朝の仕事

 

 

 

第一部

 春分の日が過ぎて、やっと朝の仕事に戻った気がする。毎朝六時前に出掛けるのだが、冬の間は明け方の仕事だったのだ。そうした時季でも空気の澄んだ早朝に出掛けるのは気持ちのいいものだ。無論、いい女が待っているわけではない。ま、いい女が通ることも稀にはあるが、待っているのは仕事だ。あの場所に行かないと始まらないのだ、この仕事は。あの場所で毎日、午前六時から七時まで立っている。それが俺の仕事だ。
 もう四年前になる。「一日一時間だけの仕事/長期に続けられる人」という求人票を学生課の掲示板に見つけて申し込んだ。依頼人の面接があるという。指定されたとおり大学の正門前にある赤いポストの横に立って待っていた。二時から三時の間に面接をするという。俺以外にも男ばかり五人が来ていた。たった一時間の仕事だが、時給が良かった。普通の倍以上だった。しかも早朝だから一日のスケジュールに食い込んでくることもない。やってきた五人の男はどいつも、働きたくないと顔に書いてあった。生活のために金は要るんだが、とも書いてあった。同じことが俺の顔にも書いてあったはずだ。留年するのなら、もう金を送らないという手紙がオヤジから一週間前に届いたところだった。俺は大学の四年生で、単位不足から留年が確定していた。自慢のひとり息子であったはずが、今は「金送れ」以外には連絡もしてこない脛かじりの不良息子に成り下がっている、という書き方だった。母は毎日泣き明かしているぞ、とも書き添えてあった。未熟児で生まれて以来、俺は母には頭が上がらないのだ。それがオヤジからの最後通告だった。几帳面な母が月初めに振込んでくれていた仕送りはオヤジの予告どおり途絶えてしまった。魚屋の商売でも駆け引きなど一切しないオヤジらしかった。あれから今日までの四年間、親も息子も意地を通し続けて一切の連絡を絶っている。
 それはともかく、四年前のその面接の日、指定された一時間が過ぎても依頼人は現われなかった。が、その日の夕方に学生課から俺が選ばれたという連絡が入った。依頼人は離れたところから観察していたのだろう。俺が選ばれたとしたら、たぶん俺がポストの横にずっと立っていただけだったからだろう。他の連中は面接が始まるまで、イライラしながら動き回ったり、ポストにもたれて文庫本を読み続けたり、たばこをたて続けに吸ったり、携帯電話で女としゃべったり、スポーツ紙の上に座って競馬の予想をしながら待っていたりしたからだ。イライラ男と携帯男は指定された面接開始時刻から十五分たった頃には、すでに消えていた。たばこ男と競馬男は二時三十分になっても誰も来ないと「どうなってんだ、いったい」と二人でぶつぶつ言いながらいっしょに立ち去った。最後まで待っていたのは俺と文庫本男だけだった。二人とも互いに他人のまま一時間を待った。ちょうど一時間が過ぎて三時になったので、俺は「じゃ」と聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいてその場を去った。俺にも仁義はある。共通の目的で一時間を共にしたのだ、もう他人ではない。別れの挨拶ぐらいは当然だろう。といって友情が生まれたり信頼関係が結ばれたわけではない。だから「聞こえるか聞こえないかくらいの声で」となる。そのせいか文庫本男からの返答はなかった。なおも文庫本を真剣な顔で読み耽っている。厚めの文庫本でまだ半分までしか行っていなかった。この一冊を読み終えるまで、こいつは日没まででも街灯がともったあとも、ここで待つつもりだと俺にはわかった。
 依頼人の悪い冗談でなくて本当に一人を雇うつもりなら、選ばれるのはあいつかなと俺は思ったものだ。待たせるだけの面接ならば、根気で選ぶのだろうからだ。しかし選ばれたのは俺だった。「午後二時から三時の間、ポストの横に立って待て」という指示があったのを忠実に守ったのは俺だけだったのだ。もちろん俺は他人に忠実な人間ではない。忠実な社会人であるに過ぎない。ある報酬を得るためには、要求された労働を果たさなければならない、誠実に。これは経済活動における社会人たる必須の要件だろう。それだけのことだ。このことに関して俺に疑問はない。それに、立っているのが好きなのだ。目が疲れるし肩も凝るから本は極力読まないことにしている。だから「ただ立っているだけ」でいられたのだ。
