now i lay me down to sleep


1. 最後の願い


ほしかったものは、光。


望んではならぬものを望み、その現実から目を背け続けるのには疲れた。
ここから解き放たれる時を待つのにも疲れた。
私はもう充分に待った。
どれほど望んでも、待っても、私の望むものは決してこの手に入らない。
だからもう何も望まない。

今の私が唯一望むのは……永遠の停滞。
人はそれを死と呼び、恐れるのかもしれぬ。

生きている人間は死を体験したことがないがゆえに恐れる。
私自身も死を体験したことがあるわけではない。
だが慣れ親しんだこの停滞とどれほどの違いがある?
淀んだ時間の中で生かされ続けることは、死と大差ないではないか。
今さら恐れるものなどない。
私をこの地に縛りつけている器から逃れることが最後の願い。

美しい容れ物に入れられて、見えない鎖で縛られる。
豪奢な衣装と装身具に飾られ数多の人間に傅かれ神のように崇められながら
引き延ばされた生を生きることを余儀なくされ
その長い時間をただ奉仕するために生きる存在。
宇宙に捧げられた生け贄。
それを女王と呼び、守護聖と呼ぶ。

その檻から逃れたい。
自由になりたい。
私は私でありたい。
私としての生を生き、それを全うしたいだけなのだ。
手っ取り早くここから解放される唯一の手段が死であるならば

死はきっと甘い。


+ + +


きっかけはほんのささいなことだった。
月の曜日の定例会議に少し遅れて出席した。会議の途中に滑り込んだところをジュリアスににらまれ、注意を受けた。それをいつものように鼻であしらって険悪なムードになったのをいつも通りにオスカーとリュミエールが取りなして、それで終わるはずだった。
だがその日に限ってジュリアスの追及は厳しく、それに対するクラヴィスの態度もいつも以上に頑なで、対するジュリアスの言葉は次第に厳しくなり、ついには普段なら決して言わないようなことを口にした。
「そのような筆頭守護聖は要らぬ」
ことさらに大声を出すでもなく静かに放たれた氷の刃のような言葉に、座がしんと静まりかえる。首座は仕事には厳しいが、個人を否定するようなことは言ったためしがない。ジュリアスは言ってしまった言葉にはっとしたように口をつぐんだ。クラヴィスは表情を変えることはなかった。凍りついたように自分を見つめるジュリアスからふいと目をそらすと、「要らぬのならば、私は帰る」言うなり席を立った。後を追おうとしたリュミエールをお前までが会議を抜ける必要はないと押し戻し、会議室から出ていってしまった。
ジュリアスはクラヴィスの出ていった扉をしばし見つめていたが、ゆっくりと視線を机の上へと戻し、書類を手に取ると会議の続行を宣言して何事もなかったかのように残りの議事を進めた。最初はざわついていた一同もジュリアスの凛とした声に導かれるままに会議に立ち戻り、筆頭守護聖の一人を欠いたままその日の会議は終わった。

クラヴィスは会議室を出たその足で私邸に戻っていた。執務室にこもることすら放棄して館に逃げ帰った。まさに「逃げた」のだ。
その日の言い争いは少々度が過ぎていた。常に食い違いを見せながらそれでも衆目の前でとことん争うということはそれまでなかった。筆頭二人の言い争いが長引きそうだと見て取ればオスカーとリュミエールが割って入り、時にルヴァの助言があり、何度か言葉のやり取りがあって頃合を見たオリヴィエの軽口が入り、何となく収まる、そのようにして日々繰り返されてきた同じ儀式。
ところがその日に限っては双方がどこまでも譲らず、誰のいさめも助言も効を奏すことなくクラヴィスはジュリアスを小ばかにしたような態度をとり続け、ジュリアスが糾弾し続けたのは、クラヴィスの気分が影響していたのかもしれない。もううんざりだ、という彼の態度が歯車を狂わせたかのように際限なく諍いは続いて、二人の間に決定的な亀裂を生んだ。

「そのような筆頭守護聖は要らぬ」

その言葉が耳について離れない。
クラヴィスは好きで筆頭守護聖でいるわけではない。要らぬと言われて辞められるものなら辞めてもよい。だが光の守護聖が首座であることが伝統的に決まっているのと同様に、光と闇の守護聖が筆頭を務めることもまた決定事項だった。サクリアが尽きるまで、もしくはそれ以前に死ぬまで、クラヴィスは闇の守護聖であり筆頭守護聖であり続けなくてはならなかった。たとえそれがクラヴィス、ジュリアス双方の意に染まぬことであっても。
宇宙を守るためにジュリアスがこれまでどれほど一人で駆け回ってきたか、クラヴィスとて知らないわけではなかった。むしろ誰よりもよく知っていると言ってよい。本来なら自分がその任を分け合うべき立場であることも承知していた。首座を補佐するようになった炎の守護聖に、働かぬ、使えぬ筆頭と忌々しく思われていることも知っている。だがジュリアスが自分のように生きられないのと同じく、自分はジュリアスのようにはなれない。ジュリアスの望むようには動けない。
……つまり……好きな相手一人喜ばせてやることもできぬということだ。
何がジュリアスの気にさわるか、どう動けばジュリアスが満足するか。それを見て取るのはたやすいことだった。しかし、二人の関係を改善する方法がわかっていながら、決してそうは動かない。それが自ら選んだ道だ。そんな自分をジュリアスが嫌うのは仕方のないことだ、とクラヴィスは自嘲した。

