6. 聖地-2
しんとした部屋の中に、クラヴィスの声が響いた。
「この惑星にジュリアスが送り込まれたのは確かなことだ。だが研究院では、光のサクリアの状態からジュリアスの命に別状はないと判断している」
「ほんとに? ほんとに大丈夫なんですか?」
涙ぐまんばかりの表情で、マルセルは言った。
「大丈夫かと問われれば、『おそらくは』としか言えぬが…私はあれの無事を信じている。ミスラーラで行き先を入力したという研究員から得た座標は、地表ではなかった。地下だ」
「そこ、洞窟になってるとか? とにかく、マイナス200度だかの吹きっさらしのトコに放り出されたんじゃないってコト?」
オリヴィエの問いに、
「現在、他星に移住したファルーマの民に、惑星の詳しい情報を送るよう要請している。それが届けばもう少しはっきりすることだろう」
とクラヴィスは答えた。その時、
「俺が!」
と唐突に声を上げたオスカーに、全員の視線が集まった。
「ファルーマには俺が行きます! 今すぐ!」
勢い込んで言う男にクラヴィスは冷ややかな目を向けた。
「だから、先の通話でも頭を冷やせ、と。ジュリアスが今無事であることはわかっているのだから、もう少し状況を把握してから動きたい」
「悠長なことを言ってる場合ですか! そんな星に都合よく食料や飲料水があるとも思えない。一刻も早く聖地にお連れすることを考えるべきではないですか! ジュリアス様がご無事なのであれば、同じ守護聖の俺が行っても無事でいられるはずだ。ここで長々話している暇があるなら、すぐにでも行きたい」
「俺も! そう思います。クラヴィス様、少しでも早く助けに行かなくちゃいけないと思います!」
ランディもオスカーの加勢に回った。
クラヴィスは二人を軽く手で制して、言った。
「私とて、気持ちは同じだ…。すぐにも動きたい」
「あなたが!? そんな冷めた顔して、俺が助けに行くっていうのを止めるあなたがですか!?」
立ち上がり、今にもクラヴィスにつかみかかりそうなオスカーを、オリヴィエが強引に座らせた。
「落ち着きなよ。ほんっと、血の気の多い男だね。クラヴィスは助けに行かないなんて言ってないじゃないの」
「そうですよ、オスカー。少し待てとおっしゃっているだけです」
水の守護聖の涼やかな声も、いきり立つ男をなだめた。
「少しって、いったいどのくらい待てばいいんだ!?」
「あー、あせって動いても良い結果は生まれないと思いますねー。まずは情報収集をするというのに、私は賛成ですよー」
「守護聖の一人が、それも首座が誘拐されたというだけでも大変な事態なのだ。この上状況を悪くするのはオスカー、お前の本意ではなかろう。別の守護聖を危険とわかっている場所に送り込むのは拙速に過ぎる。誰であれ無用の危険に晒すわけにはいかぬのだ。場所が場所だけに、万全の準備を整えて救援に赴きたい。準備が済むまで、そして必要な情報が得られるまでの間、待てと言っている。ジュリアスを救いたい気持ちは皆同じだ」
「ったく、どいつもこいつも! 頭でっかちばっかりだぜ!」
「闇雲に走るばかりが良いとは言えまい?」
「何だと!? 俺が考えなしの若造だってのか!」
「あああ〜、喧嘩腰でものを言うのはやめましょうね〜。今は私たちが言い争ってる場合じゃないですから〜」
殺すつもりがあるのならともかく、無人で不毛の地にわざわざ守護聖を送り込む理由が考えられず、ジュリアスの無事も確かであることから、無人のはずのファルーマには実は生き残りの人々がいる可能性がある。
その人々が何を求めているのかはわからないが、交渉すべき相手がはっきりすれば打つ手も見えてくるはずだ。そこに望みをかけて、待つ。
そうクラヴィスは説明した。日頃の会議で長々と意見を述べることなどない彼が、経験の浅い者たちにも納得のいくようことを分けて話した。その言葉に、異口同音に同意の声が上がった。
それでも、とオスカーは苛立ちもあらわに言い募った。
