11. 守りたいもの
アレクシスが聖地に突然現れてから丸二日、王立研究院では少年の身元を突き止めるべく総力を挙げて取り組んでいた。けれども主星だけでなく他の星系に属する惑星の行方不明者リストへと照合範囲を広げても、少年の素性はわからないままだった。王立研究院付属校のエンブレム入りのタイをしていたことから学校にも問い合わせたが、在籍する生徒にアレクシスに該当する者はいない。彼が出現した空間の歪みの解析も進めているが依然謎のままで、こちらも身元を特定する手がかりすら与えてくれない。
アレクシスは闇の館に留め置かれ、闇の守護聖もまた、「体調がすぐれないので休む」という届けを出して館にこもったままである。もちろんその届け出内容は便宜上のもので、クラヴィスの体調にまったく問題はない。しかしアレクシスを一人で置くと何をしでかすかわからないから、監督する必要があるため館から出られないのだ。アレクシスは未だジュリアスに会いたい理由を言わないので、首座に会わせる手配はせずにいた。もう逃げたりしないとアレクシスは約束したが、その言葉を信用するには相手を知らなすぎる。たとえ約束をしたときは掛け値なしにそのつもりであったとしても、滞在できる時間が残り少なくなれば焦りも出るだろう。自力でジュリアスに会おうとしてまた衝動的に逃亡を図ったりして、あの顔をさらしながら聖地中を駆けずり回られるのは願い下げだ。
けれどもそうした用心にもかかわらず、クラヴィスの隠し子の噂はじわじわと広がっていた。クラヴィスがアレクシスを館に連れ帰る以前に目撃されているからだ。子どもを見たのは最初に追いかけていた三人の職員だけではない。守護聖たちは会って言葉を交わしているし、派手に逃げまわった姿を、研究院や宮殿の複数の人間に目撃されてもいる。少年がクラヴィスに似ていると見て取った者も少なくない。
その後の闇の守護聖の動静から、「隠し子の存在が首座にバレて、その子への対応が決まるまで首座命令により謹慎処分中だ」なんていう、まことしやかな噂が流れているのである。
そんな噂が広がりつつある頃、闇の館では同じ顔の二人が、一人はコーヒーを、もう一人はコーラを飲みつつのんびりとくつろいでいた。
「僕さー、リュミエールって好きだな」
「あの男を嫌う者はそうはない」
「水の守護聖なんだよね?」
「そうだ」
「きれいな人だよねー」
「そう、だな」
リュミエールの優しげな面差しを思い浮かべて、クラヴィスは肯定の答えを返した。何せ日頃周囲で見かける顔は美形ばかり。それが普通なので、ジュリアスは別格として他の誰が特に美しいと思ったこともないが、一般的に言ってリュミエールは非常に美しい顔立ちだろう。
「そこらの女の人よりずっときれいだけど、あんな人でも女の人と付き合ったりするのかなあ」
「さて、な。リュミエールのそういう話は聞かぬが」
「じゃあ他の人の話なら聞くの?」
「オスカーは女好きで派手に浮名を流している。オリヴィエは…あれは女好きというよりは享楽好きというべきか…」
なんて、12歳の子ども相手に何言ってんだか、この方は。
「じゃあクラヴィスは!?」
「まあ…普通だ」
「普通って、どーゆーのが普通なの?」
興味ありげに瞳をキラキラさせて尋ねられた。
「普通は普通だ。それよりお前はどうなのだ? 12歳にもなれば好きな女の子くらいいるのではないか」
「えー? 自分は答えないくせに僕にだけ答えさせる気? ずるい」
唇をとがらせるアレクシスに微笑して、
「覚えておけ、大人はずるいものだ」
と教えた。
「うっわ、サイテー。開き直ってそんなこと言うワケ?」
「それで、好きな子は?」
「いたとしたって親になんか話さないよ! 第一クラヴィス、僕が名前教えたって知らないじゃんか!」
うっすら頬を染めて、アレクシスはぷいと横を向いた。
