2. 愛のためには手段を選ばぬ闇の守護聖、自邸にて療養中に無謀にも「責任を取れ」と首座に迫る
女王と守護聖たちに闇の守護聖の回復が伝えられてこの件は対外的には一件落着ではあったのだが、筆頭守護聖二人に関してだけ言えば、一件落着とはほど遠い状態にあった。むしろ問題はこれからと言えた。
クラヴィスが再び目覚めてからジュリアスに話したのは「何もかも億劫になって静かに寝ていたいと思ったらああなったのだ」ということだけだった。「それだけなのか? 話すと言ったにしては簡潔すぎるではないか!」と厳しく言われても、必要なことはもう話したと言うばかりでそれ以上の詳しい話は一切ない。
クラヴィスが必要最小限にも満たないくらいしか言葉を費やさないのは今に始まったことではなかった。最早諦めの境地に達しているジュリアスは、ため息と共に追及を諦めた。諦めたというよりは、あの言葉の意味をまだはっきり知りたくなかっただけだというのが真相なのかもしれない。これ以上食い下がって何か決定的な言葉を聞かされるのが恐ろしい、そういった心理が働いたものと見える。
この二十年近くというもの自分はひどく嫌われているのだと思い込んできたのが、実は好かれているのかもしれない、というのはいわゆるひとつのコペルニクス的転回であって、そういう新たな可能性を受け入れるには心の準備期間というか助走というかとにかくそういったものが必要で、まあ要するに時間がかかる。第一自分がクラヴィスに向ける感情が何なのか、それすらよくわからない。自分の心さえも定まっていないというのに、一足飛びにその先へと進むことはできないものなのだ。
一方、目覚めたクラヴィスは、医師から念のためということでその後しばらくの検査入院を勧められた。尊い闇の守護聖様に異変があったのだから、いくら本人が大丈夫だと言ったところで、周囲にしてみればもう一度徹底的に検査をして異常がないことを確かめた上でなければ退院は許可できなかったのである。いつまでもこのようなところにはいられぬ、と勝手に退院してしまうのではないかという大方の予想に反して、クラヴィスはおとなしくそれを受け入れた。それもこれもジュリアスが見舞いに来てくれるのを心中ひそかに期待してのことで、またその期待は裏切られることはなかった。守護聖2、3人ずつが連れだって顔を見せにやってくるのに加えて、忙しい首座も自ら執務の合間に筆頭守護聖の署名が必要な書類という大義名分をひっさげて毎日病室を訪れては、宇宙の現況などについて少し話をして帰っていくのが常だった。
数日間に渡り山ほどの検査をこなしてどこにも異常がないと医師団に太鼓判を押してもらって、クラヴィスは「だから初めからそう言っている」とうそぶきつつ退院した。そのくせその後も「体が弱っている」という名目で自邸で療養を続けていた。それは体の良いサボタージュであり、またクラヴィスの遠大なる計画の一環でもあったのだが、そんなこととはとんと知らないジュリアスは相変わらず「筆頭守護聖の署名が必要な書類」を携えて、執務をほぼ定時に切り上げては毎日夕刻にクラヴィスを見舞っていた。寝たきりだったのがたたって多少筋力が落ちている以外は特に悪いところもないので、クラヴィスは寝台で体を起こして書類に目を通したり署名をしたりする。退院してからも数日そうしたことが続くうちに、時には執務に関係のない雑談をかわしたりと何となくうち解けた雰囲気になってきた金の曜日。クラヴィスが「今宵は夕餉を共にして行かぬか」とジュリアスに切り出した。日々親しさが増して来るにつれて立ち去りがたい気持ちが大きくなってきていたジュリアス、喜んで承諾した。少しでも長く一緒にいられることに否やはない。
二人とも何とはなしうきうきわくわくと心楽しく食事をし、クラヴィスは「久しぶりなのだが」とか言いつつ共にアルコールなんかもたしなんだりして、さらには立ち上がりざまこれ見よがしにちょこっとふらついて見せたりして、夕餉を済ませたら失礼すると言っていたジュリアスに寝室まで付き添ってもらうことにまんまと成功。こんな策に手もなく引っかかるなんて、ジュリアスの人の良さに敬意を表したいほどだ。
さて、闇の守護聖は首尾よく自室にジュリアスを再度連れ込み、寝台に入って枕をクッション代わりに背にして落ち着くと、ぼそりと言った。
「お前に責任を取ってもらいたいのだが」
寝台のそばで上掛けを直してやったりと世話を焼いていたジュリアスの眉がぴく、と動いた。
「何の責任だ?」
責任とか義務とか使命とか務めとかいう類の言葉には敏感なジュリアス、ふらついたクラヴィスを無事に寝室まで送り届けたが、他に何か果たすべき責務をおろそかにしていただろうかと真面目に問い返す。
