あの笑顔をもう一度


6. 逃亡者

クラヴィスが何やら物思いに沈んで心ここにあらずな風情なのを幸いと執務室から抜け出したアレクシスは、手近な扉を開けて中に飛び込んだ。後を追ってこられたら、身を隠す場所のほとんどない長い廊下にいてはあっという間に見つかってしまう。案の定、間を置かず扉の向こうでクラヴィスやリュミエールの声が聞こえていたが、その部屋には誰も入ってくることなく遠ざかっていって、アレクシスはほっとした表情になった。
「あ〜よかった。行っちゃったみたいだ。かくまってくれてありがとう、お兄さん。僕はアレクシスっていうんだ」
「俺はランディだよ」
突然の見知らぬ訪問者が見るからに自分よりも幼い子どもであったため、ランディは即刻セキュリティに連絡することはせずに様子見の構えだ。
「ランディって……コーラが好きな?」
自分の嗜好を言い当てられて、風の守護聖はびっくり顔になった。
「何でそんなこと知ってるんだい?」
「さっきクラヴィスが言ってた」
あっさり呼び捨てで大先輩の名を出されて、まじまじと少年を見つめる。自分のような若輩に対してならともかく、闇の守護聖に敬称もなし? いきなり扉を開けて飛び込んできたときには闖入者に驚いたこともあって気がつかなかったが、よく見ればクラヴィスとと非常によく似た顔立ちであることがわかって、ランディの驚きはますます深まった。

クラヴィス様って……結婚なさってたっけ……?
そんな話、聞いたことないけど。俺が知らなかっただけなのか?

「君はクラヴィス様とはどういう関係?」
アレクシスは困ったようにうつむいた。
「うーん、簡単には言えないや」
「じゃあコーラでも飲みながら話す?」
「あるの!? 飲みたい! のど渇いちゃったんだ」
少年はコーラにだけ反応した。
「のどが渇いててコーラは飲むけど、話はしてくれないのかい? ゲンキンな子だな」
そう言いながら、ランディは気を悪くした風でもなく控えの間の冷蔵庫から取り出したペットボトル入りのコーラを手渡した。
ぷしゅっとフタを開けて、冷えたコーラを飲む少年。やはりクラヴィス様に似ている、とランディは見ていた。
「ぷはーっ、コーラはやっぱりいつでもコーラなんだね!」
という当たり前といえば当たり前な感想を洩らす少年を、ランディは興味深そうに眺めた。
「髪型も年も違うからぱっと見はそう思わなかったけど、見れば見るほど君ってクラヴィス様そっくりだね。あの方が君くらいの年のときはきっとそんなふうだっただろうなって思うよ」
「僕とクラヴィスってやっぱり似てる? おじさんたちに追いかけまわされてて、僕のこと捕まえたのがクラヴィスで、ラッキー! って思ったけどさ。ジュリアスに会わせてくれそうにないから、逃げてきたんだ」
話し出してくれたのはよかったが、話す内容は今ひとつよくわからない。本人の中ではつながっているのかもしれないが、いきなり聞かされた初対面のランディは疑問に思うことばかりだ。
「君はジュリアス様のことも知ってるの?」
「知ってるっていうか……会ってみたいなーっていうか」
「お会いして、どうするつもりなんだい?」
「つもり? そうだなあ、僕どうしたいのかなあ……。ただ、会ってみたいんだよ」
「でもクラヴィス様はだめだとおっしゃったんだね?」
「……うん」
少ししょんぼりして少年はうなずいた。
「僕がいることはなるべくナイショにするようにって、僕のこと追いかけてきたおじさんたちにも言ってた」
「……逃げてきた君には悪いけど、やっぱりクラヴィス様に相談に行った方がいいような気がするな。事情がわからないから、どうしてあげるのが一番いいのか俺には判断できない」
「えー? ランディっていい人だと思ったのに、僕のことクラヴィスに言いに行くの? 」
「クラヴィス様は……ちょっと怖く見えるかもしれないけど、とても優しくていい方だよ」
「うん知ってる」
コーラを飲みながら、アレクシスは言った。
「でもさ、せっかく来たのにジュリアスに会えないんじゃ……」
「それってたとえば、遠くから見るんじゃだめなのか?」
「見るだけかぁ……。できたら話したいんだ。それがダメならせめて近くで見たいけど、近寄ったら絶対にお前誰だって問いつめられるよね」
「そうだな。聖地の関係者じゃない子どもがいるのがジュリアス様に知れたら、ほっといてはもらえないと思うな」
うつむいてしまった少年を見ていて、ふと思いついた。
「ゼフェルなら見つからないよう小型カメラで写して見せてくれるかもしれないよ!」
「えーっ? こっそり? それってトーサツじゃないの? バレたらまずいんじゃない?」
「でも君、ジュリアス様に会いたいんだろう? クラヴィス様がだめだっておっしゃってるのに会わせてあげるのは俺にはできないけど、お姿を見せてあげるくらいなら。ゼフェルはけっこうメカでいろんなことやってるから、もしカメラが見つかっても大したおとがめはないと思うしね」
本人のいないところで簡単に請けあう風の守護聖である。もしこの場にゼフェルがいたら、「オメー、なにテキトーなこと言ってんだよ!」とむくれるに違いない。
「うーーーん、全然会えないよりはマシかもしれないけど」
この案はあまり少年のお気に召さないようだった。
「それがいやなら、クラヴィス様のところに戻っておわびをして、それからきちんとお願いして会わせてもらえるようにしないと」
「そうかー。やっぱそうだよなー。……ところでさ、ゼフェルって誰?」
「あれ? ジュリアス様やクラヴィス様は知ってて、ゼフェルはわからない?」
「ぜーんぜん。誰なのさ、それ」
「鋼の守護聖だよ……」
どうやらこの子どもは守護聖の名前なんかには重きを置いていないらしい。
「あーそれで、機械系得意なんだ、そのゼフェルって人!」
「ちなみに俺は風の守護聖な」
「ふーん」
アレクシスはしげしげとランディをながめた。
「何だよ、そんなに見ないでくれよ。俺、どこか変かな?」
「ううん」
と少年は首を振って、
「風の守護聖って勇気を司るんだよね。なんか、らしいなあって思ってただけ」
と言った。守護聖の名前に興味はなくとも、最低限の基礎知識は持っているようだ。


