眼下に広がる、豪華な宝石箱のような夜景。
視線を少し先にやれば、緩いカーブの先は急に漆黒が流れている。
都会のイルミネーションと、空と、海が同時に鑑賞できるこのレストランは格式といい雰囲気といい値段といい、成歩堂とは本来縁のない場所だったが、訪れるのは二度目。御剣の会社に入って初めて手掛けた大きなプロジェクトが成功したお祝いに、御剣が連れてきてくれた場所だ。
確かに歴史があって、成金趣味ではなくて、一流のホスピタリティが徹底されているホテルは多いとは言えないが、よりによっていよいよ対峙する『婚約者』が指定してきたレストランが思い出深いここで、しかも席まで一緒なんて、どれだけ神様は悪戯好きなのかと思う。
「はぁ・・・」
引き摺るような溜息をつき、意味なくネクタイを直す。どうにも落ち着かなくて10分も前に到着してしまい、時間を持て余せばどうしたって思考はもう二度と道の交わらない想い人へと向かう。
今日は12月24日。
恋人達の聖夜だ。
御剣は今頃誰かをエスコートして、楽しい一時を過ごしているのだろうか。
ズキズキと止まない胸の痛みが酷くなったが、鉢合わせしないだけまだマシだと考えて己を慰める。同じ空間に御剣が恋人といたら、とても平静を保っていられる自信はない。
身勝手に思い出をもらって姿を消してから二ヶ月。あっという間だった。
引き継ぎや経営の勉強で碌に睡眠時間も取れない程の忙しさだったが、逆に有り難かった。何かしていないとすぐ、思考は御剣に囚われてしまう。
御剣には会わないという覚悟が揺らぐ事はなかったが、だからといって想いまでがすぐ消えるものでもない。身支度を整えるのに久々にじっくり鏡を見たら顔色は悪いし、頬も痩けたようなような気がする。どうりで最近、ズボンが緩い訳だ。
お世辞にも綺麗でも格好良くもないから―――婚約者が幻滅してくれないかと、未練がましく考える。
「こちらです」
その時ボーイの案内と、成歩堂のいるテーブルへ向かってくる足音を聞き取り、忽ち成歩堂の鼓動は早まった。手がすうっと冷え、じっとりと嫌な汗をかく。やはり足音はテーブルの反対側で止まった為、成歩堂は角度を決めて立ち上がり相手を、見た。
「待たせてすまなかったな」
「・・み、御剣っ!?」
そこにずっと恋い焦がれていた、しかしいる筈のない御剣が平然と立っていて、成歩堂が数秒前に離れたばかりの椅子にへたり込んだのは言うまでもない。
「少しは落ち着いたか?」
「・・少し、は」
手渡されたペットボトルを一口含み、成歩堂は隣に座る御剣を盗み見た。じっと見たら、幻となって消えてしまうのではと、妙な恐れがあって。
あまりにも成歩堂の驚愕と動揺が激しかったので、御剣はレストランの予約をキャンセルし、早々に部屋(おそらくはスイートルーム)へ引き上げ、かわりにルームサービスを頼んでくれた。
しかし、食欲なんて全くない。
実は御剣が『婚約者』だったという大逆転な展開に、感情が追い付かないのだ。そんな成歩堂へ、御剣は相変わらず理路整然と、御剣の母が狩魔一族である事。狩魔は実力主義なので、後継者に相応しいと証明しなければならず、それが御剣の設立した会社である事を教えてくれた。
そして、ここで初めて口籠もり。
「成歩堂があのような行動に出たのは、おそらく婚約が原因なのだろう?」
と聞いてきた。やっと事態を飲み込めつつあった成歩堂は、勢いよく頷いた。狩魔が提携条件にあんな条件を持ち出さなかったら、極端な振る舞いに出る必要などなかった。
「言い難いが、あれは・・勘違いでな」
「はぁ?勘違い?」
気まずそうにしていたが、聞き流すと思ったら大間違いだ。ぐい、と反らされそうになった視線を合わせる。
御剣の説明によると。
提携を考えていた会社の後継者が成歩堂だと知って、この件を担当すると御剣が名乗り出た所までは事実なのだが。
普段、それこそ星が降る程の縁談話をけんもほろろに撥ね付ける御剣が興味を示し、しかも御剣の会社でかなり親しげに交流していると知った周囲が、これ幸いと余計な気をきかせて『婚約が融資の条件』をでっち上げたらしい。
御剣がその事を聞いたのは、成歩堂が行方を眩ませた(正確には会社を辞めた)後で。会社の事を全然相談もせず成歩堂が消えたものだから、少々落ち込んでいたものの、周りが何やら挙動不審な行動をしているのに気付いて問い詰めれば、結婚式やら新居の手配を進めていたという始末。
余計な事を画策した者にはしっかり説教しておいたから、許して欲しいと真摯な態度で謝罪されれば、今更咎め立てる気も失せる。
しかし。
「二ヶ月も黙ってたのは、何でだよ・・?」
度の過ぎたお節介が発覚してから二ヶ月近くも、成歩堂を放置したのは。御剣なら当然、成歩堂の連絡先だって知っている筈。
「無論、お仕置きだ。私という者がありながら、他の者と結婚しようとした君へのな」
「なっ!?」
好きで、身を切られる程切ない選択をしたのではない成歩堂は、ばっと顔を上げ、御剣の瞳に理解と、唇に少しばかり意地の悪い笑みを見出した。
「従業員の為を思っての行動だったのだろう? 彼等は救われたかもしれないが・・肌を合わせた次の日に置き去りにされた私は、救われないと思わないか?」
「御剣・・」
その点を指摘されると、成歩堂に反論の術はない。あの夜、御剣の口から『好きだ』という言葉を聞いておきながら、応える事もせずただの遊びだと言いもせず逃げたのは真実。
「・・ごめん。今更だけど」
深く俯こうとした成歩堂を、御剣の手が止める。
「フム。反省しているのなら、きちんと態度で示してもらおうか。―――この先、一生をかけてな」
掠めるようなキスを落とされ、成歩堂の中の、これまで張り詰めてきたものが一気に崩れる。
「御剣っ」
廻された腕は、記憶と寸分変わらぬ力と暖かさで。成歩堂こそ、この先一生放さないで欲しいと願う。
「大食漢の君が、こんなに痩せて・・」
御剣の方は見た目以上に落ちた体重に、眉間へ皺を寄せた。二ヶ月も意地を張るのではなかったと、後悔しているらしい。
「大食漢は、余分だよ。それに、すぐ元通りになるさ。ちゃんと融資してくれるみたいだし」
成歩堂は、クスリと笑って更なる温もりと熱を求めた。
傍から見れば、政略結婚にしか見えないのだろうけれど。こんな甘美な政略結婚なら、成歩堂に否やはない。