根っからインドア派の成歩堂は、体温に近い炎天下をそぞろ歩くなんてM的趣味はない。効きの悪いオンボロクーラーでは多少涼しい、が限界でも。凶器と化した太陽光を浴びるよりはマシで、休日は迷わず『巣籠もり』を選択していた。
ナマケモノな成歩堂の性格なんて、とうにお見通しの直斗は。
アパートから地下鉄駅までの徒歩5分さえ、クリアすれば。待ち合わせは半室内の駅ナカ。そこから目的地の、節電中でも快適な清涼さを保っている一流ホテルへは、一度も地上に出る事なく直通エレベーターで行ける。
そんなプランで成歩堂を誘った。
しかもホテルのランチビュッフェは、完全予約制。お子さま不可のあくまで料理を楽しむハイクラスさ故、成歩堂のランチ設定金額からはかなりかけ離れており、自腹で行く事はまずないと思っていた場所。
知り合いから貰ったんだ、と例のごとく湿度を感じさせない爽やかさで直斗は言っていたけれど。 アイドルスマイルの裏に、『何か』を感じないでもなかったけれど。
それから―――記憶も曖昧な位、訳が分からない内にパクリと喰われたのは1ヶ月前の事だけれど。
あの後、直斗の態度は全く変化がなく。成歩堂が避けまくっていても、普段通りに接し。どんな頑固親父でも『君だったら娘を任せられるかもしれんな』と認めさせる好青年っぷりをキープし続けたので。
押しに弱く流されやすく、すぐ丸め込まれる成歩堂は『もしかして、夢・・? いやいや、そんな筈は。でも・・』なんて揺らぎ始め。もやもやが募るあまり、警戒心の方を薄れさせてしまった。
うっかり。
浅はかにも。
ハイソなホテルでもビュッフェに限りドレスコードはないらしく、Tシャツとジーパンでいいよと直斗から言われた成歩堂はそのままの格好で地下通路を歩いていた。冷房は控えめでも汗ばむ一歩手前で済んでおり、暑さの所為で挫折して引き返そうという気にはならない。
―――残念な事に。
そう。待ち合わせ場所に近付くにつれ、給料日前の懐事情と貧乏性からノコノコ釣られてしまった成歩堂も。考え直した方がいいような、今からでもキャンセルの連絡を入れた方がいいような危機感がヒシヒシしているのだ。
その原因は、言うまでもなく『あの夜』なのだろう。
繰り返し何度も思い出そうと努力してみたものの、明瞭な記憶は、直斗と酒を呑んでいる所までで。後は途切れ途切れ、しかも非常に曖昧な―――それこそ夢のような―――映像がぼんやり残っているだけ。
夢の内容が、艶めかしく且つ生々しかったのと。翌朝、直斗のマンションで目覚めた時、客間に寝ていて着替えさせてくれたらしいパジャマに乱れはなかったが、下半身が妙に気怠かったのとで、とんでもない一夜を過ごしてしまったのではないかと恐ろしい結論に達した。
すっかり混乱した成歩堂は慌てて着替え、直斗と碌に話す事なく飛び出してしまったのだけれど。今では、それが最大の失敗だったと自覚している。時間を置けば置く程、聞きにくいタイプの出来事だから。
「・・・あ」
悶々と考え込んでいる間に、成歩堂の足は目的地へと到着した。探すまでもなく、直斗の姿は見つかった。独特のオーラというのか、存在感があるのもその一因だが。
「よければメルアド交換しません?」
「すぐそこに、いいカフェがあるんですけどー」
数m離れていても弾んだ声が聞こえる位、高揚した女性に直斗は囲まれていたのだ。見慣れた光景なので、乾いた笑いしか漏れない。検事局でも、御剣と人気を二分する直斗。それは学歴や職歴を含めての評価だが、第一印象オンリーだって女性達の熱い注目を集めるのは常の事。
今日は、テンガロンハットは勿論、ヴィンテージ感たっぷりのジーンズにショートブーツ。そして、身体のラインにぴったり沿ったタンクトップ。一見細身に見える直斗が、実はかなり鍛えた肢体を有している事はこういう格好をするとよく分かる。
どちらかというと草食系の甘くて爽やかな顔立ちに、ワイルドさを秘めた体躯。これで放っておかれる方が、可笑しいだろう。
年中無休でモテ期な直斗『達』を目の当たりにすると、いつもなら『羨ましい』とか『流石だな〜』とか『ジムにでも通うか・・やっぱり止めよう』なんて思うのだが。
「―――うわ」
剥き出しになった二の腕や。堅く締まった腹部や。健康的な色に焼けた首筋が。深く沈んでいた記憶の断片をフラッシュバックのように呼び覚まし、成歩堂の体温を一気に上昇させた。
成歩堂を抱き竦めた、力強さ。凶暴なまでに躍動する筋肉。汗の滴り落ちる、濡れた肌。
夢、ではないかもしれない。
あれは、本当にあった事・・?
本当に今更ながら実感を抱いた成歩堂は、ジリジリ後退り。後先考えずとにかく逃げよう、と考えた。
しかし。
まさにその瞬間、女性達とにこやかに会話していた直斗が、顔を上げ。
バチリ、と音が立たんばかりに成歩堂と目を合わせた。
「ベイビー!」
大きくはないのによく通る声が、どうしてか成歩堂の四肢を縛り。反射的に伸ばされた数多の腕を擦り抜け、直斗は成歩堂が硬直している間に目の前へ立った。
「来てくれて嬉しいよ」
「はは、は・・」
またまたどうしてか、『逃がさないよ』なんて副音声まで聞こえてきて。それ程暑くない筈なのに、成歩堂を目眩が襲ったのである。