失われた太陽神の星



旧宇宙の危機当時の大変動で太陽を失ったとある惑星が、奇跡的に崩壊は免れたが宇宙空間をさまよう星となった。それが偶然にも巨大な恒星の重力に捉えられた。
中心である恒星から160億キロメートルの距離にあり、約700年をかけて周回する惑星となったその星――ファルーマは、光の恵みを受けていたときには緑あふれる美しい星だった。穏やかな気候の恵まれた地で、民は平和に暮らしていた。しかし今は荒涼として凍てついた地表と、かつて多くの生命を抱く海だった氷原がどこまでも続く、酷寒の星となっている。
ファルーマでは、星の危機が迫った際の天変地異と、それに伴う急激な環境悪化で多くの人命が失われた。あまりに急な変化だったために段階的に民の移住を進める時間的余裕がなく、かろうじて生き残った民は女王府からの救援を受けて他星へと移住していた。現在彼らは出身惑星にちなんでファルーマという国を建て、そこで暮らしている。



1. 光の大祭

ジュリアスが聖地を留守にする。これは前例がないとまでは言わないが、非常に異例なことだ。彼が10代前半だった頃までは、まだ年若いジュリアスにとっての勉強の意味合いも兼ねて、視察という名目で公式に聖地を離れる機会もあった。5歳で聖地入りしたジュリアスが、外の世界にまったく触れないままというのはよろしくないという教育的配慮である。しかしその時期もとうに過ぎ去り、ここ10年来ジュリアスは聖地と飛空都市以外の地へ行ったことがなかった。これはジュリアスに限ったことではなく、代々の女王及び守護聖の首座は聖地から離れないのが鉄則となっている。

この宇宙にとってなくてはならない存在である女王と、女王を助ける守護聖たちをまとめる立場である光の守護聖とは、身の安全を確実なものとするために聖地を離れることはない。守護聖の司る力に優劣はなくどの力も等しく重要で、その意味では9人は対等な立場にある。それなのに光の守護聖だけを特別扱いするのは、要である首座を万が一にも不慮の事故で失うような危険を冒すわけには行かないという理由からだ。聖地から出られないのが「特別扱い」かどうかは議論の分かれるところかもしれない。だがその是非はともかくとして、光の守護聖が聖地を出ないのは不文律だった。
聖地とは、単に聖なる土地というだけでなく、宇宙の営みに深く関わる者たちを保護するための場所、いわばこの宇宙で一番安全な場所だ。女王自身の力による結界に加えて近代的な防御システムと衛兵による強力な守備体勢が敷かれ、さらには霊的な力によっても守られた、宇宙を守るための砦であり、正真正銘この宇宙の中心なのである。女王を危険にさらすリスクを避けるべきであるのは当然であり、首座も女王に準じた扱いを受ける。何らかの必要があって、あるいは要請を受けて視察その他の公務で外界に赴くのは、首座以外の守護聖と決まっている。
それがまたどうした風の吹き回しでジュリアスが出ることになったのかと言えば、惑星ミスラーラでの光の大祭という式典に招かれたからだった。

