「花火、やろうか」
連絡もなく、突然響也のマンションを訪れた成歩堂は、やはり脈絡もなく手にしたビニル袋をカサつかせた。
訪問が不意でも、響也にとっては成歩堂から来てくれた事の方が重要で、嬉しかった。しかも今日はずっと成歩堂へ連絡を取ろうとして、悉く空振りに終わっていたのだから。
「あ、ああ、喜んで。だけど、成歩堂さん。先に話したい事があるんだけどな・・」
ペタペタと、素足なのにサンダルを履いているかのような音を立てながらルーフバルコニーを目指す成歩堂の後ろ姿へ、響也は急いた様子で話し掛けた。
「うん? 花火しながらでいいんじゃないかな。バケツに水入れて、持ってきてくれる?」
「・・・OK」
振り向きもせずあっさり躱す成歩堂の雰囲気で、今は何を言っても受け流されると悟った響也は、重い溜息を吐きつつも物置に向かった。
「みぬきが、福引きで大量に当ててね。この間、土手でやった残りなんだ」
「・・・・・」
成歩堂が取り出したのは、大量の線香花火と、黒くて丸っぽい粒。響也は何とも言い難い表情でそれらを見詰めた。
「華やかなのが好きみたいで。やっぱり女の子だよねぇ」
ロケット花火や30連発が甚くお気に入りだったよ、と付け加える親バカの成歩堂に、『普通は逆じゃないかな・・』なんて突っ込む程無粋ではない。が、線香花火の束をハイ、と渡されても困る。
20本程で括られている束が、5つ。一本一本やったら、果たしてどれだけ時間がかかる事やら。なので響也は束を解す事なく、纏まりのままライターの火を翳した。
昼間の熱気が抜けた夜風に薄く白い煙が棚引き、消えていく。
本来バルコニーでの花火は禁止されているが、最上階に位置するこの部屋のルーフバルコニーは成歩堂が初めて訪問した時、『テントでも張れば充分住めそうだね』と感心した位に広いので、他の住人に迷惑をかける事はない。
尤も、煙が流れなければいいという問題ではないものの、今日ばかりは見逃してもらおう。
「成歩堂さん、ちょっと聞いてくれるかな」
束から零れ落ちたらしい線香花火に火をつけ、じっと凝視している成歩堂へ、響也は緊張した面持ちで声を掛けた。
「・・聞いてるよ」
成歩堂の双眸は、変わらずパチパチと爆ぜる火球に注がれている。周囲の遠くにある光源と、小さな瞬きの火花だけに照らされた顔についた陰翳は常とは違う印象を醸しだし。元々読み取り辛い感情の起伏を、一層難解にしている。
成歩堂が知っているのか、知らないのか。
既に聞いているとしたら、どう思っているのか。
響也には全く窺い知れなかった。だから、率直に言うしか術がない。
「この間、仕事絡みでアイドルと食事した所を撮られたらしくてね・・その写真が週刊誌に載ったんだ。ヤラセに気付かないなんて、迂闊だったよ。誤解だけど、嫌な思いをさせたら、ごめん」
マネージャーや関係者と一緒の筈が、アイドル一人しか現れない時点で違和感はあったのだ。フェミニストな響也は陰謀に勘付いても憤りに任せて取り残す事はせず、上手い事宥めてからその場を去ったのだが、その僅かな間にフォーカスされてしまったようだ。
女性遍歴は豊富でも、一般人としか付き合ってこなかった響也はプライバシーをガッチリ保守し、マスコミがちょっかいを出して来ようものなら徹底的に抗戦してきた。そんなある意味お堅い響也の同業者との初スキャンダルという事で、ヤラセだと承知の上でマスコミは飛び付いた。
「オドロキくんが、沢山週刊誌を買ってきてくれたよ。テレビも、見たし」
ようやく成歩堂の半分閉じた瞳が響也を捉えたが、どこか気怠げな口調同様、そこには特別な―――怒りや失望や叱責だとかは見出せなかった。造り上げられた虚構に惑わされていない事が分かって、安堵し。また、腹立たしくもカメラマンの腕を認めざるを得ない、まるでキス寸前のように密着したアングルの写真を見たのに、波風一つ立たない現状が響也を気落ちさせる。
