1ヶ月の禁欲。
成歩堂の逆鱗に触れた響也へ下された判決は、かなり厳しかった。
原因は、多数あった。
お互いのスケジュールが合わなくて、久々の合体だったとか。貰い物のワインを勧めたら、普段飲んでいるグレープジュースと味が似ていて成歩堂がガブガブ呑んで酔っぱらったとか。成歩堂の珍しい痴態に、若い性が暴走したとか。
その結果。
いつもはキスマークをつけないよう心掛けている響也が、よりによって首周りの隠し難い場所へ鮮やかな痕を残し。
みぬきの教育上良くないという観点から、成歩堂が戒めに接触禁止令を出したのである。
え?見えない所ならOKなの?、なんてツッコミが響也に出来る筈もなく。成歩堂さんだってノリノリでしたよね?、なんて異議申し立ては心の奥底に仕舞い。
ガックリ項垂れ、じんわり滲む涙を堪えつつ、響也は地獄の苦しみに我が身を堕とした。
2週間は、見た目だけ平静を保てた。空き時間を作り出しては、事務所を訪れ。希って、響也のマンションに来て貰い。けれど、約束を守って性的な接触は我慢していた。
変化が現れたのは、3週目から。
まず響也の出没率が低下して。自宅へのお誘いから熱意が薄れ。4週目には、全く姿を見せなくなった。
コンサートのリハーサルや、難しい裁判が重なって時間が取れないと多忙を極めている事がメールのそここに散りばめられ。
最後の1週間は、雲隠れ。その癖メールや電話は小まめに寄越し、会いたい淋しい好きですと以前にも増して掻き口説いてきたものだから。成歩堂は訝しんだものの、そう深刻には受け取らなかった。
少し拗ねているか、本当に忙しいのだろうと。
しかし。
「あ、響也く―――」
ダッッ!
その日訪れる予定のなかった検事局へ、急な呼び出しで出向き。偶然ばったり出会うや否や、いつもなら喜び勇んで駆け寄り抱き付こうとするのに、響也は表情をさっと強張らせた挙げ句ぱっと踵を返して成歩堂とは逆方向へ走り出したのだ。
幾ら何でも、おかしい。
「牙琉検事、ストップ!」
「っ!」
逃がしてなるものか、と冷たく鋭く言い放てば、響也の身体は棒を呑んだように固まった。
まるでワンコだとか、どれだけ成歩堂に絶対服従なんだとか、第三者がいたら突っ込んでいただろう。偶然その場には二人しかいなかったが、もし誰かに目撃されていたとしても響也の態度は同じだった筈。
ワンコ認定されようが、成歩堂の尻に敷かれていると嘲笑されようが、響也にとって何ら差し支えはない。盲目的なまで、成歩堂に惚れ込んでいる。
それを成歩堂は熟知しているから―――知っていても、大抵は知らない振りを装っているが―――敢えて呼び名を『牙琉検事』にした。短い一言に、『逃げたらどうなるか分かってるね?』の警告がばっちり含まれている。
「な、成歩堂さん・・こんにちは・・」
ギギギ、と実はロボットだったのかと疑いたくなるぎこちなさで、響也が振り向く。アイドルスマイルも中途半端で、魅力半減だ。
「忙しそうで心配してたんだけど、ダッシュできるくらいだから杞憂らしいね」
「・・・・・」
ちくちく皮肉ると、罪悪感と焦燥が響也の面を過ぎる。響也と違って表情には出さなかった、顔を見るなり逃げられたショックはそれで少し薄らいだ。疑問は、まだ残っているけれど。
ぺたり、とサンダルを鳴らして近付く。
カツリ、と上等なブーツが後退る。
『待て』も効かない位、響也はご乱心だ。
「・・・どういう事かな・・?」
ニッコリ、かつて法廷の真犯人を心底震え上がらせた笑みを浮かばせる。現役と変わらぬ迫力に、今回は響也がダラダラと冷や汗を流した。
そして、勝敗の行方は言うまでもない。
「成歩堂さんっ、それ以上近寄られると我慢ができないよ!」
「・・・・・は?」
「ボクのビートは爆発寸前さ!」
『ビート』部分には、『欲望』というルビが振られる。響也の台詞を脳内で変換した成歩堂は、思いっきり脱力した。
どうやら響也は成歩堂の言い付けを守ろうとしたものの、若さ故に抑えきれないモノがあって近寄らないという方法しか取れなかったらしい。
「心配して損した・・」
多忙で体調を崩していないかと心配し。やはり響也の想いは一時的なものかもしれないと、不安に駆られた。なのに、判明した事実がこれだ。ぼやきたくもなる。
しかし、その呟きは成歩堂の失策だった。最も聞かれたくない相手へ、バッチリ届いてしまったのだから。
先程までの悄気返りが嘘のように、響也はキラキラオーラを王子然とした顔へ装着した。
「成歩堂さんがデレた・・!」
「うわっ!?」
即刻距離を詰めて熱烈なハグをする。そして、抱擁に勝るとも劣らない熱さで成歩堂を見詰め、囁いた。
Me muero por darte un beso. (すっごくキスしたい)
・・・成歩堂のデレ期は、人の気配がするまで続いたとか。