要らぬと言われるのも、疎まれ、嫌われるのも当然。
それだけのことを私はしてきた。そう仕向けてきたと言ってよい。
あれに嫌われているのだと認めるのは胸が痛い。
だがそれは事実だ。

心底疲れ果てた、そう思った。何もかもが億劫になった。それは、死にたいという積極的な意志とは違っていた。死のうとしたわけではない。自ら命を絶つ、それすらも億劫だった。ただ、いつにも増して全てが、この聖地で生きるための全てが面倒に思えたのだ。
息をするのさえ。
何もしない、何も考えない存在であれたらどれほど楽だろうかと思い、せめて夢も見ない眠りをねむって自らを無にしたいと願った。考えたところで詮無いことを考え続けるのが億劫だった。失ったもの、決して手に入らないもの、そういったものにばかりこだわっていることに、いいかげん嫌気がさしていた。

幸せだった頃もあった。
足りないものばかりの生活の中、あふれるほどの愛情を注がれて生きていたあの頃。
母に抱かれて眠る夜は暖かかった。
それを幸せだと意識することもなく。
眠りの後にやってくる新たな日をひたすらに生きた。
生きていく、それだけで精一杯だった。
人が見れば虫けらのような生とも見えたかもしれぬもの。
だがその中で私は確かに幸せだったのだ。

私を愛してくれる母がいた。
そして母を愛する私がいた。

ただそれだけで、全てはきらきらと美しい思い出になる。
私を取り巻く世界は猥雑で喧噪に満ち生活は厳しいものだったが
それでいて優しく暖かかった。
私が私として生きていたあの頃には、生きる理由も価値もあった。

だが今の私は誰にも必要とされていない。
「クラヴィス」は誰にも必要とされていない。
そのような存在など生きていても何の価値もない。
もう……いらぬことを考えるのにも……疲れた。



2. 消失

この宇宙を静かに蝕むものがある
どれほどの者が気づいているのであろうか
研究院の集めるさまざまなデータを総合して読み取れるのは
近い将来、宇宙が破滅へと向かうであろうこと
と言うよりはむしろ、今現在まさに衰退への道を歩んでいること
長い時をかけて成長し発展してきた宇宙は、老いつつあるのだ

人が生きて死んでいくのを止めることができるか
否だ
宇宙もまた老いていずれ死ぬ運命にあるのならば
それを止める術はない
我々が懸命にしていること、それは延命措置にすぎない
だがそれでも力は尽くさねばならぬ

人の心は捨てた
そう自らに言い聞かせ、この聖地で生きてきた
厳しい状況を見据えながら
皆が生きる道を探るためにはそうする他なかった
だが捨てたいと思い
そうしたはずのものは私の中に確かに存在している

そなたの名
それは深奥の扉を開く鍵
奥底にしまい込んだものを解放する

声に出さず、そなたの名を呼んでみる

怒り
悲しみ
身の震えるような喜び
あたたかい気持ち
胸の痛くなる想い
人らしい思いの全てはそなたにつながる

誰にも気取られてはならぬ
光の守護聖で、ましてや首座である私が
この非常時に一人の人間に心を奪われているなど

私はただの人であってはならぬ
人らしい思いなど持ってはならぬ
胸に抱いた想いを知られてはならぬ
だからことさらに厳しくあたった
そうすることでそなたに憎まれようとも
これを知られるよりはずっと良い

抱えていることのあまりの重さに手放したいと願い
それでもこの心を去らなかったそなたの面影を
どうして今さら捨てることができようか
誰にも止められぬ想い
誰にも、そなたにも、私自身にも

たとえこの想いが罪であろうと
これが私


+ + +


なぜクラヴィスなのか。なぜ彼でなくてはならないのか。
それはジュリアス自身が幾度となく自らに向けた問いだった。端的に言えば、穏やかに共にありたいというのが彼の願いのすべてで、それ以上の何を望むわけでもない。この気持ちが何であるのか、いつからクラヴィスを想っているのか、はたしてこれが恋であるのかどうか、それさえもジュリアスにはわからなかった。
ただ、他の人間では駄目だ、彼でなくてはならないという確信があり、自分の願いが成就することはあり得ないことも確信していた。

