せつないふたりに50のお題



31. 蜜色

町から町へと流れ歩く生活をしていた頃の私は、町でしか見られないものを眺めるのが好きだった。
立ち並ぶ家々、石畳の道、広場の噴水、たくさんの店。
店の中に普段の生活では目にしないものがいろいろと並んでいるのを眺めては
用途のわからない物をあれはどう使うのだろうかと考えてみたり
口にしたことのないものの味を想像したりしていた。

蜂蜜というものを知ったのも、そうした中でのことだ。
とある店に並んださまざまな色合いの黄金色の瓶。
中身が気になってあれは何かと尋ねたら、蜂蜜だとの答えだった。
とても甘くて滋養があるのだと聞かされた。
それはとても高価で、私たちには手の届かぬ品だった。
甘いという味は知っていても、蜂蜜がどれほど甘いのか、その頃の私には知りようがなかった。

初めてジュリアスを見たときに、髪がまるで蜂蜜のようだと思ったものだ。
そして、なめたら甘いに違いないと信じた。
あのジュリアスを相手に、さすがにそれを実行してみようとは考えなかったが。

けれども今の私は知っている。
ジュリアスは甘い。
それを知る者は私ひとり。
首座は氷のように冷たく、砂のように無味乾燥なのだと
触れれば手が切れる刃物のような男なのだと
皆、勝手に誤解しておればよいのだ。

蜜のような髪だけではなく、ジュリアスはどこもかしこも甘い。
手に触れる全てがしっとりと甘く、そして闇の中で溶けて崩れて絡みつく声さえも蜜の色をしている。

他の誰にも本当のことなど教えてやらぬ。
あれは私のものだ。


32. 朝焼け

東の空が白み始める頃になってようやく戻ろうかという気になった。

昨夜は睡魔にすっかり見放されて眠ることができず、時間をもてあまして夜中にふらりと館を出た。どこに向かうというあてがあるわけでもない。森の湖へでも行ってみようかとそちらへ足を向け、さらに奥へと足を伸ばした。歩き慣れた道をたどるので暗くても迷いはしない。この奥にぽっかりと小さな空き地があるのを私は知っていた。子どもの頃に初めて見つけたときにはとても広い場所だと思ったものだが、今見ればさほどの広さではない。頭上を覆う枝がないために日中はほっこりと暖かく、柔らかな下草に覆われていて小さな野花が咲き、時折り小動物が姿を見せたりもする。昔から私の隠れ家だった場所だ。そういえばここしばらく、来たことがなかったかもしれぬ。

なぜここには木が生えないのだろうと考えてみたこともあったが、理由などわかるはずもなく、森が私のための場所を用意してくれていたのだ、と。何となくそう思うようになった。子どもの足には相当に遠かったように記憶している。ちょっと宮殿を抜け出して訪れるようなことはできず、さすがに休日でもないと来ることはできなかったが、それだけにここで過ごす時間が楽しみだった。ただの空き地に過ぎぬが、聖地のどこにいるよりも寛いだ気持ちになれた。誰の目に留まることもなく自由にいられる場所。実際、森のこんな奥まで来る者はほとんどないのだ。ここで人と出会ったのは一度きりだった。

私を探してジュリアスがここまでやってきたときは本当に驚いた。あれは私と違って一人で森の奥まで来るなどということは普段はしないはずだ。慣れぬ者には森は迷路に等しい。よくぞ無事でたどり着いたものだと半ばあきれて「迷ったらどうするつもりだ」と尋ねたら「私がそなたを見つけられないなどということはあり得ないからな。問題ない」と言う。その言葉がまるで愛の告白のように聞こえてくすぐったいような気分で思わず手を取った。そのまま衝動に任せて唇を奪った。あの瞬間まで私たちは確かにそんな間柄ではなかったのに、自然に体が動いた。

