花に寄せて


例によって例の如く、夕闇に包まれた聖地を散策するお二人さん。
クラヴィスは行く手に見える木に目を留めて、「木蓮か…見事なものだ…」と誰に言うともなく言った。クラヴィス的には独り言であったその言葉だが、すぐ隣りにいるジュリアスに聞こえないはずはない。クラヴィスの呟きを聞いた途端にジュリアスは立ち止まり、あたりを見回した。
「何処に妖怪が!?」
妖怪とか口走り急に警戒態勢になったジュリアスに、クラヴィスはびっくり目を向けた。何だか知らないけど、恐ろしいまでの緊張感がみなぎっている。
「……どうした?」
「落ち着いている場合ではないぞクラヴィス。この聖地に妖怪が出たとは一大事ではないか! どこにいるのだ、そやつはっ! 女王陛下の剣たるこの光の守護聖が成敗してくれる!!」
異様な盛り上がりっぷりに茫然と相手をながめていたクラヴィスであったが、事態を理解するにつれ次第に面白そうな表情に変わってきた。
「あわてるな。私が言ったのはあれのことだ」
クラヴィスが指さす先には大きな白い花が今を盛りと咲いている背の高い木があった。
「あの木に妖怪が取り憑いているというのか!?」
「妖怪などおらぬ」
「だが今そなたが」
「フッ」
クラヴィスの笑い方に何やらいやな予感を覚えつつ、ジュリアスは続けた。
「わかった。その木の名だと言うのであろう。ボケという木があるくらいだ、目目連(もくもくれん)があってもおかしくはない。それにしても紛らわしい名をつけてくれたものだ。あのように美しい花が咲くものを、なぜ妖怪の名など……」
「単にお前が聞き違えただけだろう。あれは木蓮(もくれん)だ」
聞き違い?
いやな予感的中。ジュリアスの顔が見る見る赤くなる。賢くていつも冷静で落ち着いててどんな難題もちょちょいのちょいで解決できちゃう首座様だが、実は案外早とちりでおっちょこちょいであったりもする。それを直接に見ることができるのはおそらくクラヴィスだけだろう。
しっかりしているように見えて意外に抜けたところがあるジュリアス様、自分のその弱点をちゃーんと心得ていて常に注意を怠らないのだが、幼なじみにして恋人という間柄であるクラヴィスの前でだけはいつものガードが甘くなる。で、こういう事態も起こるということになるのだった。

顔を赤くしてうつむいたジュリアスはとてつもなくかわいい。自分から何か仕掛けたわけでもないのにこの顔が見られるなんて、「今日の私は運が良い」とか思いながら、クラヴィスは尋ねた。(はキャラクターに合わないので、やめておいた方が……)
「目目連のことなど、どこで知った?」
「……少し調べたいことがあってな、王立図書館で古書を漁ったことがある。その折りに見かけたのだ」
光の守護聖のその調べものっていったいどういう調べものだったんだか、教えてほしいものである。
「そうか」
「そういうそなたこそ、よくそのような妖怪を知っていたな。どこで知ったのだ?」
「まあ……似たようなものだ。妖怪の話などもうよいではないか。それよりも、この見事な花を見たらどうだ?」
「そうだな」
話しながら歩くうちに、木蓮のそばまで来ていた。立ち直りの早いジュリアスはすっかりいつも通り。クラヴィスの言葉を受けて、木を見上げる静かな横顔に目を奪われる。凛として美しい。その彼に真実を明かすことはできなかった。クラヴィスの妖怪に関する知識は、幼い頃ジュリアスに内緒でこっそり読みふけっていた漫画雑誌『ポロポロコミック』の付録『キタロー妖怪図鑑』からのものだなんて。「王立図書館の古書」を迎え撃つには貧弱過ぎる。
誇りを司る守護聖じゃなくたって、恋人の前であまり情けないところは見せられないと考えるくらいのプライドはあるのだった。自分がジュリアスの弱点を衝いてからかうのはよくても、からかわれる立場になるのはあまりうれしくない、そんな彼は、悟りすましているように見えて意外に子どもっぽいところを残している闇の守護聖様なのであった。


