二十年目の春


4. 大丈夫よ!

その場に取り残され、呆然と立ち尽くすクラヴィス。
二人のやり取りからようやく事情が飲み込めてきたアンジェリークは、クラヴィスにおそるおそる声をかけた。
「あの……クラヴィス」
「…………」
「あなたたち、結婚ってもしかして本気だったの……?」
こっくり。
クラヴィスは、ジュリアスが出て行った扉の方を呆けたように見つめたまま、声もなくうなずいた。
わ、なんかこんなクラヴィスってカワイイかも。
なんて思ったってことは、この惨劇を引き起こした張本人である女王は口が裂けても言えなかったわけだが。
「あなたとジュリアスは愛し合ってて、本気で結婚するつもりでここへ来たのね? それを私がぶち壊しにしちゃったってコトか……」
やっばーい。相当にまずいことしちゃったのかも。
元気な女王陛下もさすがに少しうなだれている。女王は守護聖にとってはいわば上司、結婚しようと思えば報告に来るのは当然のことと言えた。それをアンジェリークはエイプリルフールのイタズラだと笑い飛ばしたのである。
「二人とも、エイプリルフールのこと知らなかったんだ」
「一体どういう行事なのだ、それは……」
真っ白に燃え尽きた灰状態だったクラヴィスは呆然としたまま特に意味もなくそうつぶやいた。

よりによってこんな誤解を受けるような日に打ち明けに行かなくともよかったのに。
出会ってから二十年、1年365日×20で、ざっと7300日、そこからエイプリルフールの日であった20日を引いても、他にいくらも日はあったのに。
いや待て、女王の交代がある以前はそんな日などなかったのだ。これが昨年までであればたとえ4月1日でも何の問題もなかったのだ。だというのになぜわざわざ今日という日を選んだのだ、クラヴィスよ。

と思わず自分に突っ込みたくなる。ようやく茫然自失から立ち直りつつあったクラヴィス、今しがた自分が発した質問とも言えない質問に「あのね、エイプリルフールっていうのは」とアンジェリークの答えが返りかけたのを止めた。
「ああ、もうよい」
本当にもう、何もかもがどうでもよかった。話を聞く気力などない。今さら詳しく説明されたところで何になるのか。
「だって…」
「よいのだ。大体のところは掴めたゆえ説明はいらぬ。どちらにしても私はジュリアスを失った、それだけのこと……」どよどよどよ〜ん。
盛大なオドロ線をひきずって、よろよろとクラヴィスも部屋を出て行こうとした。
何だかほんっとうに悪いことしちゃったみたい。クラヴィス、世をはかなんで自殺したりしないよね……? ここは希望の光を見せとかないと、マジやばいかも。
「ねえクラヴィス、待ってったら。本当に悪かったわ。ジュリアスには私から説明して、わかってもらうようにするから。二人が本当に愛し合ってて結婚したいと思ってるんだったら、二人のことは私が認めて、応援するから、ね。機嫌直して〜」
出て行きかけていたクラヴィスは、女王の言葉にゆっくりと振り返った。機嫌を損ねたとか、そんなレベルではなく落ち込んでいたわけだが、少し生気も戻った。何しろ死人だってそこまで顔色悪くなかろうってくらいの勢いで青ざめていたのである。
女王命のジュリアスならば、陛下の言葉には耳を傾けるかもしれぬからな。
私が言い訳をするよりはうまくことが運ぶかもしれぬ。
「明日にでもジュリアス呼んで話をしてみるわ。今日呼びつけたってたぶん話にならないだろうから。あの人、ガンコだもんね」
えへへと笑う彼女を見ていると、これはちょっとした誤解なのだ、案外とすぐに仲直りもできるやもしれぬというクラヴィスらしからぬ楽観主義的な考えすら湧いてきて、淡い笑みを浮かべた。
「では陛下にお任せする」
「大丈夫よ、まっかしといて!! でね、訊きたいんだけど」
「何だ」
「ジュリアスのこと、いつから好きだったの? あなたたちってただ仲が悪いだけじゃないって気はしてたし、二人の間ってびみょ〜な空気が流れてたけど、まさか結婚したいって言い出すほどに愛し合ってるなんてぜーんぜん知らなかったなあ」
私だってジュリアスに好かれているとは露ほども思っていなかった……。それが、好きだと言われて我を失ったのがいけなかったのだな。いくら何でもいきなり結婚は…からかっていたのだと誤解されるのも無理からぬことだったかもしれぬ。あれを手に入れたいあまりに逸りすぎたか…。
クラヴィス、追想の彼方へ。「クラヴィスったら!」とアンジェリークに声をかけられて、まだ女王の控えの間にいたことを思い出した。
「ああ、すまぬ。が、そこまで言わねば協力はしてもらえないということか?」
「そんなことありません。単なる好奇心だけど、やっぱ聞かせてもらえないか。そうねー、二人の間のひめごとだもんねー。うふふふふ〜ん」
少女は何か勝手に妄想している様子だ。これ以上この場にとどまっても碌なことはあるまいと判断したクラヴィス、退出の許可を求めた。
「……もう行ってもかまわぬか?」
「いいわよ。じゃ、ジュリアスにはよーく言っとくから。明日話をしてジュリアスがわかってくれたら、すぐにあなたも呼ぶわね。楽しみにしててね!」
女王陛下のあまりのはしゃぎぶりに、少々頭が痛くなってくるのを覚えながらクラヴィスは闇の館に戻ったのだった。何だか一気に疲れたと思いながら。
あまりにもいろいろなことが一度に起こったからな。
ふられるつもりでジュリアスの元へ行き、好きだと言われて舞い上がって結婚しようと思い立ち陛下の元へ行き、ジュリアスに誤解を受けて結局ふられ、陛下には仲直りさせてあげるからと慰められ…。
とんでもない一日だ。