7. 盗撮作戦

場所は変わって、鋼の執務室。
話を聞かされた銀の髪の少年は怒ってはいなかった。が、ご機嫌麗しくもない。呆れたように風の守護聖を見やって、ぶつぶつと不平がましく口を開いた。
「んで、おめーはこのクラヴィスに似たガキをここに連れてきたってか」
「何とかしてやれないか、ゼフェル?」
ゼフェルは頭をガリガリとかいた。
「オレの知らねートコでチョーシいーこと言って勝手に引き受けてんじゃねーよ、ったくもー……」
「最初にお前に断らなかったのは悪いと思ってる。ゴメン。だけどさ、すごく一生懸命なのにほっとけないじゃないか」
赤い瞳がクラヴィスのミニチュアを胡乱げに見た。
「そりゃー……準備期間があれば執務室にカメラ仕込むくれーカンタンだけどよー」
ミニチュアはゼフェルの手をつかんで意味もなく振り回しながら、熱意もあらわに訴えた。
「どうしてもジュリアスを見たいんだ! なるべく早く!」
「とかワガママゆーしな、コイツ。すぐにっつーなら、たとえばラジコンのヒコーキに小型カメラ搭載するくれーか」
「えっ、ラジコン? ホント? 見たーい!!」
目当てのジュリアスよりも、ラジコンに心を奪われたように目を輝かせて騒ぐアレクシスをまた横目で眺めやって、ゼフェルは言った。
「なーこのガキ、クラヴィスと何かカンケーあんのか? あいつと違ってやけにおキラクで元気なセーカクしてっけど」
「この子はアレクシスだよ、ゼフェル。クラヴィス様と関係があるかどうか、俺は知らない」
ハァ、とため息を吐き出して、ゼフェルは今度はアレクシスに尋ねた。
「おめー、何でジュリアスなんか見てーワケ? ガチガチの石頭で、会ったって面白くもなんともねー奴だぜ」
「ただ会ってみたいんだ。クラヴィスにはもう会えたから」
「やっぱおめー、クラヴィスとなんかカンケーある? だったらよけーにフシギなんだけどよ。何でそんなにジュリアスにこだわるんだ? あいつら二人、いっつもケンカばっかだぜ」
アレクシスの眉がくもった。
「そうなの?」
「ゼフェル、言い過ぎだよ。ケンカってほどじゃないじゃないか」
「まーな。けどケンアクなフンイキなのはしょっちゅーだぜ。でもま……最近はちったーマシかもな」
「そう……」
ほっとしたような笑顔を見せるアレクシスに、
「そんなに気にしてるって、おめーあいつらのナンなんだよ?」
とゼフェルは言い、顔をのぞき込むようにしたが、答えは返らない。
「……わかったって。言いたくねーことだってあるよな」
こっくりとうなずいたアレクシスの頭をがしがしと撫でた。
「あのなアレクシス、ラジコンはけっこー音でけーから、ジュリアスに気づかれねーよーにヒコーキ飛ばすのはまずムリだって」
「そう? でもゼフェルは鋼の守護聖でしょ。器用なんだよね。機械扱うのなんてカンタンにできるよね!」
キラキラと目を輝かせた小さなクラヴィス顔の子どもを見て、ゼフェルは「あーもー、しかたねーなー」とつぶやいた。
「執務室の窓の外から望遠で撮ってみっか……せーぜー後ろ姿ぐれーしか撮れねーかもしんねーけど」