「…確かに…名を言われてもわからぬが…」
でも好きな女の子はいるらしい、とクラヴィスは密やかに笑った。
「何笑ってんの? 感じ悪い!」
そんな調子で言葉を交わし、一緒に食事をし、チェスはできるというのでチェスに興じたりもした。アレクシスのチェスの腕はかなりのものだ。かつて頻繁にジュリアスの相手をさせられたクラヴィス自身、凡庸なプレイヤーではない。今ではジュリアスと打つこともないが、チェスというゲームは気に入っていて、強いプレイヤーの棋譜を研究したりもする。そのクラヴィスと互角に渡り合えるアレクシスには少なからず驚かされた。だからと言って家の中ばかりで過ごすのも子どもには退屈だろうと馬に乗せてやったりしているうちに、時は過ぎていく。
未来から来たというのが本当なら、彼の素性について王立研究院でいくら調査しても無駄骨だろうとクラヴィスは思っていた。少年から聞いた話を100パーセント信じたわけではないが、本人は「ここにいられるのは72時間、それが過ぎたら帰る」と言っている。だからとにかくその時が来るまでの間は、これ以上の事件を起こさず過ごさせることが第一だ。逃げないという約束は一応したが、前科があるだけに目を離してしまうのは危険だ。
そんな程度の気持ちで自邸に連れ帰って、逃げ出さないよう見張りつつ共に過ごしていたのだが。
人の相手をするなどわずらわしいが今回は仕方ないとしか思っていなかったクラヴィスだったが、つきっきりで子どもと過ごす時間は不思議と心を癒してくれた。素性についての本人申告をどこまで信じたらいいのか、その点については相変わらずわからない。嘘と断定できるだけの材料はなく、かと言って真実と認めていいものかどうか迷うところだ。けれども素性がどうあれ子どもの素直な明るさは、ジュリアスのことを考えて沈みがちなクラヴィスには救いとなった。ジュリアス以外の人間への興味などほとんど湧いたためしがなかったが、アレクシスは数少ない例外となった。他愛ない会話を交わすのが楽しく、意外なまでにこの子どもが愛しい。時と共に愛しさが募ってくる。
帰ると言った言葉通りにこの姿がまた忽然と聖地から…私の目の前から消えたらどれほど寂しいだろう。
未だ家族の見つからぬこの子を守ってやりたい。本当は単に聖地に迷い込んだだけの子どもで、未来から来たなどというのがアレクシスの嘘だったとしたら? もしも家族が見つからなかったら? かまわぬ、このまま私が引き取っても良い。守護聖は養子縁組ができただろうか…。
気がつけば半ば本気でそんなことを考えるほどに、わずかな時間の間に自称クラヴィスの息子に対する愛情が大きくなっている。
……ばかな。何を考えているのだ、私は。
12. 首座、出張る
陽光に満たされた光の執務室では、首座がいつも通りの生真面目さで執務に勤しんでいた。だが今日は気になることがあって、集中しきれずにいる。
何かがおかしい。
美しい秩序と調和に彩られているべき聖地の空気が、どことなく浮ついている。
手許の最後の書類に署名をし終えてペンを置くと、ジュリアスは立ち上がった。闇の守護聖の隠し子という例の噂は、幸か不幸かジュリアスの耳には未だ届いていなかった。が、行き合う人々の目線やそこここで交わされる会話の端々に、何とも言えない違和感を感じて仕方がないのである。オスカーがいれば何か不審なことはないか尋ねたり、周囲の様子に気を配っておいてくれと頼むところだ。しかしあいにく炎の守護聖は夢の守護聖と共に視察に出ている。曰く言い難い違和感について一から十まで説明しなくとも飲み込んで動いてくれる副官の不在は、首座の情報収集網に影響を与えていた。
これは自ら動くしかないと思い立ったのである。