あれ以来、ここに来たことはなかったのだと思い至り、次の休日にでもジュリアスと二人で訪れてみようかと思案して……急に顔が見たくなった。ジュリアスはそろそろ目を覚ました頃か。今から行けば、あれが出仕する前に顔が見られるだろうか。首座の顔をしていないお前に、いま無性に会いたい。


33. なにもいらない

もうすぐそなたの生誕の日だが、何かほしいものはないか。
ジュリアスに尋ねられた。答えを知っているくせに、毎回律儀に尋ねるところがあれらしい。そう返せば「たまたまほしいものがあるかも知れぬだろう? もしもあれば、そなたの望みのものを贈りたいと思うのはおかしいか」という答えが返ってくることもわかっている。とりあえず、私の答えは例年と同じ。
「ほしいものなどない」
「またそのようなことを」
「いつも言っているだろう。何もいらぬ」
「望みを教えてくれたほうが私も嬉しいのだが」
落胆したようにため息交じりで低くつぶやく。
私がほしいものはジュリアス、お前だけなのだ。そういう表情を見せてくれるだけでも私にとっては十分にお前からの贈り物となっている、そう言ったところで、何か形のあるものをとジュリアスが心を砕くのは変わるまい。少しからかってみたくなって、口を開いた。
「ならば…」
「何か思いついたか」
心底うれしそうに瞳を輝かせるのをまぶしく眺めながら言葉を続けた。
「従順なお前」
「……え?」
「どうでもくれると言うのならば普段とは違うお前が見てみたい」
「従順? 真実私にそれを求めるのか?」
真顔で問い返してくるお前に、こういうときの常套句を返した。
「…冗談だ」
ジュリアスはそんな私の言葉に怒ることもなく、「仕方がない。それならば私のほうで勝手に選ばせてもらう」と少し寂しげな笑みを見せた。

冗談だとは言ったが、実のところそれは嘘というわけでもない。
そういうお前を見てみたいと思わぬでもないのだ。
お前のどんな表情も、仕草も、声も、すべてを知りたい。
けれども私に唯々諾々と従うお前など、お前ではないだろう?
お前がお前のままでいてくれなくては意味がない。
偽りの姿など見ぬほうがましというものだ。
そのくらいならば何もいらぬ。

何もいらぬ、と幾度この言葉を繰り返したろうか。
何もいらぬと言い続けたそれこそが嘘かもしれぬ。
…いやそれもまた嘘ではなく、肝心のところを言わずに済ませたというのが真実だ。
本当に何もいらぬ。お前以外は。


34. 指先

俺がそれに気づいたのは偶然だった。
ジュリアス様に書類を手渡そうとしたとき、たまたま手が触れ合ったのだ。いきなりパシリと払われて、取り落とした書類が机の上にばさりと音を立てて落ちるのをただ見ていた。
「あ……」
ジュリアス様もまた呆然と書類を見つめ、そして俺の手に視線を移した。
「すまぬ、このようなつもりでは……」
本当に困ったように低い声で謝罪されて、
「いえ別に」
と返した。実際、大したことではない。痛みを覚えるほどに激しく叩かれたわけでもなかった。ただ振り払われただけだ。机上に散らばった書類を拾い上げてそろえると、視線を合わせて微笑みかけ、今度は手が触れることのないように気をつけて渡しなおした。ほっとしたような笑みを見せて書類を受け取るジュリアス様に、俺は不覚にも見とれてしまった。不意打ちのように、いつもは執務室で見せない表情を見せられるのは心臓に悪い。美しい人がたまに見せる笑顔はある種の凶器とも言える。

