11. 聖地-5
クラヴィスは館に戻り私室に入ると、サークレットを外して正装を解き、刀剣類の保管場所から短刀を取り出した。リュミエールも案じていたとおり、さすがに軍事行動の訓練までは受けていない。しかし他の守護聖たちは知らないことだが、幼少の頃から親元を離れて聖地で暮らすことになった筆頭守護聖二人に、聖地側はさまざまな教育プログラムを課した。幼い頃からジュリアスと共に護身を目的とする体術は相当に厳しく教え込まれた。さらにはさまざまな剣や銃器の扱いも。体術や剣術を学ぶことは成長期にあった彼らにとっての体育であって、実戦で使う日が来ると本気で信じていたわけではない。だがかつて使い方を教授された武器はすべて手元にあり、きちんと手入れしていつでも使える状態となっている。
短刀を手に大きな鏡の前に横を向いて立って己が姿を映し、それに見入ったクラヴィスは、くるぶし辺りまである髪を無造作につかむと、腰のあたりで断ち落とした。残った髪は首の後ろでひとまとめにして細紐でくくっておいて、黒の上下に身を包んだ。これは外界に出る時にはローブの下に身につけるようにと支給されているものだ。暗殺される危険性は極めて低いと言える守護聖だが、可能性はゼロではない。万が一に備えてのことである。特殊素材でできていて、薄手の長袖Tシャツと足首までのタイツのようなものでありながら防御性に優れている。刃をはね返すことができ、通常使われる銃弾であればまず貫通することはない。着用していたところで被弾したら衝撃は避けようがないが、致命傷を負う確率はかなり下がる。下はカーキのカーゴパンツを重ね、その上から濃紺のローブを着ると、紫水晶のサークレットの代わりに繊細な彫金の施された金属製のサークレットをつけた。優美なその品は美術工芸品としての価値も高いが、実質的に装飾品の姿をした鉢金で、急所である額を守ることができる。身支度を整えるとクラヴィスはもう一度武器の保管場所に戻り、しばし考えた。これから相手にするのは敵ではない。彼らの考えがどうあれ、女王にとってはこの宇宙の民、彼女がその懐に抱いて慈しむべき者たちだ。クラヴィスは隠密裡に行動するつもりであり、民を相手に戦闘を仕掛けに行くわけではない。生命を奪う武器は無用と、結局は手にした短刀を元の場所に収めた。あとは携行食と水、アーミーナイフをローブの下に隠し持ち、執事にのみ「しばらく留守にする。他言は無用」と耳打ちしてひそかに研究院へと向かった。
影のように研究院に入り、気配を消してなるべく目立たぬよう人目を避けて中を歩く。ジュリアスを奪還するのに有用な情報を得ようと皆が自分の作業に没頭しており、背後を通ってもクラヴィスに注意を払う者はない。遠目にルヴァやゼフェルの姿も見かけたが、声をかけることなく次元回廊へと向かった。今は誰も使う予定のない次元回廊の周辺は、人気がなく森閑としていた。好都合と機器を操作し、ジュリアスが送り込まれたという座標を打ち込む。そこへ研究員がひとり入ってきた。
「ああ、やはりクラヴィス様でいらっしゃいましたか。丁度ようございました。少々ご相談いたしたいことがございまして……」
言いかけた研究員は、クラヴィスの右手の指先から放たれた微量のサクリアを受けて、立ち止まった。
「お前は…何をしに来た?」
「あれ? ……なぜ私はここに? 急いで計算しなければならないことがあったのに、こんなところで何をしているのか」
言いながら、研究員は戻っていった。クラヴィスは息を吐き出す。
あの男は、ここで私に会ったことも覚えていまい…。
微量の闇のサクリアは、思考を停滞させたり直前の記憶を失わせたり、もう少し強めれば気絶させることも可能だった。普段はそのような使い方はしないが、今回は女王陛下の許可が出ている。聖地の王立研究院で使うことになるとは、アンジェリークも予想していなかったかもしれないが。サクリアが使えるのならば、人を傷つける武器を持たなくてもある程度のことはできるはずだ。
いつもの笑顔がなく半泣きだった少女の表情が脳裏に浮かんだ。
