『修羅賦』No1(1976.4月)

 

 

   

 

非情という事

 

 

 

 山崎正和の戯曲『世阿弥』の中に次のような世阿弥の台詞がある。

  そなたは若い。若い心には責めるより許すことが快いものだ。

 

 かつてそのことを知り尽くしている故にそれから逃れ、自ら「心優しき者」として自己を措定してきたところの非情という事、そのことがまた、現在的意味を持つ問題として私の心をとらえている。

 『世阿弥』の中のこの台詞に出会った時、私の連想したのは『出家とその弟子』の中での親鸞の「許せ、許せ、すべてを許すのだ」という、愛弟子への言葉だった。清純な心を持つ遊女への愛と、社会通念との狭間で苦悶する青年僧への圧倒的な包容力による、救いとしてのみならず、親鸞自身に対する厳しい戒めでもあるその言葉だった。

 世阿弥の台詞にある「許す」ことと、親鸞のいう「許す」こととは全く次元の違う言葉である。私がこの両者の言葉に強く惹かれたのは、世阿弥のいう「責める」ことと、親鸞のいう「許す」こととが、実は同じ心を述懐しているのではないかということを考えたからだ。責めるのは、許そうとするから、許す心が九分通り固まっているからなのだ。その許す心に到るまでに、その人間の内面では、殺意に到るほどの憎しみがあり、悔恨があり、反実仮想の願望があり、果てしもない矛盾と葛藤があるはずなのだ。失恋による痛手もあろう、社会悪に対する憤りもあろう、そしてまた度しがたい自分自身に対する不信もあるだろう。そうした様々な不満、不信、不安の感情を誰しも抱いて、生に失望する時がある。まさに、孤立無援の自己閉塞に陥って、現在に立ち尽くしてしまう時が、若い時期には必ず訪れるものだ。感性的な苦悩は時間が解決してくれると言う人があるが、私はそれを信じない。女性のしたたかさにおいては、それがなされ得るのかも知れないけれども、男の純情さにおいては、そのようなことは不可能だと保証してもいい。自己矛盾の苦悩から自己を開眼させてくれるのは、時の流れなどではなく、ほかならぬ事実の客観的認識と、それらの認識の演繹から来るひとつの決断、つまり主体性の確立、あるいは自己への回帰なのだ。その厳然たる事実を、身を以て知った時その苦悩する人間は絶望の淵から抜け出る、いや、一気に跳び越えて行くのである。

 自分のもとから去った恋人を憎いと思うなら、その恋人のどこがなぜ憎いのかを明らかにすることだ。そして、仮に、照り返された自己の心がその憎しみの源であったとわかったならば、恋した者への憎しみは昇華されて、自己自身の解体へと一足跳びに超克されるはずである。また、仮に、その失恋が自らにとって真摯な賭の敗北とわかったならば、新たな賭へと自信を持って前進して行けばいいのだ。社会の不正に義憤を覚えるなら、その社会の構造に理解を持たなければ、義憤は義憤のままで終え去るであろう。真の憎しみ、憤りとは、事実関係の深い理解に基づき、自らの体系に従ったものでなければ意味を持たないのである。

 

 責める心はやがて許す心へと繋がってゆく。そこまでに経過しないでは済まされない苦悩と煩悶を、安易に何かへと転化してすべてを看過しようとする若者達の何と多い事か。……何でもいい、あらゆるものを疑い、常識なるものを放棄して、自らの体系を持て、ということなのだ。「責める」ことを避けて安易に「許す」ことへと走る浮薄な青臭さを山崎正和は世阿弥の口を借りて訴えているのではなかろうか。

 かつて、倉田百三の『出家とその弟子』を読んで、涙で活字が見えなくなるという初めての体験を得た。遊女への愛に苦しむ青年僧が、苦悩し煩悶し尽くすまで、親鸞は彼を見守っているだけだ。やがてその若者が、自らの内なる混沌の様を把握したと看破するや、親鸞はその弟子に向かって「すべてを許せ」と言うのである。無明長夜の果てに灯る「許せ」という言葉の内包する広大な英知によって、その若者は一瞬にして開眼覚悟するのである。そこに生きることのダイナミズムがある。

 

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 高橋和巳作品集(河出書房新社刊)の月報の中で、竹西寛子が高橋和巳の文学の底流をなす情感について、次のように説明を試みている。

 ……氏の、理への執拗な志向は……(中略)……人本来のやさしさをあらかじめ拒否したそれではなく、むしろ、やさしさにまみれ得る人であるところからの非情への意志であろうと思うし、もの悲しさは、氏のやさしさと、それに拮抗する意志としての非情との格斗から生まれた困惑の気配かも知れないのである。……

 的確な批評として、素直に首肯できるが、そうした高橋和巳の文学に対する理解、共感と、読む側の自己のあり方とは完全には一致しないものだろう。文学の中に構築されている苦悩や圧迫感を、私達は[見る阿呆]として傍観し、理解はしても切実に共感しうるということは稀であろう。それは、多くの傍証と事実の提出によって、読者をも自己自身の問題として切実に考察せしめたいという筆者の意向が、文学という表現形態において、その伝統的文学作法によっては実現困難である、という事実を示唆する。そこに、言語で終わってしまう文学と、実践へと接続してゆく文学との大きな段差がある。

