パラレル聖地



1. 理由

倉美須は闇の守護聖だ。対の光の守護聖、珠里亜須ともども守護聖歴およそ20年。いい加減守護聖をやるのにもあきてきた25歳である。策理亜なんかさっさとなくなってくれればいいのに、なぜだか強大な闇の策理亜は倉美須を宿主と決め込んだらしく、一向に倉美須から去る気配を見せない。これは珠里亜須のほうもご同様で、いつだって光の策理亜でぴかぴかしている。
いささか唐突だが、小話なんで話の進行を早くするために無駄は省いて簡潔にもう一つの事実を提示しておこう。この聖地では誰一人知らぬものはないことだが、倉美須と珠里亜須とは犬猿の仲、というのがある。しかし実状は少し違っていた。

倉美須は珠里亜須が嫌いではない。本当は仲良くしたいと思ってきた。
珠里亜須は倉美須が嫌いではない。特に好きではないが嫌ってもいない。

二人のスタンスにやや違いはあるが、少なくとも「嫌い合っている」というわけではなかった。ただ、守護聖であることにうんざりしている倉美須は、珠里亜須の目からすると「怠惰極まりない」存在であるために常に叱責を受け、それに対して倉美須が恐れ入るでもなく「フッ」としか答えずに珠里亜須が怒り狂う、それがはた目には犬猿の仲に見えるだけだった。珠里亜須が怒るのは倉美須の態度に対してで、本人のことが好きか嫌いかというのは別問題なのだ。 そして「特に好きでもないが嫌ってもいない」というのは倉美須に対してだけの態度ではなく、誰に対しても同じ。珠里亜須は常に守護聖の首座として生きることを自分に課している。首座たるもの、特定の誰かと仲良くなんかしてはいけないのだ。
だがそう自らを戒めているにもかかわらず、珠里亜須には実は一人だけ好きな仲間がいた。瑠馬、織美絵、流美映留、雄火亜、嵐泥、是風恵留、丸瀬留、と、あと7人の守護聖仲間がいるのだが、珠里亜須は地の守護聖である瑠馬が好きなのだ。決して人前で「瑠馬が好き」なんていうことを態度に表したりしないのでそんなことは誰にも知られていないが、厳格な首座はひそかに瑠馬がお気に入りだった。

誰にも気づかれていないはずのこの秘密はしかし、読者諸賢お察しの通り倉美須にだけは知られていたのである。勘の鋭い倉美須、ずっと昔から「仲良くなりたい」と思い詰めてきた珠里亜須のことは何から何まで知っている。珠里亜須が長いつきあいの自分をさしおいて瑠馬に好意を持っているという事実は、倉美須を厭世的にさせていた。

なぜ瑠馬がよいのだ? 私ではだめなのか?

といった具合に、倉美須は日々ふてくされていた。けれどもふてくされているだけでは何も解決しない。倉美須は行動を起こすことにした。


光の執務室に、やたらと暗い影を背負った男登場。
「珍しいな、そなたのほうから私の執務室を訪れるなど…」
「少々尋ねたいことがある。」
「ほう? 何だ?」
「お前はなぜ瑠馬が好きなのだ?」
誰にも知られていないはずの秘密をズバリと指摘されて、珠里亜須はどもった。
「ななななななっなななな何を言うか!」
「瑠馬が好きなのだろう?」
「それがそなたと何の関係があるっっ!?」←好きだって認めちゃっている
「私はお前が好きだ。お前とは長いつきあいでもある。よって友としての扱いを希望する。」
出だしは衝撃の告白とも取れる倉美須の発言だが、これには深い意味はない。小学生同士の内輪もめと変わらないと思っていただきたい。
「私は…特に瑠馬を親しい友人として遇した覚えはないが?」
「だが好きなのだろう?」
「別によいではないか! 私が誰を好ましく思おうと、誰にも迷惑をかけてはおらぬ!」
「私のことは好きにはなれないのか。」
「そなたのことを嫌った覚えもない!」
「それだけでは足りぬ。」
「ではどうせよと言うのだ。」
「せめて…瑠馬を好む理由を教えてくれ…。私もお前に好かれるように努力する。」
怠惰な倉美須が自らこの部屋へと足を運び、普段の10倍はしゃべり、努力するとまで言うくらいだから相当に真剣なのだろうと判断した珠里亜須さま、しばし考えた。
「理由…理由か…。そのようなことは考えてみたこともなかったが。瑠馬の好ましい点と言えば…そうだな。名前に『馬』の字が入っていることか…」

なんだと? 馬ッッッッ!?