執務室を出て、ずらりと並んだ守護聖の執務室の扉を眺めてみた。昨日からクラヴィスが休んでいる以外、他の守護聖に特に変わったところはない、とジュリアスは考えた。休みを取っているクラヴィスの言い分は、例によって例の如く「体調がすぐれない」というものだった。それは十中八九サボる口実に過ぎないとジュリアスは知っている。知っていての目こぼしだ。そしてそうした休み方が目に余る時には、オスカーを行かせて「体調が戻ったらきちんと出仕するように」と伝えてもらうのが常だった。体調が戻ったら、とあくまで建前は崩さないあたりがジュリアスらしい。あちらも心得たもので、オスカーの来訪で首座の忍耐の限界を悟って、次の日あたりから出てくるようになる。けれども今オスカーはいない。となれば、ジュリアス自身が行くしかない。
幸いなことに、平和になった宇宙のおかげで執務のスケジュールもそう過密ではなくなった。執務のある日であっても、守護聖の館を訪れるくらいの時間は十分に取れる。
たまには自分が出向くのもよかろうとジュリアスは馬車の支度を命じて、闇の館へと向かったのであった。
日頃からよく闇の館を訪れる守護聖といえばリュミエール、あとはたまに首座の依頼で来るオスカーくらいのもので、ジュリアスが最後にこの館にやってきたのは何年前だったかすぐには思い出せないくらい昔のことだ。その首座の突然の訪問は、闇の館の執事を驚かせることとなった。けれども老練な執事にふさわしく、そんな内心なんか微塵も匂わせることなく珍客に椅子をすすめて、「ただいま主を呼んでまいります」と下がっていった。のだが。
しばらくするとジュリアスが通された部屋の扉がいきなり開いて、誰かが飛び込んできた。
乱暴に開かれた扉に驚いてジュリアスがそちらへと目を向けると、黒髪の少年が立っていた。来客と目が合って「あ!」と声を上げた少年は、クラヴィスに瓜二つ。
どういうことなのか、わからない。
一瞬、過去に引き戻されたかと思い、ジュリアスはそれ以上何も考えられず呆然と子どもを見つめていた。少年も驚いたようで、大きく目を見開いている。二人が無言で見つめ合っているところへ、
「アレクシス、走りまわるな」
と言いながら追って来たクラヴィスは、室内にいるジュリアスに気がついて驚愕の表情になった。
なぜジュリアスが!?
ここ何年もこの館に来たことなどないのに、よりによってなぜ今?
クラヴィスの顔を見てようやく金縛り状態から脱したジュリアスは、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「……突然訪問して悪かった。どうやらそなたたちの邪魔をしたようだ。クラヴィス、子どもを追い回す元気があるのなら出仕するように。では私は失礼する」
と言って部屋を出ようとした。
「待たぬか、ジュリアス」
なぜ聖地にそんな子どもがいるのだ、その子どもは誰かと問いただすことさえなく立ち去ろうとするジュリアスの冷ややかな態度から、絶対に誤解されたと思ったクラヴィスは、あわてて引きとめようとした。何としても誤解を解かなければという闇雲な衝動に突き動かされて、ジュリアスの手首を強くつかむ。
「何だというのだ? 私はそなたの出仕を促しに来ただけだ。話は済んだから帰るまでのこと」
クラヴィスをにらむと、痛いほどに強く自分をつかんだ手を振り払ってジュリアスは部屋を出た。ちょうどそこへクラヴィスやアレクシスと行き違ったらしい執事が戻ってきて、部屋を出ようとするジュリアスと鉢合わせた。
「ジュリアス様?」
「もうよい。クラヴィスとの話は済んだ」
「待てと言っている!」
背後からのクラヴィスの声に、
「話は済んだ」
と同じ言葉を繰り返し、振り返ることもせずジュリアスは足早に立ち去った。
ため息を洩らすと、クラヴィスは執事に尋ねた。
「…何があった?」
「ジュリアス様がお話があるとのことでお見えになり、ここでお待ちいただいておりました。私がクラヴィス様をお探ししている間に行き違いがあったようです」