「俺は一刻も早くジュリアス様の救援に向かいたい。情報だの何だの言っている間にも時は過ぎる。俺を今すぐファルーマへ送り込んでくれ!」
そんな炎の守護聖に、クラヴィスは感情の伺えない声で言った。
「聞き分けのない…」
「何!?」
気色ばんだオスカーを見てもクラヴィスは表情を変えることなく、さらに辛辣なことを言った。
「もう少し冷静かと思っていたのだが…ジュリアスもとんだ考えなしを片腕と見込んだものだ」
敬愛する首座の名を出されてオスカーは唇をかみしめた。クラヴィスから言われるまでもなく、今の自分が冷静さを失っていることなど本当はわかっている。どうしようもない苛立ちを、他人にぶつけているだけだということもわかっている。
これがもし、行方不明になったのがジュリアス以外の守護聖だったとしたら。そしてジュリアスが、クラヴィスが今したような説明をしたのなら。オスカーは一も二もなく同意して従ったことだろう。それが容易に想像がつく。それだけに、今の自分がどれほど愚かしくクラヴィスの目に映っているかもよくわかる。誘拐されたのがジュリアスでさえなかったら、自分は今のクラヴィスのように誰かをたしなめる立場であったかもしれないのだ。
「……申し訳ありません、言い過ぎました」
だが幸いさほど長く待つこともなく、その会議の最中にファルーマ国からの回答が届けられた。
それは、全ての民が退去したのではなかったのかという聖地側からの確認に対して、一部が星に残ったというものだった。
混乱時のことでもありこの件は聖地に正式な報告はしておらず、そもそも考え方が違う彼らと袂を分かった時点で関係は切れている。彼らもまた、聖地とは縁を切ると言ってはばからなかった。宇宙の女王など関係ない、自分たちの力だけで太陽神の支配するこの星と共に生きると主張したというのだ。
現在のファルーマは荒れ果て凍りついた惑星であり、地表はとても人の住めるところではなくなっている。だが、生き残りの民が先を争うように避難船で星を離れていく中、どうしても生まれた星を捨てたくないという人々も少数派ではあったが存在した。彼らは混乱の中、星と運命を共にする覚悟で地下都市の建設を始めていた。ゼロからの建設では到底間に合わないため、間に合わせにかつての地下街を居住できるスペースにリフォームしつつ、新たに必要な設備を作るというやり方だ。多くの民が命を落とし、生き残った者が危機の迫った星から脱出しようとしている時点で、かつて繁華街であった地下は打ち捨てられていた。それを人の住める都市に転用しようという計画だった。地下都市は地熱や化石燃料によって動力源をまかなう方式で、建設事業が当初の計画通りに進んでいれば、人の居住は可能なはずだと報告書には記されていた。
現地に一部住民が残ったとして今は連絡は取り合っていないのかという問いに対しては、「彼らは太陽そのものを崇める一派で、精神的支柱として太陽神を信仰している我々とは互いに相容れなかった。現在に至るまで何の連絡もないし、行き来もない。よって、地下都市が現に存在するかどうか、星に残った人々が生存しているかどうかは不明」というのが正式な回答だった。
ファルーマ国の回答は、丁寧なものではあったが結局のところ「現状はわからない」というに尽きる。
「はぁ〜、それでもやはり、ファルーマには現在も人がいる可能性が高いんですね〜」
ルヴァはこの会議が始まるに先立ってクラヴィスから内々にジュリアスの居場所を教えられており、ファルーマに関するファイルに目を通して民の避難時の様子などをある程度把握していた。その情報と今回のファルーマ国からの回答を総合して分かるのは。
