花に寄せて


夜想

二人並んで歩く聖地。
闇にしろく浮き上がる花を見上げてジュリアスの口から言葉が洩れた。
「この木はこのような花をつける木であったか…」
「知らなかったか? 毎年咲いている花だというのに」
「見たことがない」
そのようなことに気づく余裕などなかった、とクラヴィスには聞こえた。

新しい女王の統べる宇宙も落ち着きを見せ始めた今、ようやくジュリアスにも花に目をやるだけのゆとりができた、ということか。
だいたいが、以前の危機的状況の中にあっては二人でゆっくりとあたりを散策することなど思いも寄らなかった。
目を細めて花を眺めるジュリアスを、クラヴィスは静かに見ていた。

と、ふいにジュリアスの声。
「何という名の木か、知らぬか?」
「知らぬことなどないようなお前にも、わからぬことがあったか」
揶揄されたかときつい目でクラヴィスを見たジュリアスだが、思いの外に優しい表情が向けられているのを見てばつが悪そうに少し笑い、もう一度花に見入った。
その彼の耳にクラヴィスの答えが届く。
「それはムクゲという」
「むく…げ…」
花を見つめながら微かに眉をひそめたジュリアスに、クラヴィスはそっと笑みを洩らした。
「似つかわしくないとでも思っているのか?」
「なぜわかる!?」
どうやら図星のようで、ジュリアスは少しばかり詰問口調で尋ね返してきた。
「おおかた、むくむくした毛の塊のような名だとでも思ったのであろう」
「!!」
言い当てられて驚くジュリアス。
「そなた、人の心が読めるのか? あまりにみごとに言い当てられると…薄気味が悪いではないか」
なに、私もその名を知ったときそう思っただけのこと、とつぶやくような答えが降ってきて、ジュリアスの頬にも笑みが浮かんだ。
「…そろそろ行くか、クラヴィス」
「そうだな」

二人はまたゆったりと歩き出す。

互いの存在を身近に感じながら過ぎる宵は、やさしい。


我が想いを

二人並んで歩く聖地。
夜目にも鮮やかな花を見上げてジュリアスがつぶやく。
「この木はこのような花をつける木であったか…」
「知らなかったか? 毎年咲いている花だというのに」
「見たことがない。…何という名の木か、知らぬか?」
「以前も同じようなことがあったな」
「うむ。そなたが意外に花の名に詳しいので驚いたものだ」
あの穏やかな宵を思い出し、二人は同時に小さく笑った。
「それはハナミズキ、だ」
「はなみず…き…」
確かめるようにもう一度花に目をやり、微かに眉をひそめるジュリアス。
「似つかわしくないとでも思っているのか?」
「待て! その先は言わずともよい。『鼻水のような名だと思ったのだろう』とでも言いたいのだな」
「先に言われてしまってはつまらぬ」
「…ふ……人は成長するものだ。そろそろ行くか、クラヴィス」
「そうだな」
言いながらまたゆったりと歩き出す。
こうして二人の時を少しずつ重ねていくことの喜びをかみしめながら。
ハナミズキには花水木という字を当てるのだと、またいつか教えてやろう。

そのように、二人が共にある未来を思い描ける幸せ。
互いの存在を身近に感じながら過ぎる宵は、やっぱりやさしい。


洒落

二人並んで歩く聖地。
白い衣装をまとったかのような木を見上げてジュリアスがつぶやく。
「この木はこのような花をつける木であったか…」
「知らなかったか? 毎年咲いている花だというのに」
「見たことがない。…何という名の木か、知らぬか?」
二人は同時に小さく笑った。
「お前、花の名は全て私に聞けばよいと思っていないか?」
「そなたと歩いているときにばかり知らぬ花と行き会うのだ、仕方あるまい」
「お前がそう言うのならば、そういうことにしておこう。…それはコブシだ」
「…コブシ…拳……グーのことか?」
「違う」
「では小林幸子が歌うときのあれか?」
小節のことを言っているのか?
「…どこで演歌を聞いたのだ、お前は」<クラヴィス様こそ
「『古武士の風格』とか言うときの古武士…」
「………まさか…とは思うが、お前わざとボケているのか?」
「ばれたか」にこ。
「ジュリアス(ため息)……笑えぬ」
「……やはり…私は面白みのない人間なのだな…」しょぼん。
「無理にそのようなことをせずともよいのだ。お前はお前らしくあればそれでよい。…愛している。どのようなお前でも」
ジュリアスは伏せていた目を上げた。
「笑えぬ冗談を言う私でも?」
「もちろんだ」
二人の間に飛び交うハート模様。その直後のラブシーンの熱さは白いコブシの花がピンク色に染まるほどだったとか。


昔日

鼻腔をくすぐる甘い芳香に、クラヴィスの表情が和む。
またこの季節がめぐってきたか。


+ + +


もう20年近く昔のこと。どういう理由でだったか、どうジュリアスを言いくるめたのだったか、覚えていない。だがジュリアスのほうから仕事をさぼろうなどということを言い出すはずがないので、クラヴィスが誘ったに違いなかった。と言うことはつまり、その頃にはそんなことに誘おうと思えるほどにはうち解けていた、ということであろうか。
執務時間であるにもかかわらずジュリアスと二人、こっそり執務室を抜け出して外を歩いていた。もっとも、宮殿の敷地内のよく整えられた庭園を散策するという程度の、ほんのささやかな冒険ではあったのだが。