古い歴史を持つその惑星では光の加護を特に尊いものとしており、正式に祭礼が行われるようになって三千年という節目の年に、ぜひとも光の守護聖のご来臨を賜りたいとの懇請があり、そういう特別な機会ならぜひ行ってらっしゃいよ〜という女王の後押しもあってジュリアスが出かけることになった。ジュリアス本人にはこれまでの慣例を破る気はなく、女王にも首座が聖地に常駐することの意味を説いたが、結局は押し切られた形となった。新女王陛下に、
「あら、首座だからって聖地に閉じこもりっきりは絶対に良くないと思うの。そんな引きこもりみたいな生活してて、民のことがわかると思う? そりゃー守護聖の立場で視察に行ったからって、民の生活にじかに触れるなんてことはできないだろうけど。行かないよりはマシ。これまでそういう機会が少なかった他のみんなにも、視察の機会があればどんどん出てほしいし。だからね、まずはあなたからお願いね」
と説得されたのだった。その説得の場に同席させられた闇の守護聖に、
「陛下のおっしゃることはもっともだと思うのだが…? たまには外界へ行ってみたらどうだ。お前の頑固も少しは治るかもしれぬ」
などと薄笑いで言われて、ジュリアスはむっとした。
「そういう問題ではない」
「あのね、ケンカさせるために二人を呼んだんじゃないから。ジュリアスがいない間のことは、クラヴィスがちゃんと面倒みてくれるから、だいじょうぶ。行ってらっしゃいよ、ジュリアス」
話の矛先がいきなり自分へと向けられて、クラヴィスは眉をひそめた。一方、表情は変えないもののジュリアスの声に微かに面白そうな響きが混じった。
「そうか。つまりは、普段とは立場が逆になるわけだ。不在の間はそなたが私の代理としてすべて取り仕切ってくれるというのだな?」
「…そのような話は聞いておらぬ」
クラヴィスは書類仕事は嫌いだが、かと言って外向的かと言えばそれも違う。見も知らぬ人間と積極的に関わりたい方ではない。よって面倒な渉外担当のような仕事も極力避けたいが、立場上避けられないものも少なくなかった。首座は聖地を出ないのが鉄則なら、代わりにナンバー2が赴かなければ収まりがつかない類の公務もあるのだ。そのほとんどはお飾り的な立場で担ぎ出されるだけであり、黙って接待されていれば良いようなものだが、そういう儀礼一切を嫌うクラヴィスにとっては苦痛を伴う仕事と言える。それでも本人の意志に反して、クラヴィスが公務で外界に出る機会は案外多かった。それが今回はジュリアスが出て、クラヴィスが残ることになる。
「そなたの意思がどうあれ、私が不在であれば自動的にそうなる」
にこやかにジュリアスは言い、
「クラヴィスが仕事を肩代わりするという形で後押ししてくれているのであれば、安心というものです、陛下。そのお話、謹んでお受けいたします」
と女王陛下の御座に向かって頭を垂れた。
その隣で一緒になって頭を下げながら、クラヴィスは「私はそこまで言っていない!」と心の中で文句を言ったものの、時すでに遅し。ジュリアスが光の大祭に赴くことは、女王陛下の御前で決定してしまった。

ミスラーラへの行き来は王立研究院内の次元回廊を使って行われ、現地での滞在は数日、聖地時間にして約3時間でジュリアスは戻ってくる予定となっている。その間の首座代行はクラヴィスが務める。わずか3時間の不在であっても代わりを務める者は必要だ、責任の所在は明確にしておかねばならぬとジュリアスが主張し、正式にクラヴィスを指名したのだ。
「ただの3時間であろう? 大仰なことだ…」
とクラヴィスは渋い顔をした。しかしジュリアスは、
「本来、わざわざ指名するまでもない。首座は光の守護聖と決まっているが、その代行も伝統として闇の守護聖と決まっている。それに陛下のお言葉もあったではないか。たとえ3時間でも職務を果たしてもらおう」
と、取りつく島もない。クラヴィスはため息をついた。
「ほんの数時間で戻るのだから、お前の書類の面倒まで見ずともよいな?」
「何のための代行だ。そなたが判断して急ぐものは進めておいてくれ」
面倒だが仕方がないとクラヴィスは再度ため息をつき、それでもわずか3時間だけのことと思い直した。
「お前が聖地を出るのは何年ぶりのことだったか。まあ…たまには羽を伸ばしてこい」
「私は仕事で行くのだぞ!」
「ああ…わかっている…」
どこまでも真面目な男だと思いながら、ジュリアスを送り出したのは4時間ほど前のことだった。