旧宇宙の衰退が進んでいた頃、ファルーマの属する星系では、中心の恒星を巡る他の惑星が次々と虚無に呑まれるように消えていった。星系の端の方から徐々に蝕まれていく様を見て、ファルーマの民は自力で安全な星への脱出を図っていた。その間にもいくつもの惑星を失った星系は不安定となり、環境悪化が予測よりも早いスピードで進んで多くの民が命を落とした。ついには惑星の中央政府の機能さえも麻痺して、生き残った民は女王府が派遣した軍に救い出された。だが自分の生まれ育った星を離れることを良しとしなかった人々がいて、彼らは星に残る道を模索した。大異変が起こる際に地表で暮らしていては危ないということで、大多数が外へ逃れようとしていた頃に地下都市の建設を始めた。
地下で暮らしていては太陽を仰ぎ見ることもままならない。それでも自分たちの太陽、自分たちの神から離れることなどできないと考える人々は、居住地を地下に移してでもこの惑星で生き延びようとしたのである。
ファルーマでは、民は程度の差はあれ皆が太陽神を崇めていた。どうしても残ると決めたのは、中でも神として太陽そのものを崇拝している人々で、神の御許を離れることはできないというのがその理由だった。しかし異変の結果、彼らの神である太陽までもが消滅してしまった。そこに今回の事件の鍵がある。
神を失ったファルーマの民が、新たな神としてジュリアスを連れ去ったということなのではないか。
太陽は光。よって光の守護聖は太陽の象徴でもある。余談だがファルーマ以外の星でも、光の守護聖が太陽と同一視されることは多い。
というようなことをルヴァが説明した。
「しかし…実際のところファルーマが今どうなっているかはわからぬな…」
オスカーはダンッと机を叩いた。
「じゃあ何のためにそんな役にも立たない情報を待ってたんです!?」
「収穫がなかったわけではない。少なくとも、当初の計画通りにことが進んでいれば、ファルーマには人が住んでいるということになる。様々な状況を考え合わせると、ジュリアスを連れ去ったのは彼らだろう。ジュリアスが未だ無事である理由は、その地下都市にいるからだと推測できる」
「おそらくそういうことでしょうね〜。いくら何でも、生身の体がマイナス220度なんていう極低温に耐えられるわけがありません。ですがシェルターのような地下都市にいるのならば、生きているのもうなずけます。そして犯人が身代金の要求をしてこない理由も。彼らはお金がほしいわけじゃない。新たな神が必要で、既に求めるものを手に入れたのですから、こちらに接触してくるわけがありません」
「となれば、こちらからジュリアスを取り戻しに行くしかあるまいな。…オスカー、お前の出番だ。準備が整い次第、救援部隊を率いてファルーマに向かってもらう」
「了解しました!」
ジュリアス誘拐に至った経緯については全て推論でしかない。だが少なくとも惑星ファルーマにジュリアスがいることだけは確実なのだ。やっとジュリアスを救出に行けるのだとオスカーは大きく頷き、表情を引き締めた。
7. ファルーマ-1
次元回廊を抜けて、眼前に広がる光景に驚いて、ジュリアスは目を瞬いた。そこは聖地の王立研究院ではなかった。後ろを振り返ってみたが、随行員たちはついてきておらず、回廊は既に閉じている。ここからすぐに元の場所には戻れそうにないと知って、ジュリアスは改めて目の前の人々を見た。
そこは長方形の石造りの広間で、自分は一方の端の高い壇となっている部分に立っている。この広間の作りは神殿を想起させた。数十人の人々が壇上のジュリアスを前にひざまずき、頭を垂れている。
「ここは……どこだ?」
ジュリアスの声が静まり返った広間に反響した。平伏している人々は下げていた頭をさらに床にこすりつけんばかりに下げた。
視察に赴いていた惑星でも、聖地でもない。とすると次元回廊が誤ってどこか別の場所に繋がってしまったのか。それにしては、人々の様子は自分を待っていたように見える。
一番前の男が声を発した。
「我が神、おいでをお待ちいたしておりました」
やや訛りのある標準語を話す男の声は、少し震えている。
神?
この男は、私のことを『神』と呼んだか?