いやそれはともかく。あの反応はやはり触れてしまったことが原因だろうと推測している。俺は以前からジュリアス様が直接的な接触を嫌うことに気づいていた。気づいてはいたのだが、あそこまでとは思っていなかった。
いつもさりげなく身を離し、極力触れ合うことのないようにしていることには気づいていたのだ。だが普段の執務のときであれ、チェスの相手をつとめさせていただくときであれ、食事やティータイムをご一緒しているときであれ、生身に触れる必要はなかったから大して気にも留めていなかった。むしろ、人との接触をいとうのはいかにもあの方らしいと思っていた。しかしあの反応はいささか病的にも思えた。単にパーソナル・スペースが広いというだけではない。まるで恐れているかのように触れ合うことを拒むというのは。あの方が他人を恐れているということもないだろうと思うが、潔癖というだけで済まされる話なのだろうか。
気にはなったが、そのせいであの方の日常生活に支障をきたしているなどということもなかった。俺は比較的お側にいる時間が長いので、それはよくわかっている。だからとりあえず、ジュリアス様は極端な潔癖症なのだと解釈してその後も過ごしていた。

そんな日々の中、俺がもうひとつの事実に気づいたのもまた、偶然だった。
いつものように光の執務室で仕事の話をしていたところへ、クラヴィス様が姿を見せた。そう頻繁ではないが、たまにあの方ご自身が書類を携えていらっしゃることもある。いつものように「これを…」と書類を差し出したのをジュリアス様が受け取り、「わざわざすまなかった」と退出を促す、たったそれだけのこと。だが見てしまったのだ。書類を受け渡すときにお二人の指が触れ合うのを。それは衝撃的なことだった。
俺の指は触れるのもいとわしいとばかりに払われ、仲の悪い闇の守護聖の指には触れても平気だとは。
一瞬、俺は自分の存在意義を疑ったぜ。ジュリアス様にとって、俺は何なのか。ジュリアス様の信頼を勝ち得ている自信はある。その俺が拒否され、クラヴィス様は受け入れられている。それは、この聖地に共に長くあった、というところから来るものなのか。
クラヴィス様は部屋を出る時に俺を見とめ、フッと笑って「いつもご苦労なことだ…」とか何とかつぶやいた。別段、俺を揶揄するお気持ちではなかったらしい。あの方なりに俺をねぎらってくださったのはわかった。しかし、なぜだか完敗した気分だ。何に負けたのかわからないところがよけいに悔しい。

俺とクラヴィス様とで何が違うのか、当分の間は観察と考察の種に事欠かないようだ。何かわかったら「筆頭守護聖のパーソナル・スペースに関する研究」とかいうレポートにでもまとめてみるとするか。
完成したレポートをジュリアス様に提出するところを想像してみて……それはやめておこう、と思った。そんなものをお見せした日には、何と思われるかわかったものではない。俺にはあの方を非難するつもりはないのだ。ジュリアス様の信頼を損ねるような真似はしないでおくに限る。あくまで俺一人の楽しみで、だが徹底的に、俺の納得の行くまで観察は怠るまい。何だか楽しくなってきた。人間観察が好きだと言ったオリヴィエの気持ちが少しわかった気がする。
そうだ、何かわかったら、あいつと飲みながら話をするってのがいいかもな。


35. 夜のしじま

暗がりを恐れるのは本能なのか
幼い頃の私が闇をさほど恐れなかったのは、周囲に常に人がいたからだった
怖いと泣けば抱き寄せてくれる腕があり
抱きとめて憩わせてくれる胸があり
世界は怖いところではないと信じることができた

そんな私が聖地に来て、初めて闇を恐れた
昼の光が明るいだけに夜の闇の濃さは際立つ
一人で寝る部屋は暗く茫漠としていて
身近に人の気配がない
怖い
怖くて声も出ない
闇を、そしてそれ以上に静寂を、恐れた

一人きりで夜毎私は泣いていた
ここには私を慰めてくれる優しい手も暖かい胸もない
幼い私はその事実に絶望し、諦め、そして泣かなくなった
泣いても無駄だと知ったからだ

陰気だ、かわいげのない子どもだと陰で言われることにも慣れ
すべてに無感動になった
口をつぐみ息を殺して、ただ待ち続けた
何を?
それすらもわからず、ひたすらに待ち続けた

