オドナル

炬燵で団欒




「・・・・・」
 ぽかりと開いた目に飛び込んできた、飴色に変化した太い柱。無難なベージュのクロスと違うそれに、王泥喜は今一度瞬いた。
 数秒して、ここは王泥喜が住むアパートではない事を思い出す。上半身を起こせば、鼻先を掠める藺草の匂い。8畳の和室はやけにガランとしており、和箪笥の他は王泥喜が持ち込んだナップザックがある位だ。
 布団を片付け、少し廊下を歩いたらそこは居間で、成歩堂が炬燵に座ってお茶を飲んでいた。
「お早う、王泥喜くん。今、朝食を持ってくるから蜜柑でも食べてなよ」
「お早うございます! 俺、手伝いますっ」
「あはは。運ぶだけだから、大丈夫だって」
 王泥喜の姿を見取った成歩堂は1つ蜜柑を転がし、よっこらしょと小さく呟きながら立ち上がる。王泥喜は恐縮して手伝いを申し出たものの、あっさり流されてしまう。どことなく面映ゆい心持ちで炬燵へ入り、渡された蜜柑を大切なものでも扱うように両手で包んだ。
 部屋の隅にある石油ストーブには薬罐と鍋がかけられ、温かな湯気を立ち上らせている。昨日は網を置いて餅を焼き、焦げ目が程良くついたそれを雑煮へ落として食べた。成歩堂とみぬきと王泥喜とで。
 築40年以上の、年季の入った平屋。ここへ成歩堂とみぬきが引っ越してきてから、数年が経つ。成歩堂なんでも事務所のとある依頼人が所有していた物件なのだが、家や坪庭などの管理をするという条件で格安に貸し出してくれたのだ。
 資産家の依頼人は拠点を海外へ移しており、この家は長らく無人だった。ただ、依頼人の生家であり思い出が沢山詰まっている為、立て替えも売却もするつもりはなく。ひょんな事から成歩堂達が家探しをしていると知り、事件解決までの間にすっかり成歩堂なんでも事務所の面々を気に入ってくれた依頼人からオファーを受けた。
 最寄り駅からは15分程歩くけれど。周囲は住宅街で環境もよく。事務所からも近くて。部屋も居間を含めて和室が4つ。これで賃料が懐に優しいとくれば、成歩堂は厚かましいのは承知の上で即決した。
 いつまでも、段々人員が増えてきて手狭になった事務所に住むのはみぬきの為にならないと考え、面倒臭がりの成歩堂が色々物件を探していて。みぬきの通う学校が徒歩圏内にあると知った瞬間、依頼人とがっしり握手して『宜しくお願いします』と満面の笑顔を披露した成歩堂は、間違いなく親バカである。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
 豆腐と若布の御御御付け。鰺の干物。甘くない卵焼きとお新香。質素で簡単な朝食だが、一人暮らしの王泥喜にとっては普段食べ付けない豪勢なものだし、何より成歩堂手ずから用意してくれたのだ。感動も一入である。
 有り難くいただきながら成歩堂の方をこっそり窺うと、蜜柑の皮をチマチマ剥きつつ正月のTV特番を眺めている。シュンシュンと薬缶が噴き上げる蒸気の音と、テレビから流れる音がメインの、穏やかな朝。
 普段は軽やかなみぬきの声が最も響くのだが、3人で新年を迎えてお雑煮とお節を軽く食べた後、仮眠をとったみぬきは心音と初詣に出掛けていった。
 去年までは、3人で初詣をしたけれど。みぬきの交友範囲が広がるとあれば、親バカでも愚かではない成歩堂は寂しさを綺麗に隠してみぬきを送り出し。『パパ』といるのが一番好きなみぬきもまた、ある程度は親離れを計画している。成歩堂が、成歩堂の時間を作れるように。
 王泥喜は、思う。血の繋がりなど全くないにもかかわらず、笑える位、似たもの親子だと。
 そして成歩堂は、王泥喜をも『家族』の輪に加える事を考えているらしい。ここ数年、年越しは必ず成歩堂達と過ごしており。3部屋ある内の1室は、おそらく王泥喜用。王泥喜の決心が固まって兄妹の名乗りをした後、一緒に暮らせる環境を既に整えているのだ。
 実の母に対する想いは、胸の奥に存在していても。今の所、王泥喜が共に生活したいのは成歩堂とみぬき。みぬきは勿論妹として。成歩堂は―――想い人として。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「お粗末様でした」
 感謝を伝えてから食器類を台所へ運び、元の位置に戻った王泥喜は蜜柑を手の中で転がしつつ改めて成歩堂を見遣った。視線を感じたのか、成歩堂がテレビからゆるりと顔を巡らす。
「王泥喜くん、どうしたの?」
 のんびりした問い掛けに、王泥喜は自然と唇を綻ばせ。少し躊躇いがちに成歩堂の手を握った。
「新年早々、俺って恵まれてますね」
 みぬきの、成歩堂への気遣いで。余波を受け、思い掛けず成歩堂との時間が持てた。お年玉といっても良い。師走だけあって年末はずっと忙しく、『恋人』として過ごせたのは1時間を満たすかどうか。
「今年も宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 炬燵を挟んで触れ合った手は、とても暖かかった。