御剣検事の為だったら、たとえ火の中水の中。
査定が最低で、雀の涙程の給与しか貰えなくとも。その所為で食事がソーメン尽くしになっても。
御剣を恨む気にはならないし、逆にもっと頑張ろうとも思う。
それ程までに惚れ込んでいるとの自覚はあった。人間として、上司として、全身全霊で尊敬していた。それは別段恥じる事でもなかったので、糸鋸は己にも対外的にも、憧憬と敬意をオープンにしていたのだが。
『あの男』に対する、何だか妙ちくりんな気持ちを誰にも話せないのは何故だろう、と首を捻らざるを得ない。
事件現場に到着した糸鋸は、あまりにも見慣れたトゲトゲにいかつい肩を更に怒らせた。
「また、アンタッスか?!」
「またって、僕だって好きこのんで居る訳じゃ・・・」
咎められた青い弁護士は、へにゃ、と変な眉尻を下げた。その姿は悪戯を叱られたワンコロのようで、動物好きの糸鋸は瞬間的に尖った頭をワシワシと撫でてやりたいと思ってしまい、慌てて持ち上がっていた右手をヨレヨレのコートに突っ込んだ。
「関係ないのなら、下がるッスよ。立ち入り禁止ッス」
本人が自ら首を突っ込む事は少ないのだが、いつの間にか巻き込まれて騒動の中心にいる人物故に、シッシッとやはりワンコロを追い払うような仕草をしてみせた。
「いやぁ、直接関わりはないんですけど・・・何というか、成り行きというか、弁護を引き受ける事になって」
「ええっ!?なら、尚更入っちゃダメッスよ。あんたをうろつかせたとバレたら、御剣検事に怒られるッス!」
この事件の担当検事は御剣と決定し、糸鋸は御剣の指示を受けて調査に来たのだ。
「ゲ。また御剣が相手なんですか?じゃ、こっちも尚更お願いしますよ〜」
お互い、御剣という名前にダラダラと冷や汗を流している光景は滑稽ですらあったが、成歩堂は形振り構わず、眉を一層下げて頼み込んだ。
「1箇所だけでいいんで!何も、触らないですからっ」
ここで。
糸鋸は無下なく『捜査の邪魔ッス』と却下すべきなのだ。頭ではよーく分かっている。尊敬する御剣からも、きつく、眉間に皺を寄せながら何度となく叱責されているのだから。
しかし、ドングリ眼をウルウルさせて、糸鋸のコートを掴んで必死に懇願する様を目の当たりにしてしまうと。
糸鋸は、どうしてか。
いつも。
「・・・仕方ないッスねぇ。ちょっとだけッスよ?」
キュンキュン鳴いている犬を見捨てられないのと同じで、成歩堂の頼みを聞いてしまうのである。
「ありがとうございます!イトノコさん、助かりますっ!」
そして、ぱぁっと成歩堂の顔が明るくなって、心底嬉しそうな満面の笑顔を糸鋸に向けるので。
何故か御剣の注意がすぽーんと頭の中から転げ落ちる、といういつものパターンを踏襲。
「キサマ、減給だ!」
「・・・・・」
結局。その時の調査が逆転の証拠となり。証拠を見逃した事と、成歩堂を現場に立ち入らせた事の両方が御剣に知られ。
糸鋸は、お定まりの台詞を喰らって、しょんぼりと大きな肩を落とした。
「す、すみません、イトノコさん(汗)でも、イトノコさんの協力のお陰で、真犯人が見付かったんです。本当にありがとうございます!」
カツカツと革靴を鳴らしながら去っていく御剣の後ろ姿を、それこそ捨てられた犬のような表情で見送っている糸鋸へ、成歩堂が声をかけた。
「仕方ないッス。御剣検事はいつも正しいッス」
糸鋸は、力なく笑い返した。またソーメン三昧の日々が続くけれど。糸鋸とて、自分の給与査定の為に無実の市民を有罪にしようとは思わないのだから。
「そうだ!やたぶき屋のラーメンでも食べに行きませんか?たまにはソーメン以外のものを食べましょうよ!」
何とか糸鋸を元気づけようと、成歩堂が食事に誘ったが。
「ソーメンは大好きッスけど、好きでソーメンばっかり食べてる訳じゃないッスよ」
給与査定でマイナスをつけられる原因は、大抵成歩堂絡み。成歩堂への視線はどうしたって、恨みがましいものになる。
「じ、じゃあ、大盛りを奢りますから。さ、行きましょう?」
蟀谷に汗を伝わらせながら、愛想笑いをして成歩堂が促す。
糸鋸はようやくトボトボ歩き出し、もう何十回となく繰り返してきた決意―――成歩堂の頼みは聞かない―――を新たにしたが。
「イトノコさ〜んっ!お願いします〜!」
「そんな眼で見るのは卑怯ッスよ!」
やっぱり成歩堂の上目遣いには勝てなくて。成歩堂が犬みたいな真似をするからいけないのだ!と内心で言い訳する糸鋸がいた。
糸鋸が、どうして成歩堂に弱いのか『真実』に気付く日が来るのか。
それは、誰にも分からない。