「貴方様の御降臨は我らの悲願でございました」
視察に赴いた惑星でも似たようなことを言われたが、彼らは決して『神』などとは呼ばなかった。あくまで守護聖としての厚遇を受けただけだ。
「どういうことだ」
神ならば全知全能でなければおかしいのかもしれない。だがジュリアスは神などと祀り上げられるつもりはなく、またここにいる民が神というものをどう捉えているのかは、話をしてみなければわからない。第一どこにいるかさえもまだ不明なのだ。
ジュリアスには情報が必要だった。
「皆、顔を上げてはくれないか。私は神などではない。ここに来たのは何らかの間違いがあったからだと思う」
先程言葉を発した先頭の男が、ゆっくりと顔を上げてジュリアスを見た。だが目が合った途端に伏せてしまった。
「目を伏せずともよい。それでは話もできぬ。私としても予定外のところに来てしまって、そなたたちには迷惑をかけて申し訳ないとは思う。だが元の場所に戻ろうにも、何もわからぬままでは手の打ちようがない」
「私はこの星の最高議会の議長を務める、カレルと申す者です。ジュリアス様、貴方様は間違いでここにいらしたのではありません。これは成るべくして成ったことでございます」
どうやらここの民は自分を、少なくとも名を知っているらしい。
「私の知らぬことをそなたたちは知っているということだな。どういうことなのか、説明してはもらえぬか」
「貴方様は我らが太陽神ファルーが人の姿を取って降臨された現人神であらせられます」
「私はただの人に過ぎぬ」
カレルと名乗った男は、重々しく首を振った。
「とんでもございません。光の守護聖様は太陽神の化身。我らの太陽は失われましたが、貴方様がこうしてこの地に御降臨くださいました。感謝いたします」
「……つまりはそなたたちが……私をここに来させたということか」
ファルーマの民は別惑星に移住したはずであったが、人が残っていたのか。
詳しい事情はわからないが、どういう理由でここに来ることになったのかはつかめた。「太陽神ファルー」「太陽は失われた」というキーワードで、ジュリアスは惑星ファルーマのことを思い出した。この惑星のたどった運命は他に例を見ないような特異な事象だったので、記憶に刻まれていたのである。
「ここは……ファルーマ、か」
カレルは目を見張り、感動した面持ちで言った。
「さようでございます。我らの星のことを覚えていてくださいましたか」
「稀に見る事態だったゆえ……。それで、私にどうせよと言うのだ」
「神としてこの地にお留まりいただきとうございます。その光り輝く御手にて我らをお導きください」
ジュリアスは一瞬言葉に詰まり、そして言った。
「そなたたちの星の悲劇は心から遺憾に思う。だがその要請を受けるわけにはいかぬ。私は女王陛下の臣下に過ぎぬし、聖地におらねば私の役目は果たせないのだ。このままでは、そなたたちは女王府から反逆者とみなされることになる。即刻私を聖地に帰してもらおう」
カレルはゆっくりと首を振った。
「神のお言葉といえども、それだけは従うわけには参りません。我らには貴方様が必要なのです。我らはファルーマを見捨てた者たちとは袂を分かちました。女王府を頼って逃れていった者たちはいまだ女王の民でしょうが、我らは違います。我らが信じるのは太陽神ファルーだけ。つまりは現人神である貴方様だけなのです」
「守護聖は神ではない」
「恐れながら、我らの考えは違っております。常の人にない力をお持ちの貴方様はまさに神であらせられます」
「力を持つことが神たる証であるのなら、他の守護聖や女王陛下もまた神だということになる。その考えに従えば、守護聖が仕える女王陛下こそが最高神ということにはならないのか?」
「それもまた、我らの考えではありません。太陽こそが我らが神。よってその象徴である光の守護聖様だけが、我らにとっての神です」
ここの民は、女王を認める気も、私を聖地に返す気もないらしい。
私が聖地の王立研究院に戻らなかったことで、すぐに捜索が始まったことだろうが、何とかこちらから聖地と連絡を取ることができぬものか――。
8. ファルーマ-2
惑星ファルーマの地表には生き物の姿はない。
しかし地下には都市が広がっており、民はそこで暮らしている。
地下都市の中の神殿は、太陽神ファルーのためのものである。
事の発端はジュリアス行方不明事件の起こる数ヶ月前に遡る。ファルーマの地下都市で、最高議会は紛糾していた。
太陽神の御許にあるためにこの星に残ったというのに、神は既にない。この先どうするべきか。
こんなことなら、星を出た者たちと行動を共にするのだった。地下に押し込められた生活を受け入れたのは、太陽神の身近にいることができるからだったのに。
今からでも遅くはない、先に移住した者たちに合流したらどうか。
ばかなことを言うな。この地を捨てることなどできるものか!
