good night, sleep tight


3. 恋に惑うただの人となった首座殿を相手に闇の守護聖の猛攻、果たして実を結ぶのか

着衣の上からではあったが、腰から太腿にかけてをそろりと撫でられて、ジュリアスの肌が粟立った。これは決して「気色悪い」とか「私に触れるなこの変態っ!」とかいうような感情からではなく、もちろん「何だかわからないけどキモチイイ」とか「ぞくぞくする」とかいうのがその理由だ。これ以上触れられたらどうなってしまうかわからない。未知の感覚が恐ろしくて、落ち着くために深呼吸。
ところで、念のため再度言っておくが、彼の体はまだ大仰な正装に厳重に守られている。それなのにそこまで動揺するほどに何かを感じてしまうとは、ストイックなジュリアス様はもしかしたらとても感じやすい質であるのかもしれなかった。
「自分で脱ぐから待ってくれ」
クラヴィスはさらに脚を撫でようとした手を押さえられ、頬を染めて潤んだ(ようにクラヴィスの目には映る)青い瞳で懇願されて、脱がせるのが醍醐味なのに何とも惜しいと内心に呟きながら、ジュリアスを縛めていた腕の力をゆるめた。あわてたように腕から抜け出しくるりと背を向けると、ジュリアスはごそごそと履物を脱いでもう一度寝台に入り直そうとした。クラヴィス的には「何だ、『自分で脱ぐ』と言ったくせに脱ぐのはそれだけとは…。だがそれならそれでまだ脱がせる楽しみはたっぷりと残っているというものだ…フッ…」と、期待の膨らむところである。
「その格好で寝るつもりか…」
言われてジュリアス、自分の着ているものを見下ろす。執務を終えてすぐに来たので光の守護聖の正装のまま。当然重くて固い装身具やなんかを始めとするややこしいあれこれがどっちゃりついている。かたやクラヴィス、もともと夜着のうえにガウンを羽織っていただけの姿だったのが、寝台に入る前にガウンも脱いでいる。我が身と引き比べてずいぶんと軽装である。
「…このままで何か問題があるか?」
「さぞ寝にくかろうと思うが」
この男、本当に私と共に寝る気なのか。
「………ほんのしばらくのことであろうに」
「明日は土の曜日、執務はない。夕餉も済ませたことだし泊まって行け」
「×#*%@&○◆$〜〜〜!!」
またもや闇をつんざいて男の悲鳴、というか、意味不明語による絶叫。


その後さらに紆余曲折を経て、ジュリアスは相当に身軽な格好(=正装の下に身に着けていた薄物一枚)になってクラヴィスと共に寝台の中にいた。どのような紆余曲折であったかは省略。単なる痴話喧嘩といった様相を呈していた、とだけ言っておこう。

一体何故このようなことになったのか。…いやそれはクラヴィスにそうしてほしいと言われたからであって、それはわかっている。男同士で同じ寝台に横になっているからといってそれが問題だということはなかろう…。
今まで経験はなかったが、友人の間ではこういうこともあるのかもしれぬ。←普通はあまりしません
それにしても私とクラヴィスはそもそも「友人」だったのか? とてもそうは言えぬような間柄だったと思っているのは私だけだろうか。
ついこの前までは確かにクラヴィスは私を見るのも嫌だという様子だった。この20年というもの、ずっとだ。あれは何だったのだ一体? 周囲も私たちは仲が悪いと思っていた。ルヴァなど、私たちが仲直りをしたとひどく喜んでいた。険悪な仲であったというのが私ひとりの勘違いだということはあり得ない。何がどうなって今の状況につながるのだ。どこをどう押せば「寂しい」とか「一緒に寝てくれ」となる?
いやしかしクラヴィスが目覚めてからはそれほど仲が悪いということもなく、からかわれることはあったが大体においてごく普通に話をしていたのだし…。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。またもやジュリアスは疑問の大渦に飲み込まれ、あるいは疑問の大嵐に翻弄され、まともな思考もできない状態に。
「ジュリアス、何を考えている」
腰に回された腕に引き寄せられ、クラヴィスの顔が文字通り目と鼻の先にあることに気づいてどっきり。ものすごく密着していることを全身で感じ取ったジュリアス、完熟トマト並みに顔を赤くした。体温の移った寝具は暖かく、腰に回された腕も温かい。それぞれの纏う薄い布が温もりを相手に伝え合い、それが何とも心地よくてどうにかなりそう。全身密着にのぼせ上がって、今まで頭の中で渦巻いていた疑問はすっかり消し飛んだ。そして新たな疑問が彼の脳を占拠する。
これほど他人とそば近くにいたことがあっただろうか?
天地神明に誓って、そんなことはなかった。女王陛下の忠実なる臣下、清廉にして廉直の士、光の守護聖ジュリアス様は、それはもう人間業じゃないってほどにすばらしく禁欲的に生きてきた。本人に「禁欲」という意識があったかどうかすら怪しい。禁欲というよりは無欲、そもそもそっち方面に振り向ける精力が残っていないくらいに職務大事、仕事一筋の人生だったからだ。クラヴィスへの想いが強い割には具体的にどうしたいという展望には欠けていた。光の守護聖ジュリアス様の清らかな恋は、せいぜいが顔を見たら幸せ、声が聞けたら幸せ、できればもう少し普通に話せたらうれしい、そういったあたりが望みの全てであり、人に知られちゃマズイとひた隠しにしてた割にはかわいいものだった。この数日でかなりうち解けたかもしれないけど、それこそ「普通に話すようになった」レベルだったのがいきなりのこの状況。ついていけないのも無理はない。
でも、どんなにうろたえていても、とりあえず冷静に冷静に。冷静沈着と言えばジュリアスの代名詞のひとつとも言える。伊達や酔狂で長年首座を務めてきたわけではない。どんな困難な状況であっても彼は冷静に対処してきた。今回だって大丈夫…なはずである。
「いや、特に何も。…そなたの望みは叶えた。これで満足か」
「まさか。これだけで満足するような私ではない」
何が不満なのだ。これ以上どうせよと? いつだって何に対しても関心のないような顔をしていたくせに。ここまで欲の深い男だとは知らなかった…。
クラヴィスの欲がどういった種類のものであるかわかっていないにもかかわらず、いみじくも核心を突いた感想である。愛に関してはどこまでも貪欲になれる男、クラヴィス。ただ一緒に寝るだけで我慢できるはずがない。当然狙っているのはその先だ。一方、何を求められているのかわからないままにジュリアスはため息。同時にクラヴィスもため息をついて視線をそらす。
「言葉にしても気づかぬお前には、所詮私の気持ちなどわからぬか…」
「どういうことだ」
理解力がないと言われ目をそらされる、それは有能な首座殿には屈辱的なことだった。
「あのときも好きだと言ったのに何が好きなのかわからぬと返された…」
続いて心が寒いのだとか何だとかクサい台詞を吐き、少し拗ねた風に視線をそらしたままのクラヴィスに、「あれはやはり私のことが好きだと言ったらしい」という新たな理解と、「しかしずっと険悪な仲であったのに何故?」という新たな疑問に囚われてまたぐるぐるに陥りかけたが、ぐるぐるしている暇はなかった。
「……心も温めてくれ」
その言葉と共にクラヴィスの顔面アップ、柔らかいものが唇に触れてくる。青い目が瞠られ、クラヴィスを見つめた。力いっぱい「理解不能」と書いてある目の色に困ったような顔になってクラヴィスは少しだけ唇を離し、「くちづけの時は目を閉じるものだ…」と囁く。自分の言葉に反射的にきゅっと目を瞑った顔を見て、子どものようだなと思いながらもう一度。クラヴィスの唇が触れた。何度か、軽く触れるだけのくちづけをしてやると、こっち方面に関しては恐ろしく巡りの悪い頭を持つジュリアスもようやくその気になってきたらしかった。固く引き結ばれていた唇が遠慮がちに応えてくるようになり、次第に大胆さを増してくる。いったん点った火は激しさを増して大きな炎となり、その後は長かった断絶を埋めるかのように互いの唇を貪った。

