小説書きさんに100のお題



091. 自由 -学生時代5-3-
※「087. ハネ」/「047. スイッチ」の続き

学生食堂で選んだランチを半分ほど食べたところで、ジュリアスは固まっていた。どうにもこれ以上は食べられない。
彼にしては珍しく、このところ食欲がなかった。特に体に不調がなくとも食べられない時は本当に食べられないのだと、初めて実感している。子どもの頃から、それこそ発熱してでもいない限り食欲がないなどということはまずなかったからだ。

クラヴィスがいないだけで、私は食欲すらもなくすのか……。

私は己を自立した人間だと思ってきた。不在で食欲を失うほど、クラヴィスという存在に頼っていると思ってはいなかった。
もっとしっかりせねばな。

そう自らを叱咤してフォークを口に運び、もう一口を押し込んだ。が、それが限界だった。
食事を残すなど論外だが、食べられないものは仕方がない。ここ数日のうちに何度もした言い訳を心の中でつぶやき、トレイを返却口に置いて食堂を出た。
不在のせいというよりはむしろ心配のためだが、クラヴィスがいなくなってからずっと胸がつかえたようでものが食べられない。眠りも浅い。勉学への意欲も一向に湧かない。そんな状態でもそこはジュリアス、家に一人でいるよりはずっと良いと大学を休むことはなく、食事も食べられないなりにきちんと日に三回摂っている。

その日最後の講義が終わった6時過ぎ、少し親しくなった学生が声をかけてきた。
「このあと暇なら、一緒に晩メシ食べに行きませんか?」
これまで食事はほとんどクラヴィスと共に摂っていた。自宅での食事はもちろん、クラヴィスが大学に来ている日には昼食も一緒に学食で済ませていた。彼がいる時ならば、夕食はよそですることになったからそちらも適当に済ませてくれと連絡して了解をとったり、それは嫌だとごねられて結局は誘いを断ることになったりといろいろややこしい事態が考えられるが、今は何をどうしようと自由だ。相変わらず食欲はなかったが、帰宅して一人で味気ない食事をするよりは若い友人と共に食べる方がいいかもしれない。
「それも良いな」
「やったー! オッケーだってよ!」
背後の4人が拳を突き上げた。
自然とジュリアスの頬に笑みが浮かぶ。どこかランディを思わせるこの若者が、ジュリアスは嫌いではない。最初にコンパの誘いをかけてきたのも彼だった。まっすぐな明るさは好ましい。

学内数ヶ所に学生食堂があるが、学外にも食事のできる店は多い。その日ジュリアスが連れていかれたのは主に男子学生向けの大衆食堂で、がっつりメニューで占められている。ここの食器は大ぶりで、普通盛りでも大盛り並だ。安いなりに旨くてしかも量はたっぷりという、いまだ食べ盛りの男子にとっては救世主的な店だったが、食欲不振のジュリアスに到底食べられる量ではなかった。
注文したものが出てきただけでげんなりして、
「口をつける前にそなたたちで半分取り分けてくれないか」
と頼んだ。
「えー? いいんですか?」
「少食っ!」
「今は少し食欲がなくてな。普段は特に小食というわけではないのだが」
……にしても、この量は少しきついと思いながら、適当に皆の皿に盛り分けた。
「迷惑をかけて申し訳ない」
「いやぁ、俺たちいくらでも食べられるんで! ぜんぜんメーワクなんてことないですよ」
「っつーか、むしろ大歓迎!」
などと言いつつ、小気味いいほどの勢いで食べ始めた。
「最近あの黒髪の人、見かけませんね」
「講義終わったら、よくジュリアスさんと一緒に帰ってたでしょ」
ジュリアスは目を見張った。
「こちらの気づかぬうちに行動を知られているのだな」
「二人並んでるとめっちゃ目立ちますって」
「女子なんかいつも大騒ぎだし」
「黒髪のプリンス見ないけど、アンタ達知らない? なんて言われて困っちゃってさあ」
「俺たちだって親しいわけじゃないよって言ったんですけど」
「こっちの言うこと聞きやしねえ」
「女の子ってどうしてあんなに元気ってゆーか、うるさいのかなあ」
「大勢の女の子の中に男が数人なんて状況だったら、俺たち小さくなっちゃうじゃないですか」
「女子は平気そうだよな。女子だけで固まってることも多いけど、パワーじゃ俺たち負けそう」
「それが女性というものだろう」
思い出していたのは、彼の敬愛する女王陛下。彼女もまた、元気な女性だ。
「やっぱそうなんすかねぇ。ひとりひとりは可愛いんだけど。束になられるとタジタジっすよ」
確かに、ロザリアと共同戦線を張られるとなかなかに手ごわかったと思い出して微笑がこぼれた。
「あちらはあちらで、人数では対抗できないからとがんばっているのではないか?」
「あ、そういうこともあるかもですね」
「さっすがジュリアスさん!」
「大人は違う!」
「いや私の言うことなど、あまり真に受けないでくれ。女性の知り合いは少ない」
「それでさ、話それちゃったけど、ほらあの人。黒髪の。あの人どうしたんですか?」
全く関係のない方向に話題が飛んでいた間、久々に忘れることのできていた心配の種について尋ねられて、ジュリアスの表情がわずかに曇った。
「クラヴィスは旅行に行った」
へー、クラヴィスっていうんだと何人かから声が上がり、
「まだ学期の途中なのに?」
と質問が出た。
「ああ……あれはさほど勉学に熱心というわけでもないのでな」
初めてジュリアスの口からかの謎の相棒の話を聞かされて、学生たちは興味津々だ。
「確か幼なじみって言ってましたよね」
「友人同士でルームシェアですか」
「そうだ」
今のマンションは二人の共同名義での持ち家である。そこに二人で住んでいるのだから、確かにルームシェアと呼べなくはないかもしれないけれど。何かちょっと違う気もする。
でもそんな内情を語る必要はないので、簡潔に答えておいた。
「場所はどこなんですか?」
「私鉄沿線の町だ。家を出てから大学まで20分程度、か」
「近くていいなあ」
「電車使ってるんですか? そんだけ近かったら自転車でも通えるんじゃないですか?」
ジュリアスは曖昧な微笑を浮かべた。乗馬はできるが、あいにく自転車には乗ったことがない。
「いいっすよ自転車! エコだし、金かからねーし!」
「ばーか。ジュリアスさんはお前みたいに金欠病じゃないって」
そこからひとしきりバイトがどうの、寮生活がどうの、親元から通える奴は楽だの、いや通学に時間がかかる分大変なんだなどという話になった。
話に積極的に加わらなくても、わいわいと楽しそうな彼らを見ているのはこちらも楽しい。
「……さっきからジュリアスさんしゃべらないけど、退屈ですか?」
「いや、そのようなことはない。楽しんでいる」
「だったらいいんですけど」