2. 事故

光の守護聖が聖地に帰還する時刻が近づいた頃、王立研究院では出迎えようと次元回廊のある部屋で待機していた。が、光の守護聖は予定の時刻を過ぎても戻って来なかった。

思わぬ事故の報は直ちに首座代行であるクラヴィスの元へと届けられることになり、王立研究院の職員がひとり、宮殿の中を小走りで闇の執務室へと向かっていた。首座が行方不明になったという凶報を携えた彼は、自分がそれを知らせる使者となったことを呪いながら道を急いだ。
昼なお暗い執務室は、慣れない者にとってはそれだけでも気後れするものがあり、その部屋の主は人を寄せつけぬ空気をまとった筆頭守護聖である。その彼から声をかけられて、研究員は縮み上がった。

「行方不明とは…? どういうことだ」
クラヴィスはいぶかりながら尋ねた。危険なことなど微塵もない任務だ。惑星側の中央王立研究院へ、次元回廊を通って到着したジュリアスは、そこからほど近い場所にある光の神殿での式典に出て戻ってくる、たったそれだけのことで、なぜ行方不明になるのか。護衛官数名もついていったはずなのに、彼らは何をしていたのか。
「何があった」
一見気のなさそうな気だるげな様子の闇の守護聖だが、他を圧する気配は濃厚で、執務室に一歩足を踏み入れただけで感じ取れるほどのものだ。質問を受けた男は、王立研究院に出入りする守護聖の姿を見慣れてはいた。だが直接に言葉を交わしたことなどなかった。彼は、執務室そのものの雰囲気と常人にない空気に気圧されて冷や汗をかきながら口を開いた。
「ジュリアス様は無事に式典を見届けられ、滞在予定が終了してすぐに王立研究院から聖地にお戻りになるはずでした」
「あれの予定は把握している。くだくだしい説明は抜きで要点を」
クラヴィスの声はあくまで静かでむしろ平坦な、感情のこもらないものだったが、要はさっさと話せと急かされているのは明白だ。説明に赴いた研究員はもともと蒼白だった顔をさらに青くしながら、
「あちらで次元回廊にお入りになったところまでは確認が取れています。ところが聖地側にジュリアス様が戻っていらっしゃらないのです」
と述べた。
「…つまり、ジュリアスは次元回廊を抜けたはずだが、どこか他所に送られた、ということか…?」
はい、その可能性がございますと消え入りそうな声で研究員は答えた。
「なぜそのようなことが起こる。私の知る限り、次元回廊での事故は聞いたことがない。オスカーなどどれほどの回数行き来していることか。それでもいつも無事ではないか」
淡々と言葉を連ねる闇の守護聖の表情もまた、平静なものだ。だがその声音には底冷えするような何かがある。
なぜジュリアスが、しかもめったに聖地を出ないジュリアスに限って、そのような事故に遭うのか。と、言外に責められているようで、研究員はますます蒼白になった。
「仰せのとおり、次元回廊での事故の確率は極めて低いものです。けれども大変にデリケートな機器でありますから、絶対に、何事も起こらないとは……残念ながら言い切れません」
「言い訳をしている暇に少しでも調査を進めるがいい」
決して激昂したわけでも声を荒らげたわけでもない。だが言葉にこもる冷気に、研究員は震え上がった。部屋全体の温度まで下がったような気さえした。
「クラヴィス様、そのように厳しい言い方をなさらなくてもよろしいではありませんか。研究院では今も調査を続けていることでしょうし、ジュリアス様が行方不明になったのはこの者の責任という訳ではないのですから」
部屋に満ちる冷気を和らげるように、さらさらと流れる小川のせせらぎのような優しい声が割って入った。その場に居合わせたリュミエールに意見されて、クラヴィスはしばらく口をつぐみ、やがて先程よりは幾分穏やかに問いを発した。
「他に、今わかっていることは?」
「ミスラーラ側では機器の操作に関わった職員から事情を聞いているとのことです。聖地の研究院でも総力を上げてジュリアス様の所在を探索中です。光のサクリアが消失したわけではございませんので、ジュリアス様はどこかでご無事でいらっしゃるはずです」
わかりきったことばかりを言うな、とクラヴィスは言いたかった。クラヴィス自身にも光のサクリアの異変は感じられない。もしも光の守護聖の急な交代などという事態が起こったなら、彼が何も感知しないはずがないのだ。けれども一般の人間が、光と闇の守護聖の特殊なつながりを知るはずがないくらいのことはわかっている。それを責めるわけにはいかない。「問題は、あれが生きているかどうかではなく、どこにいるかではないか!」と怒鳴りつけたいのをこらえて、
「つまりは調査の結果待ち…ということか」
とため息をついた。守護聖の所在は、聖地の王立研究院でならば比較的容易に割り出せる。首座の行方不明は重大な事件には違いない。が、命に別状がないことがわかっているのであればあわてることはないのだと、一瞬波立った心を鎮めた。
居場所がわかったら救援の者を送ればよい。さほど深刻な事態ではない…。
守護聖の身に危難が迫っているなどという状況であれば、水晶球が沈黙しているとは思えない。ちらりと見やった机上の水晶球は、何の光景も映し出してはいなかった。


