スペイン語で囁く愛の言葉

!La verdad es que te quiero!




「成歩堂さん、いつまで寝てるんですか」
 夜、妖しげな仕事をして、昼間は事務所のソファでぐうたら。
「ああ、また散らかしっぱなしにして! 空瓶を床に転がさないで下さいよっ」
 ただでさえ雑然としているのに、脱ぎ散らかした衣類や食べ散らかした皿などが放置され見苦しい事この上ない。
「うーん、オドロキくんよろしく・・」
 まだ半分夢の中らしい口調と顔付きでだるだるに言い、今度は一仕事終えたような雰囲気を醸し出してソファへ埋まる。無論、何一つ改善された箇所はない。
 王泥喜に丸投げだ。
「よろしくじゃありません! せめてゴミ箱に捨てて下さいって、いつも言ってますよね!?」
 ソファ脇に立って注意しても、狸寝入りなのかマジ寝なのか分からないが寝息が返ってくるだけ。床にゴトリと音を立てて落ちそうな重い溜息をつくと、王泥喜は仕方なく本日の業務を清掃から始める事にした。
 そして、30分後。
「ちょっ、どうして俺のファイルに請求書が挟んであるんですか!?」
 甲斐がなかろうが、言わずにはいられなかった。イソ弁レベルの給料は支給されていても、どうしてか必要経費の支払いがちょくちょく回されてくる。俺の管轄じゃありません!と声高に主張すれば。
「・・・事務所の責任者は、みぬきなんだよねー。それに、今月はみぬきの修学旅行の積み立てでピンチだし」
 ソファに俯せたまま、成歩堂が寝ていたとは思えない返答をする。
 情へ訴えかけるのは、甚だ卑怯で効果的だった。天涯孤独かと思っていた時に巡り会えた妹を、粗略に扱うなんて出来る訳がない。
「グレープジュースは関係ないでしょう」
 ぐっと詰まり、握り締めたレシートの中に紛れていた品名を弾劾してみる。油断も隙もならないとは、成歩堂の為にある言葉だ。
「あっはっはっ、バレちゃったかー。オドロキくん、すごいね」
 ごろり、と90度回転して王泥喜を仰ぐ。謝っているものの口元はだらしなく緩んでおり、嗜好品の支払いも王泥喜に押し付けるつもりでいる事は明らか。
 その茫洋とした表情を一瞥しただけで、払う気はなく、反論しても丸め込まれると悟った。
 悟って、しまった。
 頭の中でソロバンを弾き、今月も赤字ギリギリの遣り繰りになる事が算出された王泥喜は、ガックリ肩を落とし、机へと戻る。数日前から格闘していた書類に取り組むも、気持ちがささくれ立って集中できない。
 時間が経つにつれ、成歩堂への不平が大きくなってくる。
 遠い昔に憧れ、この職業を選ぶ切っ掛けになった姿からは掛け離れ。同一人物かと疑う事もしばしば。幼い子供に働かせて、自分はその日暮らし。まっとうな職に就こうという気概も薄く。かつて、弁護士に復帰しようかなんて言っていたけれど、勉強している所は一度たりとも目撃せず。
 寝坊助だし、片付けないし、いつもニット帽を被っている癖に髪型はトンガっているし、ヘンな眉毛だし―――
「ココ、もう一度読んでごらん」
 不毛思考のスパイラルに陥っていた王泥喜を掻き乱した、やや頽廃的な声と白さの目立つ、細めの指。
「へぁっ!? はい、俺大丈夫ですっ」
 後ろめたさと純粋な驚きと妙な高揚で、TPOに会わない台詞を口走る王泥喜。
「ぃぃいいや、今すぐ読みますぅっっ!」
 ツノの付け根まで真っ赤になった顔を隠すように、勢いよく成歩堂が指し示した書類へ屈み込む。ここですよね!?とあわあわ泳いでいた目は、文字の意味が浸透するにつれて真摯な色を宿した。
「ああ、そういう事か・・」
 ずっと喉の奥に引っ掛かっていた小骨がポロリと取れたような感覚。見過ごしていたポイントは、今までの停滞を打ち破る突破口。
 後はあの資料を読み直して、アレを調べて―――と滾るアドレナリンに押されるまま動きだした王泥喜は、しかしハッと止まった。ぎこちなく顔を巡らせば、成歩堂はまたソファでダラリ寝転がっている。
 成歩堂のアドバイスで、先が見えた。王泥喜が行き詰まっていると限界ぎりぎりの段階で的確な助言をしてくれるのは、今回が初めてではない。
 王泥喜を放置しているように見えて、その実、成歩堂の目は細かい所まで観察している。決して甘やかしはしないが、決して見放さない。
 そう、他の事でも。
 例えば王泥喜が休んだ次の日、事務所は案外綺麗だったり。
 自分は3食グレープジュースの時でも、みぬきには栄養バランスのとれた食事をさせているとか。
 ふらついているとしか見えなくても、重要な極秘任務を請け負っていたり。
 司法試験の勉強もしていると、御剣から聞いた。
 昼行灯と誤解されているのに、敢えて訂正せず受け流してしまう柳みたいな人。見た目がどれ程変わったとしても、成歩堂の本質はきっと昔のまま。
 言い訳にしかならないが、ぐうたらな擬態が上手すぎて時々うっかり忘れて(騙されて)しまう。
「あ、ありがとうございますっ!」
 反省と感謝を一緒くたにして叫ぶと。 
「オドロキくん、煩いよ。眠れないじゃないか」
 どうでもよさ気な、態度。礼すら素直に受け取ろうとしない成歩堂が、あまりにらしくて。
 ああ、もう―――


 !La verdad es que te quiero! (ホントはね、大好き!)


 何だか悔しいから、口には出さない。