好きで好きで。想いの質も量も違うのは分かっていたが、それでも手を伸ばさずにはいられなかった。
週に何度か、というより成歩堂の気が向いた時に、成歩堂は王泥喜のアパートへ立ち寄る。
訪れるのは夜分だったり日付が変わってからだったり区々だが、帰る時間だけは決まっている。明け方、5時半だ。アパートから事務所までは徒歩20分。6時前に着き、朝食の支度をしてみぬきを起こす。
この朝のルーティンワークだけは、ずぼらでいい加減で不精な成歩堂が欠かす事はない。成歩堂におけるみぬきの位置を知っている王泥喜もまた、もっと早く来て下さいだのもっと多く来て下さいと不平混じりの要望は述べても、『もっと居て下さい』とだけは言わない。
その代わり、必ず事務所まで送る。
たとえ数時間後に、また訪れる場所だとしても。
成歩堂より体格が小さくとも若さか元々の身体能力か、体力に余裕のある王泥喜は偶にボルハチへ自転車で送迎する事もあった。だが、事務所まで自転車なら5分の道のりを、敢えて歩く。
たかが、20分。されど、20分。
数少ない、二人並んで歩けるチャンスなのだ。
しかも夏以外の日の出が遅い期間は、人通りがない場合に限り手を繋げる。―――これもまた、成歩堂の気分に左右されるが。
王泥喜が交接を求めれば、是とは言わずとも否とも言わないけれど。2人きりで出掛けたり、手を繋いだり、ベタベタしたり、世間一般の恋人がする行為は皆無に等しい。実体を定義付けると、『セフレ』なんて不道徳かつ虚しい単語が脳裏に浮かんできたりもする。
だが王泥喜は正式(?)な恋人同士だと堅く信じていたし、成歩堂も(多分)そう思ってくれている筈。
その裏付けとして、所謂恋人繋ぎで握られた手をちらと見遣ったものの、成歩堂はそのまま歩き続けた。大きくもなく小さくもなく、少し柔らかめの手。ありふれた普通の感触だが、王泥喜にとっては特別。
真実への道を指し示す、象徴。過去の映像を見た時も心震え、実際目の当たりにした時は息が止まった。
憧憬と敬慕と歓喜を以て見詰めた手に、触れているのだ。緊張しない筈がない。しかしそれ以上に、好きな人と手を繋いでいる喜びが王泥喜を満たす。
デレなんて程遠い恋人でも、恋人のポジに収まってくれた事自体が奇跡みたいなもの。たまに手を繋げる事を、素直に嬉しく思い。この回数が増えればいいと、こっそり願う。
少しずつでいい。
謙虚さの発露は、王泥喜の懐疑と不安。希求をとうの昔に諦めてしまったが故に、偶然手に入った現在の幸福がいつまで続くのか、いつ無くすのかつい疑ってしまう。
ゆっくり、カタツムリ並の速度で進む恋なら。『終わり』も少しは長引くのでは、との勝手で何の裏付けもない思い込み―――祈り―――から、王泥喜は多くを求めないでいる。手を伸ばした先に温もりが在る事の価値を、身に染みて知っている。
でも、ゆくゆくは成歩堂の方からキスしてきたり。『法介』と呼んだり。積極的なお誘いをしてくれないだろうか―――。
沢山は望まないと殊勝に思う一方で、厚かましく大胆な妄想を抱いてしまうのは青い性の為せる技。
ニヘ、とだらしなく緩んだ口元に邪なものを感じ、成歩堂は呆れ気味の視線を投げ掛けた。
「朝に相応しくない顔になってるよ、オドロキくん」
「うひゃぁっ!? だ、大丈夫ですっ! 寝起きを襲われたいなんてちょっとしか思ってません!!」
「・・若いね・・・」
王泥喜はツノの根元まで真っ赤になり、うっかりぺろっと脳内で展開していたピンクな煩悩を自ら暴露してしまう。成歩堂の双眸がますます呆れで細まり、端的に感想を述べた。それでも、絡んだ指が解ける事はない。
成歩堂にしてみれば、王泥喜の暴走は日常茶飯事だから。
王泥喜に自覚がないだけで。実際の所、慎ましくあろうとする心掛けと裏腹にヤる事はしっかりヤっているのだ。成歩堂の足取りがいつもより遅いのも、久々にお許しをもらった王泥喜が嬉しくて張り切った結果。
体力のない成歩堂が早い段階でヘバっても、『すみませんごめんなさいでももう少しだけ・・っ』とツノを悄々させつつ、夜が白むまでずっとくっついていた。成歩堂の『若いね』は、ほぼ完徹状態で仕事をする事と。疲れもみせず、朝からハイテンションな事をも指している。
端と端を何重にも捻った上でごちゃ混ぜに繋ぎ合わされた王泥喜の思考回路は、正直だが、とても複雑だ。混沌としている、と言った方が的確かもしれない。未発達な部分が多く、『自己』が確立できているようで、確立していない。
―――今まで、あまりにも『自分』を押し込め続けた為だろう。
そんな王泥喜が我武者羅なまでに成歩堂を追い求める姿は不憫で、しかし安堵もある。どう転ぶか未知数だとしても、王泥喜の変化は成長と同義だから。方向に道筋を与える事はせず、ただ見守っていこうと考えている。
王泥喜から手を放す日が来るまでこうして繋ぎ続けていよう、と。
事務所の入っているビルが見えてきて、2人の指にほんの少し、力が込められた。