ビターテイストの恋人




 ぶっちゃけて言うと。
 王泥喜はこれまで『本命』チョコをもらった事はない。
 原因が性格なのか容姿なのかはイマイチ定かではないが、仲のよいクラスメイトや気の置けない友達止まり。
 男としてのプライドはグラグラしていたものの、いつか『恋人』ができるまでの辛抱、と半ば無理矢理己に言い聞かせていた。
 そしてやっと『恋人』ができた、今。
 恋人がいてもチョコが貰えない場合もあり、という事に気付いた王泥喜である。




 何しろ王泥喜の恋人(と王泥喜は胸中で毎日高らかに叫んでいる)は、本来なら貰う側の同性だし。
 結構年上だし。
 いや、前の二つはさておいて、兎にも角にも成歩堂がそんなラブラブイベントに参加してくれる性格ではないのだ。一応恋人との位置付けはしてくれるようだが、甘さは非常に少ない。
 勤務中は指導者の立場を取り、娘のみぬきがいる間は家族の扱い。
 勿論それとて嬉しいとは思うけれど・・・時々、結構、不安になる。
 成歩堂との繋がりが細く薄いままだと、いつか成歩堂を失ってしまいそうで。
 成歩堂は『いってくるよ』と日常と何らかわりのない挨拶一つで、ふっと消えていなくなりそうな雰囲気の人だから。
「・・・俺、大丈夫ですっ!!」
 どうしてもネガティブになりがちな思考を例の掛け声で一掃し、王泥喜はついでに己の頬をビタンと叩いた。
 繋がりが弱いのなら強化し、消えそうなら握った手を放さず、チョコが貰えないのなら王泥喜からあげればよいのだ!との決意を元に。
 今の所、王泥喜には若さと勢いしか武器はないが、まずはその武器をフル活用するべき、と一種開き直っていたりする。
「成歩堂さん、ちょっといいですか?」
「ん・・まだ帰ってなかったのかい?オドロキくん」
 根性と度胸があっても、所詮ヘタレ属性な王泥喜はドキドキと破裂しそうに鼓動を高まらせながら所長室へ入り、声をかけた。
 ニット帽を瞼まで引き下げてソファに横たわっていた成歩堂が、いかにも眠たそうな反応を返す。やっぱり最後の最後でチョコをくれる、なんてフラグは立たなかったか、と多少ガッカリしつつ気怠そうに半身を起こした成歩堂へ、王泥喜は綺麗にラッピングされた箱を差し出した。
「んん?」
「成歩堂さん、受け取って下さい」
「・・・・・」
 鋭いようで鈍いようで、でもやっぱり鋭い成歩堂はゆっくりとした一度の瞬きの間で全てを掌握したようだった。
 薄く、やけに艶めいた口唇の両端が緩く持ち上がっていく。伏せがちの両瞼が更に細くなる様は、あまりにも婀娜っぽくて。
「へぇ、僕に? くれるの?」
「は、はいっ! ビターチョコですっ!!」
 その色香に一発でやられた王泥喜の頬は紅潮し、おデコをテカらせながら上擦った声で返した。
 そして、王泥喜の言葉を聞くなり成歩堂の口角が描く弧は深まったものだから、王泥喜は『あああ、バレてるぅぅっ!』と内心頭を抱えた。


 成歩堂は、どちらかといえば甘党だ。しかし最近は甘いものを多く食べない。というより、大の甘党であるみぬきに右から左へ与えるのだ。
 つまり、バレンタインのチョコといえど、普通のチョコでは王泥喜の心情など加味されずにみぬきへ渡ってしまう確率が高い。
 いつもの差し入れなら、みぬきにごっそり丸渡しされても我慢できるが。バレンタインチョコばかりは成歩堂に食べてもらいたかった王泥喜がとった作戦は、『みぬきの好みではない苦めのチョコを用意する』、で。
 幼稚且つ姑息な作戦を隠すつもりはなかったが、浅ましいまでの必死さが白日の下に晒されて平然とできる筈もない。


「食べていいかな?」
「え?! も、もちろんですっ!」
 笑みを崩さないままに尋ねられ、王泥喜は羞恥を振り払うように勢い込んで頷いていた。寧ろ、お願いしたい位だ。
 ピリピリ、と物ぐさな指が意外にも器用に包装を剥がし、スクウェアタイプのチョコが齧り付きたい位悩ましい唇から、もっと煽情される口腔内へと吸い込まれていく。
「・・ワインにあいそうだね」
 もう瞬きするのも勿体ないとガン見する王泥喜の前で、成歩堂はもう一枚を含み。
「っえ!?」
 ぐい、と無造作に王泥喜のネクタイを引いて―――深く、口付けた。
 苦さが先に立ち。
 その後で、仄かな甘味。
 遅れて、葡萄の香りと味覚。
 どこか舌を刺すスパイシーさで、でも全体のイメージは蜂蜜。
 これがワインにあうテイストだというのなら、王泥喜にはまだまだ到達しえない複雑な世界。
 王泥喜なぞ、たった数秒で腰砕けもの。
 それ程、『成歩堂から』の初めてのキスは衝撃的だった。
「な、成歩堂さん・・っ」
 いつしか解放されていても、ぼけら、と立ち尽くすのみ。
 ふ、と成歩堂がお馴染みのからかうような笑顔を零す。
「三倍返しはできないから、ね」


 ああ、毎日、毎秒、この掴み所のない人にどれだけ恋をすればよいのだろうか。



 その蠱惑的な微笑みと、成歩堂からキスしてもらえた喜びで箍が外れた王泥喜が。
 成歩堂に飛び掛かってあっさりと撃退されたのは、ご愛敬。