3. 新情報

ちょうどそこへ、新たな連絡が入った。研究員の携帯に最新の情報が送られてきたのである。
「失礼いたします、新情報です」
と、研究員は携帯を見る許可を求めた。
「何と言ってきている」
「光のサクリアを精査した結果、ジュリアス様は現在惑星ファルーマにいらっしゃると思われます」
「ファルーマ…?」
携帯に映し出される文字を追いながら、研究員の表情がこわばっていく。すっかり乾いた唇を無意識のうちに舌で湿しながら、研究員はためらいがちに説明した。
「旧宇宙での異変の際に居住不能となった、酷寒の惑星です。平均気温はおそらくマイナス220度前後と推定され、現在の大気が呼吸可能なものかどうかは不明です。たとえ大気があったとしても、どのみちこの低温では……。何の装備もない普通の人間がファルーマの大地に降り立ったら、おそらく瞬時に命を落とすかと……」
「何だと!?」
リュミエールは息を飲み、クラヴィスは思わず立ち上がった。上背のある闇の守護聖に見下ろされ睨みつけられて、研究員は卒倒しそうな顔をしている。
サクリアを宿した守護聖は普通の人間よりは体の抵抗力も強く、たとえ負傷しても傷の治りも早い。だが、生身の人であるには違いないのだ。限度を超えた熱や冷気、酸素欠乏にそう長い時間耐えられるとはとても思えない。そのような場所で、ジュリアスはどれほど生きていられるのか。
「どうか! どうか落ち着いてください! ジュリアス様の現在地は、普通ならば絶望的な環境であることは事実です。しかし、お姿が消えてから外界では少なくとも数時間は過ぎていると思われますが、不思議なことに光のサクリアに異常は見られません。つまりお体の安全は保たれていると推測されます。現時点ではファルーマにいらっしゃるということしかわかりません。ですが、解析を進めればもう少し事態の把握ができるのではないでしょうか」
クラヴィスは目を閉じ、ゆるく息を吐いた。
そうだ、落ち着け。己の心が感じるものを信じよ。
ゆっくりと、椅子に座り直す。どういう状況にあるのかはわからないが、ジュリアスの体に害は及んでいない、それは自分にも感じ取れる。無事でさえいてくれるのならば、何とかして連れ戻す手段を講じればよい。
ここで研究員を脅しつけたところで、何の解決にもならないのだ。
次に口を開いた時のクラヴィスの声は、一瞬見せた激情も影を潜めて落ち着いていた。
「それにしても…首座をそのような場所に送り込むなどという間違いがなぜ起こったのだ」
と言いながら、ふと気になったことを尋ねた。
「随行の者はどうなった? ジュリアスと共に消えたのか?」
「ジュリアス様が次元回廊にお入りになってすぐに回廊が閉じてしまって、ジュリアス様はお一人と聞いております」
次元回廊は普通の人間が単独で通ることはできない。しかしサクリアを持つ者と共にならば無事に通り抜けることができるので、守護聖が外界に出るときには護衛官や事務官計数名が同行している。彼らは、特に護衛官は、外界でジュリアスを一人にするはずがない。特に次元回廊を使うときは、守護聖からなるべく離れないようすぐ後について入らなくてはならない。それなのに、ジュリアス一人だけを飲み込んでいきなり閉ざされた次元回廊。そんな絶妙なタイミングで事故が起こるものだろうか。

