ミツナル

10:背中(確認)




 そっと手を顔に添わせたが、触れた身体は退く気配を見せなかった。人差し指と中指で頬骨の辺りから、少しざらつく顎までなぞっても、半ば閉じられた黒曜石の瞳は否定も肯定の色も宿さず、ただ底知れぬ深淵をもって御剣を見返している。
 数年前は法廷ではともかく、考えている事が全て顔にでてしまう位、成歩堂の感情表現は豊かだった。それが今では御剣の観察眼をもってしても、機微を読み取る事は不可能に近い。故に、成歩堂を御剣の腕に抱いてよいのかは、実際に手を伸ばしてみないと判断がつかない。
 ストレートに、もしくは遠回しに聞いてみてもはぐらかされるばかりで。
「成歩堂・・」
 もう片方をニット帽に差し入れ、ゆるゆる耳の形をなぞっていくと、心地良いのか成歩堂が目を眇める。今日の野良猫は、逃げようとはしない。久方振りに撫でる事を許可され、御剣は抑えに抑えていた激情を、慎重に、成歩堂の気が変わらぬ内に解き放っていった。




「・・ぁ・・ッ、ン・・」
 御剣に掴まれた腰だけを高く掲げ。シーツに突っ伏した成歩堂は、御剣が深く奥まで挿入するのに引き摺られて押し殺した、それでも十二分に艶を纏った嬌声を発していた。
「もっと、聞かせたまえ」
 貪欲に希求した御剣は、成歩堂が圧迫感に呻くのも構わず上半身をべたりと成歩堂に重ね、後ろから朱に色付いた耳朶を執拗に舐った。
「ァ、・・みつ、る・・ぎ・・ッ」
「っっ!」
 どこもかしこも敏感な身体だが特に耳は弱く、一際濡れた喘ぎと共に御剣を限界まで銜え込んだ秘肉がきつく収縮した。御剣の喉から、容姿に似つかわしくない獣じみた唸りが迸ったのは、肉体の悦楽も勿論だが、成歩堂に名を呼ばれただけで劣情がこの上なく煽られたから。
 成歩堂の内にある御剣自身も、更に質量を増やす。名前一つで容易く揺さぶられてしまう御剣の恋情は、それこそ隠し遂せるものではない。
「ね・・御剣・・・」
 熟知している成歩堂が、無理に首を捻って御剣の視線を捕らえた。情欲に潤んだ双眸で射貫かれ、御剣が思う様貪った所為で腫れぼったくなっている花弁から綴られるその言葉が何であれ、御剣は盲目的に従ってしまうだろう。
「背中の、真ん中・・痕を、つけてくれる・・?」
「・・・・・」
 常なら御剣との情事の痕跡を残留させない成歩堂から発せられた、唐突な申し出。御剣の頭脳は一秒とかからず、成歩堂が意図する所を悟った。現在の『親友』である霧人との駆け引きに、霧人以外がつけた『痕』を利用するつもりなのだと。
 愛しい者が、自分ではない男との情事を前提にした願いを口にすれば、御剣の胸は惨く切り裂かれる。
 だが。
「承知した」
 御剣は低く諾を伝えると、恭しく背中へ唇を落とした。このまま腎虚させてしまい程の衝動をねじ伏せて。




 皮肉なものだと思う。
 十数年という長きに渡って、追っていたのは成歩堂で、逃げていたのは御剣だった。
 成歩堂は、御剣が何度冷酷に拒絶しても諦めず、最後には御剣を救ってくれた。その成歩堂を失わない為に、今度は御剣がプライドも何をも顧みず、追い求めている。
 御剣より余程強い成歩堂は、救いを請う事もなくただ一人で戦い続け。御剣を巻き込む事を良しとしない。けれど己の本心に遅れ馳せながら気付いた御剣は、二度と成歩堂の手を離すという愚行を繰り返さないと誓った。
 だから、たとえどんな痛みが伴っても、『独りにしてくれ』との望み以外なら、どんな事でも遂行する。
 それが贖罪であり、想いの証明。