新たな太陽となった恒星を新しい神として崇めれば良いのではないか。
何を言うか、太陽ファルーであってこその神であり、たまたまこの惑星を重力圏に捕らえた恒星は、我らの神ではありえない!
現在の周回軌道では太陽の恵みを受けることも叶わない。ろくに光も届けられぬような太陽など、太陽ではない。そんな太陽が神であるはずがない。
皆が口々にそれぞれの思うところを述べ立てて、まともな議論にすらならなかった。ファルーマに残った人々が生きるために必死だった間、目を逸らしてきた問題。皮肉なことに、ようやく暮らしに余裕が出てきた今になって、議会が荒れている。
「皆、落ち着いてくれ」
しばらくの間口をつぐんで成り行きを見守っていた議長のカレルが発した声に、それぞれ持論を展開していた議員たちは大きな声を出すのをやめた。あたりはまだざわついているが、議長の話を聞こうという気になったものらしい。何か良い方策でもあるのか。期待を込めた視線が議長に注がれた。カレルはカリスマ的な指導力を以てファルーマの地下都市の建設を進め、大きな支障なく暮らせるところまでにした中心人物だった。その彼も老境に入りつつあるが、精力的な活動ぶりは衰えず、ファルーマの誰もが指導者と仰ぎ見る存在だ。
「我らの太陽は失われた。これは疑いようのない事実である。だが、この宇宙には太陽神の化身がおわすではないか。光の化身、すなわち太陽神の化身である光の守護聖様は、太陽神が現身となってこの世に顕れたお姿だ。
神が消えたのならば、神の化身を我らの星にお迎えすればよい」
議場はしんと静まり返った。しばらくは咳ひとつ聞こえなかった。全員が、議長の『神の化身をお迎えする』という言葉を反芻していた。
そして突如。
わーんという、うねりのような大音響に議場は満たされた。それは歓喜の叫びだった。
「そうだ! それがいい! 神をお迎えすればいい!」
議員たちが口々に叫び、拍手をし、足を踏み鳴らし、全身で賛意を表明していた。
最高議会は全会一致で「ファルーマに現人神をお迎えする」と決めた。だがその実行は困難を極めることが予想された。
守護聖はこの宇宙全体のためのものであって、ひとつの惑星が独占できるような存在ではない。特に、光の守護聖は決して聖地を離れないと言われている。ということは聖地に忍び込んで誘拐するという強行手段が必要となるが、それを実行する足がかりとなるような情報は何もなかった。
聖地は一見したところ見目麗しいこの世の楽園だが、おそろしく強固な防衛体制が敷かれていて、聖地に関する情報は極端に少ない。一般に知られているのは、聖地には女王の宮殿がありそこには女王陛下がいて、さらに9人の守護聖がいること。守護聖の司る力と、現守護聖の名。王立研究院の総本山があること。
これ以外の情報はほとんどなかった。どのような防衛体制であるのか、宮殿や研究院の他にどんな施設があるのか、聖地内の地理も宮殿の間取りも、どれほどの人が聖地にいるのかも、一切明らかにされていない。守護聖の肖像も公表されておらず、彼らの求める神である光の守護聖の姿形すらわからない。
有用な情報が全くないので、とにかく聖地に近い場所に精鋭を送り込んで、何とか聖地に侵入する手段を見つけ出すという、ほとんど運任せの方法以外にこれといった良策もなかった。中央とのパイプも途切れた現在のファルーマからでは情報の収集も困難だった。そこで適任と思われる者5名が選ばれ、彼らは小型宇宙船で主星へと向かった。課せられた任務は、光の守護聖を連れ帰ること。観光旅行という名目で首尾よく主星に入った5人は、首都に潜伏しつつまずは情報を集めることに専念していた。といっても、主星にいてさえ聖地の情報は入手困難だった。この計画はあまりにも無謀だ、実現は不可能だと思われた頃、ついにミスラーラの光の大祭という願ってもない機会があると知った。