「ジュリアスがさらわれたって、ほんとなのクラヴィス!?」
「そのようだ」
「私のせいだわ! 私が無理に行かせたから!」
「陛下には落ち着いていてもらわねば、困る。あなたのせいではない。治める者が変わったのだから、これまでの慣例と違ったことがあるのも当然。たまたまジュリアスはこういうことに巻き込まれたが、必ず取り戻すゆえあまり気に病むな」
「クラヴィス……」
「私に任せろ」
「ジュリアスの捜索と救出について、全権を首座代行のあなたに委ねます」
「承知した」
膝をついて女王の退出を待つクラヴィスのところへ、少女は女王の御座から駆け降りてきて、手を取って握りしめた。
「ぜったいに、ぜったいに無事に連れ戻してね! お願い!」
涙にくもる瞳で懇願されたのは、集いの間での会議直前。
座標を入力し終え、次元回廊を開く操作をすると、クラヴィスはためらいなく足を踏み出した。
オスカーたちの到着まで3日。
その間を一人で持ちこたえられるか――。
12. ファルーマ-3
ミスラーラの王立研究院から惑星ファルーマの神殿に飛ばされたジュリアスは、しばらく議長のカレルと押し問答のような会話をしていたが、この場での立ち話で済むようなことではないからと、一人の人物の紹介を受けた。太陽神殿の大神官である。神殿内に神の居室を設けてあるので、そこに案内するという。
カレルは、
「この度のことについてご納得いただけるよういずれはご説明いたしたいと思いますが、今日のところはごゆるりとお休みください」
と二人を見送った。
「こちらでございます」と、恐縮した様子で先に立って歩き始めた大神官に、ジュリアスは苦笑交じりに言った。
「カレルというあの男、なかなかに手強そうだ。私の言うことをことごとく否定してくる。しかも休めなどと言って話を先送りにした」
「私共は決して神のご意思に逆らいたいわけではございません。カレルにしても同じこと。カレルはこの地下都市での暮らしをここまでにした功労者で、意志の強さは筋金入りの人物です。お気に染まぬ点があったのは申し訳ないことでございます」
「ファルーが消滅した、かの大異変の生存者か」
「はい。相当な高齢となった今も、星のために尽くしてくれております」
「そうか。……まずはそなたの名を教えてもらえないか。名も知らぬでは話がしにくい」
「ラーシュでございます」
「ラーシュ。ここの神殿は光の神殿ではなく、太陽神のものか」
「我が神、私共にとってはどちらも同じものでございます」
ここの者は私を神と呼ぶ。私は人でしかないというのに。
「頼みがある。私のことは名で呼んでもらいたい」
「そのような、恐れ多い」
「私は人だ。神などと呼ばれるのは落ち着かぬ。ジュリアスが私の名だ」
「存じております」
「そなたらの神の名で呼べと言っているのではない、私の名を呼んでほしいと頼んでいる」
「……はい」
「少し、この星について尋ねたいのだが」
「私にわかることであれば何なりとお答えいたします、我が神」
「ジュリアスだ」
「はい、ジュリアス様」
ラーシュは最近になって没した前大神官の跡を継いだばかりの、カレルよりはずっと若い、30代なかばの男だった。
どのような姿であるのかまったく知られていなかった神が、いま眼前にいる。光の守護聖は太陽神であると教えられてきたが、初めて目にした姿は想像を越えた神々しさだった。それなのに神は自らを人であると言い、恐れ多いことに自分と言葉を交わそうとする。
光の守護聖様は太陽神が人の姿を取って降臨された御姿。
たとえ人の御姿であっても神は神、民と直接に言葉など交わさないものだと思っていた……。
ジュリアスが案内された場所は、何部屋もある豪華に設えられた一画だった。
「こちらをお使いください。お入り用のものがございましたら、お申しつけくださればご用意いたします」
「私一人のためとしては過分な設えだな。それよりも私がほしいのは、この星に関する知識だ」