しきりに恐縮する執事に、クラヴィスは言った。
「そうか…。間が悪かったのだな。誰の咎でもない、仕方のないことだ…」
「クラヴィスごめん、僕が騒いでたから。ジュリアス怒って帰っちゃったね……」
「仕方のないことだと言ったろう? 別にお前も、気に病む必要はない」
ここ何年も来たことのなかったジュリアスが、たまたまこの場にいた。クラヴィスの出仕を促すつもりであったことは彼の言葉からも明らかで、首座自らがやってきたのはおそらくは片腕と頼むオスカーが視察に出ているためだ。そしてクラヴィスにはアレクシスから目を離したくないという事情があり。
誰も悪くない。間が悪い時というのはそうしたものだ。
「僕のせいで二人が仲悪くなったらいやだよ!」
「案ずるな。あれはきちんと話せば理解する男だ」
「そう……だよね。大丈夫だよね」
「ああ、大丈夫だ」
本当は、大丈夫かどうかなんてクラヴィスにもわからなかった。けれども自分のせいだとしおれるアレクシスは見るに忍びない。安心させる言葉を口にして、笑ってやるしかなかった。
しかし…最悪の露見の仕方だ。
こんな風に知られるくらいなら、アレクシスのことは最初からジュリアスに話しておくべきだったのかもしれない…。
今更だな、と自嘲の笑みを浮かべるとアレクシスの頭を撫でて、
「気にせずともよい、いずれにせよお前の件は報告するつもりだったのだ。ジュリアスが知るのが少し早くなっただけのこと…」
と言った。
13. 痛むのは
逃げるように部屋から出たジュリアスは、足早に待たせていた馬車へと向かった。いったん足を止めたら、その場から動けなくなるような気がした。心に渦巻くのは、得体の知れない感情のうねり。
痛い。クラヴィスの触れた手首が。
クラヴィスに強くつかまれていたところを無意識のうちにさすりながら、他のことは考えずただそれだけを思おうとした。ジュリアスは御者に「宮殿へ」と行き先を告げて馬車に乗り込むと、座席に倒れこむように座った。
たかが子ども一人を目にしただけで、なぜだかひどく心が乱れる。胸が苦しい。痛いほどだ。
動き出した馬車の中で、クラヴィスはあれほどに力が強かったろうかと考えるともなく考えた。あの館を訪れたのが数年ぶりならば、クラヴィスと直接に触れ合ったのは一体何年ぶりか。子どもの頃はあれほども近くにあった存在と、長い時の間にすっかり離れてしまっていた。心の距離が開いたのは、言葉が足りなかったせいだろうとここ最近になって思うようになった。他の者に対して必要な言葉を惜しむことなどしないというのに、クラヴィス相手だとなぜか勝手が狂う。
今も……きちんと尋ねるべきこと、話をすべきことはいくらもあったのに、それをせずに出てきた。クラヴィスは何と思っただろう。物言いたげだった彼をはねつけて話を聞くこともしなかった。どういうことであるのか説明できるはずの者がいるのに、事情を明らかにするよりもその場から離れることを選ぶなど、自分らしくない。強く捕らえられた手首を無理矢理に引き離して、館を出てきた。
痛いのはその腕のはずなのに。
胸が痛いのはどうしたことだ。
痛むのは胸ではない、腕だといかに自分に言い聞かせようとも、現実に苦しく感じている胸の痛みをごまかしきれるものではなかった。
なぜ痛むのか。
わかりたくない。何も考えたくない。
しかし……どうしてもあの子どものことを考える。
最近になってクラヴィスとときどき何気ない会話を交わすようになり、それを嬉しく思っていた矢先に出会った少年。
艶のある黒髪、驚きもあらわに私を凝視していた深い紫の瞳。
誰が見ても一目瞭然、クラヴィスとそっくりなあの容貌が物語るのは――。
あれは……クラヴィスの子だ。
いつの間にこのようなことになっていたのだ?