「私を呼び戻したのはお前だからな、私の生に対して全責任を負ってもらう…」
ジュリアスは、ばかなことを申すでない、そなたの生はそなた自身が責任を持て!と説教にかかったところへ「…というのは冗談だ」とやられて、中途半端に勢いを止められ、口をぱくぱく。またからかわれたと知り、苦笑する。
「……そなたという男は……。で、本音は? 何が望みだ?」
「察しがよいな、さすが有能な首座殿だ」
「世辞は要らぬ」
「では単刀直入に言わせてもらうが…」
言った割にはその後の沈黙が長い。タメの長さにジュリアスはいらだたしそうに眉を寄せた。少々のからかいには動じない程度にはクラヴィスの言いようにも慣れたが、無駄に待たされるのは我慢ならない。
「いややはりこれは…」
さらに気を持たせるクラヴィスに最後通牒を突きつけた。
「どうせまた人をからかって楽しんでいるのであろう? 早く言わねば、私はもう行くぞ。忙しいのだ」
背を向けようとしたジュリアスを見上げてクラヴィスは言った。
「一緒に寝てくれ」
「…………………………何と言った?」
「お前は耳が遠いのか? ここで共に寝てくれと言った」
「なぜ私がそなたと寝なくてはならないのだ!」
「一人きりは寂しい」
「そなたな……」
ため息。
「いつも一人で寝ているであろう? 何を今さらそのような戯言を。それもいい年をした大人が」
「お前がいないと寂しいのだ」
自分を見上げる紫水晶の瞳にどきりとする。
私がいないと……とは……。
「……どういう意味だ」
「知りたくば、来い」
左手を取られて強く引かれた。寝台に片膝をついたところへ、腰にクラヴィスの腕が回され、そのまま引き寄せられてジュリアスは固まった。クラヴィスはコアラのように抱きついている。衣服を通してとは言え密着する体の感触にジュリアス、一気に血圧上昇。
そのように張り付かれては!
どきどきどきどきどきどきどきどき。
落ち着け心臓落ち着け自分と言い聞かせるも、心臓は無駄に鼓動を早めるばかり。胸はどきどき、頭の中はぐるぐる、ヘタしたら脳溢血を起こしそう、もう何が何やらわかりませんワタシ状態のジュリアスの胸元に押しつけられたクラヴィスの頭部。艶のある黒髪をぼうっと見下ろしていたら、くぐもった声で「…寒いのだ」そう聞こえた。
「寒い……? 室温はそれほど低くはないと思うが。もしかしたら熱でもあるのではないか?」
クラヴィスの意味不明な発言や行動に対しては硬直しがちなジュリアスだが、普通の言葉で話してくれれば対処もできる。この場合は無理やり一般的な解釈の仕方に持っていってなんとかこの状況を脱しようというジュリアスの無意識の抵抗だったのだが。攻勢に出たクラヴィスに対抗できるほど場数を踏んでいるわけではないジュリアスは、クラヴィスの顔を胸元から引きはがして額に当てようとした手を握られ、視線を捉えられてだめ押しのもう一声にまた固まった。
「お前がいないと寒くて寂しくて眠れない」
………………………は?
先ほどからクラヴィスが言っているのは……耳がおかしいのでなければどう考えても……私のことが好きだからいないと寂しいという意味……であろうな……。いやその、私とてそなたのことがたぶん好き……なのだとは思うが。
好きという単純な一言では言えないほど好き(赤面)……というか何と言うか……ではなくて!
問題はそこではないのだ。この際好きか嫌いかはどうでも良いことで……いやどうでも良くはないが……ああわけがわからぬ。
すぅはぁ。(←深呼吸)
落ち着いて最初から考えるのだ!
「一緒に寝てくれ」と言うのは、「同じ寝台で横になってくれ」という意味だ。
……ばかな。そのようなことができるものか! なぜかと言えば…………………。
なぜいけないのだろうか。共に寝ることの何が問題なのだ? よくわからぬ。←混乱の極み
ああどうしたらよいのだーーーーーっっっっ!!!
困ったジュリアス、茫然と見つめ返しながらそれでも好きな相手の望みでもあるし、口調だけは冷静にとりあえず言ってみた。
「……少しだけならば共に寝てやらぬでもない」
「つれないことを言う」
「いやだがしかしそのなんだ、そういうことはしていいのか悪いのかよく分からぬゆえ」
なおも言い立てるジュリアスを、クラヴィスは問答無用とばかりにベッドの中に引き入れた。
「待てクラヴィス、まだ履物を脱いでおらぬ!」
「では私が脱がせてやろう…」
「待てと言うに! 自分でできるーッッ!!」
明かりを落とした闇の守護聖の寝室を支配する濃密な闇をつんざいて、男の悲鳴。はてさて二人はどんな夜を過ごすことやら。