あの笑顔をもう一度


1. お子様参上

星々の新宇宙への大移動後、聖地も落ち着きを取り戻しつつある。いつに変わらぬ麗らかな陽気の午後に、闇の守護聖は水の守護聖と二人で宮殿の回廊を歩いていた。そこへ、バタバタと走り回る足音と「こら! 待ちなさい!」という声。立ち止まって、何が起こったのかと振り返った途端、クラヴィスはドンとぶつかってきた子どもを受け止めることになった。自分を見上げてきた子どもの顔を見て、眉をひそめる。
「…お前は…?」
隣に立つリュミエールは、抱き合う形になった二人を呆然と見つめていた。クラヴィスにぶつかってきた少年は12、3歳に見えた。これまで聖地で見かけたことのない少年なのだが、その実いつも見ているというか。既視感にめまいがしそうだ。黒髪のその少年は、ヘアスタイルこそ普通に少年らしいショートカットだったものの、闇の守護聖にそっくりだったのである。
ぽかんと口を開けてぶつかった相手を食い入るように見ていた少年は、
「お父さん!」
と叫んでクラヴィスの首っ玉に飛びついた。

自分とそっくりな少年にいきなりお父さんと呼ばれてもクラヴィスは動じることなく、「私は誰の父親にもなった覚えはない」とそっけなく答えたが、少年は一向にめげる様子はなかった。
「だってお父さんはお父さんだ」
否定などものともせずに言い募られ、まじまじと相手の顔を見て口を開いたクラヴィスの声に、今度はいささか困惑がにじんだ。
「確かに…よく似てはいるようだが…」

っていうか、そっくり。
まんま。
ミニチュア。

と、リュミエールは心中で思っていた。少年を追いかけてきた職員三人も、もちろんそう思った。この二人が親子じゃなきゃ何なのか、年齢差からすると少し年の離れた兄弟か、というくらいに似ている。
クラヴィスの実の弟がいたとして存命であるはずがないので、兄弟という選択肢はない。となれば、闇の守護聖が外界でうっかり作った実子ではないかという疑いを抱かせるのも無理からぬものがあった。
クラヴィスを見上げてぶら下がったまま、うれしそうに少年は続けた。
「クラヴィス、今いくつ?」
「25だ」
憮然と、クラヴィスは答えた。今度は少年から名を呼ばれた。神に誓ってこんな子どもは知らない。お父さん呼ばわりされたのは心外極まりなかったが、なぜかはわからないけれどもこの少年の方では確かに自分を知っているらしい。
「へーそうなの。あんまり変わらないね」
「私が? 何と変わらないというのだ」
「僕のお父さんと」
ため息をついて、いつまでもぶら下がっている少年の手を首から離させると、クラヴィスは尋ねた。
「先程、お前は私を父と呼んだはずだ。そのくせお前には別の父親がいるというのか? ……わけがわからぬ」
「ウソはついてない!」
まともに答えようとしないので、質問を変えてみた。
「お前の父親は何歳だ」
「46」

25の自分が46の男とあまり変わらない? 年齢ほぼダブルスコアの誰かと?
…何の冗談だ。

声は発さないまでも、クラヴィスは衝撃を受けていた。居合わせた者には絶対に隠し子だと思われるこの状況で、実のところ悠長に年齢の話などしている場合ではないと思えるが、何だかずれた会話をしている二人である。

もしかしたらクラヴィスの実の子かもしれない少年ではあったが、闇の守護聖自身は知らぬと言っている。そんな守護聖相手に少年が無礼な発言を繰り返すことに職員は青ざめ、リュミエールは笑いをこらえきれずに脇を向いて肩を震わせていた。あまり見たことのないクラヴィスの驚きようにどうにも笑いが止まらず、笑っちゃいけないと思うそばから笑いがこみ上げてきて、本人も困りながら笑っている。
「どういうことか、納得のいくように説明してもらおう。お前達…」
とクラヴィスに見られた職員、小さくなりながら「はい?」と返事をすると、
「お前達も同席して、どういう経緯でこの子が聖地に迷い込んだのか、知る限りのことを話せ。立ち話というのも何だ、そこの部屋へ」
そろりそろりと背後から逃げ出そうとしていた少年の首根っこを捕まえると、クラヴィスは手近な空き部屋を指した。