そしてその作戦の結果はと言うと、ゼフェルの予言通り、執務机についているジュリアスの斜め後ろからの姿しか撮れなかった。白い衣装、金髪の頭くらいしか確認できない。
「ゼフェルー、これじゃほとんどわかんないよ」
とアレクシスに泣きつかれて、ゼフェルは頭をかいた。
「だから最初っからそー言ってるじゃねーか。あとはあれを試してみるくらいしか……」
最後の方はほとんど独り言。それでもしっかり聞きつけたアレクシスが、
「あれって何? ねえゼフェル、教えてよ!」
うるせーガキ。
と思いながら、それでも何だか憎めない。ランディが「一生懸命なこの子の手助けをしてやりたい」とゼフェルのところまで連れてきた気持ちが何となくわかる。
「まだ試作段階だからな。いきなりジュリアスに試すのはちょっとボーケン過ぎってーか」

その時ノックの音がした。
「入ってもいい、ゼフェル?」
「げっ、マルセルだ!」
「どうする、ゼフェル!?」
「コイツがいるのにいいって言えねーだろーが!」
「だけどマルセルなら……ダメかな?」
入っていいと言われないものだから律儀に扉の外に立ったまま、マルセルはさらに言った。
「ねえゼフェルー、ラジコン飛ばしてたでしょ? なんでぼくも誘ってくれないの?」
うるせーガキがもう一匹。
心の中でそう言って、ゼフェルは声を上げた。
「入ってこいよ!」
扉をあけて駆けこんできたマルセルは、見知らぬ少年を見つけてびっくりした顔になった。
「あれ? この子誰なの? ……クラヴィス様の子ども?」
素直なマルセルは素直な感想を口にした。

