お題的掌編


故郷

長く暮らした館の一室を見回して、クラヴィスはため息をついた。長かった20年余りの歳月も、これで終わりなのだ。全ての引継ぎを済ませて正式に闇の守護聖の任を解かれ、明日この地を発つ。
女王や守護聖との最後の別れの式は今日済ませた。明日は見送りはいらぬと言ってある。聖地を出てからの一応の落ち着き先は決まっており、大して多くもない私物は既にその住所へと送った。あとは身の回りの品だけ持って出ればよい手はずになっている。

嫌だと思っていた聖地での暮らしも、ジュリアスと心を通わせるようになってからは瞬く間に過ぎた。ここから永遠に去ろうとしている今、心に残っているのはあたたかな思い出ばかりだ。
自分にとっての故郷はこの地になってしまったのかもしれぬと、奇妙な感慨を覚えた。クラヴィスの知る聖地には常にジュリアスがいる。聖地が故郷になったのではなく、ジュリアスがいたからこそそう感じられるのかもしれない。あれほど戻りたかった、生まれ故郷の惑星へはもう帰らないと決めた。あの星を出てから、時が経ちすぎた。いずれ一度は訪れてみようと思っているが、そこを終の棲家とする気はもうなくなっていた。戻ったところで自分を出迎えてくれる肉親があるわけではない。ならばどこで暮らそうと同じことだ。
待っていてくれる人のいる所に行けばよい。

今宵が一人寝の最後の夜だ。
明日はお前に会える。
お前のいる場所が私の居場所、私の故郷だ。


よりみち

執務を終えてから、徒歩でふらりと宮殿を出た。何となく、夕日の沈む様を眺めて歩きたくなったからだ。気が向いたのでそのまま森の湖まで行き、湖面に月影が揺れるのを眺めていた。何だか館まで帰るのが面倒になって、寒い季節でもなし、このままここで夜明かしをしてもかまわぬか、などと思い始めた頃。
草を踏む音が聞こえて、そちらに顔を向けた。相手の姿を目にする前にジュリアスだと悟っていた。まだ執務服を着ているところを見れば、館に戻った後の夜の散歩というわけでもなさそうだ。彼が平日の夜にこんな場所を訪れるのは珍しいのではないだろうかと思い、声をかけた。

「いま帰りか。こんなところへ来るなど、どういう風の吹き回しだ? もう大分遅いぞ」
「帰る途中、何となく立ち寄りたくなってな。そなたがいるとは思わなかった」
「馬車は使わなかったのか」
「最近はときどき歩いて帰る」
「…それは知らなかった」

歩いて帰るだけでなく、目的地以外の場所に足を伸ばす。それができるだけの時間の余裕ができたということか。以前の彼ならば、そんなことは考えもしなかったろう。なるべく時間のロスが少ないよう、移動中でも書類に目を通したりできるよう馬車を使っていたはずだ。ふらふらと歩き回るなど、時間の無駄以外の何物でもない。首座がするべきこと、考えるべきことは山のようにあって、その他のことが入り込む余地はほとんどなかったはずだ。
そんなことを思いながら、隣にきて腰を下ろしたジュリアスを眺めていた。そのまま何となく二人で湖面を眺めながら座っていた。

何がきっかけだったのか、ふと空気が動いた。
「そろそろ…」
「…帰るか?」
クラヴィスが言いかけた言葉の後をジュリアスが引き取り、顔を見合わせて微笑を交わす。
「そうだな。少し空腹にもなった」
「そなたの口から空腹などという言葉を聞くとはな。せっかくだから私の館に来ないか。軽い夜食程度でよければ出せると思う」
「急に行ったりして、迷惑にならぬか」
「ああ、かまわぬ」
「では…行こうか」
立ち上がり、二人は並んで歩き始めた。歩きながら触れ合った手を思わずクラヴィスがつかむと、ジュリアス驚いた顔をした。
「何だ?」
「このまま…つないで行ってもかまわないか?」
「私は別にかまわぬが……人に見られたら何とする」
少し困ったような声音だった。
「大丈夫だ、こんな夜遅くにめったに人と会うものではない。万が一出くわしても、手をつないでいるかどうかなどわかるものか」
「そうだろうか」
「たとえ見られたとして、それが何だと言うのだ。別に大げさに騒ぎ立てるようなことでもなかろう…気にするな」

確か子どもの頃ときどきこうして手をつないで歩いたな、と笑い、大人になってからするのも妙なものだ、などと言い合いながら、握り合った手をどちらも放そうとはしなかった。