と、甘い香りが風に乗って二人に届いた。クラヴィスの好きな金木犀の香りだった。木に近づきすぎると匂いが強すぎてめまいがしそうだが、ふわりと風に混じって香るその匂いは大好きだった。立ち止まり、目を閉じて胸一杯に風を吸い込む。いい気持ちだった。深呼吸をして、ゆっくり目を開く。気づけばジュリアスが妙な顔をしている。どうしたんだろう、その思いがそのまま質問になった。
「どうかした?」
「この匂い……」
ジュリアスもきんもくせいのにおいが好きなのかな。
「いいにおいだよね」
その言葉への返事は呆れ顔。
「いい匂いだと? 確かに悪い香りではないが……バスルームの香りではないか」
え?
「ジュリアス…知らないの? これはほんとうは花のにおいなんだよ」
ぱっと顔を赤らめたジュリアスを見て、怒らせちゃったんだと少し悲しくなった。
せっかく二人でたいくつなところからぬけ出してきたのに。こんなにいいお天気なのに。また怒られる…。
ジュリアスは何でも知ってないと気がすまないんだから。ぼくなんかよりずっとたくさん本を読んでいっぱいべんきょうしてて、いつだってがんばってる。だからぼくが何かおしえてあげてもいい気持ちがしないんだ、きっと…。
けれども意外なことに返った言葉は怒声ではなかった。
「…花…なのか。何という花だ?」
ジュリアスが怒らなかったことに驚きと安堵を感じながら、でもまだちょっぴり不安で、小さな声でぼそぼそと答える。
「きんもくせい…」
「はっきり言わぬか! 聞こえないではないか!」
けっきょくは怒られるのか、と思いながらも、なぜだかジュリアスのその表情がかわいく思えた。
ジュリアスってこわいだけじゃないんだ。今のジュリアス、ちょっとかわいかったな。
その気持ちが神妙な表情からも透けて見えたのだろうか、ジュリアスはますます顔を赤くして大きな声を出した。
「何がおかしい!?」
「…なにも」
かわいいと感じたせいで、クラヴィスは微かに笑いを含んだ表情であったかもしれない。けれどもただそれだけのこと。ジュリアスのことをばかにしたわけでも悪く言ったわけでもなかった。
それなのに私ときたら。
ここは自分が悪かったと思い直したジュリアスはもう一度尋ね直すことにした。
「まあよい。それより、花の名をもう一度言ってくれぬか?」
「きんもくせいだよ」
きんもくせい、と口の中で繰り返したジュリアスは、彼としては珍しいことを言い出した。
「どこで咲いているのか探しに行こう」
「うん!」

聖地に来たばかりの頃は怖いだけの存在だったジュリアス。だが、二人の距離は少しずつ近づいてきているようだ。
気が合うのか合わないのか、まだよくわからないけど。
でも、ジュリアスって思ってたよりこわくない。
そのことが何となくわかった気がした秋の午後だった。


それはたぶん愛

執務を終えた夕刻、聖地をそぞろ歩く筆頭守護聖二人。
「ほう…これはまた…」
「どうした?」
「いや、可憐な花だと思ってな」
ジュリアスの指さす先には淡いピンク色のかわいらしい花をいっぱいにつけた小振りな木。
そうだな、という同意を期待している目でクラヴィスを振り返ったその彼にかけられた一言は。
「ボケ」

美しいものを見つけて柔らかい表情になっていた顔が一気にこわばる。
「そなた、私を愚弄する気か」
地を這うようなすごみのある声で言われても一向に動じる気配のないクラヴィスに、ジュリアスはさらに語気を強くした。
「クラヴィス!」
「…怒るな。その木の名だ」
「木の…名?」
「どうせまた『この花の名は?』と尋ねられると思ったのでな。先に答えたつもりだったのだが」
くくく、と笑い声が続き、ジュリアスはまたからかわれたのだと知った。
諦めたように首を振り、ジュリアスはひとつだけ確かめておくことにした。

「その木の名はまこと『ボケ』と言うのだな?」
クラヴィスが頷く。
「では、他に『アホ』とか『バカ』とか『とんちき』とか『間抜け』とか『たわけ』とか『ぼんくら』とかいった名の木はないな?」
これにもクラヴィスは頷いた。
「『暗愚』とか『のろま』とか『おたんこなす』とか『あんぽんたん』とか『痴れ者』とか『愚鈍』とか『とんま』とか『ウスノロ』とか『抜け作』とか『すっとこどっこい』とか『うつけ者』とか『唐変木』とか『でくの坊』とか」
放っておけば際限なく言い続けるのをクラヴィスはさえぎった。
賢い人間というのは妙な語彙まで豊富だと思いながら。

「くどい。お前の挙げたような名の木は、私の知る限りでは、ない」
「二度と同じ手には引っかからぬからな」
つんとあごを上げると、ジュリアスは歩き出した。
まったく、私はなぜそなたのような意地の悪い男がいいのだか、とひとりごちながらさっさと前を行く。

クラヴィスがそんな彼の後ろ姿を見ながら次はどんな手でからかおうかと考え、成功したときのかわいい反応を思って無表情のままうっとりしていることなど、ジュリアスは知る由もなかった。




next




■BLUE ROSE■