起こらぬとも言い切れぬが。これがもし…計算されたものだったとしたら?
その意味するところは――まさか、ジュリアスだけを狙って連れ去ったのか。

クラヴィスが考えを巡らせている間にも、研究員の声は続いていた。
「……事故のときに機器の操作に直接関わった者だけではなく、惑星ミスラーラの王立研究院内にいた全員を拘束し、現在調べを進めている最中とのことです。何らかの情報が出れば直ちにこちらにも知らせてくるはずです」
事故、か。座標の入力ミスというようなことであってくれればよいのだが…おそらくはそう単純なものではあるまい。
これは…かなり厄介なことになるやもしれぬ。やはり首座は聖地から出るべきではなかったと? 聖地にはくだらぬ決め事ばかり多いと思っていたが、昔からの慣例をあまり軽く見るものではないということか。
規則や決め事を軽視して、女王と一緒になってジュリアスを外へ出した結果がこれだ。

クラヴィスの口元に皮肉な笑みが浮かんだ。それは他者へ向けられたものというよりは自嘲だった。新女王の提案は、ごく普通の生活を送ってきた彼女ならではの、ごく当たり前のこととクラヴィスは受け止めた。
新宇宙の新女王。彼女の導くこの世界は、これまでと違ったものとなってもよいのではないか。むしろそれこそが彼女が女王となった意味なのではないのか。その新しい波の中で、不自由な首座の生活をほんの少し風通しよくしてやっても良いだろうという、ただそれだけのことであったのに。
それが間違っていたとは今も思わない。ただ、なぜジュリアスが――。

「クラヴィス様?」
押し黙ったままのクラヴィスに、リュミエールが不審そうに問いかけた。が、自分の心情をクラヴィスがこの場で吐露するはずもなく、長すぎる沈黙を取り繕うかのように別のことを口にした。
「いや、王立研究院の封鎖、その場にいた全員を拘束…とは。穏やかではないな…」
ひとまずそんなことを言いはしたが、無論クラヴィスにもわかっている。
この宇宙でただ一人、光のサクリアを与えることのできる人間が消えたのだ。無事であろうと推測されているだけで、安否も定かではない。単なる事故であれ事件であれ、徹底的に捜査されることになるだろう。


4. ミスラーラ

ジュリアスを招いた惑星ミスラーラの政府は、首座の行方不明という事態に茫然自失した。記念すべき大祭に光の守護聖に来てもらうのは星を挙げての一大プロジェクトだった。恐ろしく長い年月、聖地の外に出たことがないと言われる首座においでを願うというのは、神官を始めとする惑星住民の悲願だったのだ。到底無理かと思われていた来臨が実現して光栄の極みにあったその時に、彼らは絶望の淵に突き落とされた。

関連部署は泡を食って調査を続けていた。ジュリアスの姿が消えてからすでに数時間、未だ事態の把握はできていない。
ジュリアスの移動のために入力された最終の座標は、聖地の王立研究院となっていた。座標に間違いがないとなれば、機器に何らかの不具合が起こった可能性がある。急いで次元回廊を開くための機器の検査が行われたが、相当の時間を費やした結果どこにも故障がないことがわかった。機器に問題がないと判明した時点で、聖地からはオスカーが来て事態の進展を見守っている。行方不明事件の現場である王立研究院の面々は一人ひとりが面談で尋問に等しい厳しい質問を受けた後も、完全に無関係と証明されるまでは研究院を出ることを禁じられていた。
次元回廊の操作に直接に関わった数名の面談の様子を録画した映像をざっと見たオスカーは、そのうちの一人を指して「こいつが臭うな……」と言った。必死で平静を装っているが、落ち着きがなく挙動がおかしい。汗のかきかたが尋常ではない。「そうですね」と一緒に見ていた捜査官も同意した。実際、この男はまだ面談室に留め置かれたままだった。
オスカーは「少し話したいんだが、かまわないか」と捜査員に断って、面談用の部屋に入った。