アレクシスをマルセルに紹介して(と言っても名前を教える程度だったが)、本題に戻った少年たちは、ゼフェルの新しいメカの説明を受けていた。
「直径3センチ程度の球体の、よーはカメラなんだけどよ、リモコンで飛ばすことができるんだ」
「それってすごいじゃないか!」
「ボールみたいなのがほんとに飛ぶの?」
風の守護聖、緑の守護聖は興奮気味に言った。
「いちおーな。けどまだ試作品だから、あっちこっちいじんなきゃ使いモンになんねーよ」
「見せて見せてー!!」
と騒ぐお子様の熱意に負けて、ゼフェルは試作品のカメラを取り出してきた。
銀色の球体に、薄い羽根が二枚。まさかその羽根をパタパタさせて飛ぶのか? と思ったら、そのまさかだった。ゼフェル曰く、「偵察用に作ってるからステルス仕様で静音設計」だそうで、ラジコン飛行機に比べたら無音といっていいほどに静かだ。飛んでいる最中はいわゆる透明人間のように後ろの景色が透けて見えるため、見とがめられにくいというのが本来の仕様だ。ただし飛び方があぶなっかしくて、コントロールも難しい。実際に操作するところを見せてもらうと、すーっと滑るように横に移動しているかと思えば急にがくんと高度を落としたり、逆に急上昇したり。ゆらゆらしながら何とか静止状態を保っていても、今にも落ちそうに見える。
「あんなふーにフラフラ飛ぶから、いくら見えにくい細工してても何かおかしーって思われて、けっきょく目についちまうんだよなー。ブレ防止機能はつけてっけど、急降下なんかされたら映像も不安定だしよー」
「でもラジコン飛行機よりもずっと目立ちにくいじゃん。十分イケるよ!」
「おめーは気楽でいーよな。見つかったときジュリアスに怒られんのはオレたちなの」
「もしものときは僕が謝りにいくよ。だって頼んでるの僕だから」
「ま、とにかくやってみよーぜ。上のヤツらにナイショの計画ってのはおもしれーからな」
「俺、ちょっとワクワクしてきた」
「ぼくもぼくもー!」
アレクシスの熱心さに押されて、光の執務室に何とかカメラを入れようと年少組は考えをめぐらせ始めた。


8. バレた

こうして守護聖年少組三人プラス小学生による「光の守護聖生動画盗撮作戦」がいよいよ決行の運びとなった。と言っても、無論のことそうご大層なものではない。ランディがちょうど仕上げたばかりの書類を首座の執務室に手渡しに行き、部屋に入るときに開いた扉から偵察カメラを室内に忍び込ませるという、ずさんというか非常に適当な行き当たりばったりの作戦だ。

そんないい加減な作戦でもゼフェル特製カメラはそれなりの働きをしてくれて、見とがめられることなくランディの後ろからフラフラとついていきながら、ジュリアスをほぼ正面から捉えている。鋼の執務室のモニターにはジュリアスが顔を上げた瞬間が映し出された。小型ながら高性能なカメラはちゃんと音声も拾っていて、「書類、持ってきました!」「うむ、ご苦労」なんていうやり取りが聞こえてきて、ゼフェル、マルセル、アレクシスの三人はじっと画面に見入っている。
「うわー、何か……すっごい偉そーでお固いかんじー」
とアレクシスはつぶやいて、ゼフェルをがっくりさせた。
「だから最初っから面白くねーヤツだって言ってるじゃねーか」
「あ、うん。それはいいんだ。ジュリアスがマジメなのはわかってるから」
「わかってんのにそんなに見たがるってか、会いたがるって、どーゆーワケなんだ?」
答えはない。
「わりぃ。言えねーんだったな」
「ゴメンね、ゼフェル。僕のお願い聞いて手伝ってくれてるのに」
「ま、いーけどよ。面白そーだからってノッたのはオレたちのほーだしな」
「……けどさ、守護聖の衣装って、ほんとゴーカっていうか、何かすごいよね」
「ジュリアス様やクラヴィス様のローブって、すそ引きずるほどに長いんだよね。ぼく、緑の守護聖で助かったって思ったよ」
「オレたちのと比べると、あいつらのはスゲーよな。オレなんかあんなの着せられたらすっころぶかもしんねー。あーゆーのを『ギョーギョーシイ』ってのかな」
「うん、そうだね。でも二人ともすごく似合ってる」
とアレクシスが笑った。
なんなんだよ、このガキ。似合ってるとか言ってみょーにうれしそーなカオしやがって。
顔もソックリだし、クラヴィスの隠し子ってのが一番ありそーなんだけどな。
にしちゃー、ジュリアスのことも知ってるふーなこと言うし、アイツにここまでこだわるのが何でなのか、わかんねーなー。