二人には共有してきた長い時間があったが、友情をはぐくむには接点がなさ過ぎた。
ジュリアスは退任した者を含めて他の守護聖たちを信頼してきた。が、クラヴィスに対する気持ちはそれとは明らかに違っている。他の守護聖たち同様に信頼はしている。対立することが多くても、最終的には信頼に足る人間であると思っている。しかしそれだけではない何かのほうがずっと大きい。他の誰が個人的に何をしようが気にならないが、クラヴィスだけは別格だった。クラヴィスのことだけを常に気にかけている。
ただ一人の人間だけに向けるこの気持ちは、それでは恋なのか。それには確信が持てない。何であるのか判断ができないというのに、それをどう言って伝えたらよいのか。また仮に好意だの友情だの恋だのとその気持ちに何らかの名を与えることができたとして、相手の自分への感情が決して良いものではないこと、その一事で気持ちを伝えることを断念するには充分だ。
クラヴィスの態度を見れば聞かずともわかる。あれは私を嫌っているのだ…。
どこの物好きが好きこのんで嫌っている男を相手にするというのか。玉砕も辞さぬ覚悟で彼を求めることができるほどジュリアスは青くも若くもなかった。
何であるかわからずさりとて捨て去ることもできない不可解な想いは秘めておくしかない、そう思い定めて長い年月を過ごしてきた。その長い年月の間ずっと共に聖地にあり、日々顔を合わせながら、求めるような関係を築くことはできないままに。


会議で諍いがあった日の翌日、朝が来てもクラヴィスは目覚めなかった。闇の守護聖の起床が遅いのは周知のことなので昼近くになるまで誰も不審に思わなかったのだが、さすがに日が中天に上っても側仕えを呼ぶベルも鳴らないというのはあまりないことだったので、執事が寝室を訪れた。いくら扉を叩いても応えはない。執事はしばしためらったが結局マスターキーを使って寝室の扉を開け、そして静かに眠る闇の守護聖を見出した。あまりの静けさに息を呑む。主が普通の状態ではないことは室内の空気から察せられた。そば近くから呼んでもそっと肩に手をかけて揺すってみても目覚める気配はなく、ただ昏々と眠り続けるクラヴィスはまるで人形のように生気が感じられなかった。

直ちに医師が呼ばれ、その後首座へも連絡が行った。
「クラヴィスが目覚めないだと?」
いつものことではないかと言いかけて、いつも通りであれば自分のところに報告が来るはずもないことに思い至り、「何か不審な点でもあるのか?」と尋ねた。
「館の執事が異状に気づいて医師を呼んだそうです。心拍、呼吸数は通常の半分以下、体温もやや低くなっているとかで、普通に眠っている状態とは言えないということなのですが……なぜそのようなことになったか、今のところ原因はわかっておりません」

すぐにも飛んでいって様子を見たい、その衝動と戦いながらジュリアスは定刻まで執務を行った。眠っているというだけで、とりあえずのところ急を要する事態ではないとの医師からの報告があったからだ。報告は、ジュリアスの懸念しているより深刻な兆候には触れられておらず、自らの懸念に関しては伏せておくほうがよいと思われた。他の人間にうまく説明ができるかといえばそれは困難に思えたし、ジュリアスにしてみたところで確証があるわけではなく、自分の思い違いかもしれぬという希望的観測もあった。

その日の夕刻、定時で執務を切り上げたジュリアスは闇の館を訪れた。もしかしたら一両日中には自然に目を覚ますかもしれない、そういう期待もあって医療機関への搬送は見合わせ、クラヴィスは闇の館で点滴を受けながら静かに眠り続けている。執事は黙ってクラヴィスの寝室へと首座を導いた。
クラヴィスの目は閉ざされ、しんとした空気の中で寝息さえ立てずに横たわっていた。あまりにも静かすぎて、思わず口元に手をかざして呼吸していることを確かめる。そのままそっと頬に触れてみた。温かい。体温も低くなっていると聞かされていたが、生きた温度が感じられることに少し安堵する。確かに生きている。しかし憂慮すべきことは他にあった。クラヴィスの存在が、ない。
固く目を閉じてもう一度クラヴィスの意識を探ろうと試みる。幼い頃から、いつもジュリアスはそうしてクラヴィスの居所を探り当ててきた。聖地に来たばかりの頃、部屋から抜け出してはどこかへ行ってしまうクラヴィスを探すうちに体得したやり方だった。
クラヴィスに起こった異変についての報告を受けたときから懸念していたことを間近で確認して、ジュリアスの表情が険しくなった。通常の眠りではない眠りだから離れていてはクラヴィスを感知することができないのかもしれぬ、そう考えて不安をやり過ごしながら一日の執務を終えたが、クラヴィスを目の前にしても、触れてさえも、クラヴィスの意識を見つけることはできなかった。

やはりここにはクラヴィスはいない。これは空っぽの器だ。
いや、それは正確ではない。サクリアは満ちている。だがそれだけだ。
サクリアの入れ物としての器。人間の肉体という命ある器。
そしてその肉体の持ち主たるクラヴィスはその中にいない。
クラヴィス……どこだ?

探し出そうと意識を研ぎ澄ませるが、感じられない。聖地全体に意識を広げてみても同じだった。どこにいようと、眠りの中にあろうと必ず感じ取ることができたクラヴィスは、どこにもいない。どこに行ってしまったのか、わからない。こんなことは今までなかった。肉体そのものは生きて目の前にあるのに、それを制御すべきクラヴィスの精神が見つからない。
どこへ行ったクラヴィス、どれほど私を心配させれば気が済むのだ……。




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