アイツは逆転弁護士なんて呼ばれてたみたいだけど。
アイツの身に、あんな逆転が起こるとは誰一人として想像していなかっただろう。
でもバカバカしい事件は罷り通ってしまい、アイツの環境は劇的に一変した。
弁護士じゃなくなり、成歩堂法律事務所のプレートには紙が貼られ、ろくな収入もないのに養わなければならない幼い子供を抱え。青いスーツを脱いで、パーカーとサンダルとニット帽に外見をチェンジするのに併せて、アイツは内面も別のモノにスライドさせた―――そう、見せ掛けた。
親しくしていた者達全てから遠離り、連絡を絶ち、その様は『成歩堂龍一』をもこの世から消そうとしているとしか思えなかった。
「・・呼び出すなって、言っただろ?」
「おお!遅いぞ、成歩堂。早く座れって!」
サク、と草を踏みしめたサンダルが視界に入り、矢張は大袈裟な仕草でビニルシートの空いている場所をバシバシ叩いた。苦言をスルーされた成歩堂が、昼の日光を受けて眩しげに目を眇めたまま諦念の息を吐く。
「今度の『緊急事態』は何だよ?」
成歩堂の携帯にかけても出ない事は知っていたから、みぬきに直接連絡を取って『緊急事態が起こったから、ひょうたん湖の青空広場に12時に来てくれ』と成歩堂への伝言を頼んだ。
矢張の番号は既に抹消されているから、成歩堂はすっぽかすか、行くかのどちらかしかない。
前に1度、待ち惚けをくらった事があったのだが。6時間後ふらりとやってきた成歩堂を、いつもの陽気な調子で矢張が出迎えてからは、ブツブツ文句を言いながらも必ず成歩堂は現れるようになった。
「天才マシスさまの行動が気になるのは分かるが、腹が減っては戦ができぬ、って事でメシにしようぜ〜」
「ピクニックしに来たんじゃないんだけどな・・」
「ま、いいじゃねぇか、どうでも! さ、食えよ。俺様の作ったオニギリだぜ?」
今はオニギリ屋でバイトしている矢張は、店の規格より随分と大きいそれを無造作に選んで成歩堂に渡した。
「今度店に出そうかと思ってるロシアン・オニギリさ〜。アタリはチョコレートにしてみた☆」
「それ、アタリじゃなくてハズレだろ? しかも、チョコをオニギリの具材にするなよ!」
「ああっ、割ったら意味がないだろっ!?」
「企画したなら、ちゃんと味見しろって」
見事にハズレだった、中身がドロドロに溶けた焦げ茶色のオニギリを矢張に押し付け、成歩堂は全ての中身を確かめた上で自分の好きなものを食べ始めた。
ここ数年ですっかり食が細くなってしまった成歩堂に、ぎゃあぎゃあ叫いて気を反らしながら無理矢理幾つも食べさせ、可愛い女の子が沢山いるケーキ屋で仕入れたというデザートも口に押し込めば。
「結局、お前の用事は・・?」
食べ疲れた成歩堂はシートに寝転がり、思い出したように尋ねてはきたものの、口調も目線もひどく緩慢になっていた。
木陰で直射日光は遮られていても明るい日差しがちらつき、昼下がりの穏やかな気候と、適度な疲れと満腹感に今にも寝落ちしそうで。
「もっちろん、天才マシスさまのスケッチのお供に決まってるじゃん☆」
「・・・スケッチにお供なんて必要ないだろ・・」
名誉に思えよ、と親指を立てた矢張へ最後の気力を振り絞って突っ込んだ後は、とうとう眠気に負けてカクリとシートへ突っ伏した。
成歩堂が何を考えて落魄れた振りをし、何の目的で交友関係を断絶したのか、詳しい理由なぞ矢張には分からないし、聞くつもりもない。
矢張はただ、成歩堂の側から離れないだけ。
会う回数も減らしたし、約束なんて取り付けないで、いつも奇襲をかけては成歩堂を呼び出し、何をする訳でもなく数時間騒いであっさり解散する。
最初の内は成歩堂も何とか矢張とも距離を置こうとしていたが、あまりにも矢張が『変わらない』ので、無言下の説得も工作も諦めざるを得なかったようだ。
怠そうな態度も飄々とした言動も脱ぎ捨てる事はないけれど、成歩堂が自然体なのかそうでないのか、付き合いの長い矢張には苦労もなく見抜ける。そして矢張といる時の成歩堂は、間違いなくリラックスしきっている。
シャッシャッ。
静かな寝息をたてて眠る成歩堂の隣で、矢張は白い紙の上に鉛筆を滑らせ続けた。矢張がさんざん武器だと冷やかしたトンガリ頭は、ニット帽に隠され。弁護士にはちっとも見えないとからかいの対象になった童顔には、無精髭が生えていても。
矢張が描く成歩堂の姿は、昔から同じ。
真っ直ぐ腕を伸ばし。
指先にまで力を漲らせ。
その強い瞳が見ているのは。
真実、のみ。
どんなに世界が変貌しても。
揺るぎないものが、2つある。
親友としての矢張のポジションと。
真実を追い求める、成歩堂の魂。