食事を終えた後、「せっかくだから少し飲みに行こう!」という若者たちとともに飲み屋へも行き、お開きは10時過ぎだった。
「今日は楽しかった」
「俺たちもいろいろ話聞けて楽しかったですよ」
「次はクラヴィスさんも一緒にどうですか」
ジュリアスは少し驚いたような顔をして、そして微笑んだ。
「そうだな、戻ったらあれにも話しておく」
「その時は……そのぅ……女子も誘ったりして構いませんか?」
「実はうるさく言われてて」
「おい、バラすなよ!」
「いーじゃんかよ」
女性陣にまた囲まれるのだろうか、それは少し困るかもしれぬと思いながらも、ジュリアスは言った。
「友人は多い方が良い。また誘いあってこうして食事などできたら嬉しいと思う」
「やりー!」
「ジュリアスさんが天使に見える〜」
ジュリアスが首を傾げると、
「元気な女子たちにせっつかれてるんですよ、俺たち。またコンパのセッティングしてくれって」
「『できれば黒髪のプリンスもね、お願い!』なんて言われてて」
「キョーミ持ってんのは女子だけじゃなくて、俺たちもだよな。何せジュリアスさん以上に謎のプリンスだから」
「だから紹介してくれるジュリアスさんは優しい天使ってこと!」
などという言葉が返ってきた。
「謎も何もない、普通の男だぞ」
「ふつーってさぁ、ジュリアスさんにはふつーかもしれないけど、回りで見てるモンにしたらすっげー謎めいてますってば」
「男にしちゃ異様にキレイだしね。……あ、これはジュリアスさんもか」
「女子が騒ぐのもムリないってーか」
ジュリアスはくすくすと笑った。
クラヴィスがこれを知ったらどんな顔をすることか。
「私よりはくだけた性格だが……口数の少ない男だ。同席していて楽しい相手とも思えぬが。それでも良ければ連れてくる。いずれにせよ、あれが戻ったらの話だな」
「いつ頃になりますか!?」
「さあ……予定を聞いておらぬので、すまぬがいつと確約はできぬ」
「じゃあ帰ってきたら教えてくれますか?」
「ああ、約束する」
「楽しみにしてます!」
「では、また」
気がつけば、日を追って重くなるばかりだった心が不思議と軽くなっている。クラヴィスが出ていってかれこれ半月、きっともうすぐ帰ってくるだろうとわけもなく思って、ジュリアスは歩き出した。

