かつてない、チャンス。
外国育ちの心音から厄払いを勧められる程、災難続きの王泥喜だが、まだいるかもしれない神様に見捨てられていなかったのか、神様の同情なのか。何でもよかったけれど、とにかくこの幸運を逃す事はしたくなかった。
パラ
カリカリ
ペラリ
不規則な書類をめくる音とペンが走る音だけが強調される所長室の中で。同じく書類整理をしている王泥喜は、けれど合間合間に成歩堂の方を窺った。
『前』がいつか思い出せない位、久しい二人きりの時間。成歩堂が、王泥喜の仕事にチェックを入れているのではなく、成歩堂の手伝いをしているシチュエーション。いつもなら四方八方から乱入する邪魔もなくて。
成歩堂へ多大な想いを抱く王泥喜にしてみれば、至福そのもの。目眩く聖(性)夜、なんて高望みはしないから。断腸の思いで、キスを諦めてもいいから。成歩堂に、王泥喜の気持ちを少しでも前向きに認めてもらいたい。
―――爛れた妄想をする一方、しっかり現実を受け止めている王泥喜であった。
可愛く笑いながら、王泥喜が不埒な振る舞いを僅かでも見せようものならパンツくん(消す方)を取り出すみぬきと、同じく明るく笑いながら指をポキポキならす心音は女子オンリーのクリスマス会に参加し。
御剣と夕神と響也と王泥喜と成歩堂という濃いメンツで慰労会をする話が出ていたのだが。検事局で問題が持ち上がって、局長の御剣は夕神を強制的に連行して現場へ出向き。残りの響也は、アルテミス学園で恩師を偲ぶ会が企画され、その集まりに招待されたとかで残念そうな顔で参加を辞退してきて。
他にも成歩堂への誘いはあったものの、慰労会を理由に断りをいれていた為―――結果、成歩堂のスケジュールはぽっかり空いた。
それを知っていて、尚かつ新たな約束を取り付けられる位置にいるのは、今の所王泥喜だけ。千載一遇の機会に気付いた瞬間から、王泥喜の思考は仕事に係る部分を除いてどう成歩堂を誘おうかで一杯。
王泥喜が恋心を自覚してから、だいぶ時が経つ。若さ故か情熱故か想いの大きさ故か、これまで無謀にも何度となく告白してきた王泥喜。その度にきっぱりと素気なく、または曖昧なニットさんの微笑みと共にのらりくらりと躱された。
『ごめんなさい』の理由は、玉砕の回数だけある。若さ・性別・立場・年齢・職業・一般常識などなど、それなりに納得できるものから、ツノとか赤いスーツとか声のボリュームなどツッコミ必至のものまで。
王泥喜だって険しい道程なのは自覚済み。いっそ諦めた方が楽なのだろうが、できるものならとっくに諦めている。どうしたって諦められないから、ずっと追い掛けている。
「・・・よし、終わった。王泥喜くんの方はどうかな?」
誘い方を色々考えていたら成歩堂から声が掛かり、思わずビクリと肩を揺らしてしまった。慌てて書類を確認したら、長考中でも仕事はしていたらしく何とか片付いていた。変な技術が身に付いた事に喜ぶべきなのか反省すべきべきなのか冷や汗を掻きつつ、返答する。
「大丈夫ですっ!」
「そんなに声を張り上げなくても、聞こえるよ」
ただでさえボリューム満点なのに、動揺が表に出た所為か数段大きく響き渡った返事は成歩堂の苦笑を呼び。王泥喜のおデコはツヤツヤに光った。かなりのグダグダ感に王泥喜は何十敗目を覚悟したのものの―――止めるという選択肢は、ない。
「成歩堂さん」
手早く書類を仕舞い、成歩堂の支度も整ったのを見て取った王泥喜は所長机を回り込み。成歩堂の隣へ立った。
「今夜、一緒に過ごして下さい」
「・・・・・」
パチリ、と成歩堂の黒瞳が瞬き。沈黙が所長室を満たした。
「ええと、王泥喜くん。ホラー映画でも見たのかい?」
「クリスマスなので、成歩堂さんと居たいんです」
数秒で立ち直った成歩堂が茶化そうとするのを、間違えようのない言葉で畳み掛ける。この辺り、何十回もの玉砕が全く無駄にはなっていない証。
真っ赤になりながらも視線を合わせて一歩も引かない様子を示している王泥喜を、成歩堂はしばし凝視し。ゆっくり息を吐いた。
「王泥喜くん、―――」
結果として。またしても一夜を過ごす事は叶わず。
その代わり、クリスマスイヴに二人っきりで食事ができた。
小さな一歩でも、王泥喜にしてみれば大躍進の年であった。