以来毎日時間を割いて大神官ラーシュは神の部屋に通って、ファルーマについて話している。ファルーマが迎え入れた神は、見目麗しく神々しくまさに人ならざる者と見えた。一見して親しみやすい外見でも性格でもなかったが、言葉をかわす時間が増えるにつれてラーシュは人柄を知ることとなり、この神に直接に仕えることのできる自らの幸せをかみしめていた。
我が神は容姿や知性が際立っているばかりでなく、御心映えも素晴らしい。
それがラーシュの率直な印象だった。ラーシュとしては、ファルーマの神であるジュリアスに少しでも多くこの星のことを知ってもらいたい。またジュリアスはジュリアスで、これまで存在を知られていなかったファルーマの地下都市について知りたいという思いがある。主にラーシュがファルーマについて語り、ジュリアスが疑問点などを質しながら話は進む。そうした受け答えに感じられる人柄があたたかいのだ。神官として祈りに多くの時を捧げてきたラーシュ自身清廉な人であり、正邪を見分ける確かな目を持っていた。ジュリアスはその彼の目にもまばゆいほど清廉で、力強くしかも暖かい光を放つ、太陽神として彼が思い描いていた姿そのものだった。
ジュリアスは話のついでといったふうに聖地との連絡手段についてラーシュに尋ねてみたが、
「私共は中央との連絡を絶っております。この星を逃れた元ファルーマの民とも、音信不通でございます」
と申し訳なさそうに言われた。
「カレルからも申し上げたとおり、私共は自らの力だけで生きてゆく気概でおります」
「……そうか」
ジュリアスは微かに眉をひそめた。
今は、エネルギープラントもうまく機能して民はこの地下都市で問題なく暮らせている。だが将来この星はどうなる?
他星との行き来は完全に途絶えて外と交易することもできぬ。存在すら知られておらぬ。この状態のまま地下に眠る資源が尽きたら、太陽の恵みを受けられない酷寒の星で暮らす民は、たちまち凍えることになる。
それに、閉鎖された空間で親族同士の婚姻が繰り返されるうち、遺伝的な問題が出てくる可能性も否定できない。
自分たちの力で、というその気持ちは尊重したいが、気持ちだけでは成せぬこともある。
ファルーマをこのままに置くわけには行かぬ。
「ん?」
話の最中にふと目を上げて耳をすますような様子になったジュリアスに、ラーシュは問いかけた。
「どうかなさいましたか」
「……あ。いや、何でもない」
不意に感じた闇の気配に、心臓をぎゅっとつかまれたような不安が襲った。急に近くに感じた濃厚な闇のサクリアは、クラヴィス以外の者ではあり得なかった。
聖地にいるはずのクラヴィスがなぜここに?
このような所まで来て、いったい何をしている! そなたは聖地にいるべき人間ではないか!
13. ファルーマ-4
次元回廊を抜けてクラヴィスが着いた場所は石造りの、大きな長方形の部屋だった。仄暗い中に柱が並んでいて、目を凝らせば遠くの正面には扉らしきものが見える。クラヴィス自身がいる場所は、祭壇のように見えた。
「…神殿、か…?」
ジュリアスが送られた座標はここだ。確かにここは、神を迎える場所としてはふさわしいのかもしれぬ。私は侵入者に過ぎぬが。
次元回廊を抜けてファルーマに足を踏み入れた瞬間から感じている、光のサクリアの気配。あたりに満ちる光気は明らかに、ジュリアスはこの近くのどこかにいると告げている。壇上から降りて扉へ向かって歩きつつ、邪魔なローブは脱いでシャツとカーゴパンツの身軽な格好になった。脱いだローブは近くの座席の下に押し込んで隠した。気温は低めだが、寒いほどではない。
この神殿には採光できるような窓はないにも関わらず真の闇ではない。間接照明の光なのか内部はぼんやりとした明かりに照らし出されている。出入りできる場所は正面の扉くらいしか見当たらなかった。神殿は無人のようだが、用心して音を立てないように歩いて、両開きの重い扉を細く開いてみた。扉を出た先もまた石造りの床に列柱、そしてその先は大きく開けていた。扉をするりと抜け出ると、クラヴィスは慎重に足を進めた。