何だか目の奥が熱い。ゆっくりと目を閉じて、目尻にじわりとにじむものを感じて、それは泣きたいのかもしれないとようやく気がついた。
何故だ?
クラヴィスの子の存在を知って胸が痛み、涙がにじむ。
これほどに辛いのは何故か。
現れたのが例えばオスカーの子だったなら。
或いはルヴァの、オリヴィエの、リュミエールの子だったとしたら。
困ったことをしてくれたと思うことだろう。その子と母親のためにどうするのが一番よいか、頭を悩ませることになるだろう。だがその存在が泣きたいほどに辛いなとどいうことはないだろう。
彼らとクラヴィスとの違いは何なのだ。
一番付き合いが長い幼なじみ。
彼のしでかした不始末だから、これほどに胸が痛むのか……。
子どもの後を追ってきたクラヴィスがたしなめる言葉は、私が聞いたことのないような穏やかな声だった。
きつく咎めるのではなく、優しい響きだった。
走りまわるな、と少し困ったように。とても――愛しそうに。
大人同士の会話と、大人が子どもに話しかける口調とが違っていることなど当たり前だ。
だというのに、愛しげな、優しい響きが耳から離れない。
私は……クラヴィスからあのように話しかけられたことはなかった。
声を荒らげることは滅多にないが、と言って優しく話しかけられたこともない。
私とクラヴィスは同年で、ずっと反目しあってきた。私のほうとてクラヴィスに優しい言葉などかけたことはない。クラヴィスが私に優しく接する理由もない。
それがわかっていながら、クラヴィスの優しさを当たり前のように受けている子どもがうらやましいのか、妬ましいのか。
わざわざ子どもを聖地に呼び寄せて、自邸に引き取ったのだろうか。
とすれば、母親は? 親から引き離して子だけを引き取るなどというひどい仕打ちはするまい。
ということは子の母親もあの館にいるのか。
ではその女性もまた、クラヴィスからああして優しく話しかけられるのか。
目の前が暗くなる思いだった。
なぜかはわからない。
きちんと責任を取って母子二人を呼び寄せたのなら、やったことの後始末としては悪くない。守護聖の結婚を禁止する法はないのだから、正式に家族となってこれから幸せな家庭を築くこともできる。あれほどに慕っていた母親と幼いうちに引き離されて孤独に生きてきたクラヴィスに、新しく愛する家族ができるのだ。……愛しそうに子を呼んでいた。父であることをあれが既に受け入れているのならば、むしろ良いことかもしれぬ。
そう、良いこと。
……であるはずだというのに。
良いことだと納得しようとするそばから、これは裏切りだという別の思いがこみ上げる。
裏切りとは何に対して?
――私への。
酸のように心を焼く、禍々しいもの。少年を見た瞬間に沸き起こった感情の強さが、その感情の持つ毒がジュリアスを混乱させた。
クラヴィスに愛する女性や子があったとして、それがどうして自分に対する裏切りと感じられるのか。
わからない。
大きく目を見張って自分を見つめていた少年の顔が目に焼きついている。
髪型こそ違うものの、印象的なアメジストの瞳も鼻も口も、あの年頃であった頃のクラヴィスに生き写しだった――。
14. 帰還する日
首座が闇の館を訪れた翌日、クラヴィスはアレクシスを連れて出仕した。聖地に来て四日目の今日、来た時と同じ時刻に自分は帰るとアレクシスは言った。ちょうど研究院のほうから「調査の状況を知らせる」と連絡があったので、当事者であるアレクシスも同席させようと連れてきたのだった。
三日ぶりにクラヴィスが出てきたと知って、ジュリアスはもう一度落ち着いて話そうと闇の執務室へ行こうとしていた。館で少年と出くわしたときの自分の態度はどう考えても良いものではなかった。クラヴィスの言い分も聞かず、自分の話は済んだとばかりに館を後にしたのだ。