恋の日

-2008七夕企画-


守護聖9人を集めて、女王陛下が高らかに宣言した。
「新たな記念日を制定したいと思います。7月7日を恋の日と決めます!」

しーーーーーーーーーーーーーーーーん。

ひたすらに沈黙。
凍りつくような沈黙。

「あらっ? みんな、気に入らなかった?」
女王陛下的には予想外の反応だったらしい。その上ロザリアににらまれて、小さく舌を出す。
「陛下、わざわざ守護聖たちを謁見の間に集めたのは、これだけのためですか」
「ええそうよ」きゃぴりん♪
「大事なことだとおっしゃるから緊急招集致しましたのに」
補佐官はため息をついた。
「こんなことのために全員を集めなくても……」
「だってだって、聖地にいる人たちって恋愛適齢期の人が多いのよ。守護聖のみんなだってそうだし! 恋のひとつもしなきゃ」
「さすがだぜ、お嬢ちゃん。恋は大切だ」
と呟いたのは、言わずと知れた炎の守護聖。
「オスカー、控えぬか」
と制したのは、もちろん首座である。
「これは失礼を」

女王陛下のお言葉を受けて、首座はおもむろに口を開いた。
「恋の日なるものを定めて、具体的にはどうなさりたいのですか」
「みんなが恋をしてくれたらいいな〜って♪」
「陛下のお声がかりで恋の日を制定したところで、その日に恋が発生するとも限らないと思いますが」
「そんなことないわ。きっかけは大切よ。うふ」
「それは聖地だけのことではなく、当然外界にも適用されるのであろう?」
珍しく口出しをしたのは、闇の守護聖だった。
「多分そうなるわね」にこにこ。
「結局のところ、ホテルやレストランや小売業者を儲けさせるだけではないのか」
「はぁそうですねえ〜。便乗商法は山ほど思いつきますねぇ」
「クラヴィス様……案外下世話なことにも通じていらっしゃるのですね……」
「いいじゃん、恋の日☆ いろんな記念日があるんだから、ひとつくらい増えたってかまわないんじゃないの」
「俺は最初から諸手を挙げて賛成だぜ」
「みんな賛成してくれたところで、恋の日について説明しますね」

別に全員が賛成したわけではないのだが、女王陛下は恋の日を諦めるつもりはさらさらないようだ。何しろ恋愛シミュレーション世界の女王陛下だ。恋は何より大切なのである。
「この日は必ず意中の人に声をかけること。みんな、お茶でもお食事でもいいから、好きな人と一緒に素敵な時間を過ごしてくださいね!」
「って言うけどよー、そんな相手のいないモンはどーすりゃいーんだよ?」
「7月7日って、あさってじゃない。そんな急にむりだよ!」
「だよなー、ははっ」
「ちょっと好きだなとか、感じいいなとか思う女の子ぐらい、いるんじゃないの? 恋人と過ごしてねってことじゃないの。そりゃもちろん、恋人がいる人はその人と仲良くしたらいいけど、たとえばお茶に誘うのが恋のきっかけになれば、それでいいんじゃないかな〜♪」
集っている場所は謁見の間だというのに、何だかもうすっかりお茶会のノリになっている。
「おめーはどーするつもりなんだよ」
「ま、いいじゃない、私のことは」
にーっこり、笑ってごまかす女王陛下である。
「とにかくそういうことに決めたんで。みんな、7月7日はがんばって好きな人を誘ってね!」


+ + +


さて7月7日、恋の日当日がやってきた。
何とも急な記念日設定だったが、女王陛下のお決めになったことなのでその話は聖地中にしっかりと浸透していた。
おかげでこの日カフェテラスは大盛況、店の者は自分たちの恋はそっちのけで、他人の恋のサポート役に徹するしかない状態だ。公園も美術館も、図書館さえもがカップルであふれている。聖地にはこんなに人がいたのかと驚くほどの人出だ。何しろ女王陛下からのお達しで、「なんたって恋の日なんだから恋が最優先、お仕事はほどほどでいいわよ♪」ということになっていたのである。