神殿前面の階段状になった部分を降りれば、広場。祭事のときにはここが人で埋まるのだろうが、今はひっそりと静まり返っている。あたりに人の姿が見えないとはいえ、さすがにその真中を突っ切って行くのは見つかる危険がありそうで、広場の周囲に並ぶ柱の影を縫うように歩いた。広間の天井はドーム状になっていて、天を模しているものと思われた。
地上の神殿ならば、頭上に太陽が輝いていることだろう。広場からの出口は三方にあり、どこから出たものか一瞬迷ったが、一番手近な神殿右側の出入口を選んだ。
それにしても、ここに至るまでに誰の姿も見かけないとは……ファルーマには人が少ないのだろうか。
これだけのものを造り上げたのだから、それなりに人はいるはずだとは思うが。
地下都市の地図は、青写真段階のもののコピーを持参しているし、だいたいのところは頭に入れてきた。けれども都市計画がなされた当時からずいぶんと時も経っているために、あまり役に立ちそうにない。現にクラヴィスが最初に降り立った神殿も、ファルーマ国から入手した計画には組み込まれていなかった。他の部分も変更が加わっている可能性がある。まず第一にしなければならないのは、エネルギープラントが予定通りのところに建設されているのかを確かめることだ。万が一聖地側が入手した過去の計画と違っていた場合は、早急に救援部隊に知らせる必要があった。ジュリアスを取り戻すための交渉の成否は、地下都市の命綱であるエネルギープラントを速やかに制圧できるかどうかにかかっている。目指す場所が見つからなければ話にならない。
神として連れてこられたであろう光の守護聖は命を脅かされる危険はないが、クラヴィスはそうはいかなかった。侵入していることに気づかれれば追われて捕らえられたり、最悪の場合横死する可能性がないわけではない。そうなる以前に、できる限りのことをしておかなければならなかった。
その日の大神官ラーシュの惑星ファルーマ講座が終わって、彼を居室から送り出してしまうと、ジュリアスは部屋の中を見回して一点に目を留めた。
「クラヴィス」
「何だ、気がついていたのか」
豪華な刺繍の施された帳の陰から、クラヴィスが姿を現した。
「そなたのサクリアに気づかぬはずがなかろう。……で。なぜ来た」
「なぜ、と言われても…」
クラヴィスは薄く笑った。
「こうするのが一番効率的だと思えたからな」
「次元回廊が使えるのか?」
「一方通行だ。こちらから今すぐに聖地に帰る術はない。ファルーマの地上の王立研究院を探し出すのも、機器を使えるように蘇らせるのも、時間がかかりすぎる。第一そのための装備も人員もない」
「ではなぜ! 戻れぬとわかっていて、なぜそなたが来る! そなたは聖地にあって指揮を執るべき者だ。冗談や酔狂で首座代行を託したのではない。そなたの立場では、どのような危険が待ち受けているかもわからぬ場所に来てはならぬ!」
「ならぬ、とここで言われてもな。来てしまったものはもうどうしようもなかろう?」
ジュリアスは言葉に詰まった。
「それでいい。しばらく黙っていてくれ。言い争っている暇はない。3日後にはオスカーやランディが軍の巡洋艦でこの星に着く」
それならばなおのこと、そなたまでがここに来る必要などないではないか。
またもやそんなことを言いかけたジュリアスを制して、クラヴィスはジュリアスの奪還計画について説明を始めた。
誘拐した光の守護聖をただ返せと言ったところで、ここの民が素直に返すとは思えない。自分たちの神をそうやすやすと引き渡しはしないだろう。かといって武力で制圧するというのは女王陛下の本意ではない。ジュリアスの身の安全はもちろんのこと、民もできるだけ傷つけたくない。よって隠密裏にこの地下都市の命綱であるエネルギープラントを聖地側の支配下に置く。その上で、エネルギープラントと引き換えにジュリアスの身柄を引き渡せと要求する。
「――といったところだ。だからまずはエネルギープラントの正確な位置を知りたい。それから地表からの侵入口と。できれば地下都市に入りやすいよう私が細工をして、それをオスカーたちに知らせる。ファルーマの民に気づかれる前にエネルギープラントを押さえる」
