傍らにいるのは、私だけでいい




「あ、牙琉。いいトコ来た。奢ってよ」
「人の顔を見るなり、それですか。貴方も大概厚かましいですね」
 ナラズモの間に入った途端集られ、霧人は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「いやぁ、みぬきの給食費を払ったら、お金がなくなっちゃってさぁ・・」
 表情はそれ程変わらないものの、ピリピリとした空気を発する霧人に全く頓着せず、成歩堂は暢気に頭を掻いた。
 緩い笑み付きで。
「またですか。毎月、同じ事を繰り返していますね」
 座ると派手に軋む椅子も、霧人の優雅で無駄のない動作の前では比較的大人しく、溜息の方が響いた。
「あっはっはっ、そうだっけ?」
 覚えているだろうに、わざとらしく小首を傾げる成歩堂。その悪びれない態度に、霧人もうっすら笑みを浮かべた。
「そうです。おそらく貴方は来月も惚けるのでしょうから―――この辺で、少し返却してもらいましょうか」
「ん?」
 成歩堂の視線を引き付けるように、ネイルされた人差し指をすっと上げ、下ろし、トントン、と己の唇を二度叩く。
 そのサインを読み取った成歩堂が、ほんの僅か目を眇める。
「まぁ、背に腹は代えられないしね」
 だが特段調子を変化させる事なく飄々と身を起こし、霧人の側に寄る。
「グレープジュースもつけてくれよ・・?」
 睦言でも囁くように妖艶なトーンで紡ぎ、唇を重ね合わせる。チャリ、と眼鏡が小さく鳴ったが、霧人は身動ぎもせずに成歩堂からの接吻を受けていた。
 成歩堂の舌からは、葡萄の香りと味がする。焦らすような、誘いかけるような果肉の動きは『今』の成歩堂によく似合う。
 あからさまではないけれど、的確に欲を煽り、相手が求めるものを少しずつ与えていく。
「・・ん・・・」
 成歩堂が艶めいた呻きを漏らしたが、触れ合った部分の温度から演技の割合が多い事を察した霧人は素早く項を掴み。
「〜〜ッ!」
 食らい付くような荒々しいディープキスに巻き込んだ。
「ふ、く・・っ・・ぁ」
 快楽に滅法弱い成歩堂の身体は震え、反射的な抗いは次第に溶けていく。
 好きなだけ成歩堂を貪る霧人の胸には、堪えきれない嗤いが渦巻いていた。一食の為に娼婦の真似事をする成歩堂が、可笑しくてならない。
 かつて襟に向日葵の金バッチが耀いていた頃、成歩堂は赤貧ながらも高潔な生き様だった。当時の成歩堂に同じ事を要求したら、軽蔑されるか殴られるか。
 だが、どうだ。
 資格を失い。
 信用を失い。
 仕事を失い。
 友人を失い。
 プライドもとうの昔に捨て去った。
 義理の娘という構成要素を除けば、もう殆ど成歩堂には残っていない。
 なかなか晒さない、奥深くに潜む『何か』を奪ったなら。
 成歩堂の周りに在るのは―――親友の霧人だけ。
 霧人は、その日が待ち遠しくてならなかった。