倉美須、返答の意外さに横っ面を張られた気分になった。

珠里亜須の乗馬好きは周知の事実だが、まさか人にまでそれを応用するとは…。変な奴…。

珠里亜須のことなら何でも知っていると思っていたのに、まだ知らないことはあったのだと少し感動を覚え、そして同時に自分が好かれるための方策も考え出して、にやりと不敵に笑った。
「よくわかった…ではな。」
衣を翻して倉美須は執務室から去っていった。
「妙な笑い方をしおって。結局、何のために来たのだあれは? 私が瑠馬を好きな理由だと? …仕事をするのにそのような私情はどうでもよいではないか…」

その後、倉美須は改名届を出した。「鞍美須」、これが彼の新しい名だ。珠里亜須がに魅力を感じて鞍美須を好ましく思うようになったのは、それからすぐ後のことであった。



2. 会議

定例会議に出席するのがものすごくおっくうになってきた怠惰の権化・鞍美須は、その朝もいつも通り迎えに訪れた流美映留にあることを頼むことにした。
「頼みがある」
「それはもう…鞍美須様のおっしゃることでしたら、できる限りのことをいたします。」
にっこり笑顔の流美映留に鞍美須は近くに寄れと手招きした。周囲に誰もいないんだからそんなに内緒にしなくたっていいのに、よほど悪いことだという自覚でもあるのか、とかいう感想はさておき。鞍美須は流美映留の耳元にあることをささやきかけた。はいはいと顔を寄せていた流美映留の顔色がだんだんに変わっていく。ほんのり桜色だった頬が血の気を失って真っ白に、さらには真っ青になった。やはり相当に悪いことのようだ。
「あの………お言葉ですが…」
水の守護聖は精一杯の勇気を振り絞って反論を試みる。だが反論らしい反論もできないうちに畳みかけられた。
「できることは何なりとしてくれるのではなかったのか」<ものすごく不機嫌
「ですが鞍美須様…」
「ただそれだけのことができぬと言うのか」<不機嫌のオーラ出まくり
背後に渦巻くオドロ線に恐れを成したか、流美映留は譲歩する姿勢を見せてから説得しようと試みた。
「いえ……たやすいことですが……」
「たやすいのならば、やれ。」
心やさしい流美映留は自ら墓穴を掘ったらしい。「たやすいことです」しか相手は聞いちゃいない。「が」の存在を完全無視して、話は終わりだとばかりに鞍美須はそっぽを向いた。流美映留は降って湧いた災難にしくしく泣きながら一人馬車に乗り込み、宮殿へと向かった。

朝の会議室。守護聖の面々が顔を揃えている。さっそく会議を始めようとする珠里亜須。
「では月の曜日の定例会議を始める。………ん? 鞍美須が来ておらぬではないか。鞍美須っ!?」
「…はい」
鞍美須と呼ばれて返事をした者があった。
「いるのか鞍美須? いるのならば姿を見せよ!!」
「はい」
皆が一斉に真っ赤になってうつむいている流美映留を見る。どうやら返事をしているのは流美映留のようだ。
「なぜそなたが返事をするのだ、流美映留!!」
「それが……珠里亜須様、鞍美須様が『私の代わりに返事をしておいてくれ』と…。私は………そのようなことは無理だと思ったのですが…どうしてもとおっしゃって…」しくしく。
それに対して珠里亜須が言ったあれこれは省略。とにかく珠里亜須は怒り心頭に発して、筆頭守護聖の怠慢を質すべく会議後闇の執務室へと乗り込んだのだった。が、お約束のように鞍美須は不在。「鞍美須様はまだ出仕なさっていません」と恐縮しまくる事務官に氷のように冷たい一瞥をくれ、「鞍美須が来たら直ちに私に知らせるように」と言い置いて、どかどかと足音も荒く出ていった。「どかどか」なんていう品のない擬音語がついちゃうとは首座様、相当にお怒りのご様子である。
面が割れている鞍美須は、どこかの国の学生のように「代返」で出席をごまかすことなんて到底無理(しかも少人数の会議だし)。でも実はそれも鞍美須の計画のうちだった。出仕するのを少しでも遅くすることができる上、珠里亜須が自分だけを見てくれる時間が増えるという一石二鳥を狙っていたのだ。
大好きな珠里亜須に少しでも長くかまってもらうために、珠里亜須に叱られるような言動を繰り返す鞍美須。いい年した大人のくせに、情けないとは思わないのだろうか。
ところで、珠里亜須は鞍美須のことを好ましく思うようになったんじゃなかったかって? ええその通り。でも好ましい相手だからといって、職務怠慢を容赦したりはしないのが光の守護聖・珠里亜須なのだった。