ジュリアスはため息をついた。
「計画はわかった。ところで今更だが、そなたが単独でこちらに来るのは、皆が了承してのことか?」
「いや。さすがに反対されると思ったので、リュミエールにだけ告げて出てきた」
そんなことだろうと思った、とジュリアスは苦笑した。
「まったく、無茶をする……。すべてをオスカーたちに任せることはできなかったのか」
クラヴィスはフッと笑った。
「あの男の力を見くびっているわけではないし、任せていないわけでもない。肝心の部分はオスカーや軍に任せる。私一人ではとても無理だ。ところで、お前は先ほどの男と親しかったようだが、何か使える情報は?」
ジュリアスは、机に積まれた書物を指さした。
「ファルーマに関する書籍類だ。中に、この地下都市の地図があったはず。エネルギープラントの場所もそれを見ればわかるだろう」
「それは助かる」
二人はそこに積まれた本の中から地図を探し出すと、クラヴィスが持ってきた都市計画のコピーとの照合を始めた。
小一時間後、クラヴィスは入ってきたとき同様に密やかに、ファルーマの神の居室から出ていった。
そなただけを危険な目に遭わせることはできぬ、共に行くと言ったら、いらぬと言われた。
『神が消えては大捜索が始まることだろう。お前はこのまま、ここで何食わぬ顔をしているがいい。
オスカーたちの到着前に何かことを起こして、ファルーマの民を無駄に刺激したり、警戒させることは避けたい。お前がこれまで通りに過ごしていてくれるのが何よりの援護だ』
クラヴィスの言うことはいちいちもっともで、うなずかざるを得なかった。自分のために守護聖たちや軍が動いているというのに、今の自分はここにじっとしているしかない。それが何とも歯がゆく感じられる。
クラヴィスの姿の消えた部屋が急に空虚に感じられて、ジュリアスはしばし立ち尽くしていた。
14. ファルーマ-5
クラヴィスが来ていると気づいてから、ジュリアスはずっと闇のサクリアの気配を追っていた。聖地にいれば意識しなくとも常に感じていたそれ。あることが当たり前で、日頃は特に注意を払ってもいなかった。そのサクリアが、光の大祭で外界に出て以来何日ものあいだ身近になかった。
何かが足りない。まるでほんの少しだけ空気の薄い場所に来たかのように。久方ぶりに外界に出たせいかと思っていたが、クラヴィスがファルーマに来たことでようやく何が足りなかったのかに気づいた。
対のサクリアの源が近くにないことが、これほど影響を及ぼすとは。違和感の原因はここにあったのだ。
クラヴィスの顔を見て、このようなことをしてはならぬと苦言を呈しはしたが、心の奥底では思わぬ場所での再会を喜んでいた。来てくれて心強いとも感じた。
彼が部屋を去った後も色濃く漂う、懐かしいよくなじんだサクリアの気配が嬉しくもあり、クラヴィスがファルーマで一人、何をしているのかと心配でもあり。
見つかって捕まったり負傷したりしなければよいがと気にかけながら、その夜は眠りに就いた。
翌朝目覚めると、クラヴィスが隣で寝息を立てていた。
驚いて身を起こしたジュリアスの頬に、ゆっくりと微笑が上る。子どもの頃、互いの館に泊まった時にはこうして同じベッドで寝ていた。
ジュリアスは幼いころから独り寝の習慣が身についていたので、初めてクラヴィスが泊まりに来た時に一緒に寝ると言われて驚いたものだった。
「ジュリアスといっしょがいい!」と駄々をこねるクラヴィスに半ば呆れながらもそれを許してしまったのは、そんな素直な感情表現がまぶしくて、そして嬉しかったから。誰かと一緒に寝るという体験は、物心ついて以来初めてのことだった。
「そうしたいのならば一緒に寝てやってもよい」
といつも通りの顔をして答えながら、その実ジュリアス自身わくわくしていたのだ。一緒のベッドに入って、なぜか頭まですっぽり毛布をかぶって、闇の中で二人でくすくす笑いながら話していたのは、何であったか――。