2. 怖いもの知らず

狭い会議室の中で複数の大人に囲まれて、少年は神妙な顔をして座っている。少年を追いかけていた職員はそろいもそろって沈痛な面持ちだ。そして、元よりクラヴィスは陽気とは対極にある男である。そんな中で、リュミエールはまだくすくすと笑い続けていた。
水の守護聖、存外神経が太い。幸か不幸か、彼の軽やかな笑い声がこの部屋に満ちる緊張を緩和する役割を果たしていた。が、父親疑惑をかけられた当事者であるクラヴィスにとって、笑われ続けるのは気分のよいものではない。
「…いつまで笑っている…」
やや不機嫌にクラヴィスが言った。その声に職員は身を縮め、少年も首をすくめてクラヴィスを伺い見て、そしてリュミエールに視線を移した。ようやく何とか笑い止んだリュミエールは、天使のような綺麗な笑顔で、
「本当に申し訳ありません。あまりにも予想外のできごとだったものですから」
と謝った。闇の守護聖は無口が当たり前と思っている人間には気づきようのないことだが、先刻のクラヴィスは衝撃のあまり声をなくした状態にあった。呆然と固まっているクラヴィス、というのは彼をよく知るリュミエールには十二分に予想外の見ものだったのだ。
「他人事だと思って面白がってはいないか」
「いえ決してそのようなことは……」
クラヴィスはため息をつきながら自分そっくりの少年を見やって、言った。
「まあ仕方あるまい。これが己が身に降りかかったのでなければ面白かろうと思うしな…」
笑いのポイントはそこではなかったが、リュミエールはあえて訂正はしなかった。この事態において、そんなささいなことは議論する価値もない。

会議机に両肘をつき、手を組んであごを載せた状態で少年を眺めて、おもむろにクラヴィスは口を開いた。
「さて、何から尋ねたものか」
重々しい響きに、あたりに緊張が走る。笑いの発作の収まったリュミエールが、その場の空気を和らげるような優しい声で言った。
「この子を見つけた方たちから先にお話を伺ってはいかがですか」
リュミエールにそう言われ、ではそうしてもらおうかとクラヴィスからも促されて職員の一人が話し始めた。
「気がついたらその子が研究院の中におりました。外界からの迷子というのはまずあり得ない話ですので、我々も驚いて事情を尋ねようとしたところ、逃げ出されまして」
「足が速くてすばしっこい子で。なかなか追いつけず、守護聖様方のいらっしゃるエリアまで入り込まれました」
「ようやく追いつきかけたところ、クラヴィス様にぶつかったという次第です」
「つまり、お前達にもそれ以前の詳しい事情は何もわからぬということか」
「何と申しましても発見して間がないもので、これといった情報は持ちあわせておりません」
「研究院の中に湧いて出たとしか……」
科学者らしからぬ返答に、クラヴィスは嘆息した。
「人が勝手に湧き出ることはあるまい」
それが正直なところなのだろうとは思うが、彼らの言葉からは打開策のカケラも見当たらない。
「あのさ……僕も話していい?」
大人たちの会話に子どもの声が割って入った。皆が一斉にそちらを見ると、闇の守護聖のミニチュアがオリジナルを見ていた。
「誰も知らぬのなら、本人から話を聞くしかないだろう。話してみよ」
「サンキュ」
少年はにっと笑った。初対面のクラヴィスとまともに言葉を交わすことができるのは、大人でも相当に肝のすわった人間だ。ところが無邪気というか恐れを知らないというか、この子どもは友達相手のようなお気楽な顔で笑っている。守護聖を前にしてのあまりにも不遜な態度の連続に職員が何か言いかけたのを、クラヴィスは手で制した。
「名は何と言う」
「アレクシス」
「年は?」
「12」
「では小学生……か?」
心許なげにつぶやいたクラヴィスに、リュミエールが「6年生か、あるいは中学校に上がったばかりかのどちらかでしょう」と教える。
「そう、なのか?」
問いかけられた少年は簡潔に答えた。
「小学生」
実はあと少しで12歳になるところで正確には11歳、ミエ張ってるだけとか、まだ他に言えないこともあったが、少年はとりあえず事実だけを言った。
「では、その小学生がなぜ王立研究院にいた」
聖地の王立研究院は、小学生の見学を受け入れるような施設では断じてない。
「空気がゆら〜って揺れたみたいになって、気がついたらあの場所にいた」
「その前はどこにいたのだ」
「んーと、よく覚えてない。ゆらっとして何か気持ち悪くなって頭もぼーっとして……」
「その割には元気に走り回ったものだな…」
大人三人に追われて研究院から宮殿まで逃げてきたとは、ずいぶんと元気な子だとクラヴィスが微かに笑って、少年も笑い返した。
「だって、そこのおじさんたちが怖い顔で寄ってくるから」
「ここは聖地だ。侵入者は追われても仕方ない」
「そんなこと言ったって、気がついたら来てたんだよ」
「最初、お前は私を『お父さん』と呼んだが」
「だってお父さんと同じ顔なんだ」
「…46歳の?」
「うん、そう!」
満面の笑みで言われて、クラヴィスはさっきから何度目になるかわからないため息をついた。この子が自分と似ているなら、その父親もまた似ていたとしてもさして不思議ではない。
「どうせ私は老け顔だ」
表情を変えず感情の色も見せずに小さくこぼした言葉だったが、いかにもすねているように聞こえて、リュミエールはまた沸き起こりそうになった笑いを必死で堪えている。
「違うよ! お父さんはみんなに若いって言われてるよ! 僕くらいの子どもがいるとはとても思えないって」
父親の名誉のためかはたまた目の前にいる男の機嫌を損ねないためか、必死の面持ちで弁明するアレクシスを見て、
「その年でか…?」
と疑わしそうに闇の守護聖はつぶやいた。微かに動いたその表情に、リュミエールは微笑んだ。これまで知らなかった人間味のあるクラヴィスを知って、どことなく嬉しい。
冷たく見えるが、他者へ向けるまなざしが意外なほど優しいのをリュミエールは知っている。だが彼自身に関してはまったく無頓着であるように思っていた。
クラヴィス様のような方でも、あれほどに驚いたり、年齢や外見のことなどを気になさることがおありなのですね。