 面接で俺が選ばれた連絡を受けたあと、もしかしてあの文庫本男は面接に来ていたのではなくて、単に朝からあの場所であの文庫本を読んでいただけだったのではないか、と思い付いた。俺より先に来ていたが、読んだ厚みからすると日の出から読み続けていたのではないだろうか。一日一冊。日の出から日没までで一冊。一年で三百六十五冊。一生で……おお、二万冊以上は読めるぞ! 俺は感心した。偉い奴もあるものだ。大教養人になれる。知識人に仲間入りだ。が、冷静になってみると、奴のやっていることもたいしたことではないことに気付いた。あの時に読んでいた『津軽海峡夏景色殺人事件』の類を二万冊も読んでいったい何になるのだ。あれ以降、文庫本男の姿を見かけたことはない。あの男は今日もどこか違う場所で、たぶん街灯が側にあるどこかのポストにもたれて、文庫本を開いているに違いないと俺は思う。あの読み方は年季が入っていた。きっと今日あたりは『明石海峡大橋誘拐事件』か何かを読みながら、日の出から日没まで、奴はひとり至福の時を過ごすのだろう。
 その仕事を始める前日、学生課に寄って就業票を記入した。『仕事の内容』欄は「立っていること」と記入した。ただ立っていてくれればいい、とその時も説明されたからだ。それでする気になった。いろいろなバイトを経験したが、仕事というのはたいていはいろいろと注文が付く。引っ越しの手伝いだと重い荷物を持たされるし、食堂へ行けば客の注文を覚えろとか皿を洗えと言われたし、工事現場では立っているだけではダメで道で旗を振らなければならないと言う。しかも双方の車の動きをよく見て交通の整理をするのだなどと言われるのだから、頭が痛くなってくる。仕事は楽なのがいい。
 学生課の担当者は「依頼人に聞かなくていいの、本当に。もっと詳しいことは知りたくないの?」と、笑いを含んだ意味ありげな顔で俺の仕事に干渉しようとした。へたに聞かれて仕事が増えては困るのだ。俺は「結構です」とだけ答えた。おかしな学生だと思ったようだが、おかしいのは依頼人であって俺ではない。俺は仕事の内容と報酬とを勘案して、これはペイすると判断したに過ぎないのだ。
 この仕事は楽だ。あの場所で立っているだけでいいのだから。早朝の仕事だが、早く起きるのは慣れてしまえば簡単なことだ。むしろ快適ですらある。もうじき満四年になる。楽だから続いた。報酬が毎月きちんと振込まれているから続いているのだ。
 当初、俺の仕事のことを知った学生寮の他の連中は、いろんな推論を立ててくれた。
 たとえばこうだ。あの場所の近くにはいくつか病院もあるのだが、そこに不治の病の娘が入院していて、太い針を刺される点滴治療の始まる前に、毎朝、窓からあの場所を見る。ああ、今朝もあの男の人が立っている。明日も立っていてくれるかしら。それを生きがいにして薄幸の娘はつらい治療にも耐えていけるのだ。そうしてある日、俺があの場所に立つのを忘れた日に、その娘は痩せ細った体をよじらせながら、苦悶の表情のままに絶命するのだそうである。ばかばかしい。中学校の教科書にあった『最後の一葉』か。
 また、ある建築家の卵はこう断言した。それは写真家の依頼だろう。同一場所で同一時刻の同一人物を写真に納めて、『ある風景/定点観察による時代変遷の検証』とでも題して出版するのだろうと。人物の加齢による変貌が時の流れを証明するのであるらしい。明治三十四年から昭和の終焉まで、ひとつの地点における一人のある人物を含めた家族をとらえてある写真集を見たことがあるという。それは毎年四月二十九日のある一家の家族写真で、雨の日などは暗い写真になっていたそうだ。すると俺はこれから死ぬまで数十年間もあの場所に立ち続けなければならないのか? しかし、撮影されているような気配はないのだ。望遠でねらってるんだよ、自然な雰囲気を出すためにね、と彼は言うのだが。
 また司法試験万年浪人男も一つの仮説を提示した。どうも犯罪の匂いがするというのだ。犯罪の内容は特定できないが、犯罪者は郵便集配人か新聞配達員、あるいはデパートのお届け物配送係を装ってやって来るという。朝の六時、七時といえばあの場所近辺での朝刊の配達はすでに終わったあとなのだろうか、仕事中にあの場所で新聞配達員を見かけたことはほとんどない。髭面の学生だったり中年の太った女性だったりだが、眠いのか黙々と配ってはさっさと通り過ぎてしまう。また、たまに見かける郵便集配車があの場所を通るのはいつも昼過ぎだ。しかも半分眠ったような顔の胡麻塩男が運転していて犯罪の匂いはカケラもしない。デパートのお届け物……、うーん、考えるまでもない愚昧な仮説だ。これでは司法試験は無理だろう。整合性のある緻密な推論と合理的かつ実証的な検証ができないようでは。