 最近、理学部有志を中心として出された小誌『ロドス』を読んだけれども、そこでも、文学、あるいは「書く」という行為の意味について考えさせられた。『ロドス』の前文において「書く」ことの日常化によって「言論の自由」を実践しようということを述べてあるが、その主旨は十分に納得しうるし、誌中の『「されどわれらが日々……」を越えて』にある「自分が最終的に承認する諸価値、諸原理、諸法則」を「自分の内の最も始原的なものである本能、生存の本能と対置できるところまで深化させよ」という主張は素直に共感できる。その筆者自身は「本能、生存の本能」の科学的意味をまだ理解していないと考えるために、「本当に踏み止まり、そして踏み止まり続けているのは自分の根源である生存が、生の本能がおびやかされている人たちだけではないのか」と一般的理解をのべ、「今は冬だ」と、万感の思いを込めて一括することによって文章を終えているが、問題はこれからだ、というのが私の正直な感想だった。つまり、こうした苦悩を知るものにとって、このようなことは言わずもがなのことであり、ある意味でそうした独白は、筆者の孤独を一時的に忘れ去るためのマスターベイションにすぎない、とも言い得る。私達が求める「書く」という行為に内包された意義は、一種のマスコミ風の客観主義[「見る阿呆」的理解]に毒された「現状」の声などではなく、そうした「現状」を筆者はどのように「把握」し、それからいかに「脱出」、あるいは「超克」していったか、という筆者自身の「生きざま」という、極めて主観的な(実は最も客観的な)主張をせよ、ということなのではないだろうか。そこに、実践へと接続する「書く」行為の原点が見い出され得るように私は考えている。

 

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 最近、私の友人たちの中に詩集を自費出版したり、同人誌を出したりしている人々が増えてきた。私自身、二三の同人誌に関わって、自ら表現者の立場にも立っている訳だが、一般的な感想を述べれば、なにゆえに皆は完全解答を試みるのか、ということである。

 社会および個人は、本来的に動的なものであるように思う。それ故、生の安定を求めることは所詮かなわぬことなのだろうと私は考えている。完全な解答などあるはずがないのだ。「生きるとは、そして、いかに、……」その問いの答えも、やはり問いに満ちた答えであるほかはない。

 ある者は、自らの生の基盤を幼年期の経験に求め、ある者は先天性の精神的、肉体的疾患にその決定因を見い出そうとし、ある者は虚構された狂気への自己投入によって、現在の不安定に倒酔しようとする。ともかくも、中核を忘れ、あるいは敢えて切り捨てて、既製の体系の中から好みのものを取り出して、それによって、生に対する完全解答を試みるのだ。読者である私達は、彼あるいは彼女とは異なったパーソナリティーを有する故に、困惑を覚える。それは私達に彼らの文学を理解できるだけの度量が無いためではない。それは、そこに提出された解答が、何も私達をして自らに問わしめてくれないからだ。文学とは、読者をして、問うことを迫ってくれるものであると思う。内なる混沌に慣れすぎた故の誤りが「文学青年」にあり、混沌からの盲目の逃走故におおかたの生は空虚に終わる。……なにゆえに若者達は独り旅立つことを避けるのだろう。なにゆえに本来の狂気を、悪徳を、欲望を、エゴを出さないのだろう。

 

 先日、同世代の女性から次のような一節を含む手紙をもらった。

 ……利己主義とナルシシズムに支配された奴隷は、誰も何も本気で愛せないまま、ひどく不安な思いで日々を送っているのです。そして、その奇妙な状況が時として心楽しく幸せだったりするので、ますます泥沼にはまり込んでいくような気がします。……

 ここで彼女が書いた「利己主義」や「ナルシシズム」も、ともに「非情という事」なのだ。

 

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 若者達は、資なくして情あるは苦しきものなれば・・・・・・と、独語して、決然として本来的良心、つまり優しさを振り捨てていく。良心を捨て、情を切り捨てていく果てに何があるのか。私達が不満を持ち続けてきた現在があるばかりではないか。「資なくして」と言うが、学生とはいえ、本当に「資」が無い、と言えるのかどうか。そして、「情あるは」と言いながら、本当に「情」があると言い得るのかどうか。……情、とは他者の生についての想像力の豊富さであり、その想像力を切り捨てて残ったのが「常識」という互いに互いの首を締めあう法である。……さらに、「苦しきものなれば……」と言うけれども、苦しいほどに自らの生き方を考え込んだことがあったのかどうか。……様々の問題を眠らせたままで、私たちは「おとな」になっていってしまうのだろうか。

 かつて、資なくして情あるは苦しきものなれば、と言って、自己の解体を中途にして逃走しようとしたことがあった。自我の生ずる以前に教え込まれたものは、それほど強大で圧倒的な善として、美として私の目には映った。ただ、真であるとだけは決して思えなかった故の苦悩であった。現在の私には、現実の社会や日常的に従うことを強制される生活作法は真でもなければ善でもない、と思えるようになった。しかし、なぜかしらそれに従う方が美であると感じてしまう自分が根強く残っている。そして「資なくして」と言ったが、欠けていたのは「資」ではなく、実は「志」であったことが、様々な友人達との議論や読書体験によってわかってきた。

 志なくして情あるは苦しきものなれば……

 これがおおかたの若者達の現在なのではないだろうか。苦しいなら、その苦しみの極まで苦しむことだ。苦しみ得ない凡庸な「志なき者」は、悔恨と失望の輪廻を浮遊するに終わるだろう。「許す」とは、自己と無縁のこととして看過することであってはならないし、「責める」とは、抜け道の無い自己の内面で自己矛盾と自己撞着と悔悟とを捏ね回してみる遊戯ではない。

 まず、非情の目を持つこと。そしてその冷徹な目に映る現実を演繹し、自らの体系を構築すること。非情の目によって、自己の生きざまを無限上空から俯瞰すること。そこに非情の条理性があり、真の人間性への道が開ける。

 

 

 

 

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