小説書きさんに100のお題



064. 毒 -学生時代7-

新年を迎えたその日は、冬にしては暖かな、穏やかな陽気の日だった。大学ももちろん休みの最中で、地方から出てきている若い友人たちはクリスマス前から帰省したり、首都在住の者たちはスキー旅行に出かけたりとそれぞれの休みを楽しんでいるらしい。
けれども元守護聖の二人には帰省する先はなく、新年に訪ね合うほど親しい友人知人もなく、互いだけが家族なので、普段の休日と変わらない。天気も良いことだし、少し散歩にでも行くかといつも行く近所の公園に出かけた。

真冬の公園は花こそ少ないものの常緑樹は青々と茂り、池には水鳥がいたりして、暖かな日差しの中を歩くのは気持ちがいい。公園の一番外をぐるりと周回する道を歩けば約1時間、ちょうどいい散歩コースだ。広い公園の中には趣の異なる場所がいろいろあって、季節ごとに風景が違ったりして、歩く道筋を変えればしょっちゅう来ていても飽きることがない。花の盛りの頃のバラ園は見事で、聖地の光の館を彷彿とさせた。木立の中を抜けていく小道は、クラヴィスが聖地でよく歩いていた場所を思い出させてくれた。公園の中に小さなカフェがあったり、併設されている美術館にはレストランも付属していたりと、時間の余裕のある時にはゆったりと過ごせるこの場所が二人は気に入っていた。

ひと通り散策して、日当たりの良い場所にあるベンチに腰かけた二人は、何を話すでもなくしばらくそうしていた。と、クラヴィスがジャケットの内ポケットからシガレットケースを取り出した。
「何だ、やめたのではなかったのか」
ジュリアスが心持ち眉をひそめ気味にして言った。その表情をちらりと横目で見ながら、
「せいぜい週に一度、ほんの一本だけだ、大目に見てくれ」
とクラヴィスは答えた。

喫煙。ジュリアスはその習慣を好まない。クラヴィスは聖地にいた頃から吸っていたが、あまり目くじらをたてることなく今まで来てしまった。一度だけ、タバコは体に良くないからやめろと言ってみたことがあったが、当時クラヴィスは言ったのだ。
「体に毒が回る感覚が…何と言ったらよいのか…心地良くてな」
毒が心地良いなどというそなたの気が知れぬとジュリアスはあきれて、その話はそれきりになっていた。
あの頃すでにふたりは親密な仲だったが、いずれ別れる時が来るという思いが一線を引かせていた。いかに親密であっても生涯を共にすることはない。ならばそれなりに距離を保って、相手の人生に立ち入り過ぎないようにという遠慮めいたものがあった。だからタバコが体に悪いと思っていても、きつく止めたりはしなかったのだ。
そして、ふたりがほぼ同時期に退任することが決まったときにクラヴィスは言った。
「ずっとお前と暮らせるのならば、煙草はやめる」

確かにクラヴィスはジュリアスの目の前でタバコをくゆらせることはなくなった。その回数も、クラヴィスの言う通りせいぜい週一くらいに落ち着いていることをジュリアスは知っている。「やめる」という約束は守られていない。共に暮らし親しく接していれば、何となくわかるものだ。頬に触れる指からタバコの匂いがしたりする。気がついてはいても、目の前で吸わないクラヴィスを咎めることをジュリアスはしなかった。ひとつには、現在のタバコがまったくの無害であるということもある。体に害のあるものでない以上ジュリアスはそれを禁止する必要を認めなかったのである。
だが気になることはある。目の前でうまそうにタバコを吸う男に聞いてみたくなった。
「以前、『毒が回る感覚が良い』というようなことを言っていたな。その煙草には毒はないのだろう? だとすればそなたにとってその煙草は意味がないのではないか」
煙に目を細めながら、クラヴィスは言った。
「これだから物覚えのよい男は疲れる…」
「はぐらかすな」
携帯灰皿で火を消して、クラヴィスはジュリアスを見た。
「最初に一服した時の一瞬の浮遊感がな…この無害な代物でも味わえる。毒の有無は関係ない」
「……そんなものか?」