そして私は手に入れた
光の象徴
私の闇を照らすもの
お前の寝顔を眺めながら夜を過ごすことを幸福だと思う
いつまでもこの夜が続けばよい
お前の健やかな寝息を聞くことのできる静寂が好きだ
手元に光を留めおくことのできる闇が、今は好きだ


36. 体温

小さな風を感じて眠りから醒めた
傍らにあるはずの人がいない
ああまた寝過ごして置いていかれたのか
そっと、名を呼ぶ
「ジュリアス」

「呼んだか?」
思いがけず応えがあったことに驚いて身を起こした。出かけたものと信じきっていたせいであろうか、この私があれの気配に気づかなかったとは。ジュリアスはバルコニーへと続く窓を開いて立っていた。何を言ったらいいかわからず黙って顔を見ていると、再度ジュリアスが口を開く。
「何だ、妙な顔をして」
「別に…」
そむけた顔に、じっと視線を当てているのがわかる。

そんなに見るな
落ち着かなくなる

「風が入って寒かったか。すまぬことをした」
窓を閉じるとジュリアスは寝台へと戻ってくる。するりと私の横へと滑り込んできた体を抱きしめた。
「…冷たい」
どれほどの間ああして立っていたのか。すっかり冷えた寝衣の背を撫でながら頬にくちづけると、ジュリアスは唇に軽く触れて、
「置き去りにされたとでも思ったか?」
と言った。
「……いつもそうだからな」
眠りの浅い質である私の目を覚まさせることなくどうやって出て行くのか知らぬが、土の曜日の朝は眠っているうちにジュリアスが出かけてしまうことが多い。
「確かに。だが眠っているのを起こすのが気の毒で、起こさずにおいた。しかしそなたの先ほどの顔を見て、何も言わずに出るのは止めようと思った」
「どういうことだ」
どうせ子どものようだとか、情けない顔をしていたからとか、碌でもないことを考えているに違いない。私の懐にもぐりこみながらくすりとジュリアスは笑って、「教えてやらぬ」などと憎らしいことを言う。そして「温めてくれ」と続けた。

温めろだと?
そのようなことを言ったら私は誤解したふりをして
お前がこの後出かけられぬような温め方をしてやる

と、思ったとたんにジュリアスは顔を上げた。
「このままで」
私のよからぬ考えなどすっかり見通されていて、しっかりと釘を刺された。
「つまらぬ」
「朝から妙な真似はせぬことだ」
「…愛しているのに」
「それとこれとは関係ない」
「大ありだ」
愛しているから確かめたい。お前の心も体も残る隈なく白日の下に曝して、確かにお前も私を愛してくれていると知りたい。
だが今日のところは。お前がここにいてくれれば、とりあえずそれでよい。
愛しい温もりをもうしばらくの間この腕の中に閉じ込めておこう。


37. はじめて

とある土の曜日の夜のこと。お子様三人組を除いた守護聖たちがオリヴィエの館に集っていた。おいしいお酒でも飲みながら年少者や女性陣にはあまり聞かせられない話をおおっぴらにやろうじゃないの、とオリヴィエが召集をかけたものだ。適度にアルコールも入った頃、男たちの話の中心は自然と女談義とか初体験とか、そういった類のことへと傾いていった。

