御剣を待ち侘びているかのごとくうっすら開かれた花弁を、存分に味わう――つもりだったのだが。
コンコン。
「――――っ」
唇が重なり合う寸前で。
後たった1oの所で、無粋な邪魔が入る。
「誰だ?」
ノックがした途端、パチリと目蓋を開いて腕の中から消えてしまった温もりを嘆きながら、低い、いかにも不機嫌な応対をする。
「レイジ、入るわよ」
相手によっては――例えば糸鋸だったりしたら――思い知らせてくれると暗い決意を抱いていたのだが、現れたのは冥だったので、御剣の憤慨は行き場を失ってしまう。
「あら、馬鹿もいたのね」
許可が出る前に入室した冥は成歩堂を見付けると、忽ち目を輝かせた。御剣を捨て置いて、鞭と言葉で弄び始める。
「いや、馬鹿かもしれないけど、成歩堂っていう名前があるんだよね…」
一応反論しているものの、成歩堂は元来女性相手に強く出られるタイプではないし、この間の一件から、特に冥に対しては及び腰になってしまうようだ。
「成歩堂龍一の癖に、生意気ね!」
「今度は、フルネーム呼びですか…」
「文句でもあるのかしら?」
ヒュン、と鞭が綺麗な弧を描く。
「――メイ、用件は?」
その黒い革が成歩堂に振り下ろされる寸前、御剣は成歩堂の腕を引いて自分の後ろへと追いやった。
「レイジ」
放物線は途中で軌道を変え、鋭く執務室の床を打ち鳴らした。
「明後日の審理の資料を、渡しにきたのよ」
巻き取った鞭ごと右手を腰にあて、反対側の手に持っていた書類を差し出す。
「手数をかけた。……他に、用はあるのか?」
暗に退室を促す台詞に、冥の柳眉がくっと上がった。
成歩堂を庇うようにして立つ御剣と、御剣の背後に大人しく佇む成歩堂をしげしげと眺める。
そして。
「成歩堂龍一。馬鹿故に馬鹿な選択をするのも、無理はないけれど。考え直すのなら、歓迎するわよ?」
「!!」
「……?」
さっと表情を強張らせたのは、御剣。
顔に巨大なハテナマークを浮かべたのは、成歩堂。
対照的な二人の反応に笑みを艶やかにし、冥はピンヒールの音も高らかに去っていった。
「やっぱりバカなのかな…。アレ、どういう意味なんだ?」
成歩堂の呟きに、冥が消えた扉を睨み付けていた御剣は、形相もそのままに素早く振り返った。
「御剣!? 何、怖い顔してるんだよ?」
ぎょっとして半歩後退ろうとした成歩堂を捕まえ、きつく抱き締める。
「お、おい…苦しいって」
手加減なしの力に成歩堂が呻いたが、どうして手を緩められようか。
成歩堂の肩口に顔を埋めて立ち尽くしていると、躊躇いがちの声がかかる。
「えーと……よく分からないけど。また、ヘンな勘違いをしてるのか?」
大きく揺れた肩が成歩堂への返答になってしまったかもしれないが、今回は勘違いなどではない。
冥は、冗談交じりにせよ、成歩堂への好意を御剣に示唆したのだから。
しかし敢えて、成歩堂の誤解は解かない。
教えたく、ない。
卑怯者と、臆病者と嘲笑う――己の――声が聞こえても。
負のスパイラルに嵌りかけた御剣だったが。
ポン、と背中が叩かれ。
柔らかい接触を耳と頬の中間辺りに感じ。
驚いて成歩堂を見遣れば――初めて自分から御剣にキスした成歩堂は、真っ赤になっていた。
いつだって。
御剣の『闇』を払うのは、この蒼い弁護士。