実のところ毒の有無は、かつては関係があったかもしれなかった。あの頃の自分を振り返ってみて、クラヴィスは思う。病のない聖地でタバコをあえて吸っていたのは、清浄すぎる地への反発からだったかもしれない。自分を縛る聖地に対するはかない抵抗だったのかもしれない。そして、ジュリアスを生涯の伴侶と心に決めてもそれが実現する可能性がほぼゼロであることに絶望していて、緩やかな自殺を試みていたのかもしれない。
体を大事にしてジュリアスのいない人生を長く生きたところで、どうだというのか。過激な手段を使ってまで死のうとは思わない。だが本当に、体のことなどどうでも良かったのだ。ジュリアスにタバコの害を説かれても、聞き流すふりをした。聖地そのものが清浄であっても、タバコが体を侵すのは止められないだろう。この毒がいずれ聖地から出たときに早めに自分を死なせてくれれば、ジュリアスとの別れの悲哀を味わう時間が短くて済む。

「やめると言い出したのはそなたではなかったのか」
「確かに…言ったな」
クラヴィスはほのかに笑った。
「自分から言っておいてなぜやめない?」
「お前が私の喫煙を止めたかったのは、体に悪いということだったからであろう? 今手に入るものは、お前も知っての通り人畜無害だ。ならばあえてやめる必要もないかと思った」
「ではそう宣言して、堂々と吸えばいいではないか」
「そこはな…やはり約束した手前というものがある」
クラヴィスはまた笑った。
「だがこうして吸っていてもお前は怒らないのだから、これからは堂々と吸うことにしようか」
「まったく……」
ジュリアスは、「体に毒が回る感覚が良い」とかつてクラヴィスが言った時と同じように、呆れたような笑みをこぼして、
「困った悪癖だ」
と言い、クラヴィスの耳を引っ張ると唇を近づけてささやいた。
「くちづけの前はやめてくれ。匂いが残っているのは好かぬ」
それを聞いてクラヴィスがふざけてキスしようとしたが、場所をわきまえよと即座に拒否された。

匂いが残る、とジュリアスは言った。つまりはこれまでにもそういうことがあったということで、それが聖地にいた頃であったのか今の生活でなのか、今の言葉からは判然としない。が、ジュリアスはあの約束が破られていることを知っていて黙認してくれていたのだろうかとふと思った。

ジュリアスがこうして傍らに寄り添っていてくれる限り、毒で体を痛めつける必要はない。だがこの煙草は毒ではない。
止めるべきか止めざるべきか。

タバコを吸う理由とも言えないような理由がなくなっていることに今更のように気づいたクラヴィスはしばし迷って、手持ちの一箱がなくなったときに次を買うかどうか考えよう、と問題を先送りにした。

けれども――おそらく自分はまた、この偽物の毒を買うだろう。
そしてわずかばかりの罪悪感と共に、ジュリアスに隠れて吸うことだろう。
ジュリアスはそれに気づいていても、おそらくこれまで同様に黙認してくれるのだろう。
いつの日か、もしもジュリアスが先に逝くようなことがあったなら。そのときには、本物の毒をあおりたい気分になるのかもしれぬ。


066. 壁 -学生時代5-6-
※「050. 日常」の続き。

クラヴィスが三週間ぶりに連絡してきた翌日の夕刻、大学の講義棟から出てくるジュリアスの姿があった。他の学生たちと談笑している。
「そう言えばクラヴィスさんて、まだ旅行中?」
「何か連絡ありました?」
ふわりと微笑んだジュリアスの表情がやたらときれいで、尋ねた学生は息を呑んだ。

なんだよー、今の。
ジュリアスさんがキレイなのはいつものことじゃん。
何ドッキリしてんだ、俺!!