夏の名残に

執務を終えた夕刻、聖地をそぞろ歩く筆頭守護聖二人。
「クラヴィス、あの花はずいぶんと長く咲いているな」
ジュリアスの指さす先には清冽な白や鮮やかな紅色のレースのような花で装った木が数本あった。思い起こせば、少なくともここ数週間はずっと咲いていたのではなかったか。
「ああ、あれは…」
「知っているか?」
「サルスベリ、と言う」
「それはまた……あの花の姿に似ぬ名だ」
ジュリアスは眉をしかめた。
「もう少し、ふさわしい名をつけてやってもよさそうなものなのに」
「木の肌がつるりとしているのでサルも足を滑らせる、というところからついたものらしい」
「なるほど」
歩きながらサルスベリの下まで来ていたジュリアス、その木をしげしげ眺めて納得した顔になった。
「では、字は『猿』と『滑』を当てるのだな」
「…フッ…」
クラヴィスの笑い方に、またしても何かあるのかと思わずキッとにらんでしまう。
「言いたいことがあるのならばさっさと言わぬか」
「お前の言うのも間違ってはおらぬ。だが…『百日紅』と書くほうが多いように思う…」
「何? それでサルスベリと読ませるのか? それはあまりにも理不尽ではないか!」
「こちらの名は、花期が長いからそう呼ばれるようになったものらしい。正しくはヒャクジッコウと読むのだが、一般的にはこれでサルスベリと読ませるようだな」
これでもかとうんちくを垂れるクラヴィスに、首座の眉間には縦じわ。
「よくわかった。だが納得はいかぬ。そのような、表記している字からは想像もつかぬようなとんでもない読み方をするなど言語道断。理不尽極まりない」
すっきりとわかりやすく美しい、数学の証明のような論理的展開を好む彼の頭にはどうにも受け入れがたい飛躍があるこの説明は、お気に召さなかったらしい。
それでも。
そよ風に揺れる繊細なレースのような花を見上げた顔は、つい今しがたまでの憤りなど忘れたように穏やかだ。
「名はどうあれ、美しいな…」
感嘆の呟きを洩らす彼を見ながら「そうだな」と答える。
誰よりも美しく気高く強く、融通の利かない石頭ぶりすらも愛しい恋人。
美しいのはお前だ、そう思いながら。


遠い思い出

聖地にも緩やかながら気候の移り変わりはあり、花壇は季節ごとに花の植え替えが行われている。公園から色鮮やかな花の姿が絶えることはない。
その日たまたまクラヴィスとジュリアスが通りかかった場所には赤いサルビアが目立っていた。花に目を留めて、クラヴィスが薄く笑った。
「あれの蜜を吸ったことがあるか?」
指さされて、ジュリアスは赤い花に目をやる。花の蜜が甘いのは知識としてはもちろん知っている。蜂蜜がもともと花の蜜であることも知っている。けれども花から直接、というのは経験がない。
「いや…」
首を振ると、クラヴィスは「そうであろうな」とまた笑った。
「そなたはあるのか?」
「…昔のことだ…」

聖地に連れてこられる以前は、甘い菓子などまずお目にかかれない暮らしをしていた。そんな生活の中では花の蜜や野生のベリーがいわばおやつ代わりだったのだ。公園の花に手を出して管理人に見つかれば叱られる、しかし蜜は甘い、まさに禁断の蜜の味だったのである。
仲間うちで伝えられてきたおやつにできる植物の知識は、年長の少年たちから幼いクラヴィスたちへも伝えられた。ときに立ち寄る街の公園でみんなで夢中になって花の蜜を吸っていて大人に見つかり、追いかけられてつかまってひどく叱られたこともある。自分たちが無残にむしった赤い花の骸に目を落としながら叱責の声を聞いていた。

危険と引き換えに味わう蜜は甘かった。
そして今も、禁断の味が私を虜にしている。
誰も寄せつけぬ孤高の白い花。
ジュリアスはあの花よりもなお甘い。





■BLUE ROSE■