「あんた達の初めてってどんなだったの? すっごくキョーミあるんだけど」
「そういうことなら、まずは言いだしっぺからっていうのが順当なんじゃないか?」
「ふーん、一番手になる自信ないわけ? オスカーは」
オリヴィエはきゃははと笑うと、「ま、いいよ。じゃあ私の初々しい初キスの話でもしようかな」と言った。
「なんだ、キスか。そんなもん挨拶代わりだろう」
「まあまあオスカー。そう決めつけたものでもありませんよ。恋の始まりというものは、最初は手をつなぐだけでもどきどきしたりするものですからね〜。それともあなたはこれまでの経験がありすぎて、最初のキスのことなんかもう忘れちゃいましたかー?」
「そう言うあんたは恋の経験あるってのか?」
「ええっとーまあその、主に書物から得た知識ですけどね」
「…もしかして、未体験か?」
いやあ、とルヴァは鼻の頭にうっすらと汗を浮かべて、「キスはそのー、多分って言うかー、正直に言ってまともにしたことはないですね」と答えたところ、オスカーに気の毒そうな顔をされて、ちょっとむかっ。癒し系ほんわかのんびりの好人物と見なされているルヴァにだって男として、年長者としての見栄も意地もある。
「あのー、だからといっていわゆるそのー、何と言いますか、この場合……本番……って言葉を使うのはふさわしくないかもしれませんけど、そっちのほうの経験がないわけでは……」
「ほう、キスなしでいきなりとは。けっこう思い切ったもんだな」
どうせハッタリだろう、という態度だ。
「…オスカー、ルヴァの初体験は娼婦だ」
クラヴィスの発言にルヴァは「そんなあからさまな言い方をしなくても…」と小さな声で抗議した。
「何もお前だけをさらし者にしようということではない。昔のことだがルヴァと私とジュリアスと、三人そろって娼館に連れて行かれたのだ」
「おやおや、まずは可愛い初キスの話でもと思ったのに、一気に話がそこまで行っちゃう? ま、聞かせてくれるって言うなら止めないけど」
オリヴィエは高見の見物を決め込んだようだ。
「それっていつの話です?」
オスカーはオリヴィエのお気楽な発言は無視して、かなり真剣な面持ちでクラヴィスに尋ねた。
「さて、な。ルヴァ、お前が聖地に来てさほど経っておらぬ頃のことだったか…」
「ええそうですね〜。誰とは言いませんけど、百戦錬磨のお兄さんたちに『面白いところへ連れて行ってやろう』と誘われまして。私も新参者でしたし、上の人たちの言うことは聞くものだろうと思ってうっかりついて行きまして」
「ジュリアス様、本当ですか!? それってつまり、16〜17歳頃ってことじゃないですかっ」
首座、無言でグラスを傾けている。
「つまりは今のマルセル程度の年頃であったあなた方を、先輩方のどなたかがそういう場所に連れて行ったということですか。そのような……それはあまりにも配慮を欠いた行動ではありませんか」
水の守護聖、えらくお怒りのご様子。
「…まあ、そう言うな。昔はそういうこともあったのだ。さすがに今の年少の者たちにそれをしようとは私たちとて思っておらぬ。時代が違う。それに、そういう場で経験しておくのも悪いことばかりではない」
「クラヴィス様…」
まだ納得が行かない体のリュミエールである。
「もう過ぎたことだ。昔話に腹を立てても仕方なかろう」
何やら思いつめた表情でオスカーが言い出した。
「その時にあんた方三人はたかだか15だか16だかで女とやっちまったと、そういうことなんですかクラヴィス様」
「もう少し言葉を選べ、オスカー」
ジュリアスがたしなめた。
「ジュリアス様までもが若い身空で、そんな場所で経験しちまったんですか!?」
オスカーの心の中の清らかなジュリアス像ががらがらと音を立てて崩れ落ちていく。
「あ、ジュリアスはその時何もしなかったそうですよ〜」
「ルヴァ、あまり詳しいことを言わずとも」
「まあまあ。誤解は解いておいたほうがいいんじゃありませんか?」と言いつつオスカーの顔を見てルヴァは続けた。
「帰ってきてからその時の様子などお互いに報告し合ったんですけどね〜。←ンなこと報告し合うなっていう突っ込みはナシで
『好きでもない女性とそのようなことはできぬ』って結局一晩眠っただけでしたよね、ジュリアスは」
「まあ……その通りだ」
「フッ…度胸のない…」
茶々を入れるクラヴィスをキッとにらむと、
「何を言うか。度胸の有無は関係ない。愛のない行為など空しいだけだ」
とジュリアスは言い放ったのだった。

それはうれしい! さすがジュリアス様だ! 何がうれしいんだかよくわからないけど、俺は猛烈にうれしいぞーーー!!