3. 瞑想

毎日毎日飽きもせず、いろーーーーーんな書類が大量に鞍美須の許へと回されてくる。…少なくとも、鞍美須の主観としては。
同じく筆頭守護聖にして首座である珠里亜須のところに回される書類に比べれば、氷山の一角、風前の灯火、………あれれ? 何やら間違った形容をしているような。どうも書き手の言語能力に問題があるようだ。何が言いたかったのかといえば、要するに鞍美須が処理すべき書類は珠里亜須と比べれば格段に少ない、そういうことだ。それでも守護聖であることに飽き飽きしていて、しかも怠惰な鞍美須にとってはうんざりするほどの量なのである。

はああああぁぁぁぁぁ…また今日もこれらに目を通して署名をしなくてはならないのか…。
どよどよどよ〜〜〜〜〜〜〜ん。

とにかくおっくうだ。なんと言ってもおっくうだ。どうしようもないくらい、おっくうだ。ペンを取り上げてインク壷につけ、署名をする、ただそれだけのことが。もう何だか。異様なまでに大変な作業と思えてきて、鞍美須はまたひとつ、大きなため息をついた。
一体どうしてこんなにおっくうに思うようになったのだろうか。

  天(=作者)の声:おっくうなのは、単にアナタが怠惰だからです〜愛する鞍美須さま〜♪

いやしかし、いかに怠惰といえども以前はこれほどまで大儀には思わなかった。それなのに何故?

鞍美須はどこからともなく響く天の声に特に驚くでもなく心の中で反論しつつ、なぜにこれほどまでにおっくうに感じるのかを考え始めた。署名をしようとして手にしたペンはそのままに考えているうち、ぼーーーーっと瞑想状態に入る。だめじゃん鞍美須さま。「なぜ署名をするのがおっくうなのか」を考えていたはずなのに、瞑想しちゃってるし。と言うことはつまり頭の中が白紙状態になっているので、何も考えていない。周囲の状況が目に入るはずもなく、はっと我に返ったときには書類にインクのしみがついていた。あわてて吸い取り紙を当ててみるが、しばらく時間が経ってほぼ乾いたインクの滴はそのまま残っている。ああまた珠里亜須に叱られるな、と首座殿のりりしい怒り顔とドスが利いて腹に響く叱責の声を思い、うっとりとしてそのまままた迷走、もとい瞑想。そんな調子だから彼の執務はなかなか進まないのだ。

