立地条件も、セキュリティも、徹底的に精査した。
金も労力も糸目をつけず、深慮遠謀に長けた御剣が慎重の上にも慎重を期して選んだのだから、安全性は非常に高い。
しかし『100%なんて、ないよ』と無下に言い捨てて、御剣の想い人は、なかなかこの部屋に来てくれない。
今夜も数度断られた後で、ようやく逢瀬の為だけに用意されたマンションへ来てくれたものの。
「眠いんだよ…」
来るなり、ソファへ寝っ転がってしまった。
「ム…寝るのなら、ベッドへ行ったらどうなのだ」
一抹の淋しさは拭えなかったが、手の届く所にいるだけでも御剣には喜びで。
それに実際、成歩堂の顔色は優れなかったから移動を促したのだけれど。
「面倒くさい」
半眼だけを御剣に向けて動かない。仕方なく御剣は寝室からブランケットを持ち出して掛けてやり、ソファの空いているスペースに座って、そっとニット帽を取り去った。
野良猫を思わせる想い人は、甘えてきたりはしないが、こうして遠慮がちに髪を梳いても文句は言わない。
そんな小さな幸せを噛み締めていた御剣の指は、だが成歩堂がごそごそと居心地の良い体勢を見付けるべく動いた拍子に露わになった肌を何気なく見遣った瞬間、強張った。
サイズが大きいのか広い襟から覗く、朱い情交の痕。
10日前に会った時には、なかったモノ。
痕の鮮明さから、成歩堂の寝不足の原因に否が応でも行き着いてしまう。
心臓の真上を重量のあるもので圧迫されたかのような苦しみと痛みが、沸き上がる。
承知している。
妬心を抱く資格は、御剣にない。
愚かな過ちを積み重ね、ターニングポイントに差し掛かる度、成歩堂から離れる路ばかりを選択してきた。
曖昧で、今にも儚く消滅してしまいそうな関係で構わないから、と納得ずくで受け入れたのは御剣の方。
成歩堂は一度たりとも、御剣に強要したりはしなかった。
逆に、御剣の将来を思いやって拒絶すらした。
それを無理矢理説き伏せて、傍らにいさせてもらっている立場故に、成歩堂の行動に御剣が異議を唱えた事は基本的にない。
(基本的に、と注釈がつくのは、放っておけば成歩堂は食事や睡眠といった生命維持に不可欠な事まで疎かにするのだ)
10日前だって、成歩堂の肌に触れる事を許された時、成歩堂が要求するままにしなやかな背中の最も窪んだ箇所へ、一つだけ愛撫の痕跡を残した。
それが彼――霧人を挑発する道具に利用されると知りながら。
「ああ、これ…?」
御剣の凝視する先に思い当たった成歩堂は、月読尊こそが慈しむような、和えかな微笑みを漏らした。
「牙流センセ、珍しく動揺してたよ」
一見柔らかな双眸の奥深くに潜む、冷酷なまでの計算と、切り立った崖の淵を素足で歩くような危うさ。
「あの手合いは、追い詰めると思いもがけぬ行動を起こす。くれぐれも注意したまえ」
何度となく繰り返した、忠告。
「うん。ありがとう、御剣」
言葉では同意しても、御剣に感謝しても、成歩堂は絶対にやり方を変えない。己の身体と心を削りながら、何重にも荊の蔦で覆われた真実へと突き進んでいくのだ。
そんな成歩堂が必要だと言うのなら、助けになるのなら、心でも、魂でも、命でさえ、捧げよう。
だがその一方で、御剣はそのような事態にならぬよう、己にできるありとあらゆる手段を模索している。
当たり前だが、命が惜しいからではない。もし御剣と引き替えに、成歩堂が追い求めてきた真実が明らかになったとしたら――。
御剣を犠牲にする事自体は、厭わないかもしれないが。
成歩堂は、嘆く。
御剣の為に、この世の何よりも純粋な涙を流す。
だから、どんな手段を講じても、現実のものにはさせない。
それが、御剣の贖罪。