 また、ある者は、……もう止そう。論拠も論理もない空理空論ばかりだ。こんな奴らばかり入学させて、今日の大学は、明日の日本は、あさっての世界は、いったいどうなって行くんだろう?
 報酬は毎月一日にその月の分がまとめて前払いで振込まれることになっている。仕事の意味などどうでもいいのだ。報酬さえ受け取れればそれで十分だ。長期に、というので当初は一年くらいの「長期勤務」かと思ったが、十三回目の振込みが入っていて、十四回目も入り、そうこうしているうちに今月でちょうど満四年を迎えることとなった。留年四年目もやがて終わり、この三月末には俺は退学処分になる。在籍可能な年限を終えてしまったわけだ。単位は半分あまりしか取れておらず卒業は無理で、中退という結果になることは実は一年前からほとんど確定していたようなものだった。四年前、この仕事に就くようになってからは早朝に起きるようになった。そしてあの場所が大学に近いことから大学にも毎日顔を出す習慣ができたのは一つのチャンスだったのだ。だが俺はそれまでの怠惰な習慣には勝てず、結局ほとんど毎日を無駄に費やしてしまった。重い学術書であれ文庫本であれ、書籍は目と肩に悪いのだ。出席点だけで取れるいくつかの単位は取ったのだが、まだまだ卒業には届かなかった。一応は一流大学とはいえ、就職難のこの時代に法学部中退など学歴にもならないだろう。俺はいっさいの求職活動をしなかった。家は瀬戸内海に近い田舎町にある魚屋だ。代々の魚屋である父に金融や法務関係のコネなどあるはずもなく、母の係累にも頼りになりそうな叔父や伯母はいない。そもそもが勘当されたも同然なのだ。この俺に希望があるとすればあの場所に立つ仕事を続けることだけだ。
 俺は確信したのだ。毎月の月初めにあるこの振込みは、俺がまじめにあの場所に立ち続けてさえいれば、このまま半永久的に継続されるのではないだろうか。依頼人は俺よりたぶん年長だろうから俺の一生までも保障はできないだろうが、相当の期間は……。世間は不景気で、就職口はおろか安定したバイトさえ見付けにくいのが現状である。内心の優越感を隠しながら、寮の奴らにそうした俺の考えを洩らした時、皆は一様に絶句した。最初、俺を羨んでの失声かと俺は思った。が、ややあって、なあ、それって『足長おじさん』っていうことか?……一人にそう言われた時は俺が絶句する番だった。
 立論の根拠を失った俺を救ってくれた奴もいた。早々に大手都市銀行から内定をもらった経済学部四年生の銀縁めがねの男だ。それって、依頼人が自動振込み停止の手続きを忘れてしまっただけじゃないのかなあ。それとも銀行の自動振込み事務のミス、とか。もう四年でしょう? どちらにしても、あの場所で立っているかどうかなんて誰も確認していないんじゃないかな? タダ取りですよ、きっと。……うーん、なるほど、と全員が唸った。それはありうる話だった。小の月も大の月も振り込まれる金額は同じだった。小の月の余分な一日分は皆勤手当で、二月の余分はボーナスみたいなものだと俺は勝手に解釈していたのだが、銀縁男の解釈では自動振込みにする方が管理が楽だから一定額にしただけだろうという。六万円弱といえば、タダ同然の寮費で暮らす貧乏学生にすれば生活費のすべてを賄える大金ではあるけれども、定職を持った社会人の水準からすれば社会の底辺にしがみつける程度の収入でしかない。依頼人はとっくの昔に依頼したことさえ忘れているに違いない。月々、はした金が口座から落ち続けていても気付いていないのだ。あの場所で一時間立っているだけのことに標準の倍以上の時給を払う物好きなのだから。依頼人はお金持ちの変人に決まっていると銀縁男は自信たっぷりに断言した。
 一度すっぽかしてみろ、という意見が出た。瀕死の美少女が死んでしまうという反論が出たが、もちろんその意見は誰にも相手にされなかった。一時間の間じっと立っているかどうかなんて、誰もチェックなどしていないに決まっている。意味のない仕事をきちんと管理する必要もないじゃないか、と。ほとんどの者がその意見に賛成した。ただ立っているだけなんて徒労じゃないか、と。四年間も打ち込んできた自分の仕事を、無意味とか徒労とか断定されたことに俺は若干の反発は感じたものの、一理はある、と俺も思った。一時間の間あの場所に俺が立っているかどうか、それを監視している人物がいるとはとても思えない。確かにそうだ。そんな暇があるのなら自分で立っていればいいのだから。
