『じゅん文学34号』同人評シリーズB(2002年12月)

 

 

秋乃みか

『夜ばなし』(33号)を読む

 

《誠実な人生、清澄な抒情》

 

 

 

  数年前に『清拭』という小説を書く時に、知人の紹介をもらって清水焼の二ヵ所の工房を見学させてもらいました。そのうちの一ヵ所では、迷惑と承知の上で朝から夕方遅くまで、轆轤(ろくろ)や窯(かま)はもちろん、絵付けの現場から廃物の倉庫まで、「なぜ?」と「何?」を連発しながら見学させてもらったものです。持ち込んだノートは叩き付けるような走り書きで真っ黒になりました。それら多くの情報の中で、私が小説で一番に使いたかったのは水簸(すいひ)という言葉でした。

 土を捏ねて形を作り、釉薬をかけて焼き上げるのが陶芸ですが、水簸というのはそもそもの最初に土を調える工程です。原料となる土を納入してくれる業者を「土屋」と言いますが、その土屋さんから納入された土をそのままで使うのではなく、ドラム缶ほどの大きな容器に土を入れて、水を加え、十分に攪拌して沈殿させてはその上澄みを捨てる、という工程を何度か繰り返して良い土を作るのです。砂などは下に沈殿するのですが、土の中の分解し切っていない動物や植物由来の有機物などは上澄みに混じって浮いてくるのでしょう。上澄みがきれいになるまで水簸を繰り返して初めて納得の行く土を得られるそうです。「土の荒々しさが落ちていくんです」という言葉で、その職人さんは説明してくれました。

 私が一番に使いたかった理由は簡単です。表には出ないけれども、完成品の品質の根本を決定的に支配している工程、それが水簸だと思ったからです。何と奥の深い、ゆかしい、日本的なこだわりだろう。登場人物の誰かにこの水簸を投影するか、水簸を語らせようと考えました。しかし、中途半端な使い方がためらわれたのか、作品の半ばまで進んだ頃には私はこの言葉を作中に使うことを断念しました。水簸という言葉を使うのであれば、いつの日にか、別の作品で正面からきちんと使おうと決めたのです。

 私はいつもそうですが、取材で得られた百の情報のうち、結果として作品に溶け込ませるのはせいぜい十くらいでしょう。逆に、ある情報が誰かの作品に自然に溶け込んでいると、その作者はその十倍の情報を持っているんだろうな、と私は素直に感心します。付け焼き刃の取材をして、それを針小棒大に取り上げると作品そのものが浮ついた軽いものになってしまうでしょう? だから、手に負えないものは使わないこと。自分の言葉になっていないことは、話の中心部分には唯の一語も書かないことです。

 ……長々と枕が続いてしまいましたね。

 私が秋乃みかの作品を読んでいつも感じる清々しさは、この水簸の連想なのです。作者がどのような人生を歩まれたのか具体的に私は何も知らないし、もちろん、作品を読む上でそれを知る必要もありません。けれども、秋乃みかの作品の根本を決定的に支配している、その誠実さ、素朴さ、そして清澄な抒情ともいうべき美しさと哀しみとに触れると、いつも私は素直な気持ちになってしまうのです。付け焼き刃ではないものが、作者の全人格を賭けての作品作りの誠実さが、ひねくれているはずの私をして素直な一読者にしてしまうのです。不思議です。そして、私にとってはとてもとてもありがたいことです。

 今回の『夜ばなし』は茶室での物語ですね。文字通り、物を語っていくペースは日本の伝統的な語りのペースです。ごいっしょにゆるりとお聞きくださいね、という秋乃みかの声が聞こえてきます。話の筋だけの読書がお望みなら、ほかの方の作品がお勧めですよ、という控えめな声も私には聞こえてきましたよ。そう、荒唐無稽やバイオレンス,インモラルといった強烈な色彩や爆音だけで勝負をかけている騒がしい作品が溢れる現代だけれど、読書の意味を考え直した方がいいですよね。

 秋乃みかは伝統的な日本の美意識を保っている見事な書き手です。読み手の五感に響く誠がありますね。作品から立ち昇ってくる味も匂いも、実に見事なものです。

 秋乃みかの初期の作品では、文章にも構成にも稚拙と言っていい素朴な味わいがたっぷりで、失礼ながら「素人っぽい」のも魅力でした。この『夜ばなし』でも作品作りという技術面では稚拙な面を多々残してはいますが、書き手の余裕も見せていますね。最後の行の「はるかさんが驚いたようすで振り向いたのが愉快でした」は実に良く効いています。その数行前からの描写がきちんと最終シーンを用意しているからですね。師匠が「落ち着いた様子で」福間さんを促し、福間さんは「美しい動作で」茶を点てます。そして、師匠が「すっくと立ち上がり」亡くなったはずの玲華にその一服を運ぶわけです。茶道の作法でもあるけれども、そうやって夭折した美しい命を惜しみ、死者への礼を尽くしている二人の年配の女性たちの温かい心がよく出ています。

 うまいなぁ。う〜ん、困ったなぁ。私も熱烈な秋乃みかファンになっちゃいましたよ、秋乃さん

 

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