いくら女王陛下が仲を取り持ってくれると請け合ったからといって、必ずうまく行くという保証はない。本当のところジュリアスがどうしたいと思っているのかは、クラヴィスにはわからない。宇宙を統べる女王陛下にだって人の心を捻じ曲げることはできないし、そんなことをしようとも思っていないだろう。
「二人が愛し合っているのなら応援するわ」
女王陛下はそう仰せになったのだ。

確かにジュリアスは「好きだ」と口にした。私は昔からあれを愛してきた。
だが、時間をかけて二人の愛を育んだという事実はなかった。結婚話などジュリアスにとっては唐突以外の何ものでもない。それはわかっていた。それでも、どうしても先に形式を整えてしまいたいという気持ちが先に立った。ジュリアスを手に入れるには、形から入るのが一番の早道だから。
あらぬ誤解を受けるのも、自分の気持ちだけで押し通そうとしたことへの罰か。

長年口にしないまま耐えたあげくの暴走とは言え、自分の性急さが悔やまれてその晩は食事を摂る気にもなれず、かといって外をうろついていたらジュリアスのところに押しかけて話をさらにややこしくしてしまいそうな危険を感じたので、早々に自室に引き取ってふて寝を決め込んだのだった。
結局眠れはしなかったのだけれど。


5. 四月ばか

さて、先に女王の控えの間から、腹を立てながら出て行ったジュリアスであったが、一時の激烈な怒りが収まると今度はひどく悲しくなってきた。なぜならば。

出会ってからこの方冷たくあしらわれっぱなしの人生だった。無論それは私に至らぬ点があったせいだということはわかっている。嫌われても仕方がないと諦めてきた。それを思いがけず好きだと言われて嬉しかった。そなたが私を嫌っているのではないと知って、夢のようだった。
私は友として親しくできればと思っていただけだった。制度上問題ないからといって別段今結婚をしたいと考えもしなかった。そう言えばしかと承諾した覚えもないままに連れ出されて、陛下の御前であのような醜態を見せる破目になったのだな。

苦笑が口の端に上る。

幼いときから何を言っても何をしても心から打ち解けるということのないままに何年もが過ぎ、そして決定的だったのは先の女王試験。これで終わりだ、クラヴィスは決して私を許すことはない、親しく行き来したいなどとは二度と考えるまいと思って生きてきた。そんな日々にももう慣れた。だというのに休日に突然現れてあのようなことを言い出して。
好かれているとは思っていなかったが、あそこまでひどい嘘までついて私を笑い者にしようとは……。嫌いなら嫌いでよいのだ。私のことなど放っておいてほしかった。

ジュリアスは寂しく笑った。

何と言ったか……エイプリルフール? 「四月ばか」とはよく言ったものだ。ばかだ、私は。クラヴィスが本気であのようなことを言うわけがないではないか。
陛下の御世になってから、七夕だの秋の大運動会だのハロウィーンだのクリスマスだの正月の爆竹だの鬼は外福は内だのバレンタインだのホワイトデーだの、そういえばひな祭りというものもあったか。とにかくいろいろと新しい行事が聖地に持ち込まれたが、これもその一つなのか? エイプリルフールなど今の今まで聞いたこともなかった。クラヴィスはいつ知ったのであろうか……。

