スペイン語で囁く愛の言葉

No hago mas que pensar en ti.




「・・・まだ、吐かないのか・・?・・」
「オちないですねー。なかなか強情な野郎で」
 馬堂は取調室から出てきた部下が疲れたように肩を回したのを見て、話し掛けた。部下ははっと気を取り直し、やや早口に応える。
 まだ馬堂に対して緊張する部下だが、ガッツはあるし、勘も悪くない。それなのに自供を引き出せないとなると―――少し、方針転換をする必要があるかもしれない。
 先日起きた殺人事件で逮捕した容疑者は、状況から判断すると『クロ』。アリバイはなく、犯行を裏付ける証拠と証言がある。比較的早く決着がつくかと思われたものの、容疑者が一貫して否認を続けていた。
 圧倒的不利なのに、自白しない。
 『もし、シロだとしたら・・』
 低い可能性だとしても、無視する訳にはいかない。考えを巡らせ始めた馬堂の脳裏に浮かび上がってきたのは、尖った髪型の弁護士。馬堂が知る限り、あの若者は今回のケースと酷似した事案と多く関わっていた。
 もしかしたら・・という予感じみた想いを抱く。もし、青いスーツの彼―――成歩堂が弁護を引き受けたとしたら。
 また会える。話せる。
 事件現場に同行し、事件について議論を交わし、多くの時を共に過ごす事なる。そう、些か飛躍気味の予測をたてただけで。胸の底が、ざわざわする。浮き立つような、どことなく落ち着かない気分になる。
 それは感じなくなって久しい、遠い昔でも数える程しか味わった事のない、『トキメキ』という奴だ。
 もっと掘り下げれば。若かりし頃より、現在の方が春めいた状態に陥っていた。
 何しろ、折に触れ―――例えば、ツンツンのサボテンや鴎を見掛けたり、裁判所へ行ったり、『弁護士』に会ったり―――成歩堂を思い出し。
 その度、ほんのり温かい気持ちになるのだ。
 成歩堂への傾倒を自覚した時には、大抵の事には動じない馬堂も、『・・・・・・・・』位は考え込み。
 しかし馬堂らしく、それだけの通過儀礼であっさり想いを認めてしまった。馬堂程の年齢になればもって生まれた性格も相俟って、腹の中はどうあれ平常通りに過ごす事など訳はない。
 ただ、かなりの頻度で成歩堂を想起する。
 あの、尖った髪の毛の感触はどうなのだろうか。
 柔らかそうに見える頬は、本当に柔らかいのだろうか。
 手は冷たいのか、温かいのか。
 抱き締めたら、からかった時と同じく真っ赤になって暴れるのか。それとも、驚いた時のように固まるのか。
 時折、事件絡みで顔を合わせるだけ。プライベートでの付き合いなど殆どないに等しいから、情報の少なさが余計想像を刺激する。
 感情の起伏に乏しい馬堂の恋は、冬から春にかけて寒さの緩んだ日に吹く風のよう。ふわりと通り過ぎる、温かさ。鎮められて何年も経った、稲妻を伴う嵐にも似た激情が蘇るかどうか、今の所は馬堂自身でも読めないが。
 成歩堂へと流れる思考は、そのままにする。




「すみません、弁護士の成歩堂と申しますが―――」
「・・・やはり来たのか・・ボウズ・・」
 馬堂の物思いを破ったのは、ハキハキとした元気な声。予想が的中した事にうっすら笑みを浮かべつつ、馬堂は立ち上がった。
「あ、馬堂さん。お久しぶりです!」
 大きめの黒瞳が馬堂を捉えた瞬間、ぱぁっと喜びを湛える。顔馴染みの刑事がいれば仕事がスムーズに運ぶから、というのもあるだろうが、成歩堂の場合は単純に知己に会えたのが嬉しかったらしい。
 我が事ながら、強面で寡黙で変わり者でと取っ付きにくい要素が多いのに、何故か成歩堂は懐いている。
「・・元気そうだな・・高台の件か・・?」
「は、はい。家族の方から弁護を頼まれまして、面会を申請しに来ました」
 用事を告げる前に言い当てられ、瞠目した成歩堂がコクコクと頷く。
 ・・・おそらく、成歩堂は弁護を引き受けるだろう。そうしたら、成歩堂を観察する機会が増える。成歩堂と接触する時間が増える。
「・・そうか・・」
 ならば、その間に。成歩堂の頬か手の感触を、確認しよう。
 そんな風に計画をたてていた馬堂は、愉しさから笑みを浮かべ。はっきりとした笑顔はあまりにも珍しくて、刑事部屋にいた者達から驚愕の視線を集めたのだった。



 No hago mas que pensar en ti. (君のことばかり考えてる)