今度こそ気持ちを落ち着けて話すつもりだったが、クラヴィスのいる場所へと足を向けた時点で既に冷静さを欠いていたのかもしれない。落ち着かなくてはと思うあまりかノックも忘れて無言で扉を開けると、研究員の後ろ姿が目に入った。その向こうには執務机、クラヴィス。そして少年が一人。
あの子だ。
まさか執務室にいると思わなかった少年と目が合って、仮初の冷静さなど消え失せた。無言のまま二歩三歩とジュリアスは執務室に足を踏み入れた。
「何だ、ジュリアス。ノックもなし、声もかけずにいきなりとはお前らしくない訪問の仕方だな」
クラヴィスの声を聞いたことで、麻痺していた頭が働き出す。
「ようやく出てきたと思えば執務室に子どもなど連れてきて……何のつもりだ」
いきなりなじる響きになった。
落ち着いて話すはずであったのに。
自分でも何を言っているのかわからない。勝手に言葉が紡がれていく。
「執務の妨げになるばかりであろう!」
感情のコントロールがきかない。気がつけば激しい口調で糾弾していた。対して、クラヴィスは落ち着いていた。珍しいことにジュリアスは冷静さを失っている。そんな彼と言い争いをしても不毛だ。相手の態度に引きずられることなく、静かに事実を告げた。
「研究院で調べさせていたことがあってな。この子にも関係がある話なので、連れてきた」
「ではその子は? 何者だ」
研究院とその子どもとが、一体どう関係するというのだ!
「アレクシスと言う」
「名ではなく、何者かと問うている!」
そなたの子ではないのか!
と喉元まで出かかった言葉を、ジュリアスはやっとの思いで飲み込んだ。これでは昨日の闇の館でのやり取りよりも尚悪い、と靄がかかったような意識の片隅で警告が鳴り響いている。
自分の中で荒れ狂う感情が何であるのかわからないままに、努めて声を抑えてジュリアスは言った。
「なぜそのような子どもが聖地に」
「ジュリアスだ! 本物のジュリアスだー!」
最初にクラヴィスと出会った時のように、それまで口をぽかんと開けて見ていたアレクシスが声を上げたことで、言いかけていたジュリアスの言葉がさえぎられた。
「な、何だ!?」
いきなり少年に名前を呼ばれて、青い目が丸くなった。
「ジュリアスッ!」
自分に向けられたのではない厳しい首座の言葉にすら小さくなっている研究員をよそに、恐れ気もなくジュリアスに駆け寄ったのはアレクシスだった。驚きで声をなくしているジュリアスを見上げると、うれしそうに笑った。一瞬、まぶしげにその笑顔を見たジュリアスは、表情を引き締めるとクラヴィスをにらみつけた。
「何なのだ、この躾のなっていない子どもは!!」
またもクラヴィスへと向かった矛先に、アレクシスがあわててジュリアスの手を引いた。
「ごめんジュリアス、怒んないで。この前は何も話さないうちに帰っちゃったし、もう会えないかと思ってたから僕、うれしくって!」
子どもは「うれしい」と言った。理由はわからないが、目の前にいるクラヴィスのミニチュアに自分はどうやら慕われているらしい。
「……どういうことだ、クラヴィス」
「この子は三日前に突然聖地に、正確に言えば王立研究院の中に現れた。その未知の現象について、調べている最中なのだ。調査の結果が出てからお前のところにも報告が行くはずだった。それなのにお前が乱入してくるから、順序が狂った」
「悪いのは私か」
ジュリアスの声は地を這うよう。アレクシスがあわててジュリアスの手を握りしめた。
「ジュリアスもクラヴィスも悪くない! 僕がここに来たのがいけなかったんだ。頼むからクラヴィスのこと怒んないでよ!」
知りもしない子どもにいやになれなれしく振舞われて、普通なら不快に思うはずだったが、この少年のことはいやだと思わないのはなぜだろう。まず間違いなくクラヴィスの息子であろう少年の存在に衝撃は受けたものの、子どもに対して嫌悪の気持ちがないことにジュリアスは安堵していた。誰が親であろうと少年自身に罪はない。初めて間近からしっかりと見た少年の顔はやはり、この年頃だったクラヴィスと瓜二つ。このくらいの年頃からクラヴィスとはだんだんと折り合いが悪くなっていったのだったと思い出す。遠い日の面影を目の前にして、当時の苛立ちや焦りや痛みがまざまざと蘇った。