そして気になる守護聖たちの動向はと言えば。
炎の守護聖、夢の守護聖あたりは女連れでどこかに雲隠れしてしまった。「恋の日を恋のきっかけにする」なんて生易しいことでは済ませないのがこの二人だ。研究者気質の地の守護聖は執務室でかび臭い書物を相手にしているかと思いきや、なんと補佐官様と図書館デート、けっこういいムードだったりする。「恋の日、なんて……どうしましょうね」と悩んだリュミエールは、かねてからほのかな想いを寄せていた図書館司書の物静かな若い女性に声をかけて、首尾よく大盛況のカフェテラスカップル達の仲間入り。
そして年少組。ゼフェルは開発中の女性型アンドロイドと工作室に閉じこもり、マルセルはウサギさん(推定性別♀)と遊ぶことでお茶を濁していた。そんな中で、ランディは宮殿を抜け出した女王陛下と森の湖でデートという快挙を成し遂げた。
……とまあ、こんな具合にそれぞれ充実した恋の日を過ごしていたわけであったのだが。

聖地中が恋に浮かれているそんな日でも、ジュリアスは執務室にこもって相も変わらず書類と格闘中である。女王陛下のお言葉に逆らいたいわけではないし、恋する相手がいないわけでもない。ただその相手というのが公表をはばかられる人物なので、仕事にいそしむほかないというのが真相だ。こんな日に声をかけるところを誰かに見つかったりしたら、それこそ目も当てられないことになる。
幸いなことに首座が仕事をしていても、それがたとえ女王の提唱した「恋の日」であっても、「まああの仕事人間の首座のことだから」と誰も不思議には思わない。よって執務三昧の一日となった。何しろこの日は女王陛下の意向もあり、宮殿の中でも仕事をしている人間は少ない。急な仕事が飛び込んでくることもなく、むしろ落ち着いて取り組むことができるとジュリアスは山と積まれた書類に次々に目を通し、必要なサインをし、と常に変わらぬ首座ぶりだ。ひたすら仕事をしているうちに、にわか記念日の「恋の日」のことはすっかり失念していた。

そうしてどれほど仕事に没頭していたか自分でもわからなくなった頃。扉をノックする音が響き、彼は書類から顔も上げずに入室を許した。
「入れ」
入ってきたのはトレイを持ったギャルソン。
「コーヒーをお持ちしました」
「コーヒー?」
とジュリアスは眉をひそめ、「頼んだ覚えはない」と言いながら顔を上げ、相手を見て驚愕した。何だか声に聞き覚えがあると思ったら。
「その格好は何だ、クラヴィス」
「ほんの出来心…いや変装、と言ったほうがよいか」
長い髪は後ろで束ねて、どこから持ってきたものかギャルソン服に身を包みご丁寧にエプロンまでしている。
「わざわざ着替えたのか」
「意外に似合うだろう。お前のことだ、どうせ根を詰めているのだろうと思ってコーヒーを淹れてきた」
「それはすまぬ」
「女王陛下の意に添うためには、今日はお前に声をかけて共に過ごさねばならぬようだからな」
と言いながら、書類を避けてカップを机の上に置いた。手馴れた仕草についにジュリアスは吹き出した。
「確かに似合う。惚れ直した。再就職先はカフェテラスなどどうだ」
「…フッ」
「だが……その姿を人に見咎められはしなかったか」
少し心配そうに問う声に、
「コーヒーを運ぶ男の顔など、誰も注視しない。お前のところの事務官でさえ気づかなかったぞ」
とクラヴィスは平然としたものだ。
「ひと休みしたらどうだ」
「そうだな、せっかく淹れてきてくれたのだ。少し休憩を取るか。そなたも適当にかけてくれ」
クラヴィスの変装に、一気に非日常へと誘われて何やらこちらの気持ちも浮き立つ。確かに記念日という名のイベントも捨てたものでもないのかもしれぬ、とジュリアスは思った。
「エスプレッソの方が良かったのだろうが、さすがに大食堂の厨房にあるエスプレッソマシンを借りに行く気にはなれなかったのでな。手近なもので済ませた」
「いや、かまわぬ。わざわざこうして来てくれただけで嬉しい。……ところでそなたの分はないのか?」
「ギャルソンが首座殿と差し向かいでのんびりとコーヒーを飲むわけにもいくまい」
言いながらも、ソファで寛いでいる姿は怠惰な闇の守護聖そのものだ。
「これほどに気づかれぬものなら、ときどき着替えて忍んでこようか」
とクラヴィスは笑った。
闇の守護聖がギャルソンの格好をしているとは誰も思わない。人の記憶なんていいかげんなもので、闇の守護聖の正装とかアメジストのサークレットとかいうわかりやすい記号がなければ、クラヴィスであるとは案外気づかれにくいものなのである。
「コーヒーを運んできた男がいつまでも出てこなかったら、それこそ不審がられよう」
「それもそうだ。では次は何か長居しても不審を抱かれぬ格好で…」
「執務中に遊ぶな。今日は特別だということを忘れてはならぬ」
などとしばし軽口を交わし一杯のコーヒーを分け合い、仕上げに熱烈にして濃厚なキスをして、筆頭守護聖たちもきっちりと「恋の日」イベントをこなしたのだった。