そういったことをとりとめもなく考えながら、ジュリアスらしくなく悄然とした様子で彼は歩いていた。闇の館の馬車に同乗して宮殿に行ったので、クラヴィスを置いて出てきてしまった今、帰りの足がなかったのだ。馬車を呼ぼうということも思いつかず、とにかく自邸に帰ろうとぼんやりと足を運ぶ。怒りが抜け落ちてしまうと途端にがっくりと来て、姿勢を立て直す気力も湧かない。自分が肩を落としてしょんぼりしているなんていう自覚すらなかった。
途中、公園にさしかかる。そこではオリヴィエとルヴァがベンチで世間話に花を咲かせていた。ことほど左様に聖地は平和に満ち満ちている、という証拠でもあろうか。守護聖たちは、休日にはよくこうして特に目的もなく三々五々集っては、午後の陽射しの中でのんびりと話をしたりしていた。
目ざとく首座の姿を見つけたオリヴィエ、ルヴァをつつく。
「あれジュリアスじゃない? めっずらしーい。なんか、えらく落ち込んでない?」
「ああ、そうですねー。ジュリアスに間違いありませんねー。何であんなに肩を落としてるんでしょう」
はた目にもわかるほどに元気がないジュリアスなんて、前代未聞だ。どんな危機的状況にあったって、首座はいつだって冷静に、内心はどうあろうと誰にも動揺を見せることなくすべてを乗り切ってきた。その彼が人目もはばからずそんな様子で歩いているなんて、この平和なご時世に何か一大事でも起こったかとオリヴィエはジュリアスを呼んだ。
「ちょっとー、ジュリアスッ!! こっちおいでよー!!」
ジュリアスは声のしたほうに目をやった。ベンチに座ったオリヴィエが大きく手を振り、その隣ではルヴァが目礼を送ってくる。内心、困ったと思った。今は誰とも話したくない気分だ。こんなに混乱した状態で誰かとまともな話ができるとも思えなかった。なにしろ、ものすごく悲しい。クラヴィスから冷たい視線を向けられたり刺すような一言を言われたりはよくあることで、多少は落ち込むもののそのくらいのことなら慣れっこだ。
だが、嘘で喜ばせておいて突き落とす。あれはひど過ぎる。いくら私だって木石でできているわけではない、ひどい仕打ちを受ければ悲しくもなる。早く館に帰って一人になりたい。
とは思っても、声をかけてきた守護聖たちを無視して通り過ぎるわけにもいかなかった。強力な意思の力を総動員して、何とかジュリアスはそちらに足を向けた。

「どしたの、あんた。えらく顔色悪いよ。どっか体の具合でも悪い? だったらこんなトコうろついてないで、部屋で休んでたほうがいいんじゃない?」
オリヴィエが純粋に心配してくれているのは伝わってくる。だが口を開くのすら億劫だ。それに、何と答えればいいのか。

クラヴィスに結婚しようと言われたが、それはからかわれただけだったのだ……。

心に浮かんだ答えは、それを口にすることを想像するだけでも情けない。それにそんなことを聞かされても相手も困るだけだろう。言えるわけがない。我知らず深いため息が出た。
首座が悩ましげにため息をつく様に、オリヴィエもルヴァも息を呑む。こんなジュリアスは見たことがなかった。
「ねぇ…突っ立ってないで、すわりなよ。何か悩んでるなら聞かせてくれないかな。あんたのそんな顔見たことがないから、心配になっちゃう」
「そうそう、そうですよー。ジュリアス、何もかも一人で背負おうなんて思わないほうがいいですよー」
いやこれは、ごく個人的なことなのだ、ルヴァ。
別にすべてを一人で背負い込もうとか、そういう類のことではないのだが。
しかしいささか疲れた。少しくらい愚痴を言っても許されるだろうか……。どうせ私は「ばか」なのだしな。

ジュリアス様にしてそんなことを思ってしまうなんて、よほど心が弱っていたものらしい。宇宙が危機的状況にあるとかいった場合なら、経験も積んでいるし冷静に対処法を考えることができるジュリアスであったが、一身上の非常事態についての経験は決定的に不足していた。自分の身に起こったこととなると、どうしたらいいのかわからなくなる。結婚しようとからかわれた場合の対処法なんて知らない。クラヴィスに、心をもてあそぶようなひどい嘘をつかれたと思ったことが堪えていた。
つまりはそれだけクラヴィスのことが好きなわけで、ショックもひどかった、と。まあそういうわけなのだが。
いつになく心がくじけていたジュリアスは、いったんベンチに座ったら立つのも嫌になってしまった。心が重いと体までが重くなるのだと妙な納得をしながら、ひどく珍しいことに、ルヴァやオリヴィエに少しだけ話を聞いてもらおうかという気になったのだった。


