はブラッシングを強くすればするほど清潔になると教えられ、誰もがブラシの痛みに泣かされたものだ。いつの頃からか強くこすり過ぎない方がいいということになったのだが、それでも手に傷があったりすると術前の手洗いは辛いものだ。

 犬養センセは猫を飼っている。それで小さな引っ掻き傷が絶えないのだ。内科を回っている時には気にならなかったようだが、外科の研修に入って手術の手伝いをすることになるとたとえメスは持たせてもらえなくても手洗いは必須なのである。

 メスを縦横に振るって病気を根治する外科医となるのか、猫と戯れる呆けた日々を送るのか……メスか猫か、どちらかにしろ、とぼくたち先輩医師たちから言われているのだが、犬養センセはどちらも捨て切れないようだ。犬にしたら、とナースや同期の研修医は助言しているのだが「犬なんて」と彼はまったく聞き入れない。ちなみに名前も病院内だけの通称でいいから「猫養」に換えたいそうだ。う〜ん、それって可能か?

 

 犬谷 史さんという婆さんが入院してきた。名前から当然のように犬養センセが主治医と決まった。犬谷さんは京舞のお師匠さんだそうで、いつもきちっと和服を召しておられる。たしかに奇麗に着飾った和服姿のお弟子さんが頻繁に見舞いに訪れているようだから、だらしない格好は見せたくないのだろう。

 それにしても心臓の病気ならまだしも腹部の病気だから診察一つするのもたいへんだ。「腹部の超音波検査をしますから準備しておいてくださいね」とナースが前もって伝えておいても、犬谷さんはベッド周辺をきちっと片付けただけで正装のままベッド上に正座して主治医をお迎えする。

「先生にお会いするのんにキチッとしていなくては失礼どす。これが私の流儀どす!」と聞く耳を持たないしっかり者の婆さんである。そのおかげでいつもぼくと犬養センセは犬谷さんが帯を解く間じっと待たされる羽目になる。衣擦れのきゅっ、きゅっ、といういい音がして、婆さんではあるがちょっとばかりセクシーでもある。

「犬養先生はお独りですのん?」

 緋色の肌襦袢姿の犬谷さんの目がちょっと妖しい。

「は、はぁ?」

 ま、まさかこの婆さんに口説かれたらどうしよう、と犬養センセは早とちりしたようだ。半歩うしろに身を引いている。

 妻帯者ではないとわかると犬谷さんはここぞとばかりに部厚いアルバムを出して来た。開くと見合い写真がぎっしり張られている。ぼくも何年か前にこの手の婆さんに何回か見せられたことがある。で、ここだけの話だが、実際に見合いも何回かしたものだ。踊りのお師匠さんだったらプロの奇麗どころをたくさん知っているのだろうし、素人で日本舞踊をやるなんて裕福な名家のお嬢様に決まっているから写真を見せてもらうだけでも目の保養になるだろう。

