ヴーッ、ヴーッ
「・・・うう、重い・・」
若奥さんの朝は、己をしっかり包む逞しい腕を除けて、バイブモードの携帯アラームを止める作業から始まる。腕枕だけにしてくれないかと頼んだ事もあったが、一向に聞き届けてくれなくて諦めた。
簡単に身支度を整えたら、朝食の準備。今朝は、純和風にしてみた。
最初はやたらと時間ばかりかかって失敗を重ねていたものの、今ではだいぶ要領よくこなせるようになった。
未だに慣れないのは。
「ゴドーさん、お早うございます」
寝室に戻って、ブランケットから少し覗いた褐色の肌を揺する。恋人時代も結婚した今も、ゴドーはマッパで寝ている。
「・・・・・」
サラリ、と白銀の髪が額を流れたが、朱い瞳は現れない。
「ゴドーさんてば、時間ですよ」
もう少し強くユサユサするが、起きない。成歩堂は、眉尻をへたらせた。
結婚前は成歩堂が精根尽き果てて眠っている間に、朝食から何から完璧に用意してくれていたゴドーだが。すっかり、立場が逆転している。
『釣った魚に餌はやらない』かとも初めは思ったのだが、真意を知った今ではそちらの方がマシだったと感じてしまう。
その真意とは。
「・・そ、荘龍さん、起きて下さい」
チュッ
『荘龍』呼びと、唇へのお目覚めのキス。この2つがないと、わざと寝たふりをするのだ。
「今朝も、幸せな目覚めだぜ」
寝起きの少し掠れた、壮絶に色っぽい声音でゴドーはご満悦に呟き。1秒前に覚醒したとは到底信じられない敏捷さで奥さんをブランケットの中へ引き摺り込み、お早うのキスを返した。
「ん〜〜〜っっ!」
訂正。
先の2つに加えて、起き抜けからたっぷりのベロチューをした後でないと、ゴドーは起床しようとしない。
「・・っ・・ぁ、っ・・」
分単位のキスの間に背中から腰、臀部や腿までを摩り、後もう一押しで情欲の焔が灯ってしまう所まで弄ばれる。時々ゴドー自身に火が付いて勝手にフレックスタイム出勤に変更する事も多々あるのだが、今日は辛うじて思い止まったようだ。
くたりと力をなくした成歩堂を軽々と抱き上げたゴドーは、ダイニングの椅子へ丁寧に降ろし。
ネクタイ以外の出勤準備をしてから再びダイニングへやってきた頃合に、ようやく成歩堂が忘我の縁から戻ってくる。
「さ、コネコちゃんが愛情込めて作ってくれた朝食で、エネルギーを補給するかィ」
「・・・ゴドーさんのバカ・・」
はっと気が付けば、ゴドーが食卓についてから用意しようと思っていた珈琲や細々としたものも揃っていて。毎朝毎朝ちょっかいをかけて主夫業を疎かにさせる悪辣な旦那様を、つい詰ってしまう。
「クッ・・今日も俺の奥さんは、喰っちまいたい位に可愛いぜ!」
上目遣いで睨むその様ですら、ゴドーのニヤニヤ笑いを増幅させる萌えポイントでしかなくて。
そうして、何ヶ月経っても蜜月を続けている二人の一日が始まる。
基本的に、ゴドーは手の掛からない旦那様だ。時間があってもなくても家事は率先して手伝ってくれるし、成歩堂が失敗した時もからかいはするが鷹揚に許して怒った例はない。
高収入の職業についていて、ローンを払う必要のない高級マンションに住んでいて、誰が見ても男前な上に恥ずかしい位の愛妻家だ。よく羨ましがられる。
が。
起床の際の決まり事など絶対に譲らない部分は結構あるし、家から出るな、買い物はネットで済ませろ、誰か来ても絶対に家に入れるな、などと真顔で命じる横暴さも持っている。全て愛情の発露だとは承知していても、年齢の割には初心な成歩堂にとって羞恥を耐えなければクリアできない事もあったり。
「ゴドーさんてば、じっとしてて下さいよ・・」
「コネコちゃんが近くにいれば、キスする。それが俺のルールだぜ!」
「ルールは分かってますけど、いつまでたってもネクタイが結べないじゃないですか!」
今も、『旦那のネクタイは奥さんが』ルールに従って結んでいるのだが、髪の毛や額にキスしたり、腰を抱き寄せて脇腹から胸までを撫でたり、手を取って指先を咥えたり悪戯が止まなくて、5分以上もかかっている始末。
出勤時間を気にして窘めてみても、ゴドー自身が気にしていないのだから話にならなくて。
ようやく玄関まで送り出した時には、成歩堂はすっかり疲労困憊していた。
「切ねぇが、しばしのお別れだコネコちゃん。いいか、誰か来ても―――特にヒラヒラのボウヤとか・・」
出掛ける前恒例の注意喚起が始まりかけたので、いい加減げんなりした成歩堂は、ちょっとばかり作戦を実行してみた。
「はい。ちゃんと守りますから」
先手を打って約束し、証に成歩堂から口付ける。効果は覿面で、ピタリとゴドーは口を噤んだ。
「まるっ・・!」
しかし、いたく感激したらしいゴドーに腰砕けな接吻を奢られた挙げ句、玄関先でフレックスタイムになってしまうような事をイタされたので。若奥さんが旦那さんを翻弄する、というレベルに到達できるのはかなり先の話になりそうだった。