6. アドバイス

「そなたたち、エイプリルフールというものを知っているか?」
「……エイプリルフールの日といえば確か4月1日、あー、そう言えば今日ですねぇ」
ルヴァはさすがに物知りだった。「え? それ何?」と顔中に疑問符を貼り付けたオリヴィエとは対照的に、すらすらと答えが出てくる。
「他愛のない嘘で人をかついだり、ちょっとしたいたずらをしても許される日ですよ」
他愛のない、か。クラヴィスのあれは、他愛のない嘘などではなかったな。
苦い笑いがこみ上げる。
「ふ…ふふふふ…」
青ざめた顔で笑うジュリアス。不気味、というよりも最早「鬼気迫る」と形容したほうがふさわしいような笑いに、オリヴィエとルヴァは互いをつつき合った。なんか、相当に深刻なんじゃ?
「ジュリアス、どうしたんですかー?」
「いや、クラヴィスにしてやられただけだ」
オリヴィエはほっと肩の力を抜いた。それだったらいつものことじゃないの。今回はよっぽどひどいコトされたってわけ?
「なーに? クラヴィスにかつがれて、落ち込んでたってゆーの?」
そんなことを改めて口にしたくはなかったが、答えないわけには行かない。肩を落としたまま、ジュリアスは答えた。
「まあ……そういうことになろうな」
「あんたってさぁ、クラヴィスだけには弱いんだね。他の誰が何言ったって、そんな傷ついたような顔なんか絶対に見せないくせに。クラヴィス絡みのときだけだよ、そんなんなっちゃうの」
それほどはた目に明らかなほどに動揺をあらわにしているのだろうか、とジュリアスはますます青ざめた。
「そう言い切れるほどに顔に出ているのか?」
うーん、とオリヴィエは人差し指の先を唇に当てて、考えるそぶりを見せた。
「そうだねぇ、いつもはこれほどじゃないよ。ぱっと見て誰でもがわかるってことはないと思う。たぶん私はト・ク・ベ・ツ☆ 私はね、人を見てるの好きだから。わりと表情の変化には敏感なワケ。あんたって普段はかんっぺきポーカーフェイスのくせに、クラヴィスが絡んでるときってわかりやすくってさぁ。ま、ここまで見るからに落ち込んでるってのはさすがに初めてだけど」
オリヴィエは声を立てて笑った。
「でもね、そういうあんたも人間味があって悪くないと思うな。新しい時代が来て、宇宙も安定して、あんただって前ほどしゃかりきになって働かなくたっていいじゃない。だったらもうちょっと人生楽しむほうがお得だって。
いつも突っ張ってるのって疲れるんだよね。仕事のときは仕方ないトコあると思うけど、プライベートではその鉄面皮なんとかして、嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しいって素直になってみなよ。案外それって楽しいと思うんだけどなあ。クラヴィスに何か言われても、気持ちに余裕があれば今みたいにひどく落ち込んだりしないで済むんじゃない?」
「そうですねー、うんうん。あなたももうちょっと柔らかく、ということを心がけてみたらどうですか? 首座だからっていつも四角四面に構えないで。あなたらしさを出してみるのはいいと思いますよー、ジュリアス」
私らしさとは何だろう、今の私は私らしくないのだろうか。
「私は……どこかおかしいか?」
「いえいえー、そんなことはないです。あなたはりっぱな首座で、いつだってきちんとした人です。でも人間ってそれだけじゃ苦しくなっちゃったり、しませんか? あなたはそんなことはないっておっしゃるかもしれませんけど、どこかで肩の力を抜くってことは、とっても大切なことだと思うんですよねー」
肩の力を抜く。そんなことがどこでできるのだろうか。わからない。
けれども、ルヴァやオリヴィエが気遣ってくれているという事実は今のジュリアスの心に素直に沁み入った。時には他人と話してみるというのも悪くないのかもしれない。ただの時間つぶし、単なる無駄話と考えてきた類のことも、実は無駄などではないのかもしれぬと思えた。
「そうだな、そなたたちの言ったことを考えてみるとしよう」
「どう? 落ち込んでたの、ちょっとは回復した?」
オリヴィエに訊かれ、途端に眉間にしわが寄った。
「あ、それ禁止!」
「それ?」
こーゆー奴、とオリヴィエは眉間にしわを寄せて見せた。
「あのね、そんな表情してると、考えることもそれに見合ったものになっちゃうの。たとえばさ、悲しいから泣くってのはもちろんそうなんだけど、泣いてるとよけいに悲しくなるってこと知ってる? とことん落ち込んだ後は、笑えないと思っても鏡の前で笑顔作ってごらん。気持ちが変わるから。たとえば、そうだね。陛下みたいにぱーっと花が咲いたような笑顔、あーゆーのが理想的なんだよね」
わかったような、わからないような気分で、とりあえずジュリアスはうなずいた。

陛下のような満面の笑み、だと?
それは危機的状況にある星の住民すべてを短期間で移住させる計画よりも難しいような気がする……。




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■BLUE ROSE■