「昨日、これから帰ってくるとメールがあった」
「そうなんですか」
「じゃあさっそく女子に声かけて一緒に晩メシ!」
ジュリアスは苦笑した。
「それが……今から帰るというだけでいつとも言って寄越さぬ。三週間留守にしてこれから帰るということは、同じだけの日数を待つ心積もりでいたほうが良いかもしれぬと思っている」
クラヴィスがまたどんな気まぐれを起こすか、予測がつかない。気が向けば寄り道するかもしれない。子どもだった頃、花や木や虫に気を取られていたように。だがわざわざ「帰る」と言ってきたからには、少なくとも首都方面に足を向けたはずだ。往路と復路で同じだけの時間がかかると仮定して、帰りつくまでの時間を最大限三週間と見積もった。
「えー!? じゃあ三週間?」
「三週間後とは限らぬ。三週間のうちには戻るだろう」
「そのメールって、あと何日とか、何曜日には帰るとか、そーゆーの一切なし?」
「ない」
「ジュリアスさんて、すんごいきっちりした性格なのに、そんなテキトーな連絡でよく納得できますね」
「もう慣れた」
出て行ったときの書き置きだって、かなり「テキトー」だった。それを「クラヴィスにしては上出来」なんて評価してしまうくらいには、クラヴィスの適当さに慣らされている。
本音では一刻も早く無事な顔が見たい。帰ると連絡を受ければ、今日か明日かと気持ちは逸る。けれども長年クラヴィスという男を見てきて、彼の「今から」「すぐに」などという言葉がどれほどあてにならぬかは知っていた。
だから過度な期待はしない、それが自分の心に波風を立てないために必要であることもよくわかっている。
「……クラヴィスさんって」
「もしかして、計画性ゼロ?」
ジュリアスは無言の微笑で答えた。言ってみればその通りなので、笑うしかない。
「おい失礼だろ。よく知りもしない人のこと」
「いや、かまわぬ。当たっている…」
突然の声に、ジュリアスを中心とした数人のグループが立ち止まった。目の前に、噂の当の本人が笑っていた。
計画性ゼロ発言した学生は、長身、黒髪の男を見上げて硬直。クラヴィスは別に彼のことなどにらんでいなかったが、蛇ににらまれたカエル状態で冷や汗ダラダラだ。
「クラヴィス」
青い瞳が大きく見開かれた。その瞬間のジュリアスの表情が泣き出しそうに見えて、クラヴィスは思わず手を伸ばして自分の胸へと引き込む。しっかりと抱きしめて豊かな金髪に顔を埋め、「ただいま」とジュリアスの耳にだけ届く小さな声で言った。いきなりの大胆な抱擁にあたりはざわめいたが、周りの状況を気にするようなクラヴィスではない。そしてまた、抱きしめられた方もあわてず騒がず、顔色も変えずに周囲の学生に説明した。
「クラヴィスのこれは子犬がじゃれついているようなものだ。気にしないでくれ」
何だ、泣くかと思って抱きしめたのに。
クラヴィスは吐息だけで囁く。
「『おかえり』もなしで犬呼ばわりか…。私はどこかの赤毛の忠犬とは違うぞ」
不満そうな声に笑って、おかえり、と囁き返して、
「わかったから放せ。いつまでこうしているつもりだ」
と自分を抱く男の背中をあやすように軽く叩きながらジュリアスは言った。
これが10年、いや5年前でも、ジュリアスは真っ赤になって「いきなり何をする!」と叫んで突き放したり、「ろくに連絡も寄越さず今までどこに行っていたのだ!」と叱りつけたりしたかもしれない。意外に余裕のある反応に、伊達に年は取っていないということかと微笑が浮かぶ。こんなジュリアスを相手にこれ以上ダダをこねてみても面白い反応は返ってきそうにない。だから黙って言うとおりにした。
「思ったよりも早かったな。帰りも三週間かけるかと思って、今も皆とそう話していたところだ」
「今から帰るとメールしておいて三週間は、さすがにない」
クラヴィスは笑った。
「一体どこまで行っていたのだ」
「それはまた後で」
もともとジュリアスを囲んでいた学生たち、会話に口のはさみようもなくぼーっと目の前の二人を見ていた。
「ああ皆、すまぬ。食事の件はまた近々ということで、今日は帰ってもかまわないだろうか?」
「あ、どうぞ」
「俺たちにはおかまいなく〜」
手を振ると、二人は行ってしまった。