オスカーの心の中の、崩れ落ちかけていたジュリアス像は修復されてまたもピカピカに輝き始めた。
でも、そういう機会があった時にそういう理由で女に手を出さなかったってことは。
「……あの、ジュリアス様、未だ経験なし……?」
ぴきーん。オスカーの発言にその場にいる全員が凍りついた。何せ皆の知る限りジュリアスには浮いた噂の一つもない。愛のない行為なんかできるかと宣言している彼が経験ナシと思われるのも当然の状況下でのこの質問はキツい一撃だ。あ、若干一名、凍っていない男あり。
「お前が何をそれほど気にしているかは知らぬが、オスカー。ジュリアスはくちづけもそれ以上も経験がある。何も心配は要らぬ」
「どっ…どういうことですか! 第一なんであんたがそんなこと知ってるんだ!」
なんであんたがと言いながら思わずクラヴィスを指差すオスカーに、闇の守護聖、フッと微笑して、「いや何、子どもの頃に私と。ところでお前は人を指差すのは無作法だと習わなかったのか…?」なんて言うもんだからオスカーはますます激昂した。
「そんなこと知ってますよ!! でも今肝心なのは、あんたが子どもの頃にジュリアス様に何やらかしたかってことだ!! 確か『それ以上も』っておっしゃいましたよね!!」
「言っておくが合意の上だぞ。ジュリアス自ら言っているではないか。愛のない行為など空しい、そうであったな、ジュリアス?」
と隣の席のジュリアスを見たところ、真っ赤になっていた。
「おや、首座殿は具合でも悪いのか?」
からかうようにクラヴィスに言われて、いや、と首を振ったジュリアスは立ち上がろうとした。
「私はもう失礼する」
「待ちなよジュリアス、いいトコロなのに帰るってどういう了見なのさ。きりきり吐いちゃいな」
「私的なことを明かすつもりはない」
「もー、あんたの他には5人だけなんだよ。別に、他の連中に吹聴しようって気もないしさ。ねえみんな?」
オリヴィエの言葉にうなずくルヴァ、オスカー、リュミエール。だってジュリアスの秘密、知りたいじゃないの。
「あらら、クラヴィスは同意しないっての? ジュリアスの秘密聞き出しといてよそで言って回る気? あんたがそんなにおしゃべりとも思えないけど」
「お前の言う『ジュリアスの秘密』とやらは私にも関わることなので、誰に言うつもりもない」
さりげなく爆弾発言でないかい、コレは? と思ったオリヴィエのツッコミが入る。
「ちょーっと待った。確認させてもらうけど、お子様時代にお遊びであんたとジュリアスがキスしたっていうのが真相だよね。それ以外にも何かあるっての?」
オリヴィエの目が好奇心で輝いている。
「クラヴィス、もう何も言うな」
珍しく気弱な様子でジュリアスが声をかけた。今夜のことは他言せぬと皆言っている、とジュリアスをなだめながら、クラヴィスは言った。
「遊びでしたわけではない。私は本気だったし、ジュリアスも気がなければ相手すまい。…そうだな?」
もう勝手にしろと言わんばかりにジュリアスはそっぽを向いて、ひたすら強いアルコールをあおっている。
「あの…クラヴィス様、それは何歳くらいの頃のことでしょう?」