昔のことを思い出しながら、しばらく端正な寝顔に見入っていた。
唐突にぱちりと目を開いたクラヴィスと目が合って、笑みが大きくなった。
「おはよう、クラヴィス。なぜここで寝ている?」
「…ああ、すまぬ。お前の部屋が一番見つかりにくいと思ったのだ。夜伽の女でもいたら寝台は遠慮しようと思ったのだが…」
などとからかいを含んだ声で言うクラヴィスに、ジュリアスはため息をついた。
「女など引き込むはずがなかろう」
「神に捧げられることを喜ぶ女もいように」
「まったく。子どもの頃のそなたは素直で愛らしかったことを思い出していた。それがこのような男に育つとは。……ところで、昨日はあの後どうしていた?」
「エネルギープラントの警備状況を確認してきた。都市の最重要施設でありながら警備らしい警備はされておらぬようだ。私達にとっては好都合だが…」
「それも無理からぬことかもしれぬ。エネルギープラントは命綱だ。この星の民であれば、破壊しようなどとは普通は考えぬはず」
「それで警備も手薄なのか」
「ファルーマには警察組織はあるが、軍隊はないと聞いた。何しろこの国の存在自体が知られていなかったのだ。外敵への備えなど二の次で、この地下都市で生きられるようにすることで手一杯だったとラーシュが言っていた。働ける民は都市の建設と維持、日々の糧の生産が最優先で、軍を作る余裕も、その必要性もなかったというところだろう」
「つまり防衛面ははなはだ弱い。オスカー達をうまく引き入れることさえできれば、お前の奪還計画は成功したも同然ということだな。少なくとも、相手を交渉の席に引っ張り出すことはできる」
「クラヴィス、ここの民は悪人ではない。極力手荒なことは避けたい」
「誘拐された被害者本人だというのに、ずいぶんと肩を持つのだな。…そういうところもお前らしい」
とクラヴィスは笑った。
「ファルーマは悪党の巣窟というわけではないのだ。条件の悪い場所でそれでも懸命に生きようとしている、そんな民を武力で踏みにじるような真似はしてほしくない」
真剣なジュリアスの言いように、クラヴィスも表情を改めた。
「心配は無用。それは陛下のお考えでもある。お前を無事に取り戻すことが第一だが、民の側になるべく死傷者が出たりしないように頼むとのお言葉だ」
そうか、穏便に済めばよいなとジュリアスは微笑んだ。そしてふと思いついたように言った。
「話は変わるが、食事はどうしている?」
「携行食を持ってきたが…」
「栄養面は問題ないかもしれぬが、それでは味気ないだろう。じきに朝食が届けられる時間だ。二人で分けると少し少ないが、それでも温かい食事は魅力だろう?」
「お前の分が足りなくなる」
「では、そなたから携行食を分けてもらうとしようか」
「…味気ないぞ」
目を見合わせて、二人は小さく笑った。
ジュリアスの言葉通り、程なく朝食が運びこまれた。テーブルに、普段聖地で食べているようなものが並べられていく。給仕はセッティングが終わると、深々と礼をして部屋を退出した。
「このような地下都市で、これだけのものを用意できるのか」
クラヴィスは感心したようにテーブルを眺めた。
「ここの者たちの努力は並大抵ではない。無理に私など連れてこずとも十分にやっていける力はあるように思うのだが」
とジュリアスは呟いた。
「ラーシュの話では、いろいろな事業が軌道に乗り始めてから、不協和音が出るようになったとのことだった。太陽を崇める民には、太陽が消えたことが痛手だったのだな」
そんな話をしながら朝食を分けあって食べた後、クラヴィスはまだ何やらすることがあると言ってまた出かけようとしていた。
「今宵もまた来るか?」
と尋ねたジュリアスに、少し困ったように目を上げて、
「さあ…何とも言えぬ」
とクラヴィスは答えて背を向けた。背に流れる髪は、腰のあたりまでしかない。
いつ髪を切ったのだろうか、美しい髪だったのにとジュリアスは思い、この緊急時に自分は何を気にしているのかと妙な気分になった。