 この四年間というもの、夜更けまで遊びに出ることもなく遠方へ旅行することも避けて、一日として欠かすことなく、毎朝あの場所に俺は立ち続けた。五時半に起きだして寮食のおばちゃんが前夜に準備してくれた朝食をとり、あの場所へ一時間の仕事に行く。そして、そこから歩いて一分の大学に行き、構内のベンチか名前だけ残してある合唱団の部室で一、二時間の仮眠をとる。午前中たまには講義にもちょっと顔を出し、学食で誰かと昼食を済ませて、午後の講義に出たり図書館や芝生で昼寝をしたりして、どこかで夕食をとって帰寮する。そして午後十時には翌日に備えて消灯就寝だ。これがここ四年間の日課になっている。規律ある生活。自立した生活。思えば、ちょっとした風邪をひいたことがあるくらいでずっと健康でいられたのもこの規則正しい生活のおかげだろう。充実していたと言うつもりは無論ないが、早朝の仕事が始まってからのこの四年間の生活に俺はとても満足しているのだ。
 四月からはもう学生ではなくなるのだが、この学生寮に住み続けられることに心配はない。俺と同じようなのがもう何人も住み付いているのだから。就職浪人やオーバードクター、運動部に残ってコーチを続けている奴など、得体の知れない二十代がごろごろしている。女を連れ込んで同棲中もいれば、荷物を置きっぱなしにして七年以上も世界を放浪している伝説の男もいるらしい。新入生が入寮して来ないからこうなったのか、こうなったから新入生から敬遠されるようになったのか、判然とはしない。とにかく俺のねぐらは確保されているのだ。
 先の不安といえば、やはり収入のことだけだ。銀縁男がいうとおり、タダ取りのお金がこの先もずっと自動的に入金されてくるはずという漠然とした安心感もあるのだが、実際のところはどうだろうか。俺が退学になったことなど依頼人は知る由もないのだから、何も現状に変化はないのである。そもそも大学生であることが必要な、学殖を要する類の知的作業ではないのだし。
 いろいろな場合を考えているうちに、俺がちゃんと立ち続けているかどうか、誰かを雇って監視させている可能性もやはりあると俺は思った。妙な依頼を出す変人であってみれば、こうした可能性も皆無とはいえないだろう。俺の監視人はいわば俺の上司だ。俺以外にもさまざまな「あの場所」を指定されて、俺と同じ早朝の職務に就いている学生が大勢いるのではないだろうか? 俺の上司も依頼人から俺たちの監視を命じられている元大学生で、どこかのビルの屋上からでも何人かの部下を双眼鏡でしっかり監視しているかもしれないのだ。彼もそれで生計を立てているのだろう。そして、さらにその上にも上司がいて、……。
 そうか、これは立派な会社組織ではないか。決まった時間帯に決まっただけの仕事を過不足なくこなし、決まった額の所得を得ている。これは立派な定職だ。皆勤手当もボーナスもあってパートにもやさしい会社だ。そうだ、この四年間の実績を評価されてやがて俺も正社員に取り立てられるのではないだろうか。学生たちの監視をする立場に出世し、給与も上がる。さらには社宅の貸与も考えてもらえるに違いない。もう四年間も大過なくやってきているのだから……。と、ここまで考えて、俺は自分を笑った。寂しく冷たい笑いだった。
 しかし、銀行の通帳を開いて見ながら俺はまた考え始めた。振込人は最初から(*)だけの空欄になっている。依頼人の手がかりはないのだ。へたに銀行に訊ねたらやぶへびになる恐れもあるのだから、俺からは動けない。
 俺は真剣に考えた。あの場所に立つことをこれからも続けるかどうか? これは俺の一生の問題だ。この四年間、ひと月も欠かさず振込みは続き、俺は一日も欠かさずあの場所に立ち続けた。労働者である俺の誠意に雇用主である依頼人は誠意で応えてくれている。続けるべきだ、と俺の良心は断言した。万が一、振込みがなくなったら立つことを止めればいいではないか、と。これは説得力のある正論だった。経済学部の銀縁男は小ずるいのだ。要領だけでうまく振る舞う輩ではないか。すっぽかしてみて相手の出方を見ようなどとは前払いしてくれている依頼人の誠意に対して失礼というものではないか。それに、そのことでこの四年間の実績、信用が崩れてしまったらどうするのだ。振込みが途絶えてしまうかもしれないではないか。
 ともあれ数日間、俺は頭の中で堂々巡りを続けた。そして、きょうの夜中になってやっと結論を出した。きょうは三月最後の日だ。学生最後の日。そして今月分の仕事を完遂した日である。
