とうとう、その日がやってきた。色々考えすぎて、睡眠時間は滅法少ない。朝日が目に眩しく、体調不良を言い訳にドタキャンしようかなんて脳裏を過ぎった。
『万が一具合が悪くなったら、べったり付き添ってたっぷり看病してあげるからねー』というメールを思い出し、すぐその方法は棄却したが。
直斗は、つくづく用意周到だ。2手、3手先を読み、それぞれに対応策を打っている。成歩堂のアパートまで車で迎えに来るのも、『マメで経済力があって優しい』と世の女性には好評価を得るだろうが、成歩堂にしてみればまた1つ逃げ道を潰されたと穿った見方をしてしまう。
―――別に、直斗が嫌いだったり直斗と出掛けたくない訳ではないのだ。その方が、話は楽だが。
ただ、特別な意味で成歩堂に好意を持っている(らしい)直斗と、世間一般でいう所のデートをするというシチュに戸惑わずにはいられない。
しかも、デートの間にキスするなどと予告されては、意識しない方が無理。
ピンポーン♪
成歩堂の葛藤を余所に、聞き慣れたチャイムまでもが2割増し爽やかに鳴り響いた。
風合い豊かに洗い晒されたヴィンテージジーンズ。ウエスタンシャツはややフリンジが控え目だったが、テンガロンハットはいつもの。
今日の装いは超個性的なカウボーイ色が薄れた分、ハンサム度が増した。
しかも巧みに操るのは、レクサスLS600hL。白馬ならぬ高級車に乗った好青年を無碍にあしらったら、適齢期のお嬢さま方から総スカンを食らう事間違いなし。
尤も、優良物件(直斗)のベクトルが成歩堂に向いている時点で多くの敵を作っているが。
「随分大人しいけど、乗り心地が悪い?」
「いやいやいや、素晴らしい乗り心地です!」
乾いた笑いが漏れそうになった所で、直斗が成歩堂の様子を伺ってくる。いかにもな気配りだが、多分、本当に具合が悪いなんて思っていない。緊張しまくりの成歩堂を茶化しているのだ。
「よかった。龍一が隣に居て、俺もすっごく素晴らしい気分だよ」
「うわっ、運転に集中して下さい・・っ!」
「大丈夫、大丈夫。ハンドル操作は片手があれば十分だから」
ポスターにしたら売れそうな、イケメンスマイルを浮かべる一方。左手を伸ばして成歩堂の手を握る。ちゃっかり恋人繋ぎで。赤面しかけた成歩堂はビリジアンになって慌てたが、結局目的地に到着するまで、手は繋がれたままだった。
初っ端からHPを消耗したものの、直斗のエスコート振りはお手本さながら。
細やかな気遣いを見せ。豊富な知識と柔らかいユーモアで、道中を全く飽きさせず。しかし、成歩堂が本来の目的―――デートだという事を忘れて、純粋に水族館を楽しみだすと。あくまでさりげなく、不自然にならない程度のスキンシップを計って、成歩堂の心拍数を速める。
同じ男として羨望を通り越し、感服してしまうレベルの高さだが。一分の隙もない直斗にロックオンされ、果たして逃げられるのかと不安に駆られた。
逃げたいのかどうか、己の心情ながらはっきりしない事が一番の不確定要素。
『ホント、格好いいしなぁ・・』
ジンベイザメの泳ぎを眺めているアクアブルーに染まった横顔を見上げ、こっそり観察する。
まぁ、大前提として同性であるハードルは高いが。『人』として考慮した場合、直斗が魅力的なのは反論の余地がない。
成歩堂を躊躇わせているのは。
直斗流の、冗談ではないかという疑い。
イメージに反して、直斗の性格が一筋縄ではいかない事を知っている。とんでもないお茶目を、ひどく真面目に徹底的に行ってしまう事も。恋愛ゲームを仕掛ける程、質の悪い悪戯はしないと思うけれど。もし、応えた後で『楽しかった?』なんて爽やかな笑顔と共に言われたら。
1度目のトラウマを遙かに超えるトラウマとなる。
それだけは、確信している。
まだまだ、成歩堂は恋愛に対して消極的で。どうしても慎重にしか行動できない。
「俺に見惚れてくれてるなら、嬉しいけど」
「へ? あっ、その・・えーと、すみません!」
ぼぅっと物思いに耽りつつ見詰めていた成歩堂は、いつしか直斗と視線が合っていた事に、間抜けにも直斗から声を掛けられて初めて気付いた。瞬時に紅潮し、わたわたと謝罪し、誤魔化すように水槽に添って早足で歩く。
「そこで、ストップ」
「うわ!」
数m行った所で肩を掴まれ、反動で成歩堂の身体が直斗にぶつかる。支える為に廻された腕は、同時に成歩堂をやんわりと拘束して。
「ちょっと周りを見てみようか」
「はい!?」
耳元で囁かれ、何だか妖しげな響きから逃れるべく、顔を仰け反らせて周囲を見渡す。巨大な水槽と、通路と、案内板と。別段、変わったものはない。
だが、1つ重要なアイテムが欠けていたのだ。
「誰も、いないね」
「!」
偶然か。それすら、直斗の計算か。
今、この空間にいるのは2人だけ。
思わぬ事態に硬直した成歩堂へと、直斗が身を屈め。
反射的に閉じられた、その瞼に。
優しく、柔らかい感触が降る。
「ベイビー、次のデートではここにキスしていいかな?」
唇に触れたのは、直斗の指。
ほっとして。
でも、拍子抜けして。
2つの感情がほぼ互角だと気付いた成歩堂は、逃れられないかもしれないとの予感を覚えた。