数百年ぶりで光の守護聖が聖地から出て大祭に列席なさるという噂があるのだ。確実な情報ではなかったが、出先を狙うほうが聖地への侵入を試みるよりもはるかに容易に思えた。聖地に侵入するためだけでも、この先どれほどの準備が必要となるか想像もつかない。ファルーマの期待を背負って出てきた5人は、自分たちの命がある間に任務を遂行できるかと危ぶみ始めていた。ところが彼らが何とか光の守護聖を母星に連れ帰ろうと画策しているまさにこのときに、その当人が聖地からお出ましになるという。この千載一遇の機会を逃せば次はない。彼らは急いでミスラーラに移動した。入国審査は、「光の大祭を見物するため」ですんなり通った。この大祭は有名な祭事で、例年観光客も多いため何ら疑われることなくミスラーラの地に降り立つことができた。
こうしてファルーマは、到底不可能と思われたこと、すなわち現人神を神殿に迎え入れることに成功したのである。
9. 聖地-3
守護聖たちの会議の最中に、新たな情報が入ってきた。手渡された一枚の書類に目を走らせたクラヴィスが言った。
「ミスラーラで、ジュリアスをさらう工作をした者たちが捕まった。黙秘しているが、乗ってきた宇宙船その他押収したものから、ファルーマから来たと判明したようだ」
「やはりそういうことでしたかー。私たちの推測が正しければ、ファルーマの人たちにはジュリアスに対する害意はありません。むしろその逆です。光の守護聖をあの地に留めておきたいというのが望みのはずです。だから、少なくともジュリアスが命を奪われる心配はないってことですねー」
「だが…ここまでのことをしておいて素直に返す気もなかろう。よって直ちにジュリアスを救出するための部隊を送る。軍には既に話を通してある。王立派遣軍の最新型の巡洋艦で行けばファルーマまで3日だ。オスカー、救出部隊はお前に頼む」
オスカーは了承の意味で頭を下げた。
「地下都市の地図は、計画段階のものだがファルーマ国より入手した。地表との連絡口が数ヶ所設けられているはずだ。連絡口から地下都市に入り、ジュリアスを救出せよ。必要な人員の選定等の詳細は軍部に諮れ」
オスカーは、これでようやく動き出せるとさっそく集いの間を出ようとした。
「オスカー」
クラヴィスに呼び止められて振り返ったオスカーは「まだ何か?」と苛立ちを隠さず問いかけた。
「ランディも連れて行くがいい。この作戦の目的はあくまで『平和的交渉による奪還』。ランディにとってもよい経験となるだろう。万全の備えは必要だが、戦闘となることはなるべく避けるように。なお、ジュリアス奪還作戦遂行中は、外界と聖地の時間の流れを同調させておくことになっている。また女王陛下より、必要であればサクリアを使ってもよいとの許可が出た。惑星ファルーマの民もまた陛下の民、この作戦で傷つく者が出たり人命が失われることのないようにというのが陛下のご意思だ」
守護聖は微量のサクリアを人に向けて放つことにより、人体に害を与えることなく動きを止めたり意識レベルを低下させたりすることができる。普段そういう使い方をすることは禁じられているが、この救出作戦では許可されたというのだ。
「承知しました」
オスカーはランディを連れて、足早に出ていった。
「さて、残る我々だが…」
集いの間にいるのは、クラヴィス、ルヴァ、リュミエール、オリヴィエ、ゼフェル、そしてマルセルの6名となっている。
「皆は外に出る者たちの後方支援に努めてほしい。王立研究院と協力して情報収集を行い、救出部隊とは密に連絡を取り合うように。必要な時に、オスカーたちに必要な情報が届くようにしたい」
パチ、パチ、パチ。
と、拍手の音が響いた。柱に背を預けて立つオリヴィエだった。
「あんたってば、段取りイイじゃん」
「一応、首座代行だからな…。まったくジュリアスも、面倒なことを押しつけていったものだ」
「あー、闇の守護聖が首座代行なのは昔からの慣例で、ジュリアスが押しつけたってわけでは……」
「わかっている、冗談だ」
「非常事態だっていうのに、あなたも余裕ですね〜」
そう言うルヴァののんびりした口調も、平生と変わりない。
「ま、先頭に立つ者があんまカッカしてないほーがいいじゃん。オスカーもあんなにアツくならなくたって……ねェ」
オリヴィエはくすっと笑った。