 俺は決断した。断乎として決断した。明日からは俺はもうあの場所には立たない。きりがないからだ。依頼人の誠意を思うと、苦渋の決断だった。明日はたぶん前払いの四月分が振り込まれているだろう。だが、俺は割り切ろう。依頼人の誠意に反したタダ取りになるが、止むを得まい、きりがないのだから。一生の間あの場所から離れないなどというわけには行かないのだ、俺は。大学退学となった今をおいて、二度とチャンスは訪れないような気がする。そして勝負は五月一日だ。五月一日の朝、銀行に行けばすべてが判明するだろう。振込みがあれば、これは永久就職だ。いや、永久的な不労所得の確定だ。終身年金だ。人生はばら色だ。万々歳だ。
 だが、振込みがなければ……。いや、俺も男だ。賭けてみよう。俺は賭けに打って出ることに決めたのだ。
 明日からは大学も仕事もない。五月一日まで、ともかくもまったく拘束のない一ヵ月ができた俺は久しぶりに遠くへ旅に出てみようと思い立った。見聞を広め、精神を自在に遊ばせるのだ。これから俺はどうやって生きていくのか。何かやりがいのあることを見付けて、俺の新しい人生を始めよう。当分はフリーターでも毎月六万円弱の「年金」があるのだから、人よりは余裕のある生活設計ができるはずだ。くたびれたスポーツバッグにキャッシュカードとあるだけの着替えを詰め込むと、俺は意気揚揚と眠りについた。
 いつもどおり五時半に目が覚めた。体内時計のアラームは五時半にセットされたままなのだ。習慣にしたがって俺はともかくも寮から出発した。旅行の目的地は決まっていないが、通勤通学の時間帯は電車が混むだろうと考えて、きょうもあの場所に寄って時間をつぶしてから行くことにした。あの場所も大学も駅までの通り道なのだ。今朝あの場所に立つのはいつもどおりだが、きょうは仕事ではない。まあ、おまけだ。
 軽やかな気分であの場所で二時間余りをつぶし、通勤通学ラッシュがおさまる午前八時半過ぎに俺は駅に到着した。ところが駅の運賃表を見て決心がぐらついた。俺にはお金がないのだ。寮と大学とあの場所を移動するだけの生活ならば月々の報酬だけでやっていけるのだが、電車の運賃を払ったり普通の食堂で外食するとなると、財布の中身はあまりにも心もとない状態だった。だが俺は一度決心したことをすぐには断念したくなかった。特にきょうは新しい門出の日なのだ。俺はキャッシュカードを握り締めてあの場所と大学の中間地点にある銀行に向かった。四月分が振込まれているはずである。たぶん自動振込みだからだろう、九時ちょうどに引き出しに行っても、必ずすでにお金は入っているのである。
 九時ちょうどの開店と同時に入った銀行のATMの画面に「お申し出の金額には残高が不足となっております。お急ぎのところ誠に恐れいりますが、もう一度最初から操作をおやり直し下さいませ」という長文の表示が出た時は驚いた。ここ四年間ではじめての経験だった。残高に二万円さえないということは、今月分がまだ入金されていないということだ。四月一日とはいえ、今までの経験ではエイプリルフールなどという低質の欧米文化とは無縁の依頼人のはずだった。とっさに、俺の計画が依頼人に露見していると俺は思った。愕然とした。若くして「年金」生活者となる俺を妬んだ寮の誰かが、俺の計画を知って依頼人に密告したのではなかろうか? それとも俺が退学となったことが依頼人に知れて解雇されたのだろうか? いや、そうしたことは考えられないだろう。他の寮生と依頼人を結ぶ線は考えられないのだから。……そうか、これはきっと、リストラが進んで人がいないところにもってきて年度始めで事務量が多過ぎて銀行の事務処理が滞っているだけなのだ。この頃は行き過ぎるくらいのリストラがどの金融機関でも進行中だというではないか。桜色の制服を着た窓口嬢の無心な笑顔に俺は納得し、安堵した。可愛くて安い労働力ばかりを残したために、事務処理能力が著しく低下しているのは一目瞭然である。
 金が足りない。さて、どうしたものか、と俺は真剣に考えた。そう、俺はいつも真剣だ。結論は簡単である。お金がなくては旅行にも出られないのである。寮に帰って寝直すことも考えたが、せっかく大学とあの場所との中間地点まで来ているのだ。昼前にでも銀行に出直すとして、大学かあの場所に行くことにしようと決めた。春休み期間中で、大学は久しぶりである。時計台周囲のしだれ桜も華やかに開いているだろうし、各クラブやサークルの新入生歓迎の立て看板が並んで、さぞ賑やかなことだろうと俺は大学に行ってみることにした。
 満開の桜並木になっている大学正門までの道筋に並んださまざまの立て看板を冷やかし気分で見ていくと、少し気分が若やいできた。瀬戸内の小さな町から出てきた八年前のことが思い出された。四年で卒業するはずだった。二度目くらいで司法試験にも合格して弁護士への道を歩むはずだった。ヘタをしても大手の銀行に入ってバリバリやるはずだった。それが……。