気持ちの温度差は仕方のない事だし、それを含めて成歩堂を想い続けていくつもりだったけれど。淋しさを感じない訳ではない。
「そう、おデコくんが・・。後で、しっかりお礼をしなくちゃね」
とりあえずこの行き場のないモヤモヤは、響也への牽制で余計な事をしてくれた王泥喜へ次の法廷でぶつける事にして、火種の落ちきった線香花火をバケツへ投げ入れると共に、響也はスイッチを入れ替えた。
成歩堂相手では、悪戯に焦っても良い結果は生まれない。
「線香花火も、束ねてやると結構な迫力だね。花火をやるのは、何年ぶりかな・・」
『アナタと花火ができるなんて、嬉しいよ』と、最後に気障になりすぎないウィンクを付け加えて。
「安上がりなトップスターだなぁ」
一度響也を見てからは逆にずっと目を逸らさなかった成歩堂が、ツイ、と地面へ転がされた黒い玉へと視線を移す。その円柱型の花火は30個近くもあり、山の形に盛ったそれに、成歩堂はライターを近付けた。途端灰色の煙が勢いよく立ち上り、黒塊がモコモコと蠢き出す。
「あのさ、聞いていい?―――何で、ヘビ玉?」
1つだけでもシュールに動き、口に出すには憚られる形態にトランスフォームする花火なのに。それが数十個も一斉にウゴウゴする光景は、ロマンティックとは対極にある。
「見てて飽きないだろう?」
ちゃっかり風上に回っていた成歩堂が端的に述べたが、流石に響也も同意しきれない。というより風下にいた為、思いっきり燻されるのに耐えられず、成歩堂の隣へ立つ。
「しかし、すごい煙だね」
ぎりぎり、バルコニーの柵を乗り越える前に霧散しているが、二人の目前はスモークでコンクリがすっかり隠れている。
「火のない所に煙は立たずって言うけど、火がなくても煙は立つみたいだよ・・」
「!?」
話の流れ的には、そう不自然でもない台詞だったが。響也は瞠目せずにはいられなかった。
響也が都合良く幻聴を体験したのでない限り。宵闇に放たれた言葉が示唆するのは、嫌味であり皮肉であり。成歩堂が少なからず不安や、もしかしたら妬心を抱いた印。
「成歩堂、さん・・っ」
思い至った次の瞬間、響也はきつくきつく成歩堂を抱き竦めていた。
「き、響也くん?!苦しいんだけど・・」
驚き逃れようとするのに構わず腕に力を込め、喜びと謝意を伝える。
捉え所がなくて。
飄々としていて。
今日は会えたけれど、明日にはいなくなってしまうかもしれないという心配が常にあって。
しかも、どれも響也の事を第一に考えるが故のハッタリで。響也はハッタリだと判別はできても、それを突き崩せるレベルまで到達していない己に歯噛みをしていたのだが。
本当に極稀に。こうして成歩堂が素の感情を覗かせてくれると。ベクトルの、矢印の長さに差があっても、方向は同じだと勇気付けられる。
「ココ、外だって・・」
何とか自由になる右手が必死で響也の肩を叩いていたが、これも無視する。
「『人』は見てないし―――せめて夜空くらいには、見せ付けてやりたいね☆」
「・・・・・」
歯が浮くような発言に、成歩堂は唖然とその端整な顔を覗き込み。装飾のない本心だと見抜いたのか、急に大人しくなって顔を伏せた。
フードから伸びた白い項は、赤く染まっていて。年上の、一筋縄ではいかない恋人が見せた可愛らしさに若い響也が我慢できる筈がなかったし、する必要も感じていなかった。
「まぁ、見せるのはここまでだけど」
少しばかり不穏な言葉を吐いて、やはり真っ赤な耳朶をぱくりと咥え。
引き摺るようにして寝室へと連れ込んだ成歩堂の、響也以外は見る事を許さない姿を堪能したのである。