響ナル

そろそろ、本気出します




 ブランクを感じさせないやられっぷりでも、最後には見事な逆転劇を披露し。
 内心は冷や汗ダラダラでも、破れかぶれのハッタリは結構有効で。
 おっさんよりお兄さんと言われる事が多くても、肩書きは成歩堂なんでも事務所の所長。
 つまり、それなりの評価と実力と地位を有しているのだ。貫禄だって、昔よりはついた―――筈。
 なのに、今成歩堂の目の前にいる牙琉響也は、全く頓着していないらしい。精一杯威厳を拵えて離れるよう言ったにもかかわらず、あと数p身を寄せればぴったり唇が重なってしまいそうな体勢を保ったまま。
 勿論、言葉だけでなく腕を伸ばして押し退けようと試みたのだが。どこをどうしたものか、気が付いたら両手を捕られ足の間には響也の長い足が入り込み、座っていた椅子ごと壁際へ追い詰められ、抜き差しならぬ状態に陥った。
「成歩堂さん、リラックスしなよ」
「いやいやいや、できる訳ないよね!?」
 声も表情も、いかにも愉しげに響也が促したけれど、ここで力を抜いたら二人の距離がなくなる事は明らかで。成歩堂はダラダラを通り越して、ヌルヌルになりつつあった。
「ボクと、愛のセレナーデを情熱的に奏でよう♪」
「音痴だから、遠慮するよ!」
 悪戯っぽい、そして色っぽいウィンクと共に太いリングの嵌った指で顎のラインを撫でられ、肌が粟立つ。嫌悪で、ではないのが問題だ。
 出会ってから、八年。少年が青年になるには、十分な時間が過ぎた。王泥喜も、肉体的・精神的にソコソコ成長した。しかし、元々年齢に似合わず大人びていた響也ときたら、尋常でない魅力を装備してしまった。
 ミュージシャンを辞め、検事一本に絞って活動している今でも、熱狂的なファンを多数抱えているのがその証拠。キラキラ度を増した貌でアイドルスマイルを振り撒けば、失神者が出るという。
 そんな色男が。
 アクセサリーの鳴る音が聞こえ、纏っているコロンが嗅ぎ取れ、手入れの行き届いた髪が触れる程に接近し。成歩堂だけを情熱的に見詰め、口調は軽いが真摯な言葉で口説いてくるのだ。
 反応しない方が、可笑しい。
「大切にすると誓うから、成歩堂さんの『ナカ』にボクを入れてくれないかい?」
「違う意味を持っているように聞こえるのは、ただの気の所為だよね!!」
 くらっとしたのは響也くんが年の割には格好良すぎるからで、深い意味はない。知己としての好意はあるけれど、それ以上の気持ちはない、と呪文のように繰り返し己に言い聞かせる成歩堂。
 そんな自己暗示を唱えなければならない位、事態は深刻だ。男同士、年の差、立場の違いなど常識的かつ当然のハードルを掲げても、響也は長い指をぱちん!と鳴らして『愛があれば、ノープロブレム』と一蹴。
 『キミの気持ちには応えられない』と無難かつファイナルアンサー的な断りを入れても、その発言を撤回させるべく響也のアプローチは一層激しくなってしまった。 
 容姿はピカイチ。能力も無限大。アイドルとしての人気が示すように、社交的で陽気で。理想が具現化した『王子様』と呼ぶファンは少なくない。まさに選り取り見取りだろうに。
 浮いた話は皆無。数年前から好きな人がいるとメディアまで使って明言し、ファンサービスはしても絶対に一線を越えない。どちらかと言えば軟派な外見に反しての一途さに、新たなファンが増えたとか。
 幾ら成歩堂が恋愛経験が少なくても、これだけ態度に表されれば響也の想いが冗談でないのは分かる。そして、理解はしても受け入れるのは別の話、などと割り切る事が段々難しくなってきた。
 そう、絆されかかっているのだ。
 成歩堂は木石で出来ている訳ではなく、逆にお人好しで流されやすい。本人は、あまり自覚してないが。輝かしい前途とか世間体だのを除外すれば、響也へのプラス感情だけが残る。
「ねぇ、成歩堂さん」
「ちょっ、ま、待った―――」
「八年前からずっと、アナタだけを見てるんだ」
「響也、くん」
 成歩堂の貧弱なボキャブラリーでは形容しきれない、端麗さと成熟した大人の色香と迸るような情熱。濃紫で縁取りされた空気がぐっと圧縮し、それと共に響也がもっと距離を縮めてくる。
 零れた長い髪が成歩堂の頬を擽り、二人の唇が今にも触れ合いそうになった時―――。
「ちょっっと待ったぁ!!」
「ナルホドさん、大丈夫ですかっ!?」
 雰囲気にすっかり呑まれて―――流されて、ともいう―――固まっていた成歩堂を救ったのは、成歩堂なんでも事務所の新人弁護士二人だった。
 思わず扉の無事を心配してしまう程に勢いよく開け放って室内へ雪崩込んできた心音と王泥喜は、血相を変えて響也を成歩堂から引き剥がす。
「成歩堂さんに近付くなっ」
「油断も隙もありませんね! 一発、きついのをお見舞いしますよ!?」
 宣言か牽制か、成歩堂への気持ちを隠さない響也は、当然成歩堂なんでも事務所のメンバーから要注意人物のレッテルを貼られていて。いつもなら、二人きりになどさせてもらえない。
 響也の策略による『隙』だったが、時間切れのようだ。
「残念だけど、続きはまた今度。楽しみにしててね、成歩堂さん♪」
「『また』はありませんよ、牙琉検事」
「鉄拳制裁を覚悟して下さいね!」
「・・・さよなら、響也くん」
 気炎を上げて響也を威嚇し、成歩堂を守ってくれようとする二人に感謝を抱きつつも。
 いつまで逃げきれるのか、一番自信のない成歩堂であった。