その時コンコンコンとノックの音がして、「ゼフェル〜、ちょっといいですかー?」という地の守護聖の声が聞こえた。
「やべっ! おめーは机の下にでも隠れろ!」
アレクシスが執務机の下に潜り込んだのを確認して、「入れよ」と答えた。
「おや〜ゼフェル、マルセルまで。何をしているんですかー?」
ルヴァがのぞき込もうとしたモニターには光の執務室が映し出されている。
うっわ、やべ。アレクシス隠すんでせーいっぱいで、こっち忘れてた!
操作しているゼフェルが動揺した途端、不安定なカメラはいきなり高度を落としてランディの頭に落下した。

「ん? 今のは?」
ジュリアスに見とがめられて、ランディはかろうじて背後をホバリングしているカメラを捕まえて、ポケットに突っ込んだ。
「何もありません、ジュリアス様! それでこっちの惑星の件ですが!」
必死でジュリアスの意識を書類に向けようとしたのが功を奏して、「ああ、それは」とジュリアスが乗ってくれたのには心からほっとした。カメラが当たったところは少し痛かったが、大したことはない。
カメラ、壊れてないといいな。

画面がぶれて、一瞬後に真っ暗になったモニターをゼフェルとマルセルとルヴァは眺めていた。
「あー、ゼフェルー、今の何だったんですかー?」
「気にすんなって。別にてーしたモンじゃねー」
「執務時間に遊んでちゃいけませんねー」
「ぼくたち遊んでたわけじゃありません、ルヴァ様」
人助けだの何だのと言いそうな勢いのマルセルの口をふさいで、ゼフェルは言った。
「それより何かよーじあんだろ? 何だよ?」
機嫌悪そうにぷいっと横を向いたゼフェルに、あわててルヴァが用件を話し出した。
「えーっとですねー、先程リュミエールに頼まれたんですが。何でもクラヴィスに似た男の子が聖地で迷子になってるとかで、見つけたら保護してくださいっていうことなんですねー。リュミエールやクラヴィスが探しているらしくて、私もお手伝いしてるんですけどねー、なかなか見つからないものですから。ああそれから、もしも見つかってもジュリアスには黙っといてくださいね。クラヴィスは、今はまだジュリアスに知らせたくないそうなんでー」
「って、そーやって情報広めていーのかよ、おっさん」
「私も迷ったんですけどねー。宮殿は広く、探す人手は少ない。となると見つかるものも見つからないと思いましてねぇ。これでも苦渋の決断なんですよ、ええ」
のほほーんと、そんなふうに言われても、ゼフェルには「このおっさん、クジューってイミわかってんのかよ」程度にしか思えない。
「……ねえ」
言いながら、隠れていた机の下からアレクシスがひょこりと顔を出した。
「僕のこと探してるの?」
「おやー? あなたは? ……あー、あなたがクラヴィスたちの探している子ですね〜」
バレたと言うか、自ら存在をばらしてしまったアレクシスである。ルヴァは黒髪の少年の出現に一瞬目を瞠り、それからにこにこと人の好い笑顔になって声をかけた。
「本当に、リュミエールの言ってた通りですねー。クラヴィスによく似ていますねー。私が知っているのはもう少し成長してからですけど、少年だったころのクラヴィスの面影がありますねー」
「おいっ、アレクシス! 隠れてろって言っただろーが!」
「だってこのおじさん、僕が聖地にいるってこともう知ってるみたいだから」

――おじさん。

その言葉に、いと徳高き地の守護聖様は凍りついた。口の悪いゼフェルからはさんざんおっさん呼ばわりされているが、こう見えてもまだ26歳の若さなのだ。面識のない子からのいきなりのおじさん呼ばわりはいささか傷つく。
「おじさんって……それは私のことですかー?」
眉尻を下げた情けない顔でルヴァが確かめた。
「おめーのほかに誰がいるってんだよ、おっさん」
「ちょっとゼフェル!」
マルセルの制止は手遅れ気味で、ゼフェルからもとどめを刺されてますます情けない顔になる地の守護聖であった。


