いけない団地妻

1:明るい家族計画編




「住民調査?」
 買い物から帰ってきた成歩堂は、ポストに入っていた郵便物の中に切手の貼っていない封筒を見付け、小首を傾げた。
 家事が一段落した所で改めて説明書きを読めば、どうやら地域住民を把握する為に必要事項を記入してほしいとの、警察からの『お願い』らしい。長年同じアパートに住んでいたけれど、一度も住民調査なるものがなかったので、成歩堂は夕食時ゴドーに聞いてみた。
「ああ、基本は新しく建った家やマンションが対象なのさ。入れ替わりの激しい賃貸は、担当がよっぽど熱心じゃねぇと、放置されるんだ」
「はぁ、そうなんですか」
「滅多にないが、コレが悪用される可能性もあるから、記入はちょいと待ちな」
 警察を騙っての悪事は後々が厄介になるから―――警官殺しと同様、警察の威信をかけて捜査する―――住所、電話番号と精々勤務先しか入手できない住民調査はハイリスクだと、手を出す輩は皆無に近い。
 そう説明しながらもチェックする気で居る心配性の旦那さまに、呆れつつも成歩堂は素直に頷いた。
 翌日の午前中にゴドーは当該警察に問い合わせ、実際に調査票配布が行われた事を確認してくれた。調査票の回収がいつかも尋ねたらしいが、空き時間を利用しての調査だけに、明確な日時の回答をしないのが通例だとか。
 ゴドーもそれは知っていたので特に追求はせず、成歩堂には調査票を書いておいて、長期間取りに来ないようだったら散歩がてら提出しに行こうと告げた。




 そんな会話があった二週間後の昼下がり。
 ピンポーン。
 一階のエントランスではなく、玄関からの呼び出し音が鳴った。
「はい?」
 響也が遊びに来たのかと思いつつ、インターフォンの受話器を取った成歩堂の耳へ。
『・・今日は。**署地域安全課の馬堂です。以前投函した調査票の回収に来ました』
 機械越しだというのに、背筋が痺れる程の威力を有したバリトンが届いた。
「あ、少々お待ち下さい」
 ぶるりと一つ震え、受話器を戻して玄関へ向かう。ドアスコープから伺えば、刑事の代名詞ともいえるトレンチコートを羽織った、背が高く痩身の男がいた。
 カチャリ。
 成歩堂は、すぐ玄関扉を開けた。―――チェーンをかけたまま。
「大変失礼ですが、警察手帳を見せていただけますか?」
 昔の成歩堂なら、ドアスコープから見る事もなくドアを開け放っていただろう。ゴドーの教育の成果(というよりお仕置き恐怖症)である。
「・・・どうぞ・・」
 隙間からすっとかざされる警察手帳。ごねる事なく提示するのは本物の警官なら当然だし、警察手帳は何度も見た事があったから一応不審な点はないか視認できる。
 これでもし偽造だとしても『お仕置き』は避けられる、筈。
「お手数をかけました。今、開けます」
 過去の悪夢を思い出して魂が抜けそうになったが、ぶるぶると頭を振って気持ちを切り替え、馬堂と名乗った刑事を招き入れた。




「よろしければ、どうぞ」
「・・どうも・・」
 ゴドーに仕込まれた珈琲を馬堂に供し、成歩堂は向かいのソファへ座った。節くれ立った大きな手が、何も加えずに珈琲を含む所作は特別なものではないのに、酷く目を引く。
 ゴドーより上背のある体躯といい、刮げ落としたようなシャープな輪郭といい、二人きりで取調室に閉じ込められたら何も聞かれない内に自白してしまいたくなる迫力で。
『声が良い人は、格好良いって法則でもあるんだろうか・・』
 心の中だけで、呟く。ゴドーとは系統が違うが、声も存在感も、大人の色気をこれでもかと備えていて羨ましくすらある。
「・・・久々に、美味いコーヒーを飲んだな」
 口元がほんの少し綻び、おそらくお世辞など言わないだろう馬堂の賛辞に、嬉しくなる。
「ありがとうございます。主人が珈琲に拘りを持っているので、自然と鍛えられたみたいです」
「・・・・」
 こちらは満面の笑顔で返すと、一瞬、馬堂の瞳に何かが過ぎったように見えた。しかし成歩堂が不思議に感じる前に、馬堂はテーブルに置かれた書類を取り上げた。
「確認を兼ねて、幾つか質問をしたいんだが・・」
「ええ、構いません」
 一軒一軒チェックしていくなんて大変だ、と暢気に同情した成歩堂には―――この後の展開を予知できる筈もなかった。




 導入は、普通だった。家族構成や、ゴドーの職業について。この近辺で危険な目に遭った事はあるか、など。
 けれど。
「結婚して一年か・・・付き合った期間は・・?」
「二年ですけど・・」
「三年目だな・・倦怠期はまだか?」
「は? え?」