3. ドッペルゲンガー

世界には自分と同じ顔の人間が三人いると言う。どこからともなく研究院に湧いて出た少年の主張によれば、どうやら外界にはクラヴィスのそっくりさんがいて、どうしたわけかその息子である彼が聖地に迷い込んだらしい。

聖地ではときどき、常識では考えられないような妙なことが起こる。それを前提に考えれば、たとえばクラヴィスの縁者の子孫とクラヴィスの血が引き合ったとかいうような、普通ならあり得ない理由でこの子どもが聖地に引き寄せられたということはないのか。クラヴィスのミニチュアと言っていいほどに似ているのは不思議だが、どれほど生きた時代が違おうとつながりが薄かろうと、血縁関係があれば外見が似るということもあるかもしれない。いや待て、似ているということ自体が、この子どもが聖地に現れることとなった現象の鍵なのかもしれない……。

いまだ憶測の域を出ないそんな考えを弄びながら、クラヴィスは尋ねた。
「アレクシス、お前の住まいはどこだ」
「主星の首都なんだけど……」
少年は言葉を濁した。アレクシスは幼児ではない。自宅の住所も分からないなどということはないはずだが、それ以上の詳しいことを言おうとしなかった。クラヴィスは口ごもってしまった子どもに、これからのことを言って聞かせた。
「お前の言い分によれば、知らないうちにここにいたと、そういうことだな。悪意の有無にかかわらず外部の者が聖地に入り込むというのは由々しき事態だ。聖地防衛の観点からも放置してはおけぬので、原因を王立研究院で調べさせる。お前にそのつもりがなかったとしても現時点では不法侵入者扱いになるから、場合によってはすぐには家には帰れぬかもしれぬが、突然に行方不明になったままではご両親も心配なさることだろう。家と連絡を取るがいい」
表情も声も案外と優しい。クラヴィスを見上げていたアレクシスは少しうなだれて、
「迷惑かけて、ごめんなさい」
と頭を下げた。
「謝らずともよい。お前のせいというわけでもあるまい?」