9. 魔王降臨

ここで少し、研究院に行ったクラヴィスに話を戻すことにしたい。
アレクシスが自宅のものとして告げた住所はなく、電話も通じないという話をしたら、何やら考え込んでしまった闇の守護聖に、研究員はおずおずと声をかけた。
「クラヴィス様?」
瞳を研究員へと向けたクラヴィスは、
「アレクシスはあの後ここへ来てはおらぬのだな」
と確認した。
「はい、見かけておりません」
「研究院に出現した原因については、何かわかったか」
「実は……研究院内の最初に少年が目撃されたあたりで、妙な現象が観測されています」
「妙な…?」
「空間の歪みといったようなもので、少し次元回廊と似ていますがこれまで見たことのないパターンです。現在解析を進めております」
「その作業は最優先で進めてくれ。あの子どもの出現と関係しているかもしれぬ。どこから来たにせよ、帰してやらねばならぬからな。時の流れの異なる聖地に、子どもをあまり長く留め置くことはできまい。…私は宮殿に戻る」
解析が進めば、少年が本当に未来から来たのかどうかの判断材料が出るかもしれない。だが今はまだ、アレクシスは現在の外界から来たものとして考えるべきだろう。ジュリアスとの未来について考えることも、今はすまい。
リュミエールがアレクシスを見つけてくれただろうか、と淡い期待を抱きながらクラヴィスは宮殿に戻って行った。

クラヴィスが研究院にいた頃。
アレクシスを探していたリュミエールが、聞こえてきた物音にふと空を見上げると、小さな飛行機が飛んでいた。宮殿内でこういうことをする人物は一人しか思い浮かばない。
「執務時間中にラジコン飛行機など飛ばして、ジュリアス様に見つかりでもしたらまたお小言でしょうに……」
と独り言を言いながら、なおも宮殿の中を小走りに探し回っていた。いい加減探し疲れて中庭のベンチに腰をかけてため息を洩らす。
一体どこへ行ってしまったのでしょう、アレクシスは?
さっき飛んでいたラジコンの飛行機はもう飛んでいないようですね……。
と空を見て、妙に思った。以前と比べてずいぶんと落ち着いた最近のゼフェルは、あんなふうにあからさまに職務放棄とみなされるような行動を取ることはなくなっている。

ラジコンのメカを喜ぶのは……男の子。
もしかして、アレクシスがゼフェルのところに!?

そう思い至ったリュミエールは、すっくと立ち上がると衣装の裾を翻してゼフェルの執務室へと向かった。
ノックして、「ゼフェル、少しいいですか。入りますよ」と言いながら、返事が返る前に扉を開いた。部屋の中にはゼフェルとマルセルとルヴァ、そしてアレクシスがいた。
「やはりここにいたのですね!」
リュミエールはアレクシスに駆け寄ると、抱きしめた。クラヴィスによく似たこの子はリュミエールの保護本能を直撃して、わずかな時間の間にすっかり愛着を持たれてしまったようだ。急に抱きしめられたアレクシスは、目を白黒させた。
「いなくなったとクラヴィス様からうかがって、心配したのですよ」
優しく響く声には心からの安堵がにじんでおり、水の守護聖の純粋な好意や善意が伝わってくる。
「ごめん、リュミエール。でも僕、どうしてもジュリアスに会いたくて」
「そうなのですか。それほどにジュリアス様にお目にかかりたいというからには、何か特別な事情でもあるのですか?」
「……言えない」
「アレクシス、それでは私たちには手助けができませんよ」
「でも言えないんだ。だからゼフェルに頼んだ。カメラで写して見せてって」
「…なるほど」
開いたままだった扉の方から聞こえた低い声に、部屋の中の全員がそちらを向いた。そこには、研究院から戻ってきたばかりの黒衣の大魔王、もとい、闇の守護聖様が不穏な気配を漂わせながら突っ立っていたのだった。地獄から魔王が現れ出たならばかくもあろうというような暗いオーラが、その場の空気を凍りつかせた。
「アレクシス!!」
しんとした空気を破るクラヴィスの凛と張った声に、アレクシスが直立不動になって答えた。
「はい!」
「なぜ私の執務室から逃げた!!?」
闇の守護聖、相当にお怒りモードである。彼の発言にしては珍しくいくつもびっくりマークがついていることからも、常になく気が立っていることは明らかだ。静かに佇んでいるだけでも怖いのに、帯電しているかのようなぴりぴりした空気があたりを覆い、常人ならば魂を飛ばしそうなほどに怖い。これまでまったくと言っていいほどクラヴィスを恐れる様子を見せなかったアレクシスだったが、たちまち情けない顔になって、蚊の鳴くような声を出した。
「怒んないでよ、クラヴィスぅ……」
「研究院に行ってきた。お前の言った自宅の電話番号には通じない、住所はお前の家族どころか、建物も何もない空き地だそうだ」
「あー……やっぱりそういうこと……」
心当たりがありそうだなとつぶやくと、クラヴィスはつかつかとアレクシスのところまでやってきて、
「来い」
と手をつかんで、鋼の執務室から引きずり出そうとした。やり方がいつものクラヴィスらしくなく強引に見えて、その場にいた者はあわてた。このままでは少年は魔王の生贄にされてしまいそうだ。
「クラヴィス様!」
「クラヴィス!」
リュミエールやルヴァやマルセルが追いすがり、
「待てよクラヴィス!」
とゼフェルが声を上げても、足を止めない。
「まだ子どもなのですからどうか穏便に……」
というリュミエールの声にも答えない。
「そいつをどーするつもりなんだよ! お仕置きでもしよーっての? おめーがそんな奴だとは思わなかったぜ!」
ゼフェルが目を怒らせて投げつけた言葉にようやくクラヴィスは振り返り、先程と比べると幾分穏やかに言った。
「この子と二人で話がしたいだけだ。他の者がいると、話しにくいこともあろうからな」
「ってーことはそいつ、やっぱおめーの子?」
「子など成した覚えはない。この子とは今日が初対面だ。とにかく…しばらく二人にさせてくれ」
それだけを言うと、クラヴィスは少年を連れて部屋を出て行った。