後日、他の守護聖に「ジュリアス様はどう過ごされたんですか?」なんて訊かれて、「想像に任せる」なんて答えて、「ジュリアスはずっと仕事に決まってんじゃん!」なんて言う声が上がったりして。
そんな様子を「フッ」と笑って見てる男がいたりなんかもするけれど。
「クラヴィスはどーせ居眠りしてる間に一日終わっちゃったんでしょ」
「ルヴァ様だってロザリアとデートしてらしたんですよ!」
「それに引き換え、ジュリアスもクラヴィスもすっかり枯れちゃってんだから! 聖地暮らしが長すぎるせいかな」
なんて茶化されたりしたって構いはしないのだ。
誰に知ってもらわなくても、二人が「恋の日」を存分に楽しんだのは事実。そして、秘密の恋はことさらに甘く感じるものだから。


恋の日の夜

-2008七夕企画おまけ話-


女王陛下自身や守護聖たちも含めて聖地中が恋に浮かれた恋の日、傍目からは執務三昧と見えていた首座だったが。その彼も実は執務時間中に思いがけず恋人の訪問を受けて、恋の日イベントを楽しんだのだった。そうして彼としては珍しくほんわかとした気分が持続したまま、館に戻った。
クラヴィスの短い訪問があった以外は飛び込みの仕事もなく、目の前の書類を片づけることに集中できたため、これまた彼としては珍しいことに定時を少し回ったあたりで帰ってきている。しっかり働いた充実感に加えて、思わぬハプニングに心踊り、良い一日であったと振り返ることができる日はそう頻繁にあるわけではない。ジュリアスの執務の最中に起こるハプニングは良いものではないことがほとんどだ。いつになく心楽しく終わった一日に満足感を覚えながら、いつもよりも早めの晩餐を終え、ゆっくりと入浴してもまだまだ夜は長い。これほど寛いで過ごす平日の夜というのもなかなか乙なものだと、非常にいい気分でブランデーのグラス片手に本を手に取った。読み進めるうちに夢中になってしばし時を忘れた。コンッという小さな物音がするまで。

気のせいだろうか。

目を上げて、音がしたと思われる窓の方を見た。するとまたもコツンと何かが掃き出し窓に当たったので、立ち上がってバルコニーへと続くその窓を開けた。外へ出て見下ろすと、黒い人影。クラヴィスだった。
「そなたか。今宵は特に約束もなかったはずだが」
何しろ今年の7月7日は月の曜日、週明け早々から恋人と夜を過ごそうなんていう約束をジュリアスがするはずがない。
「恋の日だからな。恋人の顔を見に来た。上がってもかまわぬか?」
さほど遅い時間ではない。訪問者に門前払いを食らわすほどジュリアスも無情ではなかった。って言うか。恋人の訪問を素直に嬉しく思った。
「せっかく来たことだし、それはかまわぬが」
外階段から二階に上がってきたクラヴィスを、ジュリアスは部屋へと招き入れた。扉を閉めた途端に抱きしめられて胸元に顔をうずめられ、くすぐったいと文句を言えば、
「いい匂いだ…湯上りか…」
とガウンの前を開かれて、いささかあわてた。
「一体何を……」
言いかけると、首筋に唇を這わせて不埒な真似をしかけていた恋人が顔を上げた。人の悪い笑顔で言う。
「昼のコーヒーの代金をもらいに来た」
「……え?」
「くちづけひとつでは煽られるばかりで全く足りぬ…もう入浴を済ませているのならば好都合」
言う合間にも、本日二度目、三度目のキスを続けざまに受けて、カッと体が熱くなった。
「どういうことだ」
「せめて先に湯を使わせろなどという時間稼ぎの台詞も役に立たぬ」
「時間稼ぎ……とは?」
「コーヒー代は別のサービス提供でということで手を打とう…フッ…ずいぶんと高いものについたな」
待ったなし。
「…あっ…」
と言う間にベッドに押し倒されていた。

執務室のキスの続きは寝室で。
昼間のクラヴィスの趣向のおかげでとてもほんわか、ふんわりとした気持ちで終わるはずだった恋の日は、いきなりアダルトへとなだれ込んでいった。



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■BLUE ROSE■