 入学したばかりの春、俺は合唱団に入った。満開の桜の下にあった立て看板の前でぼんやりしていて声を掛けられたのである。これが俺の人生を大きく変えることになった。歌が嫌いならば、立ったまま口をぱくぱくさせているだけでもいい。他大学からもたくさんの女性部員が来ているからかわいい女が必ず見つかる、と言うのである。男声のパートの頭数が少ないのが妙な勧誘の理由だった。
 入ってみて驚いた。口をぱくぱく立っているだけ、はウソだった。発声練習も腹筋トレーニングもきつかった。これは文化系ではなく、体育会系だと思った。肝腎の女子大生も田舎から出てきた高校生みたいな子ばかりだった。イケてる上級生の女には皆、すでに男が付いていた。俺は一週間で練習に出なくなった。それ以前もそれ以後も、俺は女には縁がなかった。
 合唱団でこけて以来、すべてが狂っていた。退屈で難解な講義をさぼることを自分に納得させられる理由といえばバイトだけになった。女に縁のない俺はいろいろなバイトに明け暮れた。しかし働く楽しさはなくて、労働の厳しさだけが記憶に残った。四年前に今の仕事に出会って救われた。生きていくのに必要な最低量の仕事、これで十分だと俺は思った。親からの仕送りが途絶えたあと、俺はあの場所での仕事以外はすべて辞めてしまった。贅沢をしなければ、生きていくには十分なのだ。
 大学の正門は閉じられていた。横の小さな門が開いていて守衛が学生証か職員証の提示を求めていた。いったい何があったのだろうか? こんな管理っぽいことをしていたためしは今までなかったはずだ。今年度から学長が代ったんだろうか? それとも今朝この守衛は妻か子供と喧嘩してムシャクシャしているだけなのだろうか? とにかく俺はまだ手元にあったぼろぼろの学生証を提示して中に入ろうとした。
「あ、あああ、君、君。これは古いなあ。昔の卒業生のだろう?」
「留年してるんです」と、俺。
「でも、これは……えーと、八年前じゃないの。有効じゃない学生証じゃ入れないね」
 守衛は警官みたいな帽子をかぶっている。俺はあれが苦手だ。いろいろ言っても自説を曲げないのがあの人たちだ。俺は「あ、そう」と、すんなりと入構を断念してUターンすると、あの場所に行ってみることにした。ほかにどこも思い付かなかったのだ。
 一分間歩いてあの場所に着いてみて、俺は心が落ち着くのがわかった。大学はもう俺とは縁のないところとなってしまった。寮生の自治が認められているとはいえ、大学の施設である学生寮も管理が厳しくなってくるだろう。すると俺もやがては寮から追い出される運命にあるのではないだろうか? 俺の拠り所はあの場所、つまりここしかなくなったのだ、と悲しくなった。いや、正確に記述すれば、悲しいと思うべき状況であることを冷静に認識したのである。しかし、まあ、冷静に考えれば、万一、寮から追われることがあっても、この場所にいればいいじゃないか。ダンボールに毛布があれば雨露や寒さは凌げるだろう。「年金」は確保されているんだから。……そう考えると、俺は何だか未来に光が見えてきた気がした。
 こんな時間にここに来たのも久しぶりだった。晴れた日も、雨降る朝もここで俺は立ち続けてきた。四年間も毎日だ。愛着がないといえばウソになる。経済的に俺の生活を支えてくれた場所であり、俺の生活に規律をもたらし、俺の健康管理にも与った場所である。思えばこの四年間、俺はよくやった。連日の雨に降り篭められた梅雨の朝も、寒風の吹き荒れる冬の薄暗い時期も、台風で大雨洪水暴風警報が出ている時でさえも、俺は誠実に俺の職責を果たしてきた。一晩で三十センチの雪が降り積もった朝も、俺は一分、一秒も遅刻することなく白い息を吐きながらあの場所へと必死で急いだのだ。何と健気な、何と誠実な男だろう。俺は自分で自分を誉めてやりたい、と改めて思った。
 今朝も俺はぼんやりとあの場所、つまりここに立ち続けた。結果として朝の六時から七時までここに立っていたことになった。しかし俺にすれば、あれは仕事ではない。あくまでも俺の自由意志による行動である。俺は同じあの場所で一時間を過ごしたのに、気持ちの上ではある場所でちょっと長めに立ち止まって時間を費やしただけ、という気分だった。新鮮ではなかったがどこか自由だった。落ち着かないような、むず痒いような不思議な気分も少しはあった。解放感……今までの四年間、束縛感を感じたような自覚はなかったのに、解放感というその言葉が頭に浮かんだ今、俺は初めて束縛から解放されたような気持ちになったのである。