10. 約束

クラヴィスはアレクシスを鋼の執務室から引っ張り出すと、自室へと連れて戻った。
「さて、これで二人きりだ。きちんと話してもらおう」
「えーっと、何を?」
アレクシスは、何の話だかわからないという顔をしてみせた。初回は驚きの連続のせいで対処を誤ったクラヴィスだったが、にへらっと笑って空とぼけようとする子どものペースに再度乗せられるほど甘くはない。
「いい加減にせぬか。まずは事実を話す、そこからであろう。存在の危機とやらの話が一番重要なのではないか?」
「……あー、あれ」
「お前が言ったのだぞ」
「あれね……デタラメなんだ……」
「出鱈目?」
激昂したわけではない。だが淡々とした響きに底知れない恐ろしさを感じて、アレクシスは首をすくめた。
「ほんとにゴメンなさい。ああ言ったら僕の言うこと真剣に聞いてくれるかなと思ったから」
うなだれて、ぼそぼそと言い訳するアレクシスを見て、ため息が出た。相手にしているのは小学生に過ぎないのだ。嘘をついたことを認めて謝ってもいる。差し当たっての危険がないことさえ確認できれば、それ以上厳しく追及することでもないだろう。
「では…深刻な事態ではない、と?」
「うん」
「何か少しでも問題があるのなら今この場ではっきりと言え。下手な隠し立てはするな。何があろうと、私にできる限りのことはする」
アレクシスは顔を上げて息を呑み、クラヴィスを見つめて、とびきりの笑顔になった。
「クラヴィス、カッコいい!」
子どもの賛辞に闇の守護聖、苦笑い。
「茶化すな」
「ううん、茶化してなんかない。突然やってきた僕にそこまで言ってくれて、ホントにそう思ったんだもん。ありがとう」
「本当に、何も問題はないのだな」
「うん!」
とアレクシスは大きくうなずいた。
「大丈夫だよ。あの時はクラヴィスが僕の言ったことあんまりマジメに受け止めてくれてないみたいだったから。ただ未来から来たクラヴィスの息子ってだけじゃダメなのかなって思って、つい大げさなこと言っちゃったんだ」
「お前の自宅の住所や電話番号が存在しないのは、今とは違う時間のものだからか」
「そうだと思う。電話は通じないだろうとは思ったけど、僕の家もこの時代には何もない場所なんだね。かえってそのほうが良かったかもしれないけどさ。誰かが住んでる家が今あったら、そこの人たち聖地から問い合わせがきてびっくりするよね」
「…かもしれぬな」
とクラヴィスは少し笑った。
「それでお前は…未来の、本来お前が属する時間にどうやって帰るのだ?」
「72時間が過ぎたら帰るようにセットしてある。予定の時間が来たら僕はここから自然に消えるから、大丈夫。迷惑かけたみたいで、ほんとゴメン」
72時間。アレクシスが出現してからまだせいぜい数時間といったところだ。先は長いな、とため息がこぼれそうになった。だが帰る手段がないなどという事実が明かされるよりはよほどマシだ。
「…してしまったことは仕方がないが、ひとつだけ約束してもらおう」
「何?」
「私の許から逃げるような真似は二度とするな」
「約束守っておとなしくしてたら……ジュリアスには会える?」
「理由がわかれば、あるいは」
アレクシスは押し黙った。
「言えぬということか」
「もう少し考えて、理由を教えるかどうか決める。あと、逃げ出したりしないってことは約束するよ」
「よかろう。では後は、お前が『帰る時』までの残り時間を何とか騒ぎにならぬよう過ごすことを考えねばな」
タイムトラベルの真偽やこの子どもの素性に関してはとりあえず保留にして、帰るという時までは付き合ってみようと決めた。その間に研究院で何かわかれば、滞在予定時間が過ぎる以前に問題が解決するかもしれない。そうなれば、それに越したことはない。