「……あー怖かったー。悪口ってつもりじゃなかったけど、うっかりしたこと言えないなー」
「『計画性ゼロ』? 別に、だいじょーぶなんじゃ? 笑ってたじゃん」
うなだれる学生を友人が慰める。
「ちょっと運が悪かっただけだよ。気にすんなって」
運のない友人には悪いが、それを言ったのが自分じゃなくてよかったという安堵も手伝って、慰める方はお気楽なものだ。
「そう、かな?」
「だいじょーぶだって! お前、気にしすぎ!」
「にしてもさー、あの人たちって」
「やっぱ変わってるよなあ」
「『子犬がじゃれついてる』ってジュリアスさん言ってたけど」
「子犬じゃないな、絶対」
「あの人を『子犬』なんて思えるのはそーとー特殊な神経だぜ」
「コンパの時だってめーっちゃ怖かったもんな」
「そこに立って笑ってるだけで威圧感バリバリでさ」
「いくら顔がキレイでも、どっちかっつーと猛犬注意の部類な気がする……」
「イヌ科よりはネコ科って思わねー?」
「ネコ科の猛獣か」
「黒豹とか?」
「そーそー、そんな感じ」
「二人してミョーに威厳とか迫力とかあるしな」
「幼なじみだっていうから、子どもの頃からずっとお互いあのキレイな顔突き合わせてるわけだろ。人の外見の判断基準がおかしくなっても仕方ねーのかもよ」
なんだか毒気を抜かれて、そんな会話を交わしながら彼らも歩き出した。
ジュリアスはいい人だと思う。大学で友人を作りたいのだと言っていた。入学以来遠巻きに見ていた彼とおっかなびっくり交友が始まって、今では毎日のように言葉を交わすようになった。それでも尚あの二人と自分たちとの間に、見えない壁を感じる。

彼らがそろって俳優かモデルかという整った容姿だから?
年が上だから? それでもまだ青年の範疇に入る彼らの、年に似合わぬ落ち着きぶりが普通ではないから?
一人ずつでも十分に存在感がある人間が二人そろったら、ますますうかつには近寄れないような。 まるで目に見えないバリアではね返されるような、一種異様な感覚を覚える。
その二人と同席して食事……。ジュリアスにはだいぶ慣れたけど、クラヴィスとは話したこともない。わけのわからない威圧的オーラ出しまくりの彼を前にして、食べ物がのどを通るだろうか。
元気な女子たちにうるさく言われて誘ってはみたけど、大丈夫なのか、俺たち?
「なあ」
「ん?」
「今度はクラヴィスさんも一緒にメシ食うわけだろ?」
「……うん」
「どーする?」
「どーするって……呼ぶしかないだろう。ジュリアスさんにもお願いしちゃってるから」
「俺こえーよー……」
計画性ゼロ発言学生、まだダメージから脱しきれていない。
「女子が呼べって言ったんだから、クラヴィスさんのことは女子に任せりゃいーじゃん」
「あ、そーか。お前アタマいいな」
「ふふん、どーよ」
「そもそもあの人が誘いに乗るかどうかもわかんねーし」
「だよな!」
「ジュリアスさんの友達なんだから、悪いヒトじゃないだろーし」
「だよな」
「コワイけど」
「……だよな」
なるようになる、と学生たちは今後のことをそれ以上思い煩うのをやめたのだった。
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