この若い男が関係しているかどうかはまだわからない。行き先の座標を入力したのが彼だったので、守護聖が消えるというとんでもないことになって単に怯えているだけとも考えられる。けれども挙動不審でかなり怪しまれてもいて、何人かの捜査官から立て続けに尋問を受けていた。男はすべての質問に黙秘することで対処していた。オスカーが入ってくると、また別の人間が来たのかと少し震える指で眼鏡を押し上げて、新たな尋問者を見た。そして炎の守護聖の感情の読めないアイスブルーの瞳に射すくめられたように目を見開いて硬直した。これまでにこの部屋に来た捜査官も一様に鋭い目をしていたが、この男はそれだけではない独特のオーラと威圧感がある。恐ろしさに目を合わせていられずに、視線をそらした。
「俺は聖地から来た。オスカーだ」
との自己紹介に、外見年齢は炎の守護聖とそう違わない若い研究員は震え出した。「オスカー」が炎の守護聖の名であることは常識だ。研究員は意を決したように顔を上げて、必死の形相で嘆願した。
「守護聖様、どうかお助けください! 殺されてしまう!」
「殺される? 誰が殺されると言うんだ? お前か?」
お前がジュリアス様の失踪に関わっているとすれば、確かに命はないかもしれんな、と続いた言葉に、彼の顔色は紙のように白くなった。
「……家族、が」
オスカーの表情が変わった。この男は脅されて言いなりになっただけの被害者であるのかもしれない。
「お前の家族か。何があった」
守護聖からの親身な問いに、研究員は首をうなだれた。
「昨日数人の男たちに家に押し入られて、妻と3歳の息子を人質にされました。私は、いつもどおりに仕事に行けと言われました。簡単な仕事をひとつすればいいだけで、それさえ済めば二人は無事に返すと……」
「そいつらの正体は? とお前に尋ねても、知るわけはないか」
オスカーは思案する表情になった。最初は事故を疑ったが、どうやらこれは計画された誘拐らしい。守護聖の動向は極秘事項ではあるが、光の守護聖を迎えるための準備は大がかりなものであったはずだ。ジュリアスが光の大祭に出席することが外部に知られていても何ら不思議はない。ジュリアスはこの惑星に数日滞在していた。誘拐を計画し実行するための時間はあったのだ。
「そいつらの言う『簡単な仕事』ってのが、ジュリアス様の行き先の入力なんだな」
「……はい。その通りです」
「確認できた最終の座標は聖地の王立研究院だったが、本当は違うんだろう? どこだ、それは」
研究員は下を向いた。次に顔を上げたときには、心を決めたように口を開いた。
「まだ……申し上げられません。このようなことを言える立場でないことはわかっておりますが、それでもお願い申し上げます。家族の無事を確かめたいのです。それがわかるまでは、何も言えません」
「この部屋の様子はモニターされている。先ほどのお前の言葉を聞いていた者が、すでに安否確認の手配をしているはずだ。じきに様子はわかる。だから言え。ジュリアス様をどこへ送り込んだ?」
炎の守護聖の眼光に負けまいとするように、研究員は目をそらさない。
「あいつらの言いなりになった時から、自分の命は諦めていました。守護聖様を危険にさらすようなことをして、何事もなく済むわけがない。でも家族は……何の罪もない家族は助けてやってください!」
オスカーは焦燥に駆られながら、それでも辛抱強く言った。
「ああ、わかっているとも。お前も、お前の家族も巻き添えを食っただけだ。決して悪いようにはしないから、ジュリアス様の居場所を教えてくれないか。お前が家族を案じるように、俺もあの方のことが心配なんだよ。一刻も早く救援を差し向けたい。だから頼む。教えてくれ」
一瞬二人はにらみ合ったが、研究員は唇をかんで目をそらした。言ってしまいたい。だが家族のことを考えると言えない。早まった真似をして殺されてしまったら、元も子もない。そういう葛藤がわかるだけに、オスカーはひそかにため息をついた。