「……さま…鞍美須さま…」
優しい声が呼んでいる。ゆっくりと目を開くと、執務机の向こう側に流美映留がいた。
「また瞑想をなさっていたのですね。」にっこり。
「ああ…そのようだ…」
「ですが鞍美須さま、ほどほどになさいませんと。ほら」
と流美映留がそっと鞍美須の手からペンを取り上げる。瞑想中も鞍美須の手はしっかりとペンを握ったままだったのだが、なんと書類にペン先が突き刺さっており、しかも瞑想中にそれをぐりぐりと回していたらしく、書類にはけっこう大きな穴が開いていた。インクのしみはできるわ、穴は開くわ、これは珠里亜須からの厳重注意ものだな、説教はさぞや長いに違いない、とまた鞍美須うっとり…しかかったのを、流美映留の優しい声が押しとどめた。
「鞍美須さま、ですから瞑想はそろそろおやめになってくださいね。先ほど、珠里亜須さまからご伝言がございました。」
「珠里亜須は何と?」
めんどくさそうに目を上げた鞍美須だったが、その実「どういう形での伝言だったのだ!? あれがここへ来たのか? あれの顔を間近で見る機会を逃したとは鞍美須一生の不覚!!」という勢いで心の中でほぞをかんでいた。そんな心の声が聞こえたかのように、流美映留は鞍美須を安心させる言葉をちりばめつつ答えた。
「光の執務室より事務官が参りまして、『惑星ドリュオンの寒冷化対策』については早急に目を通し、珠里亜須さまにお届けくださるようにと言伝をいただきましたよ。お急ぎのご様子ですから、その書類は鞍美須さま自らお届けになるのがよろしいかと。」
「…ふむ、そうだな。お前の意見通りにするとしよう。」
「では私も執務がございますので…」
流美映留は会釈をすると執務室を出ていった。伝言マシンじゃあるまいし、何しに来たのだこの人は。と、言いたいところだが、彼が伝言マシンになっていたのにはちゃんと理由がある。珠里亜須の言葉を伝えに来た事務官は、瞑想状態に入ってしまった闇の守護聖にそれを伝える術がなくて困りきっていたのだ。瞑想してるんだか居眠りしてるんだかわからないというのも困惑を増幅させる要因だった。
もしも大事な瞑想中なら、一介の事務官がそれを妨げるのは越権行為に違いない。だがこれが単なる居眠りだった場合、一介の事務官がたたき起こしてそれを指摘したりするのもおそれ多い。寝起きの不機嫌な闇の守護聖と話をするのは、呪われそうで恐ろしいし。などと、余分に悩まなくてはならなかった。一方、わざわざ伝言を寄越すくらいだから珠里亜須の用件は急を要するものであることは明らかだ。きちんと闇の守護聖に伝言できずに光の執務室に戻った場合、首座の怒りいかばかりかと思うと、これまた死ぬほど恐ろしい。前門の虎、後門の狼とはこのことだ。
そこで闇の守護聖とは懇意にしている水の守護聖に泣きついたというわけなのだった。事務官は、水の守護聖が鞍美須を扱う鮮やかな手並みを固唾を呑みながら部屋の片隅で伺い見て、必要なことが闇の守護聖に伝わったのを確認すると、部屋を退出する流美映留に付き従って出ていった。廊下に出てから、彼が流美映留を拝まんばかりにして謝辞を述べたのは言うまでもない。水の守護聖は「お役に立てればよろしいのですよ」と優しい笑みで答え、自分の執務室へと戻っていったのだった。


さて、そんな周囲の苦労も知らず、鞍美須は珠里亜須の顔を見に行ける口実ができて喜々として指定された書類を引っ張り出し、目を通し、サインをしかけて、思った。

私の名は画数が多い…。

改名したために鞍美須の名は以前よりも画数が増えている。怠惰なくせに妙にきっちりしたところのある鞍美須は、小学校のかきかたのお手本のようなきっちりとした字で署名をするため一画たりともおろそかにできない。よって、サイン一回あたりにすればたいしたことのない増加分も、何枚もの書類にサインをすると以前よりも何十画も多く書くことになり、それが彼の負担になっておっくう感が増しているのだ。そのことに気づいた鞍美須は、謎が解けた喜びと、改名したことを悔やむ思いと、いやそれで珠里亜須に少しでも好かれるのならばこのくらい何くそ! と思う気持ちとで揺れ動き、名前を元に戻すかどうかという点についても考え始め、またうっかりと瞑想に入ってしまったのだった。暗い執務室でぽつんと一人、瞑想に耽っていても止める者はいない。

鞍美須が珠里亜須に書類を届けに行けるのは(そして珠里亜須の麗しい顔を拝み、素敵な声を聞けるのは)果たしていつ?



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