ただの子どもが、鉄壁の守りを誇る聖地に自分ひとりの力で侵入したとはとても思えない。この子は何らかの不思議な現象の、単なる被害者というだけだろう。……少年からいきなり「お父さん」と呼ばれたクラヴィスも、ある意味で被害者と言えばそうなのだが。
早い話が、闇の守護聖が聖地時間でのしばらく前に外界で羽を伸ばして、たまたまできた子どもが12歳に成長して25歳のクラヴィスの前に現れたって、時間の流れ的にはちっともおかしくない。あまりにも似すぎているだけに、自宅には46歳の父がいるという少年の言葉だけでは、クラヴィスが父親ではないかという疑惑を払拭するには弱い。二人を見た者ならば誰もが疑いを抱くほどの似方なのだ。なるべく早く少年の素性をはっきりさせて、クラヴィスと直接の関係がないと証明することは急務と言えた。

「僕、ここにいる間クラヴィスと一緒にいてもいい?」
「そうだな…。お前の存在が知れ渡るとますます面倒なことになりそうだ。私が引き受けるのが一番問題が少なかろう」
「ですがこの子がクラヴィス様のところにいては、他の人に見咎められた場合に申し開きがしにくいのではありませんか。私がお預かりしてもよろしいのですが」
そう申し出たリュミエールに、
「この子が私と似ていることは一目瞭然であろう。聖地の中のどこにいようと状況は変わるまい。同じ顔のよしみだ。私の手許に置く」
と、クラヴィスは言った。
「この件に関しては研究院の方で早急に調査を進めてくれ。それからこの子の家族にも連絡を。あと……なるべく内密に。特に首座殿には知られぬように気をつけてもらいたい」
職員はためらいながら口を開いた。
「お言葉ですが、このような不可解な事件です。記録を残さないわけには参りませんから、いずれにしてもジュリアス様には知れてしまうのではありませんか」
「事態が終息してからならば、知られたところで別にかまわぬ。だが今の段階で私にそっくりの子どもなど、あれに見せたくない。どんな誤解をして騒がれるか、わかったものではないからな。この子を親元に帰してからの報告で十分だろう」
「私もてっきりクラヴィス様のお子様かと」
にっこりと綺麗な笑みで言うリュミエールに、苦笑が洩れた。
「お前でもそう思ったのだろう? これ以上面倒な話になるのは御免こうむる」
隠し子だとの誤解を受けかねない少年の姿を目にして、守護聖たる者が何をしているのかと怒り狂う首座の顔を思い浮かべ、力なくクラヴィスはつぶやいた。
ジュリアスは、順序立てて話せばわからない男ではない。だが話をそこに持っていく前にこの子を見たら、きっと一悶着ある。

クラヴィスも、これまで女性との付き合いがなかったとは言わない。オスカーほど派手ではないが、外界で遊んだ経験くらいある。だが守護聖だと明かしたことなどないし、クラヴィスが付き合ったことがあるのはプロか、素人でも経験豊富で遊び慣れていて、ひととき楽しめればそれでいいという女ばかりだ。自分はもちろん、彼女たちも遊び相手との子などできないよう気をつけていた。うっかり妊娠なんかしたら遊べなくなるじゃないの、とはっきり言った女もいた。そんな台詞を口にしなくても、付き合った女は総じてそういうタイプだ。間違っても本気で自分に惚れ込んで、妊娠した挙句にできた子の認知を迫るような女はいなかった、と思う。いずれにせよ、外界との時間差のせいで一人の女と長く付き合うのは無理で、誰かにしつこくつきまとわれた覚えもない。何事にも間違いというものは存在するので絶対とは言い切れないが、子どもの認知騒ぎといった面倒に巻き込まれる可能性は限りなくゼロに近いはずだ。

いざとなればDNA鑑定でも何でもしてくれてかまわない。
しかしそれ以前に周り中に騒がれたり、ジュリアスと大喧嘩をすることになるのは、本当に勘弁してほしいものだ…。