幼い頃から自分が守り、導いてきた頼りない幼なじみ。そのはずだったのが、聖地で見るローブ姿ではあまり意識したことのなかった広い背中が頼もしく映り、あの頃から本当に長い時が過ぎたのだとジュリアスに知らしめる。クラヴィスはもう、ジュリアスが手を引いてやった不安そうな目をした子どもではない。一人前の男だ。それでも、つい先刻見たばかりの寝顔が昔の彼を思い出させて、誰一人として味方のいない場所へ送り出すのが辛かった。ここに、安全なこの場所に、オスカーたちの到着まで隠れていればよい。そんな言葉が口をついて出そうになった。けれども結局口にしたのは、
「気をつけて行動してくれ。できれば今宵も戻って来い」
という言葉だった。返答はない。それでも部屋を出ていきながら、クラヴィスは小さく頷いたように見えた。
15. ファルーマ-6
前夜リュミエールは、ファルーマからの連絡を今か今かと待ちながら闇の執務室にいた。オスカーとランディを軍と共に派遣することを決めた後、クラヴィスは夜を待って次元回廊を使ってファルーマへ行くと言った。止めようとする努力は無駄だと諦めて送り出しはしたものの、心配は尽きない。そろそろ着いた頃だろうか、一人で何をしようというのか、あれこれ思い悩みながら、じりじりと進む時計の針を何度も眺めてはため息をついた。リュミエールにはクラヴィスが何をしようとしているのかまったく想像がつかず、一人気をもみ続けるしかなかったのだ。クラヴィスからの情報はすべて録音できるように機器を揃えて待ち構えているが、聖地の日没から数時間経っても未だ連絡はなかった。
クラヴィス様、あなたの無事を祈ることしかできないこの場所で、私はいったいどれほど待てば良いのでしょうか……。
首座代行である闇の守護聖の不在を隠しながら、上がってくる新情報にはとりあえず目を通し、クラヴィスと話したいという者には、緊急でないことを確かめた上でクラヴィスから言われたとおりに「占いの邪魔をするなと言われている」とやんわり追い返し。
ほんの数時間のうちに、気疲れで疲労困憊していた。
通信機器が沈黙を守ったまま、夜中を回った頃。途切れがちながらようやく待ちに待った通信が入った。
曰く、ファルーマに着いた、ジュリアスの無事も確認した。
ジュリアス奪還部隊の侵入口を確保しておく、詳細は追って連絡する。
エネルギープラントが都市計画時と同じ場所にあるのか確かめに行くので、次の連絡を待て。
「次の連絡とは……いつになるのでしょう?」
「聖地は今何時だ?」
「夜半過ぎです」
「何か事態に進展はあったか」
「今のところ特には」
「では…そうだな、18時間後に連絡を入れる。聖地時間で明日の夕刻だ。その頃にはこちらでの工作も進展があるだろう。お前は少し休むといい」
「はい。……クラヴィス様」
「何だ?」
「どうかお気をつけて」
「わかっている」
持参した通信機が曲がりなりにもその役目を果たしてくれて、クラヴィスは少し安堵していた。連絡がまったくつかないようでは、自分が先にファルーマに潜入した意味がほとんどない。リュミエールへの連絡を入れるとひそやかに移動して、ジュリアスの居室へと潜り込んだのだった。
一夜を過ごしたジュリアスの部屋を出て、クラヴィスは神殿の中を歩いていた。このまま街に出て、目的の場所を目指すつもりだった。朝は人々が活動を始める時間だ。見慣れない人間がうろついているのが見つかれば厄介なことになる。ジュリアスの着替えとして用意されていた神官のローブを借りて着ていたが、神殿やその近くはともかく、神官が街を出歩くのが普通のことなのかどうかはクラヴィスにはわからない。それでなくとも神殿内で神官と出会ったら、見知らぬ顔だと不審がられるかもしれない。どちらにせよ人に会わないに越したことはないので、神殿内を用心しながら歩いていた。
巫女の衣装をつけた少女が籠いっぱいの花を捧げ持って歩いて行くのとすれ違った時に、その少女は振り返って「ファルーさま……?」と小首を傾げて言った。
立ち止まったクラヴィスもまた振り返って、
