オドナル

レッドゾーンの夏




 暑くて蒸してジリジリする夏が早く終わってくれと願う人は、かなりの数に上る筈。
 しかし。
 成歩堂何でも事務所に最近席を置いた新米殻付き弁護士・王泥喜法介は、不快指数以外の理由により、即刻即時に秋が到来してくれる事を切望していた。




 王泥喜の事務所所属により、胡散臭さが際立っていた事務所もほんの少し変わった。
 親子の寝室になっている元仮眠室と、カオスな空間である元所長室はそのまま。元応接室を、成歩堂の気怠げな指示で王泥喜が片付け掃除し。少なくとも訪れた依頼人にドン引きされないレベルまで体裁を整えた。
 たとえ、『これからオドロキくんには大黒柱になってもらうんだから』なんて、扱き使います宣言をされたとしても。王泥喜の今後を考えた模様替えであり、これからも事務所に居られる許可が出たも同然で。
 朝の発声練習から始まって、王泥喜が暑苦しいばかりに張り切ったのは言うまでもない。
「・・・やっぱり、呼ぼう」
 参考資料を積み上げ、ツノをピッキリ立て、がむしゃらに懸案と取り組んでいた王泥喜だったが、やがてガックリ肩を落とすと視線だけ所長室の方へ向けた。
 勢いをつけて立ち上がると所長室に行き、少々躊躇いがちにノックする。
「成歩堂さん、休んでる所すみません。もし寝てなかったら、教えてほしい事があるんですけど・・」
 ボルハチから帰ってきたのが、みぬきの起床三十分前。すぐに朝食を用意してみぬきを起こし、学校へ行くまでべったり世話を焼く。
 今までなら、その後は元応接室のソファで仮眠を取っていたのだが、『オドロキくんの声が煩くて眠れないよ』と言って元所長室へ移動するようになった。半分は本心だろうが、残りの半分は、王泥喜の邪魔をしない気遣いと思われる。
 王泥喜とて、成歩堂の睡眠を無闇矢鱈と途切れさせたくはないものの。一つには、まだまだ成歩堂の助言抜きでは心もとなく。今一つには、熱中症対策でこのようにちょくちょく成歩堂を元所長室から引っ張り出す。
 みぬきが居る時は最適温度に保たれている事務所も、不在時は途端に節電モードに切り替わる。それでも、王泥喜が仕事をする元応接室はエアコンが稼働していた。推奨温度に引き上げられたからといって、仕事に支障が出る程ではない。
 しかし、元所長室は別。扇風機すらないのだ。立地条件の関係で窓を全開にしても風は通り抜けず、生温い空気がのろのろ流れ込むだけ。そんな部屋に長時間居る事が身体に良い訳がない。だから成歩堂の力を借りるという名目で元所長室から移動させ。その後も何やかんや理由を並べ立てて、できるだけ適温の部屋で過ごしてもらっていた。
 と、ここまでなら。成歩堂の指導を受けられるし、熱中症予防になるし、王泥喜は好きな人と一緒にいられるしとイイ事尽くめだが。
 そんなに世の中、甘くない。
「オドロキくん、またかい?」
「は、はい・・・大丈夫じゃないんです・・っ」
 しばらくしてからゆっくり扉が開き、ダルダルな成歩堂現れると。王泥喜の声は上擦り、おデコが汗でテカテカ光り、王泥喜の周りだけ温度が上昇する。成歩堂の方を見ようとしては数秒も立たず視線を逸らし、またちら見しては耐えきれないループ。挙動不審で、言葉通り全然大丈夫ではない。
 ―――王泥喜が動揺するのも、致し方ないのだろう。『この』成歩堂は、王泥喜には荷が勝ちすぎる。
「あっはっはっ、ホントにダメそうだね」
 法廷で追い詰められている時と同等の焦りっぷりに成歩堂は誤解してくれたようだが、実際にはもっとスノッブな理由だったりする。
 ちんたらとソファへ移動した成歩堂は、書類を覗き込みながら着ているタンクトップを摘んでばたつかせた。元々サイズが合っていないのかだぶついているそれは、ちょっとの動きでも大きく肌を露出する。
 そう、成歩堂は暑さの為、いつも羽織っているパーカーを脱いで上はタンクトップ一枚の姿なのだ。しかもうっすら汗ばんでいるから肌は濡れ光り、紅潮もしていて、億劫そうな表情には拍車が掛かり、いっそ妖艶ですらある。
 憧れを通り越して恋愛感情を抱いてしまった人のしどけない様子は、昂揚もするがそれ以上に拷問に近い。お預け状態で刺激だけはビシバシされるなど、青(性)少年にとって切なさと希求が極限まで募って今にもパンクしそうだ。
「こ、ここなんですけど・・」
「う〜ん、これねぇ。判例よりも―――」
 『う、うわわわっ、み、見えっっ!! ピ、ピンクッ! 血が上りすぎてクラクラしてきた・・』
 耳は一所懸命成歩堂の説明を聞こうとしているが、目線はどうしてもチラチラチラチラ成歩堂の胸元へ吸い寄せられてしまい、見え隠れする魅惑の光景に翻弄されっぱなし。
 嬉しいけれど、辛い。
 辛いけれど、節電で設定温度をガンガンに下げて北風方式が取れないのは、密かに嬉しい。
 この夏。
 王泥喜は、理性と煩悩の同時進行もしくは共存という役に立つのか立たないのか微妙な技を身に付ける事となる。