4. 未来少年

家族への連絡が必要だと言われても、アレクシスは自宅の住所や電話番号、姓名を答えることを渋り続けた。
聖地は一般人が気軽に訪問できるような場所ではない。召喚を受けて訪れる予定があったとでもいうのならともかく、ただの小学生が聖地にいるなど本来あり得ないことだ。だから電話してまず聖地の人間から説明すると言われて、すっかり口を閉ざしてしまったのだ。少年の頑なな態度に、クラヴィスはため息をついた。
「なぜそこまで嫌がる? 家族や友人が、突然消えたお前のことを心配して探しているはずだ」
と言っても、なかなか首を縦に振らない。
「自分から話せないのが気に入らぬか? だがこういうことは大人同士のやりとりが必要なのだ。こちらの職員が説明したあとで、お前も話せばよい」
アレクシス、無言。
「ここでの1時間は外界ではずっと長い時間となる。ほんの少しだとお前が思っている間に、外では何日もお前を探し回っているかもしれないのだぞ」
「それは……聞いたことがある」
「ならば家族に連絡せねばならぬということもわかるであろう?」
「……う、ん」
ついに折れたのか、アレクシスはフルネームと自宅の住所や電話番号を職員に告げた。その代わり「僕はその電話に出ない」と言って皆を驚かせた。
「それはまた…。もともと説明はこちらの者にさせるつもりだったが…本当に家族と言葉を交わさなくてもよいのか? 他人からの話だけというのも、お前の親を心配させるのではないか」
最悪、誘拐を疑われるとか。
「じゃ、事情がわかってから親が僕を出せって言ったらそうするよ」
こんな事態に巻き込まれた子どもなら、普通なら一番に親を頼り、話をしたがるのではないだろうか。最初に電話番号等を言いたがらなかったのは、まず聖地の人間が親と話をするというのが気に入らなかったからではないのか。いやよく考えてみれば、わけのわからない現象で見も知らぬ場所に飛ばされたというのに、大して驚いても困ってもいない様子だというのがそもそもおかしい。

そうした細かい疑問点はともかく、必要ならアレクシス自身が電話で話すと言ったので、とりあえず連絡は職員に任せることにした。リュミエールは自分の執務室へと戻り、クラヴィスは少年を伴って闇の執務室へと戻った。奥の控えの間に連れて入って、
「早く原因がわかって家に帰れると良いな」
と声をかけたクラヴィスに対して、相変わらず少年は心配している様子もなく答えた。
「大丈夫だと思う。予定時刻が来れば僕は帰るから」
「…予定時刻…? どういうことだ?」
話をそらすように、アレクシスは別のことを言い出した。
「首座殿、ってさっき言ってたよね。それってジュリアス?」
「そうだが」
先程の話し合いの時にジュリアスの名は出ていたし、主星の民ならば守護聖の名くらいは知っていても不思議はないので、特に驚きもせずクラヴィスは答えた。
「僕さあ、ジュリアスにも会いたいんだ」
ジュリアスにだけは会わせたくないと思ってはいるものの、なぜ会いたがるのかに興味を引かれて尋ねてみた。
「…なぜ?」
ところが少年はそれには答えず、また話を変えた。
「ジュリアスってやっぱり、くそマジメでいつも冷静なくせに心配性で、怒ると怖い?」
「何だと」
これには驚いた。守護聖に関する情報は、名前以外はほとんど外部に知られていないはずなのだ。面識のないはずのこの少年がなぜこうも的確にジュリアスの性格を言い当てるのか。
「なぜそれを知っている」
「ちょっと、説明しにくい……」
「時間はあるからかまわぬ。話せ」
ややこしかろうが長くなろうが、話を聞くのは有用だろう。この子どもが聖地に来た経緯を解明する鍵となるかもしれない。などと考えていたら。
「他の人がいるとこじゃマズいと思って言えなかったんだけど。僕は、本当にクラヴィスの子どもなんだ。将来生まれるはずの」
にわかには信じがたいことを、少年はさらりと言った。

将来、ということは、この先の未来?
未来から来たのか、この子は? …まさか。

いくら聖地が不思議なことが起こっても不思議じゃない場所だからって、これは不思議すぎる。SF小説じゃあるまいし、まだ生まれていない者が未来からやってくるなど信じられるものか。表情に乏しいことで有名な闇の守護聖が、子どもにもそれと見て取れるくらいはっきりと目を見張った。今日はクラヴィスにしては珍しく、驚かされっぱなしだ。
「あはは〜、クラヴィスがそんなに驚くって珍しいね!」
「笑い事ではない!」
つい大きな声が出た。
「そんなに元気にしゃべるのも珍しいね」
能天気に笑っている、子どもの頃の自分と同じ顔を見て、何だかがっくりと力が抜けた。