程なく研究員の家族の無事が確認できたという知らせが入り、研究員は座標を明かした。それは記録にある最後の座標、聖地の王立研究院とはかけ離れた場所だった。
「時間稼ぎが必要だから、光の守護聖様を送る場所がわからないようにしろと言われました。移動後すぐに、1つ前に入力した座標に戻るよう細工しました。申し訳ありません」
その小さな細工は十分に功を奏していた。最終座標が聖地となっていたせいで何か突発的な事故かと疑われ、機器の状態を調べるのに大幅に時間を取ったのだ。


研究員の自宅には、口をふさがれ手足を縛られた妻子だけが残されていた。救出された妻の話によれば、男たちの数は5人、ずっと外部の誰かと連絡を取り合っていた様子で、計画がうまく行ったと引き上げていったという。
仲間同士で話しているときは知らない言葉を使っていたので、何を話していたのかはわからない。ただ、立ち去るときに「巻き込んで悪かったな」と謝罪の言葉を口にして去ったという。
計画とはジュリアスの失踪のことだろう。計画的にどこかへ連れ去られた、つまり誘拐事件であることが明らかだ。誘拐とくれば次は身代金の要求ということになることが考えられる。

だが光の守護聖が消えて現地時間でまる1日経っても、金銭の要求どころか犯人側からの接触も一切なかった。
守護聖や女王を殺そうとする者は少ない。ゼロとは言い切れないが、暗殺の可能性は低い。彼らの持つサクリアが宇宙の安定に必要であることは知られているからだ。ほとんど外に出ない彼らが、外界の人間から個人的な恨みを買う可能性もまずない。とすれば身代金目的の誘拐という線が一番濃いのだが、犯人に動きはなかった。ただじっと待つよりは行動したい。それなのに誰を相手にしているかもわからず、動機や目的もまったく不明で、聖地からの指示もない。動こうにも動けずに、オスカーはいらだちを募らせていた。


5. 聖地-1

聖地の王立研究院でも、ジュリアスが消えたという連絡が届いてすぐに光のサクリアの精査を始めていた。そしてジュリアスの居場所の特定はできたが、それはにわかには信じがたいような場所だった。
酷寒の星、ファルーマ。人の住めない環境と化した、打ち捨てられた星である。
「まさか、そんなところに!」
「あそこは確か……今は無人の星だろう!?」
「何かの間違いじゃないのか」
「ジュリアス様はご無事なのか!?」
しかしその計測値の正しさを裏書する情報が程無くミスラーラから届いた。家族を人質に取られた件の研究員が入力した座標は、まさにその場所だったのだ。あたふたと会話が交わされて、研究院の中は慌ただしさを増した。光のサクリアに乱れはない。少なくとも現時点ではジュリアスは無事であると結論して、首座代行を務めるクラヴィスに、ジュリアスが送られた場所とそこに関する情報が取り急ぎ届けられた。

