夕食とバーで軽く飲んだ後、帰り道で耳朶に。
ジャズがBGMでなくメインとして流れる喫茶店で、周囲の目がない時に、手の甲へ。
ショッピングへ出掛け、次から次へ成歩堂に買い与えようとする直斗との攻防で疲れ、げっそり落ちた肩に。
他にも鎖骨や、二の腕や、指先や、膝小僧などにも、直斗はデートの度に口付けた。加えて結構際疾い手出しは、隙とタイミングさえあればいつでもどこでも繰り出してくる。
そのセクハラは、とても爽やかではなくて。ギャップというか羞恥と狼狽でアワアワする成歩堂へ、しっとりと艶を含んだ声音で囁くのだ。
『他の場所にも、キスしていい?』
『もっと深く知りたいな・・』
『ベイビーも、その気になってくれた?』
『返事、聞かせてよ』
『心配になってきちゃうんだけど』
淫蕩な声音と淫靡な手付きに見開いた目を向ければ、邪さと掛け離れた表情と清廉な笑顔。どちらとも取れない態度が余計、成歩堂を惑わせ、乱す。絡みつくように触れてくる身体は、あからさまに希求を伝え。
成歩堂が少しでも抗う素振りを見せると、すっと引く余裕は―――疑念を膨らませる。やはり本気ではないかもしれない、と。
直斗がデートと称する付き合いを、何回も重ね。今まで以上に直斗を知るにつれ。成歩堂は、願い始めていた。
直斗の想いが、真実である事を。
知己以上に惹かれている自分を、認めた。
故に、脅える。
『また』偽りだったらどうしようと、二の足を踏む。一度目は、何とか乗り越えた。沢山、後悔も反省もした。今はまだ当面恋愛をする気にはなれないが、万が一相手が現れた時同じ過ちを繰り返さない為、己を鍛えた。
もし直斗が遊びを仕掛け、想いがフェイクだったなら。―――立ち直れそうにない。
成歩堂は、直斗の囁きが疑問符ばかりになってきた頃、耐えきれなくなって率直に心情を吐露した。どんな答えでも、享受する覚悟で。
「あらら。まいったね」
途切れ途切れの、しかし懸命な告白に直斗は大きく肩を竦めた。気障な仕草も、直斗がやるとピタリとハマる。ただ、成歩堂の双眸を引き付けたのは、そのスマートさではなくふっと変わった雰囲気。
「怖がらせるとマズいと思ったんだけど・・裏目に出ちゃったか」
表面上は、それまでと同じ。が、成歩堂の危機察知能力は精度が高く、広がりつつある少々不穏な空気に冷や汗がじわりと滲む。といっても、成歩堂は狼狽えて直斗を見上げたまま。折角の第六感も、殆どが致命的な無防備さで相殺され役に立たない。
「ま、やっぱり丸ごとベイビーに受け入れてもらいたいし。軌道修正しようかな」
「な、直斗さん・・?」
ニッコリ、完璧で真っ白な歯並びを見せて直斗は笑った。涼やかな風が、比喩ではなく直斗と成歩堂の間を通り抜けていく。
「ぅわっ」
遅ればせながら後ずさろうとした成歩堂が、素っ頓狂な声を上げる。
一秒前まで。風が流れる程の距離があった筈なのに。空気の動きを感じた次の瞬間、成歩堂は直斗と隙間なくくっついていた。包むように廻された直斗の両腕は、きつく締め付けている訳ではないけれど、身動ぎすらできない。
それは、直斗のやり方を顕著に表していた。
ソフトに、タイトに、追い詰める。
「この性格の所為で疑われるなんて、百回過去の自分に反省させたい所だけど。それより、信じてもらえるまで俺なりに、俺の方法で頑張るよ」
笑みの形に細められた瞳の奥で。瞬きより速く。掠めたのは、荒々しい光。物柔らかな態度でカモフラージュされた、直斗のもう一つの本質。
肉体的な意味ではなく。精神的な怖さが沸き上がってくる。
―――堕とされる、と感じた。
「遊びだったら、とっくに抱いてる」
「お察しの通り、俺には龍一を丸め込むなんて簡単だからね」
「でも、我慢してる」
「その理由って、一つしかない筈だけど」
腕の中に、深く抱き込み。あちこち弄る事で抵抗を封じ。届く範囲をキス責めにして。
直斗は洗脳するかのごとく蕩々と、朗々と、囁き続けた。
唇のすぐ横を舐め上げられ、ぼんやり霞んできた瞳で見上げれば。
やはり、見惚れてしまう爽やかな笑みを湛えていたけれど。
「大丈夫。唇へのキス[だけ]は、龍一の返事がもらえた後って決めてるから」
この台詞で、安心できる人はいるのだろうか―――?