どうやらこの子はジュリアスだけでなく、クラヴィスのこともかなりよく知っているらしかった。未来から来たクラヴィスの子だというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。しかしたとえそうだとしても、彼がジュリアスの性格を言い当てた理由の説明にはならなかった。仮に将来クラヴィスに子どもができたとして、その子がジュリアスを知っているはずがないのだ。
まず第一に、守護聖を辞した後、二人が一緒にいることなどあり得ない。万が一何かの僥倖でそれが可能だったとしても、クラヴィス一人では子どもはできない。ということは必ず相手の女性がいるはずで、その場合自分はジュリアスと決別しているに違いない。愛するジュリアスと、将来愛するかもしれない女性とを、同時に交友範囲内に置いておくことなど到底無理だ。どう考えてみても、未来の自分の息子とジュリアスが知り合う可能性はない。
謎だらけの少年から話を聞くことは、謎を一層深めてクラヴィスを混乱に陥れただけだった。何かもっと筋の通った、納得できる話はないのか。

いったい何が起こっているというのだ…?
とりあえず、落ち着かねば。

大きく息をつくと、極力落ち着こうと努力しながらクラヴィスは口を開いた。
「驚いて大きな声を出しても当然のことを聞かされたと思うのだが…」
「そりゃま、そーかもね。タイムトラベルは向こうでもまだ新しい技術だから」
タイムトラベル。ではこの子は意図的にこの時間へとやってきたのだろうか。
「…何か飲むか?」
落ち着くための時間稼ぎに、そんなことを言ってみた。
「何があるの?」
「紅茶くらい、だな…」
「それでいいよ。どうせクラヴィスんとこにコーラなんかないでしょ」
「コーラが好きなのか? ランディのような奴だ」
クラヴィスは言って、紅茶を淹れる支度を始めた。カップを出しながらあれこれ他愛のないことを尋ねたりしていたはずが、
「僕の存在の危機なんだ。だからお父さんに助けてほしい」
なんて深刻そうなことまで言い出されて、混乱は増すばかり。

この子がなぜジュリアスを知っているのかという疑問を解消するために話を聞こうとしたのに、将来できる息子だのタイムトラベルだの存在の危機だの。疑問は増えるばかりだ。
いや待て、最初は知らないうちに聖地にいたと言ってはいなかったか。あれは嘘か。存在の危機とやらが事実であるならば、一番に私に告げなければならぬことなのではないか。それを雑談のついでに言い出すというのは妙だ。だとすれば私の子だというのもやはり嘘か。似ているのは何かの偶然にすぎないのか。…だが…いやに私やジュリアスのことに詳しい…。

ぐるぐるぐるぐる、あれこれ考えながらもお茶を淹れる準備は手だけ勝手に動いて機械的に進めていた。少年の存在をしばらく失念していたことにはたと気がついて、もう一度声をかけたら返事がない。顔を上げて少年がすわっていた椅子を見たが、煙のように消えていた。あわてて執務室も見てみたが、とっくの昔にもぬけの殻。
「やられた…」
うかつだった。すばしこいと聞いていたのに。
私の子だというのなら、この程度のことはやりそうだと用心しておくべきだったな…。
少年の言ったことをすべて信じたわけではない。というか、よくわからない事だらけで混乱している真っ最中だ。けれどももし彼の言う、「タイムトラベルでやってきた未来人」だというのが真相だとしたら?

まだ生まれていない子どもなのであれば、いくら調べたところで現在の主星に彼やその家族の記録などあるはずがない。
未来から来たなどという途方もない話の裏が取れないままDNA鑑定をして、まさかとは思うが実際に親子関係が明らかになれば、クラヴィスの子であることが確定する。科学的に親子関係が証明された後になってから、「アレクシスは未来にできる予定の子だ、今の自分は潔白だ」とかいう、酔っぱらいのたわごとにしか聞こえないことを言ってみたとして。何が起こるかと言えば、隠し子がバレて闇の守護聖様ご乱心などというありがたくない噂となるだけだろう。
どう考えても事態は自分に不利だ。厄介極まりないことに巻き込まれている、その実感がこみ上げてきて、クラヴィスは表情を硬くした。