だが、この少年はあの時の少年とは別人だ……。
あの頃の苛立ちをこの子にぶつけるのは筋違いというものだ。
「話を聞いてから決めるとしよう。怒らねばならぬような理由がなければ、誰も腹を立てたりはせぬ」
真剣な面持ちで自分を見上げている子どもの顔を見て、ジュリアスは少し表情を和らげた。
15. 絆
首座の予期せぬ登場により一気に緊迫感に包まれた闇の執務室だったが、成り行きに固唾を飲んでいた研究員は一段落ついたらしい空気にほっと肩の力を抜いた。筆頭守護聖の言い争いのど真ん中にいるのは寿命が縮む思いがする。
「あのぅ……お話はお済みのようですので、私のほうからご報告をさせていただいてよろしいでしょうか」
「ああ、頼む」
筆頭二人に同時に言われて、頭を下げて、「それでは」と話し始めた。
「まずはお詫び申し上げねばなりません。結果から言いますと、何もわからないというのが現状です」
闇の守護聖が眉をひそめた。
「ではお前は何のためにここに来たのだ。結果が出たら知らせろと言ったはずだ」
「申し訳ありません。ですが今わかることの全てが、『この子の素性がわからない』ということなのです。これほど調べても何もわからないという今回のような事態は経験がありません。丸二日かけても進展がないのには我々も歯がゆい思いをしておりますが、何分にも異例のことなのでもう少しお時間をいただきたいとご報告に伺った次第です」
ジュリアスが口をはさんだ。
「素性がわからないなどということがあり得るのか? システムが整備されていない辺境の惑星出身だとでも?」
「この子――アレクシスは、首都に住んでいると言っています。その言葉に従い、まず首都の住民登録をチェックしたものの記録がなく、さらに主星全体をチェックしましたが、この子の登録はありませんでした。住民登録システムは完璧なはずですが、この子から聞いた情報、及びモニターの顔写真だけではどう探してみても見つからなかったのです。行方不明者リストに該当者はなく、現在は他の星系まで照合範囲を広げています。同時に、研究院内の謎の空間の歪みの調査も進めておりますが……何であるのかいまだ解析は済んでおりません。完全に未知のもので、解析にどのくらいの時間を要するのかも現時点でははっきりとは申し上げられません」
ジュリアスは初めて耳にする情報について尋ねた。
「その空間の歪みとは?」
「この子が現れた研究院の空間に歪みが認められるらしいのだ、ジュリアス。今はまだ、その場所で何らかの未知の現象が起こったということしかわかっていない。そういう事だな?」
最後は研究員に向かっての言葉だった。
「仰せのとおりです。現時点で報告ができるのは以上です。……私はこれで失礼してもよろしいでしょうか。作業に戻らねばなりません」
これまで研究院が調査に全力を注いでいたことはわかっている。それでもまだわからないというのを、引き止めたところで仕方がない。
「下がってよい」
と筆頭たちに声を揃えて言われて、研究員は執務室から退出した。
残ったのは、クラヴィスとジュリアスと、一人の子ども。
「研究院の調査でもわからぬとはな。素性のわからぬ子どもをどうしたものか」
「……そなたと関係のある子ではないのか」
息子なのかとあからさまに尋ねるのもはばかられて、ジュリアスはそう言った。クラヴィスはフッと笑った。
「私は知らぬ。この子自身も、家に父親がいると言っている。私とよく似ているが46歳だそうだ。その46歳の父親が、聖地に暮らす私ではあり得ないだろう? あまりにも似ているせいで、この子と会った者全員に疑われて言い訳する羽目になる…」
