言葉に出せるのは、『もう少し』。
けれど、心では『もっと』と望んでいる。
星が幾つか瞬くだけの、夜空。
明るくなるまでは6時間程ある真夜中。
にもかかわらず道は人々で埋め尽くされ、喧噪と人熱れで熱気が立ち上っていた。この界隈で最も大きい神社は、年明けには必ず初詣の参拝客で身動きもとれない程混雑する事で有名で。覚悟はしていたものの、圧倒される。
「うわっ」
「おっと。大丈夫か、バンビーナ?」
鮨詰めでノロノロ行進でも、はしゃいで飛び跳ねる人にぶつかられれば、大きく蹌踉めいてしまう。転びそうになった成歩堂を恭介の腕が揺るぎなく捕まえ、事なきを得た。
「あ、ありがとうございます」
既にかなりのお酒が入っているのか、何故か陽気な調子で『ごめんなさーい!』と謝ってきた若者に頷いた後、成歩堂は恭介に礼を言った。
どちらかというと鈍くさい為、人波に流されそうになったり外人に話しかけられて固まったり痴漢にあったりする度、恭介がさっくり助けてくれ。今夜だけで、もう何回謝罪と感謝を告げたのか考えたくない。
「やっぱりバンビーナは、しっかり捕獲しておくべきだな」
「っ!」
少々落ち込んだ成歩堂を、恭介は羽織っていたポンチョの袷を開いて―――首から下を包み込んでしまう。
「き、恭介さん・・っ」
ポンチョの内側で抱き竦められ、成歩堂の頬が紅潮する。衆人環視どころではない人混みの中で、バカップルレベルの体勢をとるなんて、どうして許容できよう。
夜気に冷えた身体が、ほわりと暖かくなったとしても。
廻された腕に、例えようもない安堵を感じても。
へにゃりと眉を下げて後ろの恭介を見遣れば、男らしく整った顔が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「今日は気にしなくても、大丈夫だぜ」
「え・・」
「その格好じゃ、バレやしないさ。夜だしな」
手袋をしていても器用に、そして優しくマフラーを直す恭介の示唆する所を考えてみれば。
出掛ける前、真っ白なロングマフラーを口元を覆う位にグルグル巻きにされ。ふわふわな桜色のニット帽を深く被され。大学生の時に購入したベージュのダッフルコートを、わざわざチョイスされた事を思い出し。
現在外に出ているのは、ほぼ目のみで。外灯の少ない参道では、ぱっと見なら男女の区別が付きにくいかもしれない。女性にしては背が高いものの、隣にいるのが更に長身の恭介だから、それも錯覚の要因になり得る。
「って事で、今日は沢山くっつくぞ」
―――恭介は。成歩堂が外では近しい知人以上に見えないよう、振る舞っているのも。隠したい訳ではないのに、隠さなければならないジレンマを抱えているのも。しかし万が一公になって恭介の立場を危うくする事を、何より恐れているのも。
指摘しなかっただけで、全て見抜いていた。
恭介自身はどこでも結構オープンに成歩堂へ戯れかかっていたから、気にしていないのかと思ったのは大きな間違い。
「・・・お参りする前に、願いが叶っちゃいました」
するりと零れ落ちた、成歩堂の本心。1回位、気兼ねなく恭介と歩きたいと密かに願っていた。叶う日は来ないと、分かっていても。
「バンビーナ。あんまり可愛いコト言うなよ」
「は?」
成歩堂としては少々情けない告白だった為、予想外の反応に逸らしていた目線を戻した。
ぎゅ、と成歩堂を抱き締める恭介の腕に力がこもる。
「今すぐ帰って、姫始めしたくなるだろ?」
「っっ?!」
耳朶へ唇を直接くっつけてこそりと囁かれた言葉は、熱く濡れていて。密着した身体も、温度を増したような気がして。本能が危険信号を発し、反射的に身体は逃げを打ったが。
勿論、それは叶わなかった。