だが、あの子どもは「存在の危機」だと言っているのだ。
父である自分に助けを求めてわざわざ時を越えて来たというのなら……それが事実なら、放ってはおけない。


5. 限定された未来

急いで執務室を出ながら、少年がどこへ行ったかと考えようとして、苦笑いした。さっぱり見当がつかない。アレクシスは自称クラヴィスの息子だが、クラヴィスにしてみれば今しがた出会ったばかりの少年に過ぎない。どう行動するかなど、わかるわけがないのだ。どちらにせよアレクシスは聖地の地理に不案内なはずだ。本人だってどこを目指すべきかわかっていないだろうし、人目を避けながらの移動でそう遠くには行けまいと思う。ジュリアスに会いたそうにしていたから、もしかしたらジュリアスを探しているのかもしれないと思って、ため息が出た。せめてあの子がジュリアスと鉢合わせなどという事態にはならないでくれと祈るような気持ちだ。

クラヴィスとジュリアスの仲は、長い間お世辞にも良いとは言えないものだった。ただし最近では、新宇宙に移行して時代の空気がだいぶ変わったのがきっかけとなったか、良い方向に変わりつつある。とは言え二人の間にはまだぎくしゃくした関係の残り火がくすぶっていて、いつまたそれが勢いを盛り返すとも知れない。そんな微妙な時期に、ジュリアスがアレクシスを見ることになるのは非常にまずい。長年の間にいろいろと行き違いがあってジュリアスとの関係が冷えてしまったのは事実だが、不仲であることとは関係なく昔からずっと愛してきた相手だ。そんな相手に、せめて隠し子だの何だのという誤解はさせたくなかった。
アレクシスの件は身に覚えのないことだと女王陛下にだろうと神にだろうと誓えるが、そんな誓いの言葉なんか無意味だと思えるくらいに自分に似ている。しかもアレクシスが真実を語っているとするならば、考えれば考えるほど自分にとって有利な要素はひとつもない。

光の執務室からジュリアスの怒号が聞こえないところをみれば、とりあえずアレクシスはそちらには行っていないようだ。連れてくる時にリュミエールの執務室は教えておいたので、もしかしてと思って立ち寄ってみたが来ていないと言う。
「クラヴィス様が子どもを探して宮殿を走り回るなんて」
小さくリュミエールが笑った。
「走ってはおらぬ」
「けれども走り出しそうな勢いですよ」
「あの子があまり人目につくと困る」
そうですね、とリュミエールはうなずいて、立ち上がるとクラヴィスと共に執務室を出た。
「私も探しましょう」
「それは…私は助かるが…」
「お気遣いには及びません。なぜか私自身、あの子のことが気にかかるのです。いなくなったと伺って、このままじっとしてはおれません」
アレクシスにはどういうわけか心惹かれる。いつもそばにいるクラヴィスに似ているからだろうか。

こうして二手に分かれてアレクシスを探し始めたが、実際のところ二人とも少年については何も知らないのは同じ、そんな子どもが行きそうなところなど、想像もつかない。うろうろと守護聖二人が何やら探している様子なのを、通りかかった女官たちが見かねて、
「何かお探し物でも?」
「私共もお手伝いいたしましょう」
などと声をかけてきてくれた。本音は喉から手が出るほどに、探すのを手伝ってくれる人手がほしい。できれば宮殿中、いや聖地中に迷子のアナウンスだってしたいくらいだ。けれどもそこをぐっとこらえて、
「いや、かまわぬ」
と断りを言った。あまりにも自分に似すぎているアレクシスの存在を公言する気にはとてもなれない。

しばらくあたりを探し回って、再び合流したクラヴィスとリュミエールは、ひそひそと言葉を交わした。
「アレクシスは最初、研究院に現れたのだったな。私はそちらに行ってみる」
「では私はこのまま宮殿の中を探しましょう」
「…ついでにルヴァにも声をかけてみてくれるか」
クラヴィスがアレクシスの存在をなるべく人に、特にジュリアスに知られたくないと思っているのはわかっている。どこまで明かしていいものかと尋ねてみた。
「声をかけると言いましても……どのように?」
「私に似た子どもが宮殿で迷子になっている、見かけたら教えてほしい、できれば引き止めておいてほしいと」