「何と言った」
と尋ねた。少女は狼狽した様子で籠を脇に置くと、その場に平伏した。
「失礼いたしました。思い違いでございました」
標準語で発した問いに、少女もまた標準語で答えた。ジュリアスから聞いた話では、神殿で使用される言語は標準語だとのことだった。
「いま、『ファルー』と呼んだな」
「先ごろ神殿にいらっしゃった太陽神様と同じような気配を貴方様から感じました。お声をかけたりして、失礼をいたしました」
クラヴィスに言われて顔を上げた少女の瞳は明るいブルー。けれどもその美しい瞳が何も見ていないらしいことにクラヴィスは気づいた。
「お前は目が見えないのか」
「はい」
「太陽神にまみえたことは?」
「遠くからその存在を感じさせていただくだけでございます。他の人間とはまったく違う、際立った存在であらせられますので、神様はやはり人とは違うのだと感じ入っております」
目が見えない代わりに人の持つ気に敏感になったものだろうか。これは面倒なことになったかもしれぬとクラヴィスは思った。再び平伏してしまった少女に問いかける。
「私がお前達の神とは違うこともわかるのか」
「はい。力強い……霊波ともいうべきものがファルー様から感じるものと同質でしたので、一瞬勘違いをいたしました。ただ……」
言い淀んだ少女に、クラヴィスは先を促した。
「かまわぬから話せ」
「はい、何と申しますか、波動の奏でる旋律が違う……」
「なるほど」
「おそれながら貴方様は……太陽神様とは別の神様であらせられますか」
少し震える声で少女は尋ねた。
「私は神などではない。お前達の神に会いに来ただけの、ただの人だ。お前達が神と呼ぶ男もまた、ただの人に過ぎぬがな」
少女は強く首を振った。
「お言葉を返すようではございますが、貴方様も太陽神様も唯人ではありません。お二方とも人を超えた存在でいらっしゃいます」
クラヴィスは苦笑を浮かべた。
「それはともかくとして、お前はファルーマに侵入した人間を見つけたわけだが……私をどうする?」
「何も」
「何も……?」
「何もいたしません。御降臨は誰にも告げません。神々のなさることに人が口出しなどできません」
「私はお前達の神ではないぞ」
「それでも、太陽神様と同じだけの強さの霊波を持つ貴方様は特別な存在であらせられます」
「お前達に害を成そうとするモノかもしれぬ」
見えない目でもう一度クラヴィスを見上げた少女は、うっすらと微笑んだ。
「悪しきモノであればわかります。貴方様から害意は感じられません。あたたかな、穏やかな空気があたりに満ちているのを感じます。心地よい霊波が、貴方様が間違いなく善い神様であると教えてくれています。善神であればなおのこと、その行く手を人が阻むことなどできません」
唯一神である太陽神のみを崇める民と聞いていたが…この少女は特殊な能力を持つゆえにこうした考えを持つに至ったものか…。
「名を聞いておこう」
「私の名をお尋ねですか?」
「そうだ」
「アリアナと申します」
「…良い名だ。アリアナ、私はこれから成すべきことをしに行くが、お前もまたお前の務めを果たすがいい。その花は神への捧げものであろう?」
地下都市の中には、明かりらしい明かりがほとんど見当たらない。それでいて満天の星に照らされた夜道を行くのと変わらない程度には明るく、暗くはあっても歩くのに不自由はない。明かりを灯すのには相当のエネルギーがいる。ジュリアスの話では、建材に光る石が使われているということだった。人気の少ない場所ではそのほのかな光だけが頼りだ。しかし暗さは、侵入者にとってはありがたい。
アリアナはこの後どうするだろうか。
少女の清冽なたたずまいは、言葉を違えることはないだろうとクラヴィスに思わせた。短い出会いではあったがアリアナのまっすぐな心は十分に感じ取れた。巫女にふさわしい気高い精神は、どこかジュリアスに似ている。
あの少女と出会ったことで自分が危険にさらされることはないと確信すると、クラヴィスはファルーマに来た目的を果たすべくふたたび移動を始めた。