そうと決まれば宮殿でいつまでもぐずぐずしていなければならない理由はない。その足で、アレクシスを連れてクラヴィスはリュミエールの執務室を訪れた。二人の間でどんな話が交わされたのか詳細は明かさないまま、子どもを連れて帰ると告げた。
「このまま宮殿にこの子を置いては、人目につく危険が増すばかりだ。連れて帰る」
「連れて、とはお館にですか?」
「ああ、私が引き受けると言ったろう」
「ですがクラヴィス様に子どもの面倒など……」
見られるのか、と言いかけて口ごもったリュミエールの心情を察して、クラヴィスは小さく笑った。
「もう逃げぬと約束を交わした。それにアレクシスは十分に大きい。連れ帰ったところで私が世話をする必要などほとんどなかろうし、もし必要であれば館の者達がしてくれる。何も問題はない」
「リュミエール、いろいろゴメンね。僕を見つけて抱きしめてくれたとき、びっくりしたけどうれしかったよ。ありがとう」
ぺこりと頭を下げたアレクシスに、
「よろしいのですよ、あなたが無事だったのですから。クラヴィス様にご心配をおかけするのではありませんよ」
と優しい微笑みが返った。
「では後を頼む。執務を終えるには少し早い時間だが、私が早退したからと言って心配されることもなかろうしな」
薄く笑って、クラヴィスは言った。
「ジュリアスに何か訊かれたら、適当に言っておいてくれ…」
「承知いたしました」
「行くぞ、アレクシス」
「うん!」
ついさっき鋼の執務室からアレクシスを引きずり出したときのような、緊張した空気はもうない。アレクシスはまっすぐでくもりのない瞳でクラヴィスを見上げている。扉までついて出て、並んで歩いていく二人を見送りながら、リュミエールはほっとため息を洩らして独り言を言った。
「何だか本当の親子のようですね」
「まったくですね〜」
いきなりそば近くから聞こえた声に、リュミエールは飛び上がりそうになった。
「ルヴァ様! いらしていたのですか」
「クラヴィスがえらい剣幕でしたからね〜。あんなクラヴィスはちょっと見たことがありません。ですからあの後どうなったのかと気になってまして。それで……クラヴィスは何と?」
「アレクシスと何を話したのかは教えていただけませんでした。今夜は闇の館に泊めるとおっしゃって、お帰りになるところです」
「そうですかー、うんうん。……それでリュミエール、あの子は何者なんです?」
「それがわかれば苦労はいたしません」
「そうですよねー。いっそクラヴィスの息子であってくれたほうが、話は簡単なんですけどねー」
さりげなくそしてにこやかに、問題発言をなさる御仁である。




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■BLUE ROSE■