一刻も早く成歩堂を取り返さなければと、少々今更な憤りが噴き上げる。
ガラスをぶち破るべく室内を探索した御剣の目に留まったのは、業務用の消火器。俊敏に行き着いてそれを掴むと、御剣は遠心力を存分に活用してガラスの真ん中へ投げつけた。
ガツ!、と狙い違わず消火器はガラスを直撃し、今度は亀裂を幾筋も走らせる。耳障りな金属音が鳴り響く中、素早く消火器を拾い上げた御剣は、スライム擬きが動きを止めた事を知った。
御剣の様子を、伺っているに違いない。薄ら寒いものを覚えたが、これ以上成歩堂を陵辱しないのは好都合だ。今度は消火器を持ったまま、罅の中心へ効果的に衝撃を与える。
ようやく三十p程の穴が開き、そこから御剣が通り抜けられるまでにするには、大した時間はかからなかった。だが、部屋の中に入ろうとした瞬間、成歩堂の腰辺りからやや濁った液体が御剣目掛けて噴射され。
「っ!?」
避けたものの、左腕に一部がべっとりと掛かってしまった。
一秒もたたずチリ、とした鋭い痛みが走り、御剣は素早く上着を脱ぎ捨てた。繊維の焦げる独特の臭気が漂い、床に投げ捨てられた上着は三分の一程が白い泡と煙を吐き出しながらあっという間に溶ける。
液体がかかった腕を見遣れば、シャツも少し繊維が変質している。御剣は、これこそが学者を殺害した凶器だと、再度悟る。化け物は、少なくとも二種類の消化液を内蔵していて、学者と御剣には殺傷能力がある方を。そして成歩堂には、服だけを溶かすものを使用した。
御剣に対しては攻撃の意志がある以上、迂闊には近寄れない。何らかの対抗措置が必須だ。
脳内で、事件ファイルが凄まじいスピードで捲られていく。
部屋を『取り囲む』ような溝に満たされた液体と。
唯一小部屋に繋がる扉の真横に備え付けられた棚は、一種類だけの薬品が並べられ。
それだけは元の形が判別できた右手が握っていた、割れた瓶。
三つに共通するものといえば―――。
「もしや・・」
閃いた御剣はその棚から抱えられるだけの瓶を持ってくると、片っ端からキャップを外して化け物に振り掛けた。中身が人体には被害がない事も記憶していたから、寧ろ成歩堂の身体を標的に。
ジュジュジュ!
御剣の読みは見事に当たり、白い霧を噴き上げながら半透明な粘液は完全な透明になって蒸発していく。
「成歩堂、溝の近くへ行きたまえ! その液体が弱点のようだ」
「う、うん・・」
ベシャリ、とかなりの高さから落とされた成歩堂に駆け寄りたいのは山々だったが、まずは危険物質を取り除かなければならない。次々と、棚が空になるまで薬品を浴びせ掛け、ゼリー状の襲撃者を幾つかのボール大に萎縮させた。
「成歩堂、もう大丈夫だ!」
当然扉も開くようになり、成歩堂を抱えて部屋から連れ出して液体やら汗やらでビショ濡れの身体に、惜しげもなく御剣のシャツを脱いで着せかける。
糸鋸と警官達がやってきたのは、その直後で。御剣は糸鋸から有無を言わさずコートを剥ぎ取って、成歩堂を包み。状況を簡潔に説明し、間もなく到着するNBC対応班への指示を伝達してから己と成歩堂は警察病院へと直行した。
それから一時間後。
成歩堂と御剣は、御剣の自宅でシャワーを浴びていた。精密検査で異常がなかった為に成歩堂は帰りたいと主張したし、御剣もまた成歩堂と二人になりたい気持ちを抑えようとは思わなかった。
後日、成歩堂の依頼人は無事釈放され。未だ検証中で推測の域は出ないが、研究で奇っ怪な溶解物質を作ったものの、実用化できない事を悟り、学者が処分しようとして襲撃されたのではという仮説がたった。
けれどそんな事は、今の二人には全く関係がなく。ただただ、互いの存在と無事を確かめるのが先決だった。
「うう・・・まだ、感触が残ってる」
眉尻をへたらせた成歩堂の身体へ、御剣は丹念に手を滑らせながらも耳元で揶揄した。
「私以外の感触を留めるなど、許し難いな」
「こっちだって、覚えていたくないよ!」
言い掛かりだ、とへたらせたばかりの両眉を吊り上げた成歩堂は、別の記憶が蘇ったらしく、御剣の厚い胸板を指で突いた。
「そういやお前。途中、助けにも来ないでぼけっとしてただろ。冷たい奴だな。付き合いを考え直すぞ?」
最終的には、御剣の機知で危うく難を逃れたものの。
まるで寝室で成歩堂を身動きできないように拘束して、嗜虐的な愛撫を施す時そっくりの妖しい目付きをしていたのを、見過ごさなかったのだ。
御剣は謝る所か、それこそメモリを再現している表情でしらっと言ってのけた。
「ム・・あまりにも成歩堂が淫らで綺麗だったものでな。つい、見惚れてしまった」
「貞操の危機だっていうのに、変態検事め! 馬鹿な事を言って、誤魔化すなよ」
綺麗なのは御剣の方だ、とこちらは素直に言えない意地っ張り弁護士は、わざと悪態をついてみせた。
恋人のそんな性格もお見通しな御剣は、ニヤリと法廷を思わせる意地の悪い自信たっぷりな笑みを作った。
「誤魔化しなどではないぞ。その証拠に・・アレは、成歩堂に特別な反応を示しただろう?」
「あ、そういやそうだな」
学者はあの被検体を葬ろうとしていたから、知性の他に生存本能もあり、返り討ちにしたのかもしれないが。生殖かまたはそれに似た行為が目的なら、成歩堂と御剣、『母胎』は多い方がよい筈。
しかし成歩堂だけを選択し、交わり、奪われまいとする意志すら見せたのは。
「惹き付けるフェロモンでも、成歩堂は醸し出しているに違いない」
「僕は雄だぞ・・」
手付きがどんどんとイヤらしくなってくるのを感じて目元と頬を紅潮させ、成歩堂は御剣を睨め上げた。もっとも、そんな風情は御剣を余計に煽るだけで。
「関係あるまい。現に、雄の私が君のフェロモンに反応するのだから」
「ぅ、ん・・っ」
すっかり『反応』している証を下肢に突き付けられ、成歩堂がますます赤くなる。
あの生き物に生殖能力があるのか、あるとすれば受精形態はどういうものなのかは多分永遠に謎だが。もし目的が果たされていたら、と考えただけでぞっとする。
故に御剣は、不可思議な物体より遙かに粘着質な手付きで成歩堂を拓きながら、宣った。
「他のモノに種付けされるなど、却下する。先に私が―――孕ませてやろう」
と―――。