 きょうは仕事ではないぞ、と俺は誰にともなくつぶやいた。今月からあの場所で午前六時から七時まで立っているという仕事はしないことに、昨夜決断したのである。一晩かかってした決断だ。新しい状況、異常事態、あるいは新事実が出てこない限り、せっかくの決意を簡単に翻すわけにはいかない。今朝はおまけだったし、今は単にたまたま近くに来たから寄っただけのことなのだ。他に行くところも思い付かないから、偶然、ここにいるだけなのである。
 ふと時計を見て驚いた。六時間も俺はここ、つまりあの場所に立ち尽くしていたことになる。さまざまな追憶と感慨から我に返った俺は、急いでもう一度銀行に走った。年度初めの事務処理の遅延も解消されて、入金はすでに完了されているに違いないのだ。銀行玄関のシャッターは下りていたが、ATMコーナーは開いていた。ほっとした。旅行費用を下ろしたら駅弁とお茶を買い込んで夜行に乗るのも悪くないな、と俺は鼻歌を歌いたい気分だった。が、驚いたことにATMは朝と同じ状況だった。今回は確実に、と遠慮して、まず二万円を下ろそうとしたのだが、やはり残高不足の表示が出た。「お申し出の金額には残高が不足となっております。お急ぎのところ誠に恐れいりますが、もう一度最初から操作を……」なんと慇懃無礼な文章だろう、と俺はATMにこんな長ったらしいイヤミな文章を入力したプログラマーを呪った。
 それにしても、俺はこの事態をどう理解すればいいのだろうか? 前払いシステムなのだから、きょう振り込まれていないということは今月分はない、ということか。電信扱いで振り込んでいるとすれば、昨日か今日の午前九時前までに依頼人からの「振込み停止」の連絡が銀行側になされたことになる。昨夜から今朝までは、いや、二度目の残高不足の表示を見て四月分が振り込まれていないことを知った今の今まで、俺には確かにあの場所での仕事を継続する意志はなかったのだから、これは当然の報いではないかと俺は素直に納得した。何らかのルートで昨夜の俺の変節を知った依頼人が、昨日の深夜から今朝までの間に銀行に対して振込みの一時停止を強硬に指示したに違いないのだ。
 問題は明日だ。俺の意識とは関係なく、行動としてはきょうも俺は朝六時からあの場所に立ち続けた。監視員も(もし、実際にいるとして)それは認めているはずだ。俺の反省の気持ちが通じて、今朝もあの場所に立っていたという事実がきょう中に依頼人に届けば、明日の朝一番で振込み再開の連絡がなされるのではないだろうか? とすると、明日の午後には引き出せるはずだ。よし、明日の午後、もう一度、銀行に来てみよう。もちろん、心を入れ替えて依頼人に誠意を示すのだ。仕事の自覚を持って姿勢を正して、明日の朝もあの場所に立とう。その帰りに銀行で今月分を受け取れれば、すべてが今までどおりだ。気持ちの上で一日だけ依頼人に対する誠意を失したが、行動としてはここ四年間の誠実な職務ぶりは継続されており、一日も欠かすことなく俺はあの場所に立ち続けているではないか。この誠意は依頼人もきっと汲んでくれるだろう。
 翌日は明け方から雨だった。いつものように早い朝食を寮の食堂でとり、午前六時から昼過ぎまで俺はあの場所に立ち続けた。俺の誠意が伝わるように、雨の中を傘もささずに俺は立っていたのだ。頚すじを伝って服の中に入ってくる雨水の冷たさが、俺に対する依頼人の怒りであり、やがて生温く体温になじんでくる感触が許しの表象なのだと俺は考えた。俺のこの姿を見れば、依頼人も俺の誠意をわかってくれるだろう。もう俺は裏切ったりはしない。人の誠意には満腔の誠意をもって応えよう。俺は決心していた。これからの一生、俺はただの一日も休むことなく、午前六時から七時までの一時間、あの場所に立ち続けるだろう。これこそが俺の、健全な生活者として生きる決意の表れなのだと。もちろん、二日前のあの堅い決意はどこかに飛んでしまっていた。衣食の足らないところに礼節など知る道理はないのである。
 午後一時を過ぎて、俺は銀行に入った。全身濡れねずみの俺を見咎めるような銀行の案内係の視線を俺は敢然と無視してATMの前に立った。払出操作の最後のボタンを押す時は、ちょっと指が震えた。体が冷えているせいだけではなかった。俺は祈りながら、そのボタンを押した。「神様、どうかお金が入っていますように」……「神様」などという自分の理解の範疇から外れたものに理由もなく頼って、祈るなどという行為は生まれて初めてだった。俺は必死だったのだ。俺の誠意が伝わったかどうか、俺の一生の仕事を取り戻すことができるかどうかなのだ。しかし、……結果は無残だった。依頼人の怒りはまだ解けてはいないのである。