「にしても、ランディ連れて行かせたあたり、感心した。かわいい後輩がそばにいればあんまりヤンチャもできないだろーし。オスカーは頭の切れるヤツなんだけど、ジュリアスが絡むと熱くなりすぎるトコあるから」
「そうですねー。オスカーはなまじ行動力があるだけに、ジュリアスを救出しようと躍起になって独断専行なんてことのないように願いたいものですねー。あの人は剣の腕だけではなく弁も立つのですから、うまく説得してくれることを期待しましょう。間近でそういう交渉を見るのは、ランディにとっては本当にいい勉強になると思いますよ〜」
「お前たち…勉強だの何だのと、呑気だな。ジュリアスは誘拐されたのだということを忘れてはいないか…?」
「もちろん、忘れたわけではありませんよ〜。あなたのおっしゃる通りに、私たちは私たちで王立研究院での情報収集に努めましょう。マルセル、ゼフェル、あなたたちも一緒に来てくださいねー」
「ってことは、私はルヴァと交代で研究院に詰める組かな☆ クラヴィス、情報収集班はトーゼン24時間体制だよね?」
「そうだな。交代で仮眠を取りながら、常に守護聖の誰かが最新の情報を把握した状態でいるのが望ましい」
「オリヴィエ、私もご一緒させてください」
「待てリュミエール」
「クラヴィス様、何か?」
「お前は私の方に詰めていてもらいたい」
「だったらマルセルかゼフェルを私にちょーだい」
「なんだよ、人のことモノみてーに言うなよ!」
「憎まれ口たたくコはカワイくないよ。マルセルもーらいっ!」
オレはおめーに『かわいー☆』なんて思われたくねーよ、とゼフェルはぶつくさ言った。
一方、マルセルも。
「んもー、オリヴィエ様。モノあつかいしないでください!」
「あいたた、こっちもケッコーきびしーなァ。とにかく、そうと決まれば交替までどっかでくつろごーか、マルセルちゃーん」
「えー? お化粧するとか、ぜったいになしですよ!」
「はいはーい。わかったわかった。非常事態の真っ最中なんだから、しないってば。だから行こ、ね?」
マルセルの肩を抱いて、オリヴィエ退場。
ルヴァはゼフェルをなだめながら王立研究院へと向かい、クラヴィスはリュミエールを連れて闇の執務室へと戻った。
10. 聖地-4
闇の執務室の机は、首座代行という役目のせいでいつになく書類が多い。クラヴィスは机上のものを手早く整理しながら、言った。
「リュミエール、お前に…頼みがある」
「はい、私でお役に立てることでしたら」
「私はこれからファルーマへと赴く」
一瞬の間があって、リュミエールはためらいがちに口を開いた。
「何とおっしゃいました? ファルーマへおいでになる? オスカーたちと同行なさるのですか? ジュリアス様がいらっしゃらない今、あなたは聖地になくてはならない方なのですよ」
「だから頼んでいるのだ。私の不在をなるべく気取られたくないゆえ、お前はここで防波堤となっていてくれないか」
「ファルーマへはオスカーとランディの二人を行かせると、あなたがお決めになったではありませんか」
リュミエールにはまだクラヴィスの真意がつかめていない。と言うよりも、あまりにも想定外過ぎて言葉の意味を取り違えていた。
クラヴィスは引き出しに書類を収めると鍵をかけ、その鍵をリュミエールに渡した。
「これをお前に預けておく。処理を急ぐ書類はこれまでのところなかったが、必要であればお前がここを開けて確認してくれ」
「いったい……どういうことです?」
「私は軍と行動を共にするつもりはない」
「はい?」
「一人で行くと言っている」
リュミエールは己の耳を疑った。
「そんな……! お一人でだなどと、とても正気の沙汰とは思えません!」
その言葉に、クラヴィスはフッと笑っただけだった。
「なぜクラヴィス様までがファルーマへ赴く必要があるのです? それもお一人でとは、いったい何を考えていらっしゃるのですか!」
「必要、か…。ないかもしれぬが、いれば役に立つかもしれぬからな」
「かもしれぬ、など! そのようなあやふやな理由で! クラヴィス様には聖地におとどまりいただかないと、大きな動きがあったときに判断を下せる者がいなくなります。首座代行のあなたは安全な聖地から指示を出すのが当然ではありませんか!」
「遠方でも通信可能なヘッドセットを持って行く。何かあれば知らせてくれ。私からも連絡する。ただ…ファルーマは相当に遠い。正直どれほど役に立ってくれるかはわからぬが…通信機器を何も持たぬよりはお前も安心だろう?」
「クラヴィス様が執務室にいてくださる方が、私はよほど安心です!」
「これはもう決めたことだ。外部には、私が執務室で水晶球やカードでの占いに没頭していて、出てこないとでも言え。当座はそれでごまかせよう」
「本当に、いらっしゃるおつもりですか」
「ああ。研究院から次元回廊を使ってファルーマへ行く。このことはくれぐれも内密に。…万が一のときには、ルヴァを頼れ」
リュミエールは震える声で確かめた。
「万が一……とおっしゃいますと?」
「私の不在がいつ露見するとも限らぬゆえ、これを人に知られたら、という意味だ。ジュリアスの救出に関わること以外の事案でお前の手に余ることがあった場合も、相談する者が必要であろう」
「はい」
「あと、私と連絡がつかなくなったり、闇のサクリアに異常が認められた場合もだ」
水の守護聖の白い面がさらに色をなくした。それはつまり、クラヴィスの身に何か重大な変事が起こった場合、という意味だ。
「クラヴィス様、何とかお考え直しいただくわけには参りませんか。ジュリアス様が誘拐されたというだけでも非常事態なのです。あなたご自身が、オスカーにそうおっしゃったではありませんか。この上もう一人の、唯一聖地に残された筆頭守護聖であるあなたの身に何かあったら……!」
「そう先走るな。必ず悪い方へ転がるというものでもなかろう…。情報は多いほうが良い。惑星ファルーマの現在の様子はまったく知られていないのだ。救出部隊が宇宙経由で行き着く前に少しでも地下都市の様子を探り、できればオスカーたちが入りやすいよう工作しておく」
「そのようなお役目は、軍事訓練をお受けになったことがあるわけでもないクラヴィス様がなさることとも思えません! 特殊部隊の誰かではいけないのですか?」
「宇宙船を使わずに移動できるのは次元回廊だけだ。そして、次元回廊を生きて通り抜けることができるのはサクリアを持つ者しかない。…そういうことだ」
「では……では……オスカーにお任せくだされば!」
「あの男は、ジュリアス救出のための部隊を統率するのに必要だ。軍人をまとめるのには軍人上がりの者のほうが適している」
「それではせめて私をお連れ下さい!」
「それよりは、ここに残って私の不在を隠してもらうほうがありがたい。…よいか、守護聖は9人、ジュリアスが囚われている今は8人。それを最大限に活用せねばならぬ。私は私にできることをする」
「でしたら……何人か護衛官をおつけ下さい。クラヴィス様と共にならば、次元回廊を通れますから」
「要らぬ。このことはなるべく外に漏らしたくないと言ったであろう。知れるのは時間の問題だとは思うが、最初からファルーマへ赴くと明かすつもりはない。秘密を知る者が増えれば増えるほど漏れる危険性が高まる。あくまで内密に動きたいのだ」
「ですがクラヴィス様!」
「これ以上の問答は無用。ルヴァが残れば十分に首座の代わりを務めてくれることだろう。あの男のほうが私より首座代行に向いているかもしれぬぞ…」
クラヴィスはペンを執り、ルヴァに首座代行を委任する旨を認め、署名をした。インクが乾くのを待って封筒に入れて封をし、リュミエールに手渡す。
「これをお前に託す。時が来たら、ルヴァに渡せ」
リュミエールは青ざめた顔でため息をつきながら封筒を受け取った。言いたいことは山ほどある。けれども、心からの祈りを込めて「ご無事で」とだけ口にした。
これ以上何を言おうとクラヴィスには予定を変える気がないことは明らかだった。説得しようと試みるだけ無駄だ。
これほどに大胆な方だったなんて。大胆といえば聞こえがいいけれど、今のあなたは無鉄砲そのものです、クラヴィス様。オスカーをたしなめたあなたと同じ方とは思えません。
この上はどうか、どうかご無事で。今の私にはそれを祈ることしかできません……。