より詳しい情報を求めて、クラヴィスは報告に来た研究員とともに王立研究院へと赴いた。その間にリュミエールが緊急会議の連絡を守護聖全員に回していた。
ミスラーラにいるオスカーにも、研究院を通じて帰還命令が伝えられた。しかし今後の対応を協議したいから至急聖地に戻るようにとの連絡に、オスカーは応じようとしなかった。
「帰れだと? 俺はここから動かん。犯行グループからの連絡があるかもしれないからな」
「クラヴィス様から、守護聖全員を招集するようにと申し付けられました。どうかいったんお戻りください!」
「会議なんかしたって埒はあかないだろうが。俺は、現場に近いところで捜査状況を見るほうを取る。ここにいれば、何かわかったらすぐに動ける」
「お言葉ですがオスカー様、それは命令違反ということになりはしませんか」
「いったい誰の命令だ。そんなものクソ食らえ。俺は陛下とジュリアス様のお言葉にしか従わない」
会議のための資料を作るよう他の研究員と話していたクラヴィスが、オスカーともめているらしい気配に気づいて通話に割って入った。
「…オスカー。お前がそこにいても、事態の進展は見込めぬ。とにかく今は戻れ」
「あなたでしたか! あなたから命令なんかされるいわれはありませんね!」
オスカーは、打つ手もなく無為に時間を過ごさざるを得ないことにかなり苛立っていた。日頃は慇懃すぎるほどに慇懃に接するクラヴィスに対して、彼としては珍しく食ってかかるような受け答えをした。
「あいにくだが…私は正式にジュリアスから首座代行を頼むと言われている。私の言葉は首座の言葉だ。それでも従えぬと言うか」
オスカーはぐっと言葉に詰まり、画面に映る闇の守護聖をにらみつけた。ジュリアスの行方不明という事態にもかかわらず、平然としているように見える男の顔を。そして唸るように言った。
「……了解しました。直ちに戻ります」
「そう渋い顔をするな。何らかの動きがあったら、また行ってもらうことになるはずだ。お前の働きに頼らねばならない時はすぐに来る。次元回廊で行き来できるのだから、そこにいるのも聖地にいるのも、さほど変わりはない。少し頭を冷やして戻ってくるがいい」

結局はクラヴィスの言葉に従って戻ってきたオスカーを交えて、ジュリアスのいない8人だけの会議は重苦しい雰囲気で始まった。
現在わかっているのは、ジュリアスが何者かに意図的に惑星ファルーマへと送り込まれたこと。不毛で無人であるはずのその星だが、サクリアの状態を鑑みるにジュリアスは生きているらしいこと。
口頭でクラヴィスから簡単な状況説明を受けて、
「場所がわかってんなら、さっさと救援部隊送ったらどうなのさ!?」
とオリヴィエが声を上げた。
「可能ならばすでにしている。だが…そう簡単にはいかぬのだ…」
「何で? 次元回廊使えばカンタンじゃん。なんだったら私が行って、あいつの首根っこひっ捕まえて戻ってくるけど?」
「落ち着いて、まずジュリアスが送られた星の資料を見ろ」
リュミエールから、それぞれの手元に資料が回された。と言ってもさほどの量ではなく、惑星ファルーマについて、現状でわかる限りのことが記された1枚のコピー紙だった。

惑星ファルーマ
旧宇宙の危機当時の大変動で太陽を失った惑星。 異変以前は緑あふれる美しい星だったが、今は荒涼として凍てついた地表とかつて海だった氷原がどこまでも続く、酷寒の星となっている。

奇跡的に崩壊は免れたが宇宙空間をさまよう星となったファルーマだが、偶然にも巨大な恒星の重力に捉えられ、現在はその恒星の惑星となっている。 中心である恒星から160億キロメートルの距離にあり、公転周期は約700年。 平均気温はマイナス220度前後、大気は失われていると推定される。

星の危機が迫った際の天変地異と、それに伴う急激な環境悪化で多くの人命が失われた。かろうじて生き残った民は女王府からの救援を受けて他星へと移住、現在彼らは出身惑星にちなんでファルーマという国を建て、そこで暮らしている。

「何これ? どーゆーコト!?」
「そこにある通りだ。ファルーマは旧宇宙の惑星で歴史のある星だが、無人となってからの資料はほとんどない。今は歴史云々を論じている場合でもない。現状についてわかっているのはこの程度だそうだ。研究院に行って確かめてきた」
「ジュリアス様はこんな星に飛ばされて、本当にご無事なのか!?」
資料に目を走らせたオスカーが、ほとんど叫ぶように言った。
クラヴィスの言う、救援が簡単ではない理由は明白だ。必要な装備を揃えずに行ける場所ではなかった。どう考えても、そんな環境に放り出されて一秒だって生きていられるとは思えない。到底楽観はできない事態に、動揺もあらわに皆押し黙った。




next




■BLUE ROSE■