「その話、まことか」
真剣な面持ちでジュリアスはアレクシスに尋ねた。
こちらも真剣な面持ちでうなずく。
「うん。家にはクラヴィスより年がずっと上のお父さんがいる」
「そうであったか」
ジュリアスは小さく息を吐き出した。アレクシスの言葉に、闇の館でこの子を見た瞬間から胸に巣食っていた毒を含んだ感情が、霧が吹き払われるように消えていく。あれは何だったのか。クラヴィスに似た子どもの存在に、なぜあれほどまでに衝撃を受けて思い悩んでいたのか。しかし今はそのことを深く考えている暇はなかった。クラヴィスにそっくりの深紫の瞳がジュリアスをじっと見上げていたからだ。
「僕を見た人みんな、僕のことクラヴィスの子どもじゃないかって思うの、知ってるよ。ジュリアスもそう思った?」
「うむ、正直言ってそうとしか見えなかった。これほどに似ている他人があるだろうかと今もまだ不思議な気がする」
聖地で働く人間には様々な人種がおり、髪の色瞳の色肌の色はありとあらゆるバラエティがあると言っても過言ではない。その聖地にあってさえ、クラヴィスのような瞳の人間を他に知らない。それもまたこの子どもがクラヴィスの子だと瞬時に確信した理由の一つだった。
「それでクラヴィスのこと……怒ってた?」
「……いや」
怒っていたのではないと思う。だから口から出たのは否定の言葉だった。
アレクシスを見てクラヴィスの子だと思ったときににわかに湧き起こった感情は、単純に怒りと呼べるものではなかった。感情というよりは雷に打たれたような衝撃だった。そこには確かに怒りも混じっていたかもしれないが、裏切られたという思いを核としたもっと黒いものだった。自分の心の中に生じたもので自分自身が蝕まれるような何かだった。だが簡単な言い方をすればやはり怒っていたのかもしれない。
「だが、そうだな。最初は……怒っていたのかもしれぬ」
「クラヴィスはウソついてないよ。僕のこと、覚えがないっていうのは本当なんだよ。クラヴィスはそういう大事なことでウソついたりしないよ」
ジュリアスは目の前の少年をまじまじと見た。ほんの数日前、突然に聖地に現れたのだという。そのわずかな時間の間にこの少年はクラヴィスの本質をよくわかっている、そう思った。
「そうだな。そなたの言うとおりだ。普段の言動からはそう思えぬところもあるが、クラヴィスは大切なことについて嘘をつくような人間ではない」
「わかってくれてうれしいよ!」
「これでもクラヴィスとの付き合いは長いからな」
「やっぱりちゃんと話聞いてくれた。きちんと話せば大丈夫ってクラヴィス言ってたけど、ホントだったね」
アレクシスは笑顔でクラヴィスを振り返った。
「…だろう?」
クラヴィスが笑みを返すのを、ジュリアスはただ見ていた。
あたたかな微笑は少年に向けられたもの。それを目の当たりにしてももうあれほど心が乱れることはない。ただほんの少し、胸が苦しいだけ。自分に向けられたものではない微笑に、ちりっと心が痛むだけ。
まるで親子のようによく似た二人の間の絆が……少し、羨ましい気がするだけ。
少年は再度ジュリアスを見上げた。
「残り時間少なかったから、これでちょっと安心かも。僕はこの世界では幻みたいなものなんだ。あと少ししたら消える。だからもうクラヴィスとケンカしないでね」
この、しっかりとした血肉を備えた少年が幻?
ジュリアスは理解できないといった顔をした。
「生きてここにある肉体が幻であろうはずがない」
自分の手を握りしめたあたたかな手の感触は、確かなものだった。生きている人間の手だった。
「でもホントにそうなんだよ、ジュリアス。幻のくせに、いろいろ引っかき回しちゃったみたいでゴメン。ここまでの騒ぎになるって思わなかったんだ」
アレクシスは、本当に申し訳なさそうに身を縮めた。