「バンビーナ!」
「ん?」
人通りは多かったし、距離もあった。
けれど放たれた矢のごとく、その声は成歩堂の耳に届いた。ピタリと立ち止まって振り返れば、群衆の中でも頭一つ分飛び出したテンガロンハットが視界に映る。
何度苦情を申し立てても止めてくれない呼び方で誰だか予想はついていたが、やはり罪門刑事―――恭介だ。
別々の担当事件が続いた為、二ヶ月程前に会ったのが最後だろうか? 弟の直斗や悪友のゴドーとはしょっちゅう顔を合わし、その際恭介の話もよく出るので意識しなかったが、随分とご無沙汰だった。
気付いた途端、自然と成歩堂の足は速度をあげて進み、成歩堂以上に恭介がほぼ全力疾走で向かってきたから、忽ち二人の距離は0になった。
「久しぶり。俺と会えなくて淋しかったからって、浮気してないだろうな・・?」
前に立った恭介は、大型拳銃も軽々と扱う手で成歩堂の頬を撫でた。
耳の際まで這わされる行き過ぎのスキンシップと、成歩堂の恋人であるかのような物言いに、成歩堂は真っ赤になって慌て、年齢の割に幼い反応を返すのがお約束だった。
「バンビーナ?」
だが、今日は。戸惑いと困惑が綯い交ぜになった顔をして、ただ恭介を見上げている。あんまりにも心許ない視線を向けられ、少し心配になる。
抑え目のトーンで呼ばれた成歩堂は、はっと瞬いた。
「あ、ああ、すみません。いつもの恭介さんと印象が違っていたので・・」
見る見る内に頬へ朱を昇らせながら、モゴモゴと言い訳する。
恭介といえば、テンガロンハットのカゥボーイスタイルがデフォ。冬にはポンチョがプラス。強靱な肉体と荒削りな面差しを持っていても、『コスプレ・・?』と引かれてしまう事が稀にある。
しかし今はテンガロンハットこそ被っているものの、洗い晒しのダメージジーンズにバッシュ。藍色のタンクトップにヒップバッグという、ちょっと危険な香りのするワイルド系イケメン仕様なのだ。
要は、ストレートに格好いい。
周囲にインパクトのある服装をする人が多い成歩堂は、普段から恭介の容姿をマイナス要素なしで受け止めている為、違和感を覚えると共に改めて見惚れてしまったのである。
例えるなら、ゴドーが珈琲ではなくミルクティを飲んでいたらひどく据わりが悪いが、元が良い故にそれすら様になるといった所か。
そんな恥ずかしい感想を無難な言葉で誤魔化そうとしたが、何分態度が素直すぎて恭介には思い切りバレた。
「この暑さだってのに、聞き込みが続いてな。あーあ、己のスタイルを貫けないなんて、俺も軟弱になったもんだ・・」
わざと嘆いてみせる。薄着になったのは、暑がりの上司が『見ているだけで汗が出る!』と半ば強制的に着替えさせられたからなのだが、こちらはチラとも表に出さない。
カゥボーイに拘る理由は知らなくとも、拘りの程をよく知っている成歩堂は、ころりと騙されて慰め始めた。
「いやいや、恭介さんは軟弱なんかじゃありませんよ!? ほら!身体だって惚れ惚れする位に鍛えられ・・て、て・・」
一所懸命、ちょうど目の前にあった筋肉の隆起が見事な、いかにも苛酷な状況下で使役され引き締まった胸板から腕を褒め、その途中で不自然さに気付いて失速する。
お世辞ではないけれど―――事ある毎に、もれなくセクハラ付きで口説いてくる恭介へ言ってはマズい。
「嬉しいねぇ・・」
案の定、恭介はニヤリとあくどく笑って、成歩堂の腰を微妙なタッチで摩った。
「ご期待に応えて、今夜どうだ? スタミナでもテクでも、失望はさせねーぜ」
「なっ!」
背筋がゾワゾワしたのは真っ昼間だというのに恭介の声が矢鱈とエロくて、そのトーンであからさまに誘われた事もあるが。半分は、長い指で双丘の下のラインから狭間までを辿られた所為。
この手の駆け引きに慣れていない成歩堂は、瞬時に茹で上がった。
「どうした?バンビーナ。テキサスのトマトみたいに、顔が赤いぞ」
元凶でありながら、素知らぬ降り。
「もしや、熱中症か? いけねぇ、悪化する前にこっちに来な。可愛い子ちゃんが熱中症になったら困る」
「え? 待った! 大丈夫です・・っ」
我に返った成歩堂が否定するのも無視して、日陰になっている路地を目指して歩き出す。インドア弁護士の成歩堂が武闘派刑事に叶う訳もなく、どんどんと引っ張られていった。
「熱中症対策には、第一に水分補給って事で」
「んぅっっ!?」
バッグからペットボトルを取り出した恭介は、器用に片手で蓋を開けてスポーツドリンクを呷るなり―――成歩堂に口移しした。
閉じていた唇を下がこじ開け、その隙間から冷たい液体が流れ込んでくる。口内を満たしたそれを成歩堂は反射的に呑み込んだが、水と同じ位深く進入した肉片の方はどうにもできなかった。
「む、っ・・ん・・」
舌で押し遣ろうとするが逆手に取られ、ぬるりと根元まで絡みついてくる。恭介自体を押し退けようにも、逞しい身体全体で壁との間にサンドイッチ状態。恭介の好き勝手に両手で体中をまさぐられ、口腔も蹂躙され、次々と注がれる唾液を嚥下させられる。
「・・っ〜〜ぁ」
ガク、と成歩堂の膝が崩れた所で、ようやく恭介は唇を離した。奪われた酸素を求めて、成歩堂が短く呼吸する。
火照り、うっすら汗を滲ませた顔を壊れ物でも扱うかの繊細さで撫で、しかし次に恭介が発した台詞は嗜虐の色を孕んでいた。
「赤みが抜けねぇな。もっと水分を取った方が良さそうだ」
本当に熱中症に罹ったかのごとく、朦朧とした思考が『逆効果です・・』とツッコミを入れたが。
勿論、唇を塞がれていては『音』にはならなかった。