「先生、このお嬢さんは大きな病院の一人娘さんどしてね、ご器量もよろしいし、踊りの筋もよろしいし……」

「は? あ、ぼく、そんなまだ結婚なんて……」

「何ゆうてはりますの。男はんは早うにお身を固めはらんと人さんに信用してもらえまへんえ」

 ぐいっと顔の前に差し出された写真はまるでどこかのお姫さまのようだった。温習会のあとにでも撮ったのか舞台衣装のままの柔らかい笑顔である。

「ほほぉ、ぼくが会ってみたいなぁ。犬養センセにはもったいないな」

 ぼくも横から茶々を入れる。

「そうですやろ、坂井先生。先生からも犬養先生に勧めてあげておくれやす。ホントにいいお嬢さんですしねぇ」

「川石病院ならこの辺りでは名の通った病院だよ。じゃあ、そのお嬢さんのお父上はたしかうちの大学病院の外科で講師をされていたはずだね?」

「そうそう、そうどすねん。男の子ぉがおられないんで、お嬢さんにはどうしても立派なお医者はんといっしょになっていただかないと」

 犬谷さんはグイグイ押してくる。

「ぼく、猫が飼えないような生活はしたくないんです。だからダメです」

「はぁ?」と、犬谷さんはポカン。

「だって、外科なんでしょ?」

「は? あ、あの……」

 犬谷さんは事情がまったく掴めなくて、どうしていいかわからないようだ。

 大病院の一人娘というだけで身を乗り出す俗な奴もいるのだが、犬養センセは自分のこだわりを大事にするようだ。ふむふむ、外見も考え方もスマートでなかなかよろしい。

「なるほど。犬谷さん、このお嬢さんは犬養センセには無理だよ。内科病院のお嬢さんはいないの?」

 ぼくも部厚いアルバムの中味を見たい一心で犬谷さんをけしかけてしまった。

「そうどすかぁ。ホントにいいお嬢さんなんどすけどなぁ。……外科がダメって、メスに自信がおへんのんか、先生? 私の手術はだいじょうぶどすやろね?」

「ははは。それはだいじょうぶ。犬養センセは器用だし凝り性だからね。それに手術は黒坊助教授がしますから。犬養センセは手術助手です」

「そうどすか。……あ、この子、この子、このお嬢さんもよろしいよぉ、このお嬢さんは……」

 肝臓と膵臓の超音波検査をするはずだったのが、すっかりお見合い検討会になってしまった。いっしょに付いてきたナースも呆れ顔だ。

 実際に時々いるのである、この手の世話焼きの患者さんが。医師にしてもナースにしても病院の中ばかりにいるために人間関係が広がらなくて、患者さんと結婚したナースや患者さんの紹介で結婚相手を見つけた医療関係者も少なくはないのである。

 

 ナースとぼくも一緒になってアルバム一冊の結婚候補者のすべてをさんざん批評した挙げ句に、犬養センセが出した結論はいたって率直なものだった。

「やっぱり猫がいいです。女の人は苦手なんで、ぼく」

 う〜ん、女の人は苦手かぁ。医者が人間嫌いねぇ……それってありかなぁ?

「センセ、そんなこと言ってたら医者は勤まらないよ。患者の半分は女の人なんだぜ。何なら獣医になる?」

 ぼくは半ば冗談でそう言ったのだが、犬養センセの返事はもっと深刻なものだった。

「いえ、獣医は無理なんです、ぼく。子どもの時から何匹も猫を飼ってきたんですけど、病気の猫を助けたくて医療の勉強をしようと決めたんです。だけど猫しか診たくないんで獣医学部はあきらめたんです。それでやむなく医学部にしたんです」

 う〜ん、絶句!

 なるほど、医療の勉強のために医学部に入ったことで、やむなくヒトを診ることになったわけか。医師を目指してきた若者たちから今までいろんな動機を聞いたけれども、犬養センセのような話は初めてだ。医は仁術、開業は算術、などと言った時代には善悪いろいろと医者にはまだ人間臭さがあったが、新人類の諸君は無味無臭が多くなっている。蓼食う虫もいろいろ。ヒト診る医師もいろいろの時代になったようだ。

 人は生まれ、人はやがて死ぬ。医療とは生を長らえるためにではなく、生を快く楽しめるようにする技術である。自他ともに名医・良医と認められているドクターが「世のため人のため」と称していたずらに医療費を浪費して無意味な延命を試みたり効果のない投薬を続けたり、大学病院の医師が「出世のため」に無理な手術をしてまで業績を作ろうとしたり、開業医のほとんどが「お金のため」に保険請求の勉強しかしないなど、今の医療は末世に近い。妙に目的意識など持たない方がまっとうな医療をできるのかもしれない。

 老人ばかりになる20年後、30年後の日本はどんな価値観の医療になっているだろうか? 患者の意思に拠らずに医師の意思が押し付けられている今の医療よりは良くなるだろうと信じてはいるのだけれど、新人類の諸君のお手並みを見せてもらうことにしよう。無味無臭の犬養センセ、期待してるよ!

 

 

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