成歩堂の霧人の組み合わせは、大学でもかなり話題になりつつあった。
え? 高校生?と思わず二度見してしまう童顔の上、頭の天辺に大きな花でも咲いているのかと確認したくなる、ぽやぽやぷわぷわな成歩堂。
大学一、眼鏡のブリッジを上げて冷たく見据える様が似合う、口を開けば一瞬にしてアラスカの気候を引き起こす事も可能な、デレが皆無のツンドラ霧人。
それぞれが強烈なキャラを有していて、注目の的なのに。水と油とまではいかなくとも、共通項が一つしか見つからないのに。
最近、かなりの頻度で二人が一緒にいる所が目撃されるのだ。唯一の接点、同じ法学部である事を考慮すればそれ程おかしくないかもしれないが、今までは同じゼミになったとしても交流はなかった。
彼らの第二種接近に興味を持った者達が偶然を装って近付き、会話や態度を調査してみた所―――いつも通り霧人は辛辣かつ神経質極まりなく、成歩堂は『不思議ちゃん』だったらしい。
まぁ、完璧主義者で必要事項以外話す事が稀な霧人と。法学部へ転向する前は芸術学部で演劇を専攻していた所為か、実は全て演技なのでは?という疑惑まで生まれる位、独特のペースで喋る成歩堂とが意志疎通の出来ている事自体が驚異的で、大学の七不思議に殿堂入りする事で決着したとか。
「やれやれ、ようやく暇人が退散しましたね。もっと有意義な事に時間を使って欲しいものです」
最後にすばやく視線を周囲へ巡らせ、人気がなくなったのを確認した霧人は眼鏡を押し上げつつ毒を吐いた。
「牙琉、どうかしたの?」
分厚い判例集の上へ屈み込んでいた成歩堂が顔を上げ、小首を傾げる。その右手へ己のそれを柔らかく重ね、霧人の唇が緩やかなカーブを描いた。
「些末な事です。それより、今取り組んでいる単元が終了したら、帰りましょう」
「分かった。もう少し、待ってて」
重ねて質問せず素直に頷き、にっこり笑い返すと本へ視線を戻す成歩堂。彼の集中力はかなりのもので、未だ霧人と手を繋ぎっぱなしであっても全く差し支えはない。霧人は彼らのいるスペースに再度野次馬が近寄ってこないかアンテナを張り巡らせつつ、直向きな横顔を熟々眺めた。
他人と触れ合っても、嫌悪が湧かない事。
他人を守る為、自分の力を使う事。
他人なんて価値がないと決めつけていたのに、大切にしたいと想う事。
それだけでも、過去の霧人からは考えられない変化。
何より、他人から安らぎを得る日が来るとは。
霧人の人生設計には組み込まれている筈もないアクシデントだけれど、霧人は後悔していない。
己の気持ちを認めるには、大きな葛藤があった。常に優秀である事を求められ、トップでない自分など許せない性格に育ち、期待も結果も覆さないできた。このまま自らが引いた設計図通り、凡人達とは一線を画したグロリアスロードを歩くつもりだった。
ところが。いつの頃からか、視界に一人の青年が入り込むようになり。低俗な、下等な輩だと判断した後も、思考から追い出せなかった。秘めた才能は、霧人をして震撼させるもので。将来脅威になるかもしれない芽を、早い内に摘み取ってしまおうとの昏い思惑は確かにあった。
ただ、それ以上に―――成歩堂の傍らにいると、心が安らいで。常に『こうあるべき』と張り詰め、尖り、律し続けていたものが、するりと解けるのだ。その安寧と解放は、霧人を酷く惹き付けた。完璧でなくても赦される場所を見付けて初めて、奥底ではそれを欲していた事を悟る。
今までの、そして揺るぎなくも乾いた未来を採るか。
マイナス要因が多々ある、しかし心が満たされる存在を選択するか。
霧人が取り組んだどの問題より難解で、答えを出すまでかなりの時間を要した。―――悩んだ末の結論に、不満はない。
「牙琉、お待たせ。帰ろう」
いつから見られていたのか定かではないが、ふと上げた視線が霧人に向けられたものと合う。どうやら既に区切りがついていたものの、霧人の物思いが終わるまでじっと待っていてくれたらしい。
「成歩堂、帰る前に一つ聞きたい事があるのですが」
些細な気遣いでも胸に温かいものが落ち、それに促されるように霧人の口からするりと言葉が流れた。
「そろそろ、名前で呼んでいただけないでしょうか」
成歩堂の身も心も手に入れたい霧人は、どう見ても奥手の成歩堂に無理強いをするつもりはなくても、着実なステップアップを綿密に計画していた。
成歩堂は。
照れるかと思っていた霧人の予想とは違い、きょとんと眼を見開き。
ニッコリ、笑った。
大輪の華が、咲き誇るように。
「牙琉が、名前で呼んでくれたらね」
「―――は」
「さ、帰ろうよ。今日のご飯は何にしようかな〜」
かなり珍しい事ながら固まってしまった霧人を余所に机の上を片付け、成歩堂が席を立つ。一拍遅れ、我を取り戻した霧人が慌てて立ち上がり、成歩堂の腕を掴んで引き留めた。
成歩堂ときたら、イレギュラーな事ばかり。今だって、そしてこれからも、霧人の計算から外れた言動をしでかすのだろう。些か癪で・・・でも、楽しいと思える己は嫌いではない。
故に霧人は、成歩堂以外の者が見たら驚愕必至の柔らかな笑みを浮かべ唇を開いた。
「今夜はイタリアンの予定でしたよね? ――龍一」
小さく、しかし確かに咲いた恋の花。