神も仏もあるものか。
憤りではなく、冴え冴えとした心で何度も思った。
素ごもり族。
最近は、そんな前向きっぽい言葉ができた。王泥喜は恥ずかしげもなく、『何の予定もないから』家にいると公言できるタイプだったりする。こういう風に言うと王泥喜が誰からも相手にされない淋しい人のようだが、実際は声を掛けられても断ってしまうだけ。
表現を格好よく変えれば、孤独ではなく孤高。
しかし、今年は珍しく予定が入っていた。元旦、成歩堂親子から初詣のお誘いを受けたのだ。
年末年始に予定があるのは何年振りなのか、最早、記憶から薄れている。
神社に一番近い事務所が、待ち合わせの場所。思ったより冷たい外気に、鼻の頭や頬やオデコを赤くしながら王泥喜は歩く速度を速めた。
妙な緊張があった。
不思議な感覚だった。
年末年始に出掛ける気になったのも、久々だし。その先が、神社ときた。足を向けた事もなければ、意識した事もない、神が棲むという聖域。
そんな場所にのこのこと向かってしまう程、己は成歩堂に傾倒しているのだと、改めて実感した。
トントン
カチャ
成歩堂がいる時は、殆ど事務所の鍵は掛かっていない。ノックだけすると、王泥喜は慣れた様子で扉を開けて中へ入った。
「明けましておめでとうございます! オドロキさん!」
「おめでとう、みぬきちゃん。・・・着物、よく似合ってるね」
入り口近くで出迎えてくれたみぬきに、挨拶もそこそこ手向けた言葉はお世辞ではなかった。ピンクと赤の花が散りばめられた着物は、みぬきの明るさをよく引き立てている。
「おめでとう、オドロキくん。みぬきの可愛さは世界一だろう?」
「おめでとうございます、成歩堂さん。・・ええ、そうですね」
年明け早々親バカっぷり全開な成歩堂に、溜息が出そうになる。ダルダルな成歩堂が張り切るのは、いつだってみぬきの事。10分の1でもその情熱を仕事に回して欲しい、と今年もまた思う事間違いなし。
「随分、立派な着物ですね」
月々事務所の光熱費を王泥喜に立て替えさせているくせに、着物を購入する予算はしっかり別腹のようだ。成歩堂だけに聞こえる音量でささやかな嫌味を漏らしたが。
「あっはっはっ、御剣に買ってもらったからね。最高級品だよ」
「・・・・・」
再度、溜息を飲み込む。成歩堂に惚れている御剣だから、オネダリされて一も二もなく出資した筈。額は違えど同じ立場故、ちょっぴり同情する。ライバルでもあるから、あくまでちょっぴり。
「じゃ、行こうか」
「パパ、オドロキさん、早く行きましょう!」
待ちきれないのか、みぬきは下駄を履いて一足先に外へ出ていった。その後ろ姿をどこかぼんやりとした眼差しで見ている王泥喜へ、鍵をかけながら成歩堂は話しかけた。
「正月ボケかい? ツノが元気ないよ」
「え? いや、あの・・お、俺、元気ですっ!」
まさか見抜かれているとは思わず、激しく動揺してしまう。
みぬきは、神様を信じているかは別として、初詣を心底楽しみにしているようなのに。神も仏も信じていない自分が、一緒に行ってよいのかという迷い。行って、間抜けに立ち尽くしていたら不思議に思われるのではないかという戸惑い。
ヘンな時だけ、以前を彷彿とさせる鋭さを覗かせるのは、困りもの。それすら好きだったりするから、余計。
成歩堂の表情は普段同様、茫洋と掴み所がなかった。肩胛骨の辺りにそっと、触れるか触れないかの加減で添えられた手を除けば。
「気が進まないみたいだね」
「・・っ・・」
惚れ込んでいる成歩堂が怖い、と感じるのはこういう時。どこまで見透かされているのか。
「いいんだよ。真似事でも、振りでも。―――その内、オドロキくんにも楽しいと思えて、また来年もしたくなる事が見つかる可能性だってあるさ」
トントン、とゆっくり肩を叩いた指は離れていき、気怠そうな背中が遠ざかっていく。
王泥喜は、しばらく動けなかった。返事を聞く前に背を向けたのも、成歩堂の気遣い。そして、初詣に誘った事自体も。
信仰のあるなしではない。勘だが、成歩堂だって無神論者っぽい。
共に過ごす事。
思い出を共有する事。
己の世界に、他人を入れる事。
悪くないよ、と成歩堂はゆるゆるな調子で教えてくれるのだ。
鼻の奥がつんと痛む。寒さで元から赤くなっているのが、救い。
「置いてかないで下さいよっ!」
王泥喜は二人に声を掛け、走り出した。
立ち止まって待ったりはしないものの、追い付ける速度で歩く成歩堂。
あの少し草臥れた背中との距離を縮めるのが、毎年の目標。今年は、どこまで近付けるだろうか。