リュミエールが遠慮がちに尋ねた。
「7歳ごろ…であったと思う」
「そんなじゃ『それ以上』は無理ですよね! あんまり意味深な言い方しないでくださいよ」
どこか安堵した風にオスカーは言った。
「お前が何を以って『それ以上』と称しているのかは知らぬが、その頃はジュリアスと互いの館に泊まりあったりしていて、共に風呂に入ったり、同じ寝台で寝たりしていた」
「あんたもわかんない人だな。それは子ども同士の普通の交流でしょうが! そんな中で子どもらしい好奇心でちょっとキスしてみたってだけの話じゃないですか」
何だか知らないけどオスカー様、今にも切れそう。
「どう思うもお前の勝手だが、私は本気でジュリアスのことが好きだった。そしてそれは今も変わらぬ。お前のほうもそうであろう、ジュリアス? 現にいまだに泊まり合いはしているし、風呂は共に入るし、寝台だって」
ええええええーっという皆の合唱の中、今度こそジュリアスは気絶しそうになった。って言うか、立ち上がりかけてぱったり倒れた。ジュリアスの座っていた椅子脇の小卓を見れば、短い時間のうちに一人でかなりの量のアルコールを空けてしまったことが歴然としている。話がとんでもない方向へと走り始めたので、らしくもなく酒に逃げていたものか。
「ジュリアス様っ!」
あわててオスカーが助け起こそうとしたところ、闇の守護聖の低い声が押しとどめた。
「触れるな、オスカー」
「ちょっとあんた、どういうつもりだよ! あんたならジュリアス様に触れてもいいってのか!?」
いまいち相性の良くない闇の守護聖相手でも日頃は決して慇懃な態度を崩すことのないオスカーだが、今は年長者への礼儀もへったくれもない。つかみかからんばかりの勢いだ。
少々意地悪が過ぎたか、呟いて、クラヴィスはジュリアスを抱き上げ、本当に意識が飛んでいるらしいのを幸いとこれ見よがしにキスをした。
「見ての通りの仲だ。これは連れて帰る。後は皆で適当に楽しめ」
ジュリアスを抱いたまま、クラヴィスすたすたと退室。残された4人、あぜんぼーぜん。
「クラヴィス様は意外に力が強くていらっしゃるのですね…」←ツッコむところはそこか?
リュミエールの言葉にルヴァもうなずく。
「私はこの中では一番長くあの二人と聖地にいますけど、ああいう仲だったとはとんと気がつきませんでしたね〜。いやあびっくりしました〜」
「おい、今の、何かの間違いだよな……?」
「間違いって、何が? クラヴィスははっきり恋人宣言したも同然じゃないの」
くったり。オスカーは座っていた椅子の腕木に上半身を預けた。
「信じられん。クラヴィス様のことなんざどうでもいいが、ジュリアス様が」
「なぁにぶつぶつ言ってんの。まあ、あんたがショックなのはわからなくもないけど、幼なじみでくっつくってのはない話じゃないよ。同性でってのは多くないかもしれないけどさ」
オリヴィエは慰めるようにぽんぽんとオスカーの背を軽く叩いた。
「さ、飲み直そ。いい酒の肴もできたわけだしね。さすがにこれは噂が広まっちゃマズいから、あいつらのこと話せるのは今夜この場だけだよ! うじうじしてんじゃないの。景気よく騒ごーよ」