クラヴィスが旅に出ていなかったら、若い学生とこんな時間を過ごすことはなかっただろう。そしてどうやら、次の機会にはこうした場にあの男を引っ張り出すことになるらしい。仏頂面の伴侶を想像して、ジュリアスの口元がほころんだ。彼らはそんなクラヴィスであっても仲間に入れてくれるだろうか。

クラヴィス、私以外にもそなたに関心を持ち、会いたいと思ってくれる者がいる。そなたは「見も知らぬ者たちのことなどどうでもよい」と言うかもしれぬが、そろそろ帰ってこないか? 私もいい加減心配し飽きた。
何かと手のかかるそなたが不在の今は身軽で自由だが――寂しい。
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096. フレーズ

「私はいつもクラヴィス様のお為を思っているのです」
というのがリュミエールお決まりのフレーズだ。そしてクラヴィスは、優しい水の守護聖の心遣いが嬉しくないわけではない。彼のすることはほとんどが許容範囲内だ。

リュミエールは私との関わり方の線引きが絶妙で、傍目に過干渉とも取れるようなことをしながら、私自身はまったく気に触ったりしていない。
たったひとつ我慢できぬことがあるとすれば、それは――。


そのころクラヴィスは体調を崩していた。
とある惑星に視察に出たのだが、滞在地は熱帯に位置し、気温も湿度も高かった。建物の風通しを良くする作りで暑さに対処する土地柄で、VIP向けの宿舎には冷房が完備されていたが、あちこち連れまわされた先ではそういう設備がないことも多かった。そして宿舎に戻れば戻ったで、外気温との差が意外に堪えて、涼しい室内にいても何となくだるい。聖地とはまったく違う気候にも冷房にも体が慣れずに、滞在中は食欲不振、倦怠感等の不調に悩まされた。聖地に戻ってからもなかなかスッキリ回復とはならず、リュミエールを心配させていた。しばらく執務を休んで回復に努めるべきではないかとリュミエールはクラヴィスに勧めたが、そこまでのことではないと言われて、ついにジュリアスに直訴に及んだ。
「食欲不振? 倦怠感? 日頃の不摂生がたたっているだけではないのか。本人も執務を休むつもりがないと言うくらいなら、さして心配することもなかろう。時が経てば治る」
とジュリアスからも笑い飛ばされたリュミエールは、
「ジュリアス様がそういうお考えなら、けっこうです。私があの方を治して差し上げます!」
と鼻息も荒く光の執務室から退室したものである。
無論のことジュリアスだってクラヴィスの状態を心配して、それより以前に医療センターで検診を受けさせていた。その結果、別段悪いところはないと判明しているからこその発言だったのだが、それを告げるタイミングを逸した。クラヴィスびいきのリュミエールに、話す順番を間違えたなと苦笑してみたが後の祭り。自分がクラヴィスを嫌っているとリュミエールにまたも誤解させたかもしれないが、仕方がないとジュリアスは手元の書類に目を戻したのだった。

そんなことがあって後。執務室でも机よりは長椅子にいる時間のほうが多いクラヴィスの元へ、いそいそとリュミエールがやってきた。
「クラヴィス様、特製の栄養ドリンクをお持ちしましたので、ぜひともお口になさってください」
「何だ、それは…?」
「食欲不振に効果があるハーブ類をブレンドして私が作りました。滋養強壮や、疲労感を防ぐ効果もございます。さ、どうぞ」
とリュミエールが筒状の密閉容器のフタを取りながら差し出したものに、クラヴィスは顔をしかめた。
「この…匂いは…?」
容器の中を見れば、ドロドロとした緑っぽい液体状のものが入っている。そして何よりそれから立ち上る強烈な匂い。とても人の口に入るべきものとは思えない。クラヴィスはたまらず鼻と口を覆った。
まさか…これを口にしろと?
思わず振り仰いでリュミエールを見れば、聖母の如き優しげな風貌で微笑んでいる。しかし彼の差し出す得体の知れない液体は、邪悪な魔女の手になるとしか思えないシロモノだった。
「さあ!」
と口元にまで持ってこられて、クラヴィスは渋々と、ティースプーンに半分くらいの量をすすってみた。それで十分だった。それまで身を預けていた長椅子からがばっと身を起こすと、驚くリュミエールを押しのけて奥の控えの間へと駆け込む。小さな洗面台のところで、口の中のものを吐き出した。
後を追ってきたリュミエールはその様子を見て、ほとんど叫ぶように言った。
「たった一口さえも嚥下できないなど、やはりあなたのお体は普通ではありません! 即刻医師の診察を!」
一口ものどを通らないのは、その異様な匂いのせいだ!
なおも何か言い募ろうとうするリュミエールを手で制しながら口をゆすいで、ようやくクラヴィスは言葉を発した。
「お前の言うとおりだ、リュミエール。今日は早退して館で休む。医師の診察も受けよう。だからその…栄養ドリンクとやらのふたを閉めてくれぬか…」
凶悪なまでの異臭をまき散らしている容器を指さしながら言うクラヴィスに、リュミエールはゆったりと微笑んでふたを閉めながら答えた。
「クラヴィス様の今の状態を改善するにはぴったりの飲み物なのですよ。早退なさるということでしたら、ぜひともこれをお持ち帰りください。使用しているコリアンダーもガーリックも食欲を増進させますし、特にガーリックは疲労感を抑えて、滋養強壮の効果がございます。匂いが少々きついのが難点と言えば難点ですが……よろしければミントの葉など浮かべてみましょうか? 清涼感が増すと思います」
リュミエールはまだその怪しげな魔女の鍋からすくってきたような飲み物を私に飲ませるつもりなのであろうか。
ミントの葉を浮かべようが何をしようが、清涼感などない!
これまで遭遇したことのない異臭を発する飲み物など金輪際口にするものか!
「講釈はそこまででよい。効果の程は十分に理解した…。もう下がれ。私は帰る」
「ではお館までお送りさせてください」
と親切に言ってくれるのを、
「いや、一人が早退するだけでもジュリアスが良い顔をすまい。お前は残ってきちんと職務を果たせ」
と押しとどめた。
本当に、リュミエールには悪意がないだけに余計に始末が悪い。全て私のためという真心から出ているのだからな。
しかし真心の結晶であっても、あの飲み物だけは死んでも口にしたくない。