唇の柔らかさと絡み合う舌の熱さをひとしきり堪能してから、クラヴィスの唇は別の場所へとさまよい出す。
「頼むから、これは友愛のしるしか、などとまじめな顔をして私に訊くのではないぞ。友愛ではない、私はお前の全てがほしいからくちづけを交わした」
愛撫するように耳元に囁かれた言葉にジュリアスはくすぐったそうに首をすくめた。
「いくら私がこうした経験がなくとも…さすがにそれは言われずともわかる。しかしなぜ私なのだ? …そなたは…陛下と…」
青い瞳は戸惑うようにクラヴィスを見て、そっと伏せられた。長い睫毛が彼の迷いを隠す。
「それは違う。彼女とのことは恋ではなかった。これだけは信じてほしい。ずっと以前から、私がほしかったのはお前だ。お前だけだ」
お前は知らないのだろう。出会ったその時から、お前が私の光だということを。
執務室に飛び込んできたお前を初めて見たとき、あまりのまばゆさに目が眩んだ。お前にはそのようなことは想像もつかぬかもしれぬが…あの瞬間から私はお前に心を奪われた。幼かった私が恋だと自覚してのことではない。ただ、お前という存在が一瞬にして私の心に焼きついて離れなくなった。だからこそ否定されたのが悲しかった。決してお前は私を好きにはならない、そう思ったから距離を置こうとした。それでもお前を思い切ることはできなかった。
「だが…」
未だ納得の行かない表情のジュリアスに、クラヴィスは真剣な目を向けた。
「昔も今も私にはお前だけだ。私の言葉など信じられぬか?」
「そなたのことが信じられぬというわけではないのだが…」と言いながらも迷いの見えるジュリアスの頬を両手で包み、目を合わせる。
「お前が呼んだから私は戻ることができた。それが答えにはならないか。
体から離れていた間中気になっていたのはお前のことだけだった。他の何もかもがどうでもよかった。
なぜお前でなくてはならならないのか、私にもわからぬ。だが私に必要なのはお前だ」
そのクラヴィスの言葉に、今までの疑問は全て消え、霧が晴れたように自分の心の真実が見えた。

ああ、そうだった。何故と問うても答えなどないことはわかっていたことだ。
私もそなたと同じであったのだからな。
なぜなのかはわからないが、クラヴィスでなくてはならない。
それこそがジュリアスが昔から胸に抱いてきた確信だったではないか。おかしいほどによく似ている、そう思えた。

「…クラヴィス」
ジュリアスが唇を重ねてくる。青い瞳にもはや迷いはない。長い時の果てにようやく互いの傍らに居場所を見つけた二人は、くちづけを繰り返した。
触れては離れ、離れては触れるくちづけの合間に囁くのは愛の言葉。二人の心が重なって、愛していると囁けば愛していると木霊する。どちらの口から出たものであるのかもわからないほどに。
吐息とくちづけと愛の言葉に埋め尽くされた夜は静かに更けていった。




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■BLUE ROSE■