…にしても、今日は思わぬ収穫だったよ。あの二人がねえ。
仲悪そうにしてるけど、なんてゆーか、通じ合うものがあるみたいには思ってたけど。
まさかそんな関係だったとはね。お見それいたしました。
古狸たち、今まで私にシッポつかませなかったとはさすがだね。
まあ、今日のはクラヴィスが面白がってバラしたって感じだったけどさー。
ってことは、ずっと気がつかなかった可能性もあるってことか。やっぱこの集まりを企画した私、エライよ。
ふっふっふ〜ん、こーゆーとびっきりの面白いことがあるから止められないんだ、人間観察。
予想が大当たりってのも快感だけど、予想を大きく裏切られるのって、それはそれでカイカーン☆


38. 幸福の刹那

目を開けば愛する者の寝顔がそこにある
傍らにある温もりをいとおしみながら
まどろみの淵に沈む
夢の中でまた逢おう


39. 欠片

「クラヴィス様は今日は午後から出仕なさるとのことですが」
闇の館から「午後に出仕する」という連絡があったという報告は当然ながら私も受けていて、
「……らしいな」
とだけ返した。
オスカーの言い様は、闇の守護聖のさぼり癖にも困ったものだという内心を隠し切れていなかった。いやもともと隠す気がないのだろう。何しろ私に向かって「闇の守護聖は勝手で困る」とはっきり言う男だ。私もそれについては同意見だ。それがわかっているからこそオスカーは私の前では本音を洩らすのであろう。彼の発言を特にとがめる理由もなかった。あれの気まぐれに困らされているのは事実だ。

炎の守護聖と闇の守護聖の仲があまりよろしくないのは周知のことだったが、かといってオスカーは公式の場でクラヴィスをないがしろにするような言動はしない。筆頭守護聖への礼は尽くす。だが気に入らぬものは気に入らぬ、それだけなのだと思う。気に入らぬと言えばつい先頃まで私もそうであったのだ、と不思議な気持ちになった。あれについては気に入らぬことばかりだと、そう思っていた。

年若い者たちの範となるべき立場であるのに、そうした配慮は一切しない。横柄で尊大で、自分勝手で皮肉屋で、女王陛下への礼すらろくに取らぬ傲岸不遜な男で「何を考えているのか」と問いただしても「別に」としか答えぬ有様で、今さらどうしようもないとさじを投げていた。気に入らぬどころの騒ぎではない。それこそオスカーが生まれる遥か昔からずっと、あれとはとことん馬が合わぬ、そう思ってきたはずであったのに。いつの間に親しくつき合うようになったものか。どんな魔法にかかったというのだろうか。

かつては苛立ちを誘うばかりだったあれの落とす言葉に
たまに私を慰撫するものが混じるようになった
私はクラヴィスのくれた言葉ひとつひとつを
優しさの香りの残るかけらを
まるで大切な宝物のように心の中に抱きしめている

「ジュリアス様?」
訝しげに問いかけられ、ここは執務室であったのだと気がついた。
「ああ、すまぬな。少し考えごとをしていた。話を続けてくれ」
うっかりあれのことなど考えるものではない。特に、人前では。


40. わからない

私が悩む筋合いじゃないってことは承知してるんですが、どうにも気持ちの持って行き場所がなくて困ってるんです。何の話かって? ジュリアスとクラヴィスのことですよ。あの二人は確かに表面上仲は良くありませんけど、何と言うかお互いに分かり合っている、そういう空気があって、私なんかお呼びじゃないっていう感じがこう、ひしひしとするんですよねー。

カティスはきっと二人のことを私なんかよりよくわかってて、私が一人で勝手に疎外感を味わっているってことも知っていて、それで私に「二人のことを頼む」なんて言い置いて行ったんじゃないかと……そういう気がするんですが、間違っていますか、カティス? でもね、「お前のやり方でいいから」なんてあなたは笑ってましたけど、結局のところ私には見守るしか術がないんですよ。そして見ていればいるほど、二人のことは私にはわからない、私は必要ない、そう思えてしまうんですね。
こんな私が知恵を司る地の守護聖だなんて、ほんとに呆れちゃいますよね。私には足りないものだらけです。知らないことばかりです。だからそれを補おうとして知識を求めるのかもしれませんねぇ。知恵を持つ者が地の守護聖なんじゃなくて、他の誰よりも知恵を求めるから地の守護聖なんじゃないかなーなんて、そうでも思わないとやっていけない気分です。
……えーっと、そんなことはどうでもよくて……つまりは私はあの二人のことが気になって仕方がなくて、なのに同じ時に守護聖として聖地にあっても二人の間に割って入ることなんか到底できない。いえ別に二人の間に入り込もうなんて思ってるってことじゃないんですけど、二人にとって私は毒にも薬にもならない存在だってことがさびしいって言うか情けないって言うか……多分そういうことなんです。

オスカーやリュミエールばかりがあの人たちを見ているわけではなくて、もしかしたら誰よりもあの二人に魅入られ囚われているのは、この私なのかもしれません。



next



■BLUE ROSE■