 その場に崩れ落ちそうな敗北感に大きく溜息をつきながらも、俺は濡れて重い体をかろうじて支えて立ち尽くした。今日までの四年間の様々な記憶が思い浮かんでは消えていった。嵐の朝も大雪の朝も俺は挫けなかったではないか。俺の一生をこれくらいのことで投げてはいけないと思った。俺にも意地がある。何としても俺の誠意を依頼人に知ってもらうのだと俺は決心した。
 その日からというもの、俺は、俺の誠意が依頼人に伝わるまではと、熱っぽい体に鞭を打って毎朝五時半には起きてあの場所に立ち続けている。怒りはそろそろ解けているはずだと俺は思う。毎朝、熱でぼんやりした頭で俺は祈りながらあの場所に立ち続けているのだから。もっとも、祈りの内容は俺自身にもわからない。依頼人の健康を祈るとか、依頼人の事業の成功を祈るとか、あの場所での無事故を祈るとか、祈りには対象と祈願内容の具体的なイメージがなくてはならないのだろう。だが正直なところ、祈るという行為が、祈願している目標の達成に向けてどのような効果をもたらすと期待できるのか。そのことに関して合理的かつ妥当性のある説明が果たしてなされ得るものなのかどうか。俺にはまったく具体的なイメージが湧かないのだ。祈るという行為は明らかに俺の理解を越えている。……が、ともかくも俺は毎朝、この時間にここに来て立っていようと決めたのだ。
 こじれかけた風邪もなんとか治まり、四月の半ばを過ぎた頃には、俺は本来の冷静な思考力を回復したようだった。依頼人の意図が読めてきたのである。そうか、一括しての前払いを止めて、出来高払いの月末支払いにしたのだ、と俺は理解した。労働者の誠実を過信することの危険に気付いたのだろう。あるいは、信頼を押し付けることがかえって労働者の負担となることに気付いたのかもしれない。そう、出来高払いの月末支払い、これでこそ雇用者と被雇用者が対等の立場に立てるのだ。ま、もっとも、一日単位で清算する日雇い形式こそがもっとも理にかなっているとは思うのだが。ともあれ、一日間の変節の代償として、小の月である今月、四月分給与の皆勤手当が削られるくらいのペナルティーは覚悟しなければな、と思考にも余裕の戻った俺はひとり苦笑した。
 財布の中身はそろそろ底を尽きかけていた。二万円にも足らなかった銀行の残高をすべて引き出して所持金の総額を把握すると、それを月末までの日数で割った。俺は今まで比較的豪華であった夕食も節約した。大学構内に入れなくなってからは昼食も夕食も、三食すべてを寮の食堂でとることにした。六百円のスタミナランチはいうまでもなく五百五十円のカツカレーさえ今となっては贅沢であり、三百五十円の冷奴定食か四百円ちょうどの生卵付き納豆定食、せいぜい四百五十円のミンチカツ定食か焼魚定食に抑える必要があると判断された。当分は寂しい食卓だが、しかしそれも月末までだ。五月からは毎晩スタミナランチだ。それに生卵と何か一品を付けてやってもいい、と俺は自分に言い聞かせた。俺は空腹できゅうきゅう鳴き声を上げる胃袋を食堂の番茶や寮友の部屋の冷蔵庫の中身をちょっぴり失敬してはなだめながら、毎朝あの場所に通い続けた。
 明日も早朝六時に俺はあの場所に背筋を伸ばして立つだろう。そして、あさっても、その次の日も。晴れていても、曇っていても、たとえ雨やあられや雪が降ってもあの場所で俺は誠実に俺の職責を果たし続けるのだ。それが俺の社会人としての揺るぎない信用を得る道であり、俺という一個の人間の真の自立に他ならないのだから……。

 

第二部

 ……と、小説ならば(第一部)だけで終わるのだろうが、俺の現実はそう半端ではない。四月二十九日の午後七時二十分に「新しい状況、異常事態、あるいは新事実」が出てきたのだ。それは突然で、俺の意表を突いたものだった。四年ぶりの母からの電話だった。オヤジが倒れたという。血圧が高いのに大酒が祟ったのである。
「……まあ、そういうことじゃけぇ、帰って来んな? 三月に大学から退学通知が届いとった。区切りじゃけぇ三月で止めたけん、金も残っとらんじゃろ? のう、魚屋もやってみたらおもしれぇ仕事じゃけぇ。早起きも苦にならんじゃろう、もう?……」
 俺は絶句し、肩の力が一気に抜けた。母にはやはりかなわないと思った。そしてその時、俺は四年前の学生課の担当者の、笑いを含んだ意味ありげな顔の意味がやっとわかったのだった。

(了)

『じゅん文学』No17(1998.9月)

 

 

 

 

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