宮殿から出た馬車が向かった先は、光の館だった。下手に自邸に戻ると、終業後にリュミエールの急襲を受けかねない。にこやかに、「栄養ドリンクはお飲みいただけましたか?」なんて言われて、押しつけられた例の密閉容器の点検でもされて、飲んでいないと気づかれたら。たとえ今日は何とかしのいだとしても、リュミエールはあの調子で毎日栄養ドリンクという名の悪魔的な飲み物を持参しては飲めと強要するに違いない。そこで恋人の館に避難することにしたのだ。
執務中に、自邸の執事から「お客様がお待ちです」という伝言を受けたジュリアスは、その日は定刻で執務を終えて早々に館に戻った。
「来客」は主の私室で、というかベッドでぐったりと横たわっていた。

「どうしたのだ、クラヴィス」
「2〜3日、医療センターにでも入院したい…」
とクラヴィスは力なく訴えた。
「どういうことだ?」
その日のリュミエールとのいきさつを話すと、ジュリアスは声を上げて笑った。
「リュミエール手製の栄養ドリンクか。そなたがそこまで怖気をふるうとは、怖いもの見たさで見てみたくもある」
「厨房で処分してもらうよう頼んだのだが…まだ置いているかもしれぬぞ?」
「そうか。後で尋ねてみる」
なおも笑いながらジュリアスは言って、ふと真顔になった。
「自ら入院したいと申し出るほどに体調が優れぬのか?」
「いや、さほどのことではないと思う。リュミエール対策だ。入院して元気になったとなれば、あの男も納得することだろう」
「なるほどな。実際のところ、そなたの体調は確かにあまり良くないようだ。明日にでも医療センターへ行くがよい。今宵はここで休め」
恋人からのキスを額に受けて、ようやくクラヴィスは安堵したかのように目を閉じた。

時に嫉妬を覚えるほど親密なリュミエールを避けて、私のところへ逃げ込んでくるとは。
その栄養ドリンクとやらは、よほど恐ろしい代物であったに違いない。

懐に飛び込んできた小鳥のような(っていうのは、ジュリアス視点)恋人が愛しく、そこまで弱気になるとはよほど体が辛いのだろうかと心配でもあり。髪を撫でてやっているうちに眠りに落ちたクラヴィスの顔を眺めて、少し頬がこけた、と思った。目の下に薄くクマも浮いている。ジュリアスのベッドにいながらおとなしく眠ってしまったことが、何よりも恋人の不調を物語っている。


その後の3日間、リュミエールの来襲を避けるために面会謝絶で医療センターで過ごして、その間に体調回復に努めたクラヴィスは、元気に執務に復帰した。
このできごと以降、もう二度とあの恐怖のドリンクを持って迫られたくないとクラヴィスは多少自分の健康に気を使うようになった。したがってリュミエールの過剰なまでの気遣いと特製栄養ドリンクは、結果的に功を奏したと言えるのではないだろうか。
もしかしたら、聖地最強なのは聖母のように清らかな容姿を持つ心優しき水の守護聖なのかもしれない。




■BLUE ROSE■