広大な宮殿の中をクラヴィスと二人で隈なく探しまわるのは無理だと悟っていたリュミエールは、さっそくルヴァの執務室を訪れてクラヴィスの言葉を伝えた。
「子ども、ですかー。どこの子なんでしょうねー」
例によってのんびりとした調子でルヴァは言った。
「どうやって聖地に来たのかも、素性もわからないままなので、それを尋ねようとしていたら逃げられてしまったのです」
「クラヴィスに似た12歳の男の子なんですね? 服装は?」
「学校の制服でしょうか、オーソドックスな紺ブレザーにグレーのパンツ、紋章入りの紺のタイをしていましたね。聖地では珍しい服装ですし、身長は150センチくらいで、大人ばかりの宮殿の中ではかなり目立つと思います」
「わかりました。私も探すのをお手伝いしましょう。見かけたら保護しておきますけど……このことは、ジュリアスには?」
「クラヴィス様が、なるべく内密のまま調査をするようにとおっしゃって、いま研究院で調べているはずです」
「聖地への侵入者なんていう事件が起こって、自分が蚊帳の外だったと知ったら、ジュリアスは怒るでしょうねー」
「ですが、ジュリアス様があの子を実際に目になさった場合、どれほどの騒ぎになるかとクラヴィス様が懸念されて」
「それほど似ているのですか〜?」
「ええ」
リュミエールはしっかりとうなずいた。
「クラヴィス様ご本人は身に覚えがないとおっしゃっていますが、覚えがなくとも外界のどこかで作ってきたお子様なのではないかと。誰しも、うっかりということはございますし。……決してあの方のお言葉を疑っているわけではないのですが、そう思ってしまうほどに、よく似ています」
「あ〜それは〜、何もわかっていない段階で、ジュリアスに見つかるのはまずいかもしれませんねー。とにかく、その子がなるべく人目につかないうちに探し出さなくてはなりませんねー」
地の守護聖ならば子どもを探し出す妙案を授けてくれるかもしれないとの期待も多少あったリュミエールだったが、それは叶わないようだった。アレクシスを探す人手が増えただけでも、とりあえずはありがたかったのだけれども。


そしてこちらは王立研究院。
「ああクラヴィス様、良いところへ」
アレクシスを追いかけていた研究員の一人がクラヴィスを見つけて小走りにやってきて、声を潜めて告げた。
「あの子が言った住所には、誰も住んでいないようなのです」
「住所はでたらめか」
「電話番号も、首都圏で普通に使われる番号とは違っていて、桁数も違うしで何かおかしいとは思ったのですが。かけてみたところ、現在使われていないというメッセージが流れるばかりでした。今は住民登録を確認しているところですが、姓名以外の情報がないので手間取りそうです」
あの子は…こうなることがわかっていたから、あれほど頑なに口を閉ざしたのか…?
クラヴィスは、この先どれほど時間をかけて探してもアレクシスに関する記録は見つからないかもしれない、と少年の言葉を思い出していた。

「僕は、クラヴィスの子どもなんだ」

何十年後か、何百年後かの未来には、その住所に46歳の自分とあの少年が住んでいるのだろうか。
ではあの子の母親は…私とはまだ出会っていない誰かか。
アレクシスの話が真実であるとしたら、未来の私はジュリアスと共にあるわけではないのだな…。

確率的にほぼそうなるとわかっていたこととは言え今はまだ可能性でしかなかったものが、アレクシスの存在で確定した未来となる。既に何もかも諦めていたつもりだったが、そうではなかったのだとクラヴィスは思い知らされていた。こんな自分でもまだ微かな希望にすがっていたのかと、人とは何と諦めの悪い生き物なのかと呆れる。この先に待ち受けているものを知らないから、人は希望を持って生きることができるのだ。人生が限定された未来へと向かうのを知るのは――少なくともクラヴィスにとって、子ができることを知るのはうれしいことではなかった。

ジュリアスにはまだ想いを伝えてさえいない。それにこの先たとえ二人の仲が改善したとしても、聖地を出た後に共に暮らせるなどという夢のような話が実現するはずもないのだ。
最初からわかっていることではないか。
離ればなれになり、生きる時が違ってしまえば、それぞれ別の人生を歩んで当然。
アレクシスの話が真実であれば、あの子の生まれる未来、私の傍らにジュリアスはいない。

だが…今それを知りたくはなかった…。




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■BLUE ROSE■