無防備に向けられる、背中。霧人の中で暗く凝縮された思いに気付いていないのか、気付いていてわざと知らない振りをしているのか。今も、ナイフよりも鋭い霧人の視線を感じているだろうに、成歩堂は乗り上がったソファの背もたれに抱きつくようにしてのたりと過ごしている。
背後から鈍器で殴るか。鋭利な刃物で、肋骨の隙間をぬって心臓を抉るか。いや、両手で首を握り、舌骨を折ってしまうのが一番労力はかからない。
どれも、数秒で片付くだろう。それこそ、成歩堂が霧人の殺意を悟った時には終わっているに違いない。
ぼんやりうたた寝しているらしい成歩堂のニット帽についた、悪趣味なバッチをしばらく見下ろしていた霧人は、コツ、とソファへ一歩近付いた。成歩堂は身じろぎもしない。霧人の奸計は、実行可能だ。
いつでも、いますぐにでも、できる。
霧人の上半身が傾き、綺麗に巻かれた金髪が流れる。
そして。
「んぁ?」
寝ぼけた声をあげて、成歩堂が振り向いた。首筋を、押さえながら。
「いつまで寝ているのですか?」
項に口付けた事などなかったように、見かけの柔和さを裏切る力強さで成歩堂をソファへと横たわらせ、威圧的に乗り上げた。
「こういう事をする為に、僕は起こされたのかな?」
抵抗はないが、ちくりと嫌みを発する。嫌みが霧人に影響を及ぼす訳もなく、霧人は殊更丁寧に眼鏡を外してテーブルへと置いた。
「厳密に言うと違いますね。お礼を、いただこうかと思いまして」
「お礼・・? 何の、こ・・っ」
改めて向き直った霧人の言葉が不可解で尋ねようとした成歩堂の唇を、頓着せずに塞ぐ。答えなど、与える気はさらさらない。
いつでも、今すぐにでも、成歩堂に終焉を迎えさせる事ができる。
できるからこそ、今回は見送ってやった。霧人の、気紛れによって。
生き存えた事へのお礼を、本人の預かり知らぬ所で搾取しつつ、霧人はひっそりと酷薄に笑った。