背中側の、肘より5p程上腕。
白く柔らかい皮膚に刻まれた、赤というより紫に変色した痕。
『また、ですか・・・』
少々辟易とした思いが生じ、霧人はその鬱憤を俯せに組み敷いた肢体へとぶつけた。
「〜〜っっ!」
枕へ顔を埋め、それでも尚足りないのかカバーを噛み締めた成歩堂の呻きは、殆ど音にならなくとも。
シーツに立てられた爪が、撓んだ背が、腰から太腿にかけての強張りが、衝撃の激しさを声高に叫んでいる。断続的な痙攣や細く短くなりつつある呼気から、成歩堂が限界近い事は分かっていたが。
挑発の為の『痕跡』を見付けてしまった霧人は、成歩堂の体調を慮って加虐的な性情を抑制する気が失せてしまった。
「成歩堂、これ位で音を上げてもらっては困りますよ・・?」
深く楔を押し込めながら上半身を倒し、耳朶へ窘めるかのごとく囁けば。潤み、縁を赤くし、焦点を霞ませた黒瞳がゆるりと巡らされ。
「この、・・サ・・ド・・っ」
霧人の表情から何を読み取ったのか、ひび割れた声が弱々しく毒付いた。本能的に逃れる動きを示す肢体を容赦なく縫い止めて。
霧人が、酷薄に笑う。
「おや、分かっているのなら話は早い。手加減は必要ありませんね?」
そして、苦痛と快楽が渾然一体に混じり合った閨の始まりを告げた。
「暫くは、お嬢さんの前では上着を脱がない方がいいですよ」
いつもながら隙のない装いでティーカップを傾けていた霧人は、ノロノロと身支度をする成歩堂へ忠告した。
「・・・何で?」
Tシャツを羽織った成歩堂が気怠げに自分の体を見下ろすが、キスマークはどれも服の下へ隠れていて、霧人の示唆が理解できていないようだった。
霧人が己の腕で『そこ』を指し示すと。
「ん? ああ、こんなトコに・・」
2・3度腕の角度を変えて、やっと鬱血の印を見付けた成歩堂は、ぶつぶつとぼやいた。眼鏡の奥から何気ない視線に見せかけつつ、冷静に一部始終を観察していた霧人は、成歩堂が『それ』を霧人がつけたものだと思っている、すなわち知らなかったのだと判断を下した。
「せめて、見えないトコにしてくれよ。最近、暑いのにさ・・」
クーラー代もキツイんだから、と恨みがましい視線を寄越す成歩堂へ、ティーカップを優雅にソーサーへ戻した霧人は。
にっこりと、昨晩の倒錯的で淫靡な情事を想像させるものなど欠片もない清廉さで微笑んだ。
「貴方があまりにも素敵な反応を返してくれるので、つい夢中になってしまいました。今後、気をつけましょう」
表情と台詞のギャップに食傷を起こしたかのような重い溜息を吐いた成歩堂が、やはりノロノロとベッドから立ち上がる。
「お詫びに、何か美味しいものでも御馳走します」
あくまで優しい口調で謝罪の意を表しながら、綺麗にネイルが施された手を項に添えると。
成歩堂は心持ち顎を上げ、静かに瞳を閉じた。
何年もの間、繰り返されてきた手順―――霧人がキスする前に項を触る―――が、既に条件反射と化しているのだ。成歩堂の身体に染みこんだ霧人の『痕跡』はこれだけでなく、多数ある。
何しろ無垢だった肢体を一から暴き、抱かれる官能を教え込んだのは他ならぬ霧人なのだから。
故に。
姿を見せずに存在だけを匂わす男も。成歩堂を抱く度、霧人の影を見出さずにはいられない筈。
そして、感じるに違いない。
ちりちりと胸を焦がす、成歩堂が己だけのものではないという、苦い事実を。
